90. 戴冠の儀とはなんぞや
考えてみると、「人の中身が入れ替わっています」と信じてもらうのはかなりの難事なのだ。
第一に証拠がない。
ジゼルのような個人的な関係に基づく特殊な場合は別として、大勢の国民や兵士たちに「俺が偽物である」と納得してもらうためには、相当はっきりした根拠を見せないとダメだろう。
でも、そんなのあるのだろうか。
とりあえず、これから戴冠の儀までの間にどんなイベントがあるのか、確認しなければなるまい。
俺は自室に戻るなり魔王に、戴冠の儀式を知っているか、と訊いてみたが、人間の行事など我が知るはずなかろう愚か者、と即答されてしまったので、あちこち訊いて歩く羽目になってしまった。
* *
「ははははは! わからぬことがあればなんでも訊いてくれ、次王殿!」
ベッドに寝そべった巨漢こと現王は、ひげを震わせて笑った。
部屋には未だに、看病のために王の居室には大勢の召使達がうろうろしているが、果たしてこんなに元気な人に何をやっているのかは、傍目に見ていても全く不明である。
「いえその……いろんな人に、戴冠の儀式というのがどういうものなのかを伺って回ったのですが、全体像を知っている人がなかなか見つからず……結局王ご自身に伺うのが一番早い、という大変無礼な結論になりまして……」
「何が無礼なものか。当然のことだ。王の継承儀礼を知悉しているのは王に決まっておろう。遠慮することはない。なんでも教えよう」
王は体を起こすと、人懐こい笑みを浮かべた。
さすが、これだけの国を率いているだけあって、人心掌握術は人並外れたものがあった。
思わず心を開いてしまう豪快かつ愛すべき表情を、彼は頻繁に浮かべる。
俺は咳払いすると、質問を始めた。
「なるほど。では……これから一ヶ月ほどの間に、私は何をすることになるのでしょうか?」
「城内では大臣達や、学者連中から治世のための講義を受けることになる。まあ、そんなものは一度聞き流しておけば十分だがな。私も実際にそんな知識、使った覚えは一度とてない。ははははは!
その他、イネル殿は式典の時などの立ち居振る舞いについては学んできておられんだろうから、その辺りも講師を連れてきて教わってもらうことになる。これもさして難しくはないから、イネル殿なら心配なかろう。ははははは!」
いや、ははは、ではない。
恥ずかしながら、教養と呼ばれるものはろくすっぽ学校で身につかないまま社会人になった世代の人間である。
前の世界でも普通に他人とコミュニケートするだけでストレスマックスだったのに、これからそんなことを叩き込まれるのかと思うと胃が痛い。
もちろん、そういう社交テクニックを実践する機会は、このまま俺の思い通りに行けば発生しないことになるのだが。
「そういった勉学の時間が長くなるだろうなあ。ああ、それから多勢の兵士を率いる際の戦術についても、将軍らやジゼル殿から教わることになろうが、これもイネルどのなら心配無用。
戴冠の儀自体の支度も、言うまでもないが城の者たちが行うからな。今回の場合は、戴冠の儀はフィオナとの婚礼の儀と併せて執り行うことになる。
何、冠を恭しく被る以外は、普通の婚姻の儀式と何も違いはない。あとは、王位継承の儀さえ恙無く済めば、なんの心配もないな」
ん?
「陛下、すみません、今、『王位継承の儀』とおっしゃいましたか」
「お? ああ。言ったぞ」
現王陛下は頷いたが、それ以上の情報をくれない。なんでだ。
「あの、陛下……その儀式はどのような内容で……?」
「ああ! これこそ懸念することはない。普通の人間なら難しいかもしれん。私も随分苦労した。だがイネル殿なら大丈夫だ。何しろ、使うのはあの、グリンファルだからな」
……ぐりんふぁる。
なんだっただろう。
どこかで、一度聞いた名前のような気がするのだが。




