79. 転生者の思い出
トリスタに案内されて、俺とマヤは連れ立ってテントの群れの奥へと向かった。
俺は先立って、念の為、魔王に尋ねる。
「……大丈夫なのか?」
「もちろん」
マヤは俺を一瞥もせず答える。
当たり前だがオルレは自分の「長女」、マヤを見たことも聞いたこともない。
ちゃんとごまかせるのか確認しておきたかったのだが、どうやら乗り切れるらしい。
母親に対してと同様、なんらかの魔術で、「娘」がいたかのように誤認させるのだろう。
慣れた様子で人の合間をすり抜けていくトリスタと違い、俺たちは地面に置いてある壺やら鉢やらを踏まないように歩くだけで精一杯だった。
そうしてようやくたどり着いたのは、一目見て医療に使われているとわかるテントだった。
汚れてはいるが包帯らしい布を巻かれた人や病人が、幾人も並べられている。
老人もいれば、子供もいる。果たしてこの土地の技術でこのうちのどれほどの人が治るのか、俺にはわからない。
俺たちはそうした人々の枕元を、気をつけながら歩いていく。
その先で、一人の金髪の老人が静かに横たわっていた。
明らかに彼だけ、周囲の人々と髪や肌の色が異なっている。
すぐに俺は、それが勇者の父、オルレだとわかった。
トリスタはあくまでいつもと変わらない表情で、俺に彼を示している。
何も言わないけれど、彼女の気遣いはよくわかった。俺は彼に近づいていった。
彼の顔のそばに膝をつくと、オルレはゆっくりと目を開いた。
近づいてみると、それほど老人というわけでもない。
考えてみれば二十歳そこそこのイネルの父親なのだから、四十代か五十代がせいぜいだろう。
けれど老いているように見えたのは、彼の疲れ切った表情と、それとおそらくはなんらかの病からくるやつれが原因だった。
「……イネルか。こんなところまで来たのか」
オルレは掠れた声で言った。
俺はわざわざこんなところまで来たのに、彼に何を言ったらいいのかわからなかった。
半年ほど前までは元気にあちこち飛び回っていたというから、今だって母親と大して変わらない様子だろうと勝手に思い込んでいたのだ。
こんなに弱った人相手に、転生術がどうのこうの、なんて話をしようという気にはなれなかった。
いや、それ以前に、積極的に嘘をつこうという気持ちにもなれなかった。
「魔王は、倒せたのか」
唐突にそう尋ねられて、俺は反射的に頷いてしまった。
そして、すぐに自分のすぐ隣に立っている少女を見る。少女は全く動じる様子もなく、オルレの顔を見つめているばかりだった。
早速、俺は嘘をついた。自分で自分が嫌になる。
「そうか……」
オルレはまた目を瞑ると、そのまましばらく、何事か考えている様子だった。
再び目を開くと、
「よかったな」
とだけ、彼は言った。
またしても、俺からは何も言うことができなかった。
「父さんは、もうすぐ死ぬよ」
オルレは囁くように言う。
「なんだか知らん、この土地の病だそうだ。まあ、もう死ぬつもりでここまで来たから、後悔はない。母さんにはありがとうと伝えてくれ」
「なんとか砂漠を渡れば、俺の仲間の力でグラントーマへ飛ぶこともできる。まだ治せるかも……」
「いや、いいよ。自分のことだからわかるが、そんなに体力は残っていない。ここで寝ているだけで精一杯だ。悪いがここで逝く」
そう言って、オルレはゆっくりと息を吐いた。
無理を強いるのはむしろ無礼に当たるだろう。俺はこれ以上の言葉は飲み込むことに決めた。自分の人生の最期を覚悟した人間を尊重したかった。
俺は、自分が確かめなければならないことを訊くことにした。
「あのさ、転生術のことなんだけど……」
「おお、母さんから聞いたか?」
「うん」
「いやあ、お前には言っていなかったよな、母さんにもとっくに打ち明けていたこと」
「……ん?」
一瞬、オルレの言っていることが頭に入ってこなくて俺は困惑した。
「母さんは、お前が生まれる前から知ってたんだ。父さんが転生者だってな。お前に打ち明けた時もその後も、そのことは一度も話してなかったな……」
俺に、いや、イネルに打ち明けていた?
俺は焦って、またちらっと魔王の方を見る。
先ほどのマヤへの話との間に矛盾が生じて、彼女に疑われるのではないかと不安になったのだ。
だが、幸いにもマヤは何も反応していなかった。
確かに、「いつ」父親が転生者だと知ったかは俺は話していなかったから、違和感は覚えなかったのだろう。内心息をつく。四方八方に嘘をついていると、何を話しても綱渡りだ。
ともかく……イネルはオルレが転生者だということを知っていたのか。
オルレは少し咳き込みつつ、話し続けた。
「まあ、あっちの世界のことは母さんよりお前の方がよく知っているよ。母さんにはまとめてあっちのことを話す暇なんてなかったから。一年もじっくり、腰を据えてお前と話せてよかった」
一年……?
懸命に記憶を巡らせて、俺はようやく思い出す。確か、イネルは父親と丸一年、修行だかなんだかの理由で放浪の旅に出ていた、という話だった。その時に、転生者であることを打ち明けていたということだろうか。
いつの間にか、オルレは微笑んでいた。
「あの旅が、思えば一番、この世界に転生してきてから幸せな時間だったかもしれない」




