67. 勇者の狙い
「しかし、随分と大胆な手に出たな」
ジゼルは俺と一緒に地下牢へ下る階段を歩きながら言った。魔族との戦いから、すでに丸一日が経っている。
「魔族どもを黙って帰らせるとは……兵士たちがお前のことを非難するとは思わなかったか。せっかく魔族軍を一網打尽にできるところだったのに。私ははらわたが煮えくりかえったぞ。お前に恥を欠かすわけにいかないから黙ってはいたが」
ちなみに、地下道に下半身だけ埋めて来た魔族の皆さんにも、わざわざ魔将軍づれであの場所まで戻り、同じように帰るかどうするか確認してからご帰宅いただいている。
「グラントーマの兵士たちとはこれからも接する機会はたくさんあるから、仮にそう思われても取り返すことはできるよ、きっと」
俺は肩をすくめた。
「それよりも、魔族に対する印象をよくしたほうがいいと思った」
「魔族に……?」
ジゼルは訝しんだ。
グラントーマ城の地下牢は、あの地下道よりはかなり整備されていて、壁の随所に燭台が取り付けられ、ぼやぼやした炎が俺たちの足元を照らし出してくれる。
「魔族に対して俺の印象をよくする機会なんて、ほぼ全くないだろ。だったらこのチャンスを使わない手はない。今更、勇者が好印象になることはないかもしれないけども……。
一旦捕らえて、生かすも殺すもいかようにでもできる状況だったのに、要望を聞いてあっさり帰らせてくれた相手に悪印象は抱かないと思って。
あの雰囲気だと、別に魔将軍も大して支持されてる気配ないし、だったら元上司が喚いてるその横で寛大なこと言ってる俺の方が好感持たれる。
あいつらが帰って、俺に関する噂を魔族の間に流してくれたら今後が楽さ。こっちに攻めて来づらくなる」
「……」
「あいつらを殺しても殺さなくても、多分魔族はまた攻めてくるんだよ。これからもずっと。だったら、少しでも状況をマシにする方を選んだ方がいいかなって」
俺自身、こんな大きな判断をしなければならないのは人生初なので、正解なんか全くわからない。日和見主義の理想主義者っぽい気もする。
勇者である俺が本気で戦ったら確実に勝てる状況にも関わらずその手を行使しなかった、というのは、魔族の受け止めようによってはナメられる可能性もあるだろう。
だが、だとしても魔族にとって「次に何をするかわからない奴」という印象は、最低でも残すことができる。これは、敵にしてみれば結構厄介なはずだ。
「……というようなことを考えて、帰ってもらうことにしたんだけど。
一応向こうの意思を聞いたのは、親切を押し付けて向こうのプライドを潰さないためだな。
『帰らせてやろう』と命令すると腹立てる奴もいるだろうけど、判断を魔族側に委ねたから不満も起こりにくい。
魔将軍は捕虜にできたし、魔族内部の動向もこれから調べられるから、総合的にはいいことの方がいいんじゃないかと思うんだが」
「やはり、お前は勇者には向いていないな」
「え」
ジゼルは正面を向いたまま言った。
機嫌を損ねてしまったか、と俺はこっそり舌を出す。
そりゃ、武人にとっては屈辱的だったろうし。悪いことをしたかもしれない。
「だが……存外政治家には向いている」
さらに彼女は、俺の顔を見もせずにそう続けた。
「ここの王になるのも、悪くないかもしれないな」
「……そりゃ、どうも」
俺はなんと返したらいいかわからず、困ってしまった。
素人の甘い考え、と一蹴されるのを覚悟していたのだ。こんなもんでいいのだろうか。
「だが……いずれにせよココの気持ちにどう応えるかは考えておけよ。お前の責任ではないとはいえ、あの子を傷つけることは私が許さんからな」
そう言って、ジゼルはギロリと俺を睨んだ。
はい、と俺は小さく答えるしかなかった。
やがて、階段を下りきり、俺たちは地下牢の最深部に到着した。
もちろん収容されているのは、魔将軍である。
彼自身の戦闘能力は全く高くないので、屈強な兵士三人に監視してもらうだけで済ませている。
俺たちが近づいていくと、偏屈な顔をした老魔族は心底嫌そうな表情を浮かべた。
「は。まだこの爺いをいたぶって遊ぶおつもりですかな」




