78. 見知らぬ女
「……お前の父親が転生者だった?」
怪訝な表情で、マヤは俺を見た。
睨んでいるのか、それとも太陽光が強くて目を細めているのかはわからない。
俺たちは話をするために、手近なテントの影の中に入っていた。
そこで生活しているらしい老婆は、明らかな異民族の俺たちに一瞬のためらいもなく敷物を貸してくれた。
優しいというか人がいいというか、悪意ある者に狙われたらどうなるのかと心配してしまう。
「それであの魔術書も、ココに調べさせていたのか」
「ああ……」
俺は冷や汗をぬぐいながら頷く。
幸い、暑さからの汗に混じって目立たない。
一対一で転生のことを問われたらどう言い逃げればいいか、とかなり焦ったが、久々に俺の得意の言い訳スキルが発動した。
なんのことはない、イネルの父オルレが転生者だったのは事実なのだから、そちらに話題を仕向ければ、転生に関心を持ったことは納得してもらえる。
「可能な限り事実だけで固めて話し、真実でないことは最小限に抑える」。
嘘や言い訳を言う時のコツの一つだ。
「なるほどな。それで晩年に至り、この部族の元へやってきたということは……父親は元の世界に還りたくなった、ということか?」
「母がいうにはそうらしい。転生術のこと、知ってるのか?」
俺が尋ねると、魔王は自嘲気味の顔で答えた。
「歳だけは無駄に重ねているからな。一人、二人なら転生者や転移者に出会ったこともあるが……まあ、そうあることではない。他の世界から魂を移動させてくるのには相当な力が必要になる」
「転移者?」
「転生者というのは前の世界で死んで、その世界での記憶や意識を維持したまま新たな世界で生を受ける者のこと。転移者は肉体ごと、別の世界に移動してくる者のことだ」
なるほど。これは、前の世界のラノベや漫画と同じルールだろう。
マヤは話を続ける。
「転生者の場合はこちらの世界でもう一度生を受けるから、幼子から育ち直してこの世界の知識も身に着けている。自ら転生者だと告白しない限り、外見上は普通の人間と見分けはつかん。
逆に転移者は、あからさまにこの世界にいない外見をしていたり、行動が妙だったりするから村八分にあって生きる場を失っていることが多いな」
なるほど……ということは、俺はどちらに属するのだろうか?
気になるのだが無論、博学の魔王陛下に訊くわけにもいかない。
なんとか遠回しに引き出せないか。
「他のバリエーションとかは……」
「例えば。そこの椅子に腰掛けている女は転移者だ」
「え?」
俺はギョッとして、マヤの指差す方を見た。
そこには、ウェーブのかかった長い黒髪の女性が座っていた。
顔は彫りが深くてこの世界の住人のようだが、確かに着ている赤いコート風の服の素材は、この世界には存在しないものに見える。
工業製品の均質性は、手工業しかない世界ではありえないものだ。
それより何より、彼女は黒縁のメガネをかけていた。
そんなものこっちの世界で一度も見たことがない。
俺は目を丸くした。
「こんなしれっといるものなのか……?」
「我も見るのは十数年ぶりだな。しかし、十数年に一人くらいは見かける。『転移者』という存在を知らなければ、ただの変わった身なりの人間としか思わないからな。
テネブリの民は、トリスタも言っていたように寛容だから、過ごしやすいのだろう」
俺は声をかけようかどうしようか迷っていたが、そうしているうちにその異世界の女性は、すっくと立ち上がるとどこかへ歩み去ってしまった。
ああ。
優柔不断というか、ここぞとばかりに童貞力が前面に出てしまった。見知らぬ、しかも美人に迂闊に話しかけることなんかできない。
俺のそんな様子を見てとったのか、マヤが肩をすくめた。
「やめておけ。下手に接触するとどんな攻撃を受けるかわからん。百年ほど前、転移者と接触したら見たこともない珍妙な武器で撃たれた。
筒から稲光のようなものが飛んでくる、どのような魔術かわからん代物だ。我だったから特になんということもなかったが、何をされるかわかったものじゃない」
……確かに。
いくら勇者の肉体とはいえ、至近距離で44マグナムとかで撃たれたら流石にダメージも大きいだろう。俺は女性を追うのはやめておいた。
何気ない調子で尋ねてみる。
「ちなみに、転生とか転移ってどうやるんだ?」
「なんだ。やってみたいのか」
「いやいやいや。単なる興味だよ」
俺は急いで否定するが、マヤは、怪しいな、と悪い笑いを口元に浮かべている。
「転移して我から逃げようとしても無駄だぞ。
とはいえ、肉体ごと転移するなど魔術師の力でどうこうなるようなものではない。この世界を突破しなければならないのだから。
もっと強大な魔力を効率よく大量に集める手段が必要になるだろうが……ちょっと我でも方法は思いつかんな。転生に至っては全く興味が湧かんから知らん」
残念。
やはり、あの本を調べるか、もしくはこの部族に伝わる知識とやらに当たるしかないのだろう。
「おーい。イネルー」
気の抜けた呼び声が聞こえた。顔を上げると、呼び主はもちろんトリスタだった。
トリスタは俺たちの目の前まで走ってくると、あっけなくこう言い放った。
「いたよ、お父さん」




