87. ジゼルに聞かなければならないこと
なぜ、魔王に屈したのか。
そして、なぜ、転生したのか。
今までいろんな人に聞いてきたことで浮かび上がる「イネル像」と、どう考えても矛盾するのだ。
「諦めない」を信条としてきたなら、なぜ、魔王のあの悪辣な要求を呑み、世界を支配するために協力すると決めたのか。
のみならず、それから逃れて、自分だけ他の世界へ行き、赤の他人(=俺)に全てを押し付けようなどと考えたのか。
初手でそんな振る舞いを知ったから、とんだゲス野郎だと俺は思ったのだ。
だが、イネルの他の行動や思考を見る限り、そんなことをする奴とは到底思えなかった。
ジゼルだって、初めて真実を知った時あんなにショックを受けていたのは、イネルが逃げ出すような人間とはとても思えなかったからで……。
「あ」
「どうした」
マヤと喋っていることも半ば忘れて、俺はとあることを思い出していた。
「……悪い、そういえばジゼルに呼ばれていたことを思い出した」
「呼ばれてた?」
「ああ、兵士たちの間で俺がどれぐらい支持されていて、これからどう立ち居振舞うべきなのか、みたいな話を教えてくれるらしい」
俺がそう言うと、マヤはなるほど、とあっさり頷いて信じてくれた。そういう政治的に重要そうな話は、自分よりも優先すべきと考える性格なのだ。
すぐさま俺は、少女を部屋に残してジゼルの元へと向かった。
もちろん、不意に思い出したのはそんなどうでも良い会談についてではない。
ジゼルが、俺の正体に気付いたあの時のことだった。
城の裏側にある兵士の訓練所に行くと、壁にもたれかかって物思いにふけっているジゼルをすぐに見つけた。
周囲で剣術や槍術の練習をしていた兵士たちは、俺が入ってくるや背筋を正して挨拶してくれる。明らかに、彼らの態度も以前と変わっていた。
次期国王に気を使っている……のだろう。なんとも気詰まりだ。
「どうした」
ジゼルの方から、俺を見つけて話しかけてきた。
俺は彼女に近寄ると、声を潜めて、訊きたいことがあるんだ、と言った。きっと、今なら答えてくれるはずだ。
ジゼルは眉をひそめる。
「訊きたいこと?」
「ああ。すっかり忘れてたんだけど……俺の正体がイネルではない、と気付いた時、なぜ気付いたのか、あの時は教えてくれなかっただろう?」
そう、ジゼルにナイフを突きつけられた、あのパーティの夜のことだ。
あの時、彼女はなぜ、この勇者の体の中身が別人に入れ替わっていることに気付いたのか、答えを教えてくれなかった。
「確かあの時、ジゼルは『自分は昔からイネルの仲間だったからわかるんだ』という以上のことは、教えてくれなかった。あれが……一体どういうことなのか教えて欲しくて」
「ああ……」
ジゼルは思い出したようで、小さく数度頷くと、
「こっちへ来い」
と訓練所の奥へと俺をいざなった。
兵士たちのいない、教官室のような小部屋へ案内された。差し出された椅子に俺は腰掛ける。
ジゼルは、机にもたれかかった。
「あの時、勇者に異変が起きたと感じたのは……魔王を倒したというのに、お前の態度になんの変化もなかったからだ」
「変化がない?」
よく意味がわからなかった。
変化があったから異変に気付くのが普通ではないのか。変化がないんだったら、俺はうまいことごまかせていたということだろう。
「違う違う。ココもトリスタも、比較的最近仲間になったから知らないのだが……最初の頃、私と二人旅をしていた頃のイネルが言っていたことと、あの時のお前の態度が一致していなかったから、私は不審がったんだ」
「?」
「うん……」
ジゼルは、まだ何か言い澱んでいた。
「前にも言ったと思うが……イネルは、バカがつくほど堂々として、何でもかんでも胸張って言い切ってしまって笑っているような振る舞いを、特にココが仲間になった後は誰に対しても見せていた。
きっとそれは、まだ幼かったココを仲間にしたばかりで、不安がらせないため、というのが大きかったと思う。
自信満々で、何事もやり遂げてみせる、といつだって宣言して、他人に迷惑もあれこれとかけていた。
けれど……勇者として力も至らなかった頃、話し相手ももっぱら私しかいなかった頃、あいつは、妙なことを言っていたんだ」
「妙なこと? 魔王を倒せないかもしれない、とか?」
「いや。それは一度も言っていなかったな。魔王は何があろうと、必ず打ち倒してみせる、と言っていた。言っていたのは、もしも魔王を倒せたら、という話だ」
「……?」
「こう言っていた。『もしも魔王を倒せたら、自分は早々に、姿を消したい』と」




