32. 勇者の意味
それほど意外性はなかった。
魔王が人間界に出てきてやることというと相場は決まっている。
人間を滅ぼす。
悪逆の限りを尽くす。
世界を自分のものにする。
そこまでは妙な言い方になってしまうが、別にわかるのだ。魔王が魔王らしいことをやっているだけだ。
わからないのは、それと勇者が結託している、というところだった。
「言うまでもないが……そもそも我が魔王として魔界を統一した時に考えたのは、続いて人間界を我が手に収めることだった。そしてそれは半ば以上、成功していた」
魔王は自分自身の考えを改めてまとめるためにも、独白を始めた様子だった。
俺は気になって一応尋ねる。
「俺の存在は邪魔ではなかったのか?」
「はは。別段。むしろ、魔界を束ねることがやりやすくなったぐらいだったな」
「?」
「何しろ、人間どもは魔族が一団となって本気で戦えば、容易に支配できてしまう。力の差は明白だ。その場合、さほど我が必死になって旗振りをする必要がないゆえ、逆にいえば我に対する忠誠心が薄れがちだ。まぁ、我の魔力をもってほとんどの魔族は押さえつけていたが……押さえつけられること自体に不満を覚えているものもいたし、中には我の寝首を掻こうと虎視眈々と狙っておる者共もいた」
幼い美しい少女が、さして面白くもなさそうにこんな話をしている様は、周囲の中庭の天国的に平和な光景とあまりに対照的で、俺にはひどく不気味に見えた。
「だからこそ、勇者という存在はありがたかった。人間側に強い希望となりうる者が在るということは、それを打ち倒すために一致団結する必要が生まれる。全員が憎むべき対象がいれば我に対する不平不満は薄らぎ、戦いは容易だ。勇者様様だったな」
なんか、前の世界で世界史の授業か何かの時に、似たような話を聞いたことがあった気がする。
為政者が自身の問題から目をそらすために、悪をこしらえる。
「そして、お前は確実に力をつけてはいたが……所詮は人の子よ。我の魔力に敵う域にはたどり着いていなかった。ともかく。このままいけば、我が当初計画していた形での世界の支配は容易だった。だが……」
そこで立ち止まると、疑わしげな目つきで彼女は俺を見上げた。
「ここまでの話は理解できておるか」
「あ、はい」
どうやら相当、俺の脳みそに対する不信があるらしい。その方が都合がいいはいいのだが。
「それでは、我が考えた『問題』とはなんだったか、覚えておるか」
「え」
「以前も話したが」
俺はもちろん、あからさまに視線を逸らした。苦手な教科の授業中に指された時と同様に。
魔王は深々と嘆息した。
「話している時お前は、随分深く感じ入った様子で相槌を打っていたんだが。話して一年も経てば忘れるか。まあ良い。簡単な話だ。問題は、支配が終わってからにある」
「終わってから……」
「そう。さあ勇者を殺しました。人間どもは絶望しました。魔族による支配が完成しました。そのあとどうなる」
そう言われてもわからない。数多くのエンタメを前の世界で鑑賞してきて、世界を支配しようとする悪の親玉は無数に見かけてきたが、誰一人として支配に成功するところを見せてくれたことがない。必ず途中でしくじっていた。
そりゃそうだ。成功したらエンタメにならない。
「わからんか。まず、さっき言ったように魔族が結束を固めている動機が消滅する。我が完全なる王になった途端、下の連中の狙いは勇者から我へと移行する可能性が高い。それは我にとって非常に都合が悪い」
「まあ……」
「そして、次に人間側の支配。当たり前だが極めて手間だ」
「人間滅ぼすんじゃないんだ……」
俺がポツリと言うと、マヤはアホを見る目を俺に向けた。
ジゼルよりだいぶ眼光が鋭い分、怖い。
「滅ぼしてどうする。人間同士の戦で相手国の国民を殲滅させる馬鹿がいるか。土地と資源を手にするのは悪い話ではないが、それより必要なのは支配し、魔族のために働かせることのできる奴隷どもだ」
ブラック企業出身の人間としては、吐き気を催すようなお話だ。
「だが、我は考えた。何もなしに人間どもを我々魔族のために働かせるのは実に難しい。人間同士でも困難を極めると聞いたことがあるが、まして外見も習俗も異なる者共を、我々に利するように支配し、しかもその体制を安定させるのは、勇者を打ち倒すことなどと比較にならんほど困難極まる」
この魔王、グラントーマの脳筋な王様よりよほど、為政者らしいことを考えて行動しているように見える。好感を持てるのはグラントーマ王の方だが。
魔王は、その愛らしい顔でニッコリと笑った。
「そこで我は考えた。もっとも上手くいくには、勇者を利用すれば良い」




