108. 疑問
思い出せない、と言っても、別に十五歳より前のことが、とかそういう話ではない。
昔のことが思い出せないくらいなら、普通のことだろう。
そうではなく、どんな話題についても、手繰り寄せて思い出せるのがかなり限定された部分までなのだ。
例えば、大学でのこと。サークルに参加したけれど友達ができずぼっちだったとか、バイトでも不器用で叱られてばかりだったとか、そういうことは思い出せるのだが。
では具体的にサークルでどんな活動をしていたかとか、バイトの業務内容はどんなだったかを思い出そうとしても、モヤがかかったように頭に浮かんでこない。
会社がブラック企業だったこととか、毎日疲れ果てていたことは思い出せるのだが、では実際どんな仕事が辛かったのかとか、同僚の名前とか、取引先と会食に行った店の名前とかは全く思い出せない。
そこで糸が途切れているように、記憶が途絶えている。
なぜだ?
「なんだよぅ。全然前世のこと覚えてないじゃん」
トリスタは口を尖らせるが、俺は言葉を返せなかった。おかしい。
いざ尋ねられないと、わざわざそんな微に入り細を穿ち思い出すことなどない。
前の世界はうんざりするような世界だったなーとか、漠然とした印象までしか思考に上らない。そのせいで、今までは気づかなかったのだが。
「ああそうだ、聞きたかったことあった」
目の前の褐色女子は、その辺の木から摘んできた木の実をもぐもぐ齧りながら、想像以上の好奇心でさらにこう尋ねてくる。
俺としては不安を増幅されるから、ここらでやめてもらいたかったのだけれど。
「よく、あんたが言ってた『勇者とは』って言葉が出てくる物語。あれって、どんなお話なの?」
「ああ……」
あのゲームの話か。
忘れられないあのセリフ。俺の記憶に強烈に刻み込まれた名作。
の、はずだったのだが。
「……あれ……?」
一生懸命思い出そうとするのだが。
具体的なストーリーが出てこない。
いや、断片的なことは覚えているのだ。
シリーズ十一作目だとか、水の滴みたいな形をした魔物が出てくるとか、これこれこういう呪文があるとか、伝説の勇者がいてだとか、パーツパーツは思い出せるのだが。
肝心のストーリーラインが説明できない。
「生涯でそう何本もないくらい、とても感動した名作ゲーム」ということははっきり覚えているのに。
なんでだ。
おかしい。
また、アマクサと話していた時と同じ気分に襲われる。
自分の足元がぐずぐずに崩れ、土の中に飲み込まれていくような不安感。
自分を支える大前提が見えなくなる恐怖。
なんだ。記憶が細工されているのか?
もしかしたら、封印でもされているのだろうか?
気づけば、トリスタはまだ木の実を齧ってはいるものの、真面目な顔をして俺の方を見ていた。
俺は言葉が出てこない。
「まー、私だって昔のことなんかろくに覚えてない方だけどねー」
彼女はニッコリ笑ってそう言った。それぐらいのことならあるかもしれない。
でも、俺の記憶には明らかに、作為的な違和感がある。
彼女はもう一度、ゆっくりと口を開いた。
「あのさー。ちょっと思ったんだけど……」
「イネル! トリスタ!」
すると、空から聞き覚えのある鋭い声が響いてきた。
見上げると、魔族の若者たちに抱き抱えられている二人の姿があった。
それはココと、そして、ジゼルだった。
声を発したジゼルは、頭から血を流している。
驚いた俺は、飛んでいる彼女らの元へと駆け寄った。
魔族の若者たちは息も絶え絶えになりながら、地上に降り立つ。疲れ切っていた。
そのうちの一人の青年が首を振りながら喋りだす。
「やばいッスよ! 本当、危ないところだったんスから! 俺らも殺されるかと……」
「何があったんだ!?」
俺が問うと、ジゼルが頭を押さえながら答える。
「魔王だ。奴が動き出した。グラントーマ城を支配して、全権を掌握しようとしている」
「そんな、どうやって!?」