74. 最後の旅
「あの人が旅立ったのは……イネルが十四になった時だね。
ちょうど、今こうして話しているような感じで、あの人は何気なく私に相談してきたよ。この場所で」
宿の外からは、村の子供達が遊んでいる楽しげな声が聞こえてくる。
「元いた世界に帰りたいんだ、って」
「お母様はそれを、どう……?」
ジゼルが聞くと、母親は肩をすくめた。
「耳を疑ったよ。
帰るったって、そんな簡単に帰れるものなのかとか、そもそも私やイネルを捨てていくつもりなのか、とか。
冗談で言ってるのかとも思って聞き流してみたり、ワガママだと怒ったりもしたんだけど……どうやらあの人は真面目らしかった。
だから、ちゃんと話を聞いたんだ。
あの人が言うには、帰り方について多少のあてはあるけども、本当に帰れるものなのかどうかわからない。
だが、帰りたいんだ、って」
母親は深々とため息をついた。
「私だってあの人と歳は変わらないから、これぐらいの年齢になると何かと心細しくなってきて、人生不安になったりするってことは理解できたよ。
でも……他の世界からやってきて、帰りたくなる気持ちっていうのは、よくわからなかった。今だってわかっちゃいない」
そうやって半年ぐらい、あの人の思いや考えを、色々と聞いてね、と母親は、少し寂しげに言った。
「この人の気持ちは変わらないんだな、とよくわかった。
もう気持ちが、前の世界の方を向いているんだなって……むしろ長い間よく、この村で辛抱したもんだと思うようになった。
若い頃にあれだけ色々あって、いろんな思い抱えて、この歳になって、それでそう思ったんなら……元の世界へ戻るのを、応援してやろうと考えるようになった」
ジゼルも、勇者の母に聞きたいことが色々ありそうだった。が、結局その疑問を飲み込んだようだった。
幼馴染から何十年も連れ添った夫婦が、相手の強い思いのために別れを決意した、その気持ちを他人がそう簡単にどうこう言うことはできない。
「世界の各地を巡って残りの一生を通して方法を探る、だからもう戻るつもりはない、そう言ってた。
それからは……他の人に気取られないようにあの人が旅立つ方法を一生懸命考えた。イネル……あんたにも隠していて、すまなかったね」
俺は、いや、とだけ小さく言って、首を振った。
母親は、ジゼルに向かって説明を続けた。
「とにかく死んだことにしよう、という話になって。
近場にちょっと強い魔物が出るって評判の場所があったから、それを退治に行ったということにして、その場所にあの人がいつも着ていた服やら靴やら荷物の残骸を置いて。
そんな細工をしながら、あの人と子供の頃からの思い出話をして、時間を過ごしたよ。
そうして、最後に魔物退治に行ったという書き置きをあの人に書いてもらってから、あの人とは別れた。それきりさ」
母親は再び、疲れた顔でため息をついた。
「別に誰にも疑われなかったよ。
あっけないくらい簡単に、あの人は『死んだ』ってことになった。
もうこの子も大人になる歳だったから、最後のワガママを聞いてあげたくなったのさ。悪かったね、イネル」
また謝られて、俺は申し訳なくなってしまった。
別に、悪事や秘密を暴こうなんて大それた気持ちがあったわけではない。自分の知りたいことのために、イネルの父親の真実を知らなければならなかっただけのことだ。
俺は尋ねた。
「母さん。その、帰る方法の『あて』っていうのは何なのか、父さんは言ってなかったか?」
「ああ、何でも転生の方法を先祖代々伝えている部族ってのがあって、最初に旅をした時名前だけは聞いたことがあるけれど、どこに住む人たちなのかわからないから、それを探すんだ、っていうような話だったね」
「部族……」
その中に、例の「転生術師」がいるのだろうか。
「それで、その部族の名前って覚えてる?」
「えー……何だったかねえ……そういうの覚えるのが苦手で。ええとね、テネ……テネなんとかっていうような名前だったと思うんだよ。なんだったか……ええ……」
「テネブリ族」
いきなり、ジゼルがそう言い切った。母親は手を叩く。
「そうそれ! よく知ってるねぇ」
「有名なのか?」
俺が尋ねると、目を丸くしたジゼルは、
「有名かどうかは知らないが……それはもちろん、知っている」
と答えた。
「トリスタが、テネブリ族の生まれだ」




