27. 剣士、涙する
ぽたりぽたりと、木の床に大粒の涙がこぼれた。
「てっきり……魔王に身体を乗っ取られているのだと思ったのに。だから私が、助けてあげようと思ったのに……もう、いないのか……? イネルは……?」
あー……確かにその方が、王道展開っぽい。でもあいにくと、実態は違う。
勇者殿は異世界在住だった俺とタッチ交代して、今頃病院でトラックに跳ね飛ばされた治療を受けている。
どっちの方が不幸なのか当初は迷っていたが、今ははっきり、現状の俺の方が不幸だと断言できる。
「うう……うう……!」
下唇を噛み締めて、すらっとした高身長の剣士が嗚咽している。
自分でもこの感想は気持ち悪いと思うが、なんというか、かわいい。
しかし、実際かわいそうだと思う。
心から想っていた人が気づいたら中身入れ替わってるとか、そりゃ絶望して当然だろう。
この様子からして、本当に、本心から愛していたに違いない。
こういう時どうしたものかと考えた末、そっと彼女の肩に手を置いて慰めようとした。
すると、間髪入れずにナイフの刃を俺の方へ向けて、
「触るなニセモノ」
ギロリと睨まれたので、ゆるゆると手を引っ込める。
まあ、そうですよね。こういうのはナチュラルボーンイケメン以外はやれない所業だ。
そのまま十分ほどが経過したが、やがて落ち着きを取り戻したのか、ジゼルは顔を上げると、再度俺にナイフを突きつけた。
「いいだろう。信じてやる」
「信じてくれてる人の行動とは思えないんですけど……でもよく納得してくれましたね」
実のところ、俺が口で言っているだけで、本当に俺の中身が異世界からやってきた人間だという証拠はどこにもない。
出せと言われても出しようがないのだが。
「確かに、嘘っぱちかもしれない。本当はやはりお前の中には魔王が入っていて、悪しきことを考えているのかもしれない。その可能性は残っている」
「……はぁ」
「だが、私にとって問題なのは、その、もう、イネルではない、ということだけだ……仮に中身が嘘をついている魔王だとしても、異世界からやってきたよくわからない男だとしても、気をつけて監視しなければならないことに変わりはない。それに……仮に魔王なら、もうちょっとうまい嘘をつくだろう」
それは確かに。「自分よその世界から来た別人なんですー」って、偽物が騙る言い訳としては最低の部類に入るだろう。はぁ。
涙を拭うと、ジゼルは俺を睨んだ。
「それで。私以外にこの事実を知っている人間はいるのか」
「……いない」
祝・初めての事情知ってる身内誕生。
「次に。なんのためにイネルがこの世界を去り、代わってお前がやってきたのか、その理由はわかっているのか」
「……わからない」
俺は、ここでは嘘をついた。
実際は、先代がなんで去った、いや逃げたのか、なんてわかりきっている。
このことも、ジゼルと共有しておくべきなのではないか、と一瞬迷った。
ただでさえ孤独な状況で、抱え込むにしては重たい秘密である。
しかし、魔王の目的が判然としていない状況で迂闊にこれを、しかもこの血の気の多い剣士が腹を立てている現時点で伝えてしまうと、何が起こるかわからない。
下手をすればこの人、この足で直接マヤのところへ行って直接対決ぐらい挑みかねない勢いである。そうしたらどんな悲劇惨劇が巻き起こるか、わかったもんじゃない。
伝えるとしても、もうちょっと落ち着いてからがいいだろう。
ジゼルは俺をジロジロと見た。
「本当か?」
「本当だよ! 前置きなくいきなり呼び出されて、気づいたら魔王との戦いの直前だったんだから! 理由なんて知りようがないだろ!」
理由を説明してくれた先代からのお手紙は、もうどこかに消えてしまった。
確かめようがない。
「ふん……いいだろう。とにかく……この事実は、他人には知られない方がいい。これだけ大仰な祝い事を取り行って、今更、この世界に勇者は不在などと喧伝したら王の沽券にも関わる。それに……今の世界に勇者は必要なのだ」
「? 魔王は倒されたのにか?」
俺が無邪気に問うと、心底からアホを見る目でジゼルは俺をねめつけた。
真実を明かす前の、恋する乙女の眼差しが早くも懐かしい。
「魔王が倒されたからこそ、だ。もっとも恐るべき存在がいなくなった今、次の座を狙わんとするものがいつ出てきてもおかしくない。そいつらを押さえ込むには、悪を討つ旗振り役として勇者が必要なのだ」
なるほど。中ボス連中が覇権を握ろうとこれから蠢きだす、ということか。
てことは、割りと俺は重要なポジションについている、ということになるのか。気づいていなかった。
ジゼルは、深々とため息をついた。
「というわけで……不本意だが、これからお前の正体がバレないよう、私はできる限り手を尽くしてやる。何かあれば言え。知らないことがあれば教えてやるし、できないことがあればやってもいい」
「優しいな……」
「勘違いするな。全てはいなくなったイネルの威厳を保つためだ。お前のことなどほんっとうにどうでもいい」
イライラした表情でナイフを鞘にしまい、服のどこかに突っ込むとジゼルは倉庫から出て行こうとした。
ジゼルがなかまになった、とSE付きで祝したいが、どうにもそうおめでたい気分にもなれない手厳しい船出だった。
「あ、それと……」
素早く振り返り、ジゼルは気まずそうに言った。
「この間の晩、城のお前の部屋であったことも話したことも……墓まで持っていけ。いいな。漏らしたら殺す」
顔を真っ赤にして言い募ると、剣士は足早に出て行った。
はいはい。




