29. ジゼル先生の講義録
俺が椅子に腰掛けると、ジゼルは腕組みをして目の前に立って俺を睨んでいる。
中学で赤点を取った時の数学の先生を思い出して、実に嫌な気持ちになった。
先手を取ろうと、俺はとりあえず質問する。
「まず……この世界の名前を教えてくれ」
「世界の名前? 何を言っているんだ。世界は世界だろう」
「いや……なんかないのか。創造主の名前から取った呼び名とか。こういう時は最初に言うじゃないか。『我々は世界を〇〇と呼ぶ。意味は××だ』みたいな、荘厳な語り出し」
「何を言っているのかさっぱりわからないが。そもそも『世界』とはこの世に一つしかないだろう。一つしかないものに名前をつける必要がないと思うが」
非常に冷たい表情のまま、ジゼルは俺の質問を切って捨てた。確かにその通り。
世界を「世界」以外の呼び名で呼ばないといけないのは、異世界が存在している場合のみだ。
なんか、厨二っぽいことを聞いてしまったようでものすごく恥ずかしい。
「愚問はともかく……この世界には五つの大陸があり、大きな権力を持つ国は九つある。それぞれグラントーマ王国、アドラート王国、セントマルフィーナ共和国、ジェケット……」
「待った待った。どうせ今すぐには覚えられないから、必要になった時に教えてもらえると助かる……」
見下げた表情を通り越してゴミでも眺めているような顔になってきたので、流石の俺も気が落ち込んでくる。
そう言われたって聞いたこともない国の名前を突然列挙されたって、覚えられるわけがない。
日本の県名だって自信がなかったっていうのに。
「いいだろう。私も、なんども説明させられたら面倒だ。とりあえず、王国がこの世にはいくつもあって、王が領土を支配している。ただ、辺境に向かうにつれ王の権威は薄れていくから、その土地土地の貴族豪族の力の方が強い。ここまではいいか」
「ああ」
前の世界の中世とかと変わらない感じだろう。
「あとは……何が聞きたい。お前が何がわかっていて何がわからないのか私にはわからんから、何を教えないといけないのかもわからんのだが」
確かに。
しかし俺も、何がわからないのかわからないぐらい何もわからないのだ。
「とりあえずそうだな……魔法と魔物のこと、あと、魔王をめぐって世界がどんな感じだったさえわかれば、とりあえず大丈夫かな。この辺は、前の世界になかったから」
「魔法も魔物もなかったのか。ずいぶん安穏とした世界に生きていたのだな……大丈夫か。この世界で生き延びられるのか、お前」
ジゼルは哀れんだように首を左右に振ったが、説明を続けた。
「そうだな……魔法は読んで字の通り、通常の人間には使えない法、力のことだ。私やトリスタのような生まれつき魔力のない人間は操れない。ココは魔術を太古から受け継いできている里の生まれだから、魔術師としても極めて優秀だ。そしてお前……いや、お前の身体の元の持ち主は、そういう意味でも特別だった。魔術師の血を引いている訳でもないのに、強大な魔力を持っていた」
目を瞑ると見えてくるこのステータスからしても、尋常ならざる力であることはわかっていた。
まだ使いこなせる自信がないから、乱発は控えようと思っていたが。
「魔物は、それほど特別な存在ではない。今もその辺を跋扈している」
「え、そうなの?」
「街を徒歩で出れば五分もせずに巡り合うだろう。まあ、魔王がいなくなった今、以前ほど強くはないだろうが……邪念や悪意を持って人に歯向かう、魔王の眷属だ」
なるほど。
聞く限り、どれも前の世界のRPGで見聞きしていたことと違いはない。
「魔王をめぐる状況……か。魔王は、この世界の全てを自らの手で支配しようとしていた。元々は力のない魔族の一人だったとか聞いたことがあるが、本当のところは何もわからん。どこから得たのかわからないが想像を絶するほど強大な力を持ち、人間側からも幾人もの剛の者が戦いを挑んだが、一人として立ち向かえるものはなかった。
その後、魔族を一手に従え、人間を攻め滅ぼそうとしたのだ。五つある大陸を一つ一つ、確実に制圧していき、最後に残ったのがこのグラントーマ王国のあるセントリア大陸だった。我々があと一歩遅かったら、世界は魔王のものに成り果てていただろう」
特段誇る様子もなく、ジゼルはそんな話を語った。
この辺りは彼女のプライドというか、あまり成果を自慢するのもみっともないと考えてのことだろう。
魔王についても、おおよそRPGで見かけたのと変わらない。
やはり気になるのは、そんな強大な魔王が何を思って勇者と手を組み、よりによって俺の妹になって息を潜めているのか、ということだ。
しかしこればかりはジゼルに聞いてもわからない。
なんとかして当人=魔王少女マヤにお伺いをたてるしかあるまい。
これで、超ざっくりとだがこの世界の輪郭は掴めた、気がする……。
「あ」
いけない。大切なことをもう一つ思い出した。
「あともう一つ教えてくれ。この『勇者』は、どんな人だったんだ?」




