92. 謝罪
……猛烈に、気まずい。
先ほど、ココが王の居室近くの廊下で俺の元から黙って歩み去った後、結局まともにフォローしていなかった。
もちろん、探して何か話すべきだとは思っていたのだが、あまりにも「なんとかしなきゃいけないこと」が多すぎて、手が回らなかったのだ。
よく見ると、ココの目元はわずかに赤い。
泣いていたのかもしれない。
「あのさ、ココ。俺は……」
「勇者様。旅に出ておられた間の、この魔術書の調査状況なのですが」
すこぶる事務的な口調で、ココは話し始めた。俺の顔を真っ直ぐに見て。
「う、うん……」
「申し訳ありませんが、まだ転生術の詳細までは読み取り切れておりません。ご報告をしたいのですが、廊下で立ち話というのもなんです。私の部屋までお越しいただけませんか」
「あ、うん。わかった」
なるほど。色々と話さなければならないことは山積している。無論逃げるわけにはいかない。
俺は、罪人の心地でココの後に続いて歩き出した。俺自身が何かやらかしたわけではないはずなのだが。
* *
ココが城で与えられている部屋は、俺よりは少々小さい客間だった。
几帳面な彼女らしく、部屋はきれいに片付いていて掃除も行き届いている。
俺は後ろ手でドアを閉めると、先に口を開いた。
「ココ。あの……」
「それで、転生術についてなのですが」
しかしココは、二人きりになったにもかかわらず、人目がある時と変わらない堅苦しい、他人行儀な調子で話し続ける。
「非常に術式が複雑で、かつ巨大な魔力が必要になるので、容易には実行できないようです。何しろ世界の壁を越えるものですから。
勇者様のご懸念されていた『魔王が転生している可能性』についても、魔王の魔力でさえおそらく足りず、転生しているとは考えにくいと言えます。
術そのものは、テネブリ族の転生術師が代々受け継いでいるということでしたが……」
「あいや、現地で聞いてみたら、もう術師は途絶えているらしい……」
「なるほど。それではなかなかもう、実現するのは難しいかもしれないですね」
さらりと言って、ココは大きな魔術書を机に置いた。
「とはいえ、転生術についてはまだ読み取れたのは序文程度、術式の詳細についてはまだこれからです。最後まで解読出来次第、またご報告いたします」
そして、俯き加減に椅子へ腰掛ける。表情はないままだった。
そうなってくるとイネルがどのようにして転生の術を行ったのか、むしろ謎は深まってきてしまうのだが……それ以上に、俺は知りたいことがあった。
「そのほかの細々した術については、面白いものもたくさんありましたよ。昼と夜を入れ替えるだとか、目を合わせるだけで相手を十年眠らせてしまうだとか、それから人間の魂を……」
「あのさ、ココ」
俺は話を遮った。
「話って、それだけじゃないだろ? せっかく二人きりになったんだから……」
自分なりに、意を決して話し始めたつもりだった。
だが、俺の言葉を聞くなり、口を一文字に固く結び、見る見るうちに目に涙を浮かべたココを目の当たりにすると、情けない俺は口をつぐんでしまった。
悲しんでいる女の子に辛い話をたらたら出来るほど、人間ができていない。
ココは言った。
「わかってるよ……イネル。いつか話さないといけないことだし……でも、もうこうなったら私が出しゃばる余地なんかないから。
陛下がお望みなら、逆らうなんてあってはならないこと。それに……イネルがこの国の王になった方が、絶対にいいから」
いつかこういう日がくるのは、わかっていたし、とココは小さな声で言った。
俺はますます情けないことに、何も言ってあげられなかった。
イネルはジゼルやトリスタとも深い付き合いがあったようだが、ココは何も知らず、純粋に自分だけが付き合っていると今も信じている。
今まで調べてきた限り、イネルにはイネルなりの事情があって、パーティの少女たちと親しくしていたように今では思えるのだが……とはいえ、今のこの状況で一番傷つくのは、ココなのは間違いなかった。
一緒にここから逃げようか、なんて安っぽい恋愛映画みたいな言葉も脳裏に浮かぶ。そうすれば、ココのことは救えるのだろうか。
でも、そんなことをしたって魔王からは逃げられないだろう。最後には彼女のことをまた、傷つけてしまう。
今の俺は、この世界を救うために、出来るだけのことをやらなければならない。
「その……えっと……全部、俺が悪いんだ」
何も見つからなかった俺は、最後にそう告げるしかなかった。
「俺のせいで……苦しめてしまって、本当に……済まない」
ココには本当のことを言うわけにいかない。
まだまだ子供だから……ではない。
これ以上、彼女に余計な苦しみを与えたくないからだった。
そんな状況で、でも俺は彼女に謝りたくて、精一杯考えた末に出てきたのは、小学生のような単純な謝罪の文句だった。
すると、ココはゆっくりと息をつき、それから、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
「……イネルじゃないみたい」
「え?」
俺はヒヤリとした。今更気取られたのかと思ったのだ。
「以前のイネルだったら、一生懸命の笑顔でこの場限りでも私を喜ばせようとして、どんな無理なことでも言ってくれたのに……それだって、もちろん嬉しかった。
けど、今のあなたは、本当にやらなければならないこと、ずっと先、未来のことをちゃんと見据えている。
魔王を倒して、きっと変わったのね。今の方がもっと、素敵だと思う」
ココは、優しい目をしていた。
「今のあなたなら、きっと、いい王様になれるわ」
本当に……そうなのだろうか。
俺はまだ、まるで自信が持てなかった。




