91. 謎の物体
「ああ、なるほど。ぐりんふぁるですか。それなら、安心だ」
俺は小学校時代の学芸会の演劇に匹敵するフワフワした台詞回しで言った。
何だったかは全く思い出せない。
こっちの世界にやってきて以来、特殊な固有名詞を山ほど耳に流し込まれているので、どこで聞いた何だったかさっぱりわからないのだ。聞き覚えがある程度だ。
王の表情からすると、俺は知っていて当然のもののようなので、話を合わせておくしかない。
こういう時にうまいことごまかすテクニックだけは、やたら上達した。
「それでその……ぐりんふぁるをどうする儀式なんですか、その王位継承の儀は」
「城から半日ほどの距離にある岩山に、儀式のための社がある。そこにグリンファルを持ち帰ってきて、収めればそれで良い。
戴冠の儀は城内で執り行うが、この継承の儀には国の民らも参加して良いことになっておるからな、ちょっとした祭りのようになってなかなか面白いぞ。
とはいえ、難しいところはどこにもないからな、何も不安がる必要はない。子どもの使いと変わらん。はははは」
王は豪快に笑うが、そのグリンファルがどこにある何なのか思い出せない以上、いずれ齟齬が起きるに決まっている。
またジゼルに訊いてみるか……。
しかし、この「とにかくさっぱりわからない」という感覚、何か以前味わったような気がするのだが……。
「さて、イネル殿」
不意に王は、改まった調子で言った。
「実のところ、イネル殿が良い王になるであろうことについて、疑いは抱いておらん」
「そ、そう、でしょうか……」
「うむ。儂が王になった時より、遥かにまっとうだ。儂は他人の言うことなどまるで聞かぬ、いわばただの荒くれ者だったからな。先代の息子だから、という以外、王になれた理由はないよ。それと比べればイネル殿は比較にならんほどまともで、人望もある。
だが……婿殿としてはどうかな?」
そう言って、髭面を俺にグッと寄せてきた。俺は気おされてしまう。
「最後にもう一度、確認しておきたいのだよ。愛娘を勇者殿は、大切にしてくださるかな」
王は笑っている。
ただ、その笑顔の奥にどんな感情があるのかは、察しの悪い俺でも十二分にわかった。俺は、王の目をじっと見つめながら言った。
「……もちろんです」
「うむ。そうであろうと思っておった!」
王は俺の言葉を聞くや、大笑した。俺の心に本当は浮かんだ、迷いに彼が気づいたかどうか、俺にはわからなかった。
そりゃもちろん俺だって、間断入れずに頷いて王に安心してもらいたい気持ちはあった。
しかし、この期に及んでそこまでの堂々とした嘘をつくほどの図太さも、俺にはなかった。
フィオナ姫は大層美しい女性で、それはもう結婚相手としては申し分ない。
俺なんかにはもったいないことこの上ない。
でも、それは世の中一般から見た時の話であって、俺自身の気持ちとか、姫の気持ちとかは全く考慮に入れられてはいないのだ。
こういう世界だから姫はそれでも気にしないのかもしれないが、俺は気にする。
むしろ、以前より姫の人柄を知ったがために、中途半端な気持ちでは結婚などできない。
それに……そもそも、俺が真実を世に知らしめた時点で、魔王に殺される可能性も高く、上手く生き延びたとしても、今度は「偽物の勇者」という烙印を押される。
そんな人間と結婚したが最後、姫には多大な苦痛を与えることになってしまう。
俺の事情を熟知している姫は、きっと協力はしてくれるだろう。でもだからこそ、あんなに純真にイネルを敬愛している心優しい姫を苦しめたりはしたくなかった。
だが、今回の「勇者ネタバラシ作戦」を実行に移すには、ある程度までは王位継承=姫との婚姻を進めざるを得ない。悩ましいところだった。
笑顔の王は、俺の方をフルパワーでバンバン叩くと、
「他にもわからぬことがあれば、いつでも聞きにきなさい。大臣たちに尋ねても良い。次なる王が愛される偉大な存在になることを、心から願っておるよ」
と言ってくれた。
* *
とにかく、戴冠の儀の前にもう一つイベントがあり、そこには謎の物体「グリンファル」を持っていけばいいらしい、ということはわかった。
結果として、謎が増えただけのような気もするが。
とりあえず、グリンファルがなんだったのかジゼルに尋ねに……。
「イネル様」
不意に廊下の角から声をかけられ、俺は立ち止まった。
そこから現れたのは、魔術書を胸に抱えたココだった。




