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80. テネブリの転生術師

「あの旅で話したこと、覚えているか?」


 オルレはさらに言った。

 俺はどうしたものか迷ったが、唯一、だが確実にその旅で話したであろうことを口にした。


「……『勇者とは、最後まで決して諦めない者のこと』」


「そうだ。あの旅では、前の世界のことを随分色々と話したが……お前に覚えていて欲しかったのはその言葉ぐらいだよ。父さんの大好きな言葉、父さんが叶えられなかった夢だ。お前が叶えてくれて、嬉しい」


 オルレは言うと、ふう、と息をゆっくりついて、また目を瞑った。

 相当疲れてきている様子だった。無理もない。

 こんな地で話す相手など、そうそういやしないだろう。


「本当に、お前が勇者になってくれるなんてな……」


 そう呟く彼を見て、俺は胸が詰まった。

 目の前にいる息子の中身は、赤の他人なのだ。


 またしても、発作的に何もかも告白してしまいたい気持ちに駆られる。

 こんな瞬間に、息子だと信じて会う相手が見知らぬ人間で良いのか。

 けれど、俺にどうすることもできない。


「そんな悲しい顔するな」


 すると、オルレはそう言った。


「父さんは大丈夫だ。無理を押してここまで来た甲斐があった。念願叶って、転生術師に会えたのだから」


「え!?」


 俺は驚いて周囲を見た。

 やはりテネブリの部族には、今でもそうした力を持つ者、魔術を伝える者がいたのか。


「めでたく、ここで死ねば、また次、生まれ変わって前の世界に戻れるんだ」


「そんな、死ぬなんて……」


 そう俺がありきたりな言葉を吐くと、いいんだ、とオルレは口元にわずかに笑みを浮かべた。


「転生術のおかげだ。死ぬのも怖くない。またあの世界で生きられるんだ。

 まあ、あっちの世界に戻ったら、また非モテだとか引きこもりだとか就活地獄とかブラック企業とか、うんざりするクソみたいな世界に絶望して、こっちの世界に戻ってきたくなるかもしれないが。それでもいいんだ」


 こっちの世界で生きて五十年、不思議なもんで帰りたくなるんだよあんな世界でも、とオルレは自嘲気味に笑った。


「なんでだろうなあ。時間が経つと、よかったことしか思い出せないんだ……子供の頃、犬がうちに来た。話してなかったかな。

 茶色い、小さな犬で……すごく可愛かった。親がどこかからもらってきてくれたんだ。


 毎日一生懸命散歩に連れて行った。俺からしか餌を食べなくって。遊んでやると、いつまでだって飛び跳ねて喜ぶんだ。

 俺が中学校に入った頃、病気で死んでしまった。悲しかったよ。最近、そのことばかり思い出すんだ。どうしてだろうな」


 オルレは、ただ話し続けた。今の俺にできるのは、それをただ聞くことだけだった。


「思えば、どうして俺はこの世界に転生してきたんだろうな。何か意味はあったんだろうか?

 偶然なのか、必然なのか……どこかで見た物語みたいに、女神様とかが俺を呼び寄せたとか、そんなことも結局、なかったしな。


 俺が転生してきた意味は結局、イネル、お前を勇者に育て上げたことだけだったよ」


 それだけでも十分といえば十分か、とオルレはポツリと言った。


「さあ、イネル。いつまでこんな場所にいるつもりだ。勇者には、魔王を倒した後でもやらなければならないことがあるはずだろう」


「……でも、父さんを一人にして置いていくわけには……」


「大丈夫だ。俺には転生術師がついているから。ほら、そこに」


 オルレは、震える手で俺の背後を指差した。俺は振り返る。


 誰もいなかった。


「いるだろう? 転生術師が」


 俺は、しばらくオルレの指す虚空を眺めて、考えた。

 それから、トリスタを見る。


 彼女はいつもとそんなに変わらない表情で、静かに首を左右に振った。


 オルレの方に向き直ると、俺はいった。


「ああ、いるな」


「そいつが俺を、父さんを最期まで看取ってくれる。術の支度ももうバッチリだ。方陣も描いてあるし、法具も揃えてある。

 あとは死ぬだけだ。死ねば、転生できる。転生したら、また子供からやり直すんだ。


 今度はごく普通の、なんてことない人間だとちゃんとわかった上で、それで、普通に生きる」


 オルレは苦しげに咳き込んだ。


「さあ、イネル。お前にはまだ、やらなければならないことがたくさんあるだろう。

 早く行け。もう戻ってくるな。


 母さんには、父さんはもう死んでいたと伝えてくれ……ありがとうな。最後に会えたのがお前で、嬉しかったよ」


 俺は、オルレの手を握った。

 握り返す力はすでに弱かったが、でも、精一杯俺に何かを伝えようとしていた。


 立ち上がり、俺はオルレに、じゃあ、とだけ言った。オルレは頷いた。


 俺とマヤは、その場を後にした。

 トリスタが俺の後ろに続いて、テントを出てくる。

 彼女は俺の背後から、小さな声で話しかけてくる。


「イネル。聞いて回ったんだけど、もうテネブリには転生術師は……」


「わかってる」


「今のテネブリには文字もないから、術の使い方も伝わってない……」


「わかってる」


 何もかもよくわかっていた。

 わかっていたけれど、言うべきでないこともあるのだ。

 明らかに間違っていても正されるべきでないものもある。


 たとえどんなに不器用であっても、最期まで諦めずに懸命に生き抜いた人間の尊厳は、守られなければならないのだ。

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