88. 最終手段
「姿を……消したい?」
俺が繰り返すと、ジゼルは頷いた。
「私しか聞く相手がいない時、夜、眠る前などにポツリと言うことがあった。もちろん私は笑って聞いていたが。どういうつもりなのかと尋ねても、はっきりした答えは返ってこなかったな」
魔王に操られたくないからか、とも一瞬考えたが、イネルに魔王が話を持ちかけたのは、トリスタも仲間になった後のことである。時系列がおかしい。
ジゼルと二人きりで旅をしていた最初の頃、まだ魔王のもとにたどり着けるかどうかすらわからなかった時から、イネルはこんなことを言っていた、ということだ。
なぜだ。
ジゼルは話を続ける。
「かつてそんなことを言っていたはずのイネルが、いざ魔王を退治したというのに全く様子に変化がなく、私にも何も話にこないから、不審を覚えたというわけだ」
「なるほどな……」
俺は魔王を倒した後は、次々と起きる異世界ならではのピンチに対処するので精一杯だった。
まさかイネルが、そんな奇妙なことを言い残しているなんて思いも寄らない。
俺は当然の疑問を、ジゼルにぶつける。
「でもなんでそんなことを、イネルは言ってたんだ? あれかな、賞賛を浴びたくないから、偉大な勇者として祭り上げられる前に自ら去ろう、みたいな」
「私も最初はそう思っていた。だが、勇者として世界各地を回る中で、あいつは別に賞賛を受けたがらない様子は一度も見せなかった。むしろ嬉しそうに見えたが」
「うーん……」
俺が首をひねっていると、ジゼルは改めて質問してきた。
「いきなりどうしたんだ。今はこんなことを私に訊きにきている場合ではないだろう。次の王として、やらなければならないことが山積みのはずではないのか?」
「山積みなんだけど……でも俺としては、唯々諾々と王の座を受け取っていいのか不安で、だからまだわからないイネルのことを、知れる限り知っておきたくて……」
正直な気持ちだった。この世界に転生してきて、あれよあれよという間に次は王様になれ、という。
ついこの間まで、別に何者でもなく、うだつの上がらない一サラリーマンだったこの俺が。不安どころの騒ぎではないのだ。
俺が、王様。
いいわけがない。
俺は思わず、声を荒げる。
「ていうか……受け取っていいわけないんだよ! 引き継いだ勇者としてだって大した仕事ができるわけでもないこの俺が、次は王様だなんて。恐れ多いにもほどがあるだろ。
会社じゃ後輩にだってろくに仕事教えられなくて、昇進の芽なんてないって上司からも笑いながら言われてたんだぜ?」
「ショウシン? ジョウシ?」
「それが大勢の国民と、城の兵士を従えてだなんてできるわけが……」
「ふうん……姫の夫になることに不安はないわけか」
ボソリとジゼルに言われて、胸にグサリとくる。
いや、そういうつもりではないんだけど。
言うまでもなく、このまま王になったら、魔王の狙い通り人間を奴隷へと導く手助けをする羽目になる。それを防ぎたいという気持ちもある。
あるのだが、のみならず、単純にこの、なんてことない凡人の俺が、王になること自体が考えてみれば大問題なのだ。
「とにかく。今まで『勇者っぽい』ことをごまかしごまかしやってきたのとは……わけが違うんだよ。王様は『王様っぽい』じゃ済まないだろ?
責任が生じる。迷惑をかける。誰かの人生を台無しにするかもしれない。イネルだったらやり切れたかもしれないけど……俺みたいな普通の人間には、無理だ」
「そうかな……そんなに悪くはないと思うが……」
ジゼルが言うのを無視して俺は彼女に近寄り、強引に手をとる。
「な、何を……!?」
「なんとか……断れないかな」
絞り出すようにして俺はそう尋ねた。ジゼルは視線を逸らしながら答える。
「ば、馬鹿を言うな。現王直々のお言葉で、すでに民にも知れ渡っている。この段になって断るなどということが認められるわけがない!
もはや逃げ場はないぞ。お前が王にならずに済むとすればこの一ヶ月の間に死ぬか……いや、それはダメだぞ」
あいにく自ら死を選ぶほどの固い気持ちも今の俺にはない。
ジゼルは、俺が握った手を振りほどきたそうにチラチラ見ながら考え続けている。
「もしくは……絶対にお前が跡を継ぎえない、致命的で誰にでも理解できる大きな理由でもあればいいが…………………あ」
「あ」
俺とジゼルは、同じタイミングで口を丸く開いて声を漏らした。
そうだ。
一番簡単な手段を俺は失念していた。
「おい……お前、それもダメだぞ……!」
ジゼルは言うが、しかしこれは、唯一無二の方法だ。
しかも、魔王マヤは考えもしていない裏技。
俺がイネルでないことを、皆に明かせばいいのだ。




