73. 「選ばれし者」
※12月10日記
引き続き体調とっても悪いので、今週いっぱいくらい不定期になる恐れあります。
「ち……違う世界って?」
俺はものすごくわざとらしい感じで言ってしまった。あいにくとそんなに器用に芝居ができるたちではない。
ジゼルからも白い視線が注がれる。いい加減許してくれ。
だが、勇者の母は俺のしくじりには気づかなかった様子で言った。
「あの人もその時、他の誰にも話したことはない秘密だって言ってたよ。
この私たちが暮らしている以外にも、世界はあるんだと。自分は元々は、その世界の生まれなんだ、と。
そういって、自分が生まれた世界とやらの話を、延々してくれたよ。
その世界では、ほとんどの人に身分の差がない、だとか、みんな畑仕事も農業もせず遊びばかりしてる、だとか、かと思えば、なんだったか……『会社』とかいうものであくせく働かなきゃいけない、だとか」
俺が来た世界と同じだ。やはりオルレは、俺と同じ立場の人間だったのだ。
彼が異世界出身であることを勇者の母親に正直に告白していたことは驚きではあったのだが、しかし、自分のことを勇者に「選ばれし者」だと思っていて、好きになった女の子が目の前にいれば、それぐらい告白して秘密を共有したくもなるかもしれない。
「ほら話かもしれない、と思ったよ。あんたの父さんは弁も立つほうだから、旅に出る前にほら、私の気を引こうとしてるんじゃないか、なんてねぇ。
でも、いやに大真面目に話すのさ。前の世界では仕事がどんなに辛かっただとか、ロクでもない『上司』とかいうのがいたんだとか、好きなお話でこうこうこういうのがあって、だとか。
ただのからかいで言っているとは思えないくらい、確からしく聞こえたんだよ。私にはね」
どうやら、オルレも俺とほとんど同じ立場の冴えないサラリーマンだったらしい。
だとするとなおのこと、「転生したら勇者になる」という気持ちが理解できる。
せっかくこんな奇跡的な立場に立てたのだから、自分は勇者になるべきなのだ、ぐらいに思って当然だ。
少なくとも、俺ならそう思うだろう。
「その好きなお話で、お気に入りの言葉があるんだとも言っていたよ。なんだったかね、ええと、勇者とは……」
「勇者とは最後まで決して諦めない者のことだ」
俺が思わず口走ると、母親はキョトンとした。
「あれ、あんた知ってるのかい」
「あ、いや、違う違う。昔の父さんのことを知ってるっていう人に近頃知り合って……その人が教えてくれたんだ」
「ああそう。父さんが直接教えてくれたのかと思ったけど。ともかく、その言葉が好きだから、諦めず勇者の道を目指すんだ、って言ってたよ」
一つ、不思議なことがあるとすれば、オルレと俺の転生には数十年の時間的隔たりがあるにも関わらず、影響を受けた作品が同じである、という点だ。
だがこれも、この世界と前の世界の時間の流れが同じとは限らないのだから、おかしなことではないのだろう。
俺とオルレはおそらく同じ時代の人間で、たまさか、彼のほうが数十年前へと転生してしまったのだ。
「まあ、そんな秘密を私に語って、だから自分は特別なんだ、他とは違う人間なんだ、選ばれた存在なんだ、なんてことを言って……それで、旅に出たのさ。
私も、そんなに言うなら応援してやろうと思った。立派に勇者になって、魔王を倒して帰ってくるまで村で待とうと思った。
だけど……五年後、あの人は帰ってきたのさ。疲れ果てた顔をして」
母親は、暗い表情になった。
「村を出るまでは、自分はなんでもできる、って顔だったのにさ……。
二十歳をすぎた頃には、もうだめだ、俺にできることなんか何もない、魔王を倒せるわけがない、勇者なんてなれるはずがなかった、なんてやさぐれたことを言って……五年間何があったか聞いてもろくに答えてくれやしない」
「……」
魔将軍に負け、魔王へ挑むことを諦めた、というのは間違いない。
ただそれは多分、最後の契機だったのだろう。
それまでに、五年間の冒険の間、幾度となく辛いことがあったのだ。きっと。
「その後は、イネル、あんたの知っての通りの父さんだよ」
「あ、ああ……」
俺はそう言われて露骨に目を泳がせ、ジゼルに視線を送った。ジゼルが口を開く。
「お母様。その……どう変わってしまわれたのですか、旦那様は」
「温和で物静かな人だよ。こちらが何か尋ねれば答えるけど、そうでなければずっと沈黙して……全然話そうとしない。
旅から帰ってきた後は、私と一緒になって、この子が生まれて……その後は、私は宿の仕事が忙しいから、この子の子育てを一生懸命してくれたね。
この子が将来宿を継ぐからって言って、世界中の宿を見て回るための旅に出たり……すっかり人が変わって、自分が自分が、なんて言わなくなったよ。
何もかもイネルのため」
別に私としちゃ文句はないけど、ね、と母親は、少し寂しげに笑った。
それは……。
諦めた、ということなのだろうか。
俺には子供がいたことがない。だから、人生を子供に賭けたくなった親の気持ち、というのがわからない。
母親は、思い出したように話を続けた。
「ああ、そうだった。それで、あの人が最後に旅立った時の話を、聞きたいんだったね」




