2019 04 20
間に合いました。
その日はいつも通りのフライトだった。
エプロンで管制からの指示を待つ。
昨日にハイジャック事件が起きたとかでダイヤの乱れが発生してようやく解消されたところだ。
「それにしてうわさは聞きましたか? 昨日のハイジャックはその機の機長がかかわっていたそうですよ」
「嘆かわしい話だな」
憮然と機長はそう語った。
機長は昔気質というと少し変な話だが、操縦桿を握ることに誇りを持っているタイプで、厳しい人だが部下を育てることにも熱心な方だ。
「何百もの人の命を預けられた者が何を思っているのだか」
と、機長はフライトプランの書かれた紙をはさんだボードを差し出してくる。
「そんな無駄口をたたく暇があるならフライトプランの確認に、安全器具の再確認、やった方が良いことはいくらでもある」
「たしかに」
言われてみれば確かにそうだ。
基礎の再確認を行うことで防げる事故はいくらでもある。
と、タイミングが悪いことにそこで管制から指示が出た。
頭を出発の手順を行うことに切り替える。
コックピットに言葉こそ少ないが、熱のこもったやり取りが満ちる。
すると――
「今日は天気が穏やかだ、離陸は君が操縦桿を握れ」
「わかりました」
離着陸は危険が伴うのでなれる必要がある。
だからやりやすい日は、僕のようなパイロットになって日の浅い人間に操縦桿を渡してくれる。
物理的に重いわけではないが、ずっしりと重さを感じた。
====================〇===========
「離陸完了しました」
機長に報告する。
すると機長は満足げにうなずいている。
「よくやったな、その調子だ」
「はい」
いくつになっても褒められるのは悪い気がしない。
離陸後は自動操縦を起動させて、ようやく一息つく。
「ようやく一息ですね」
「あまり気を抜きすぎるなよ」
ええ。
と返して、軽く肩を回す。
「そういえば噂と言えば、銀の天使のうわさって知ってますか?」
じっと気が進む先を見据えながら機長が返してくる。
「知らないと言ったら嘘になるな、四月の頭あたりからチラホラ出ているって空飛ぶ人影だったか?」
「ええ、あまり表立って言えませんが、銀色のロボットに抱き上げられた美少女らしいですね」
そこで機長は俺を半目で見ている。
噂の類は好きではない人なのでその反応は想定内だ。
「まぁまぁ、あくまでも噂ですし、他の謎の電子機器の大規模障害とか不意の大雪なんかよりよほど真っ当な噂なんですよ」
思い出しながらつぶやく。
「曰く、幸運を運ぶそうですよ、昨日のハイジャックの解決にも一役買ったとか」
「ふん、そんなオカルトより――」
ポン。
と何かを渡される。
「緊急時の対処マニュアルを見返しとけ――」
にぃ。
となかなか見せない笑顔を見せて。
「人事を尽くして天命を待つってな、やるべきことをやって運に頼れ」
「はい」
うなずいて、マニュアルを開いて再確認を始める。
もうすっかり巡航高度に移り、自動操縦に任せればおおむね大丈夫な状態だ。
リラックスして一つ一つ確認する。
そして酸素マスクの確認をするために被った。
その瞬間――
コックピットの窓――強化ガラスをはじめとした強固な風防が一瞬で破砕された。
疑問に思う暇もなく、コックピット内が急減圧し靄のようなものがかかる。
機長は急減圧をまともに受けて視線がぼんやりしている。
低酸素症だ。
背後のドアが大きくきしみ今にも外れそうだ。
コンソールには客室でも急減圧が起きたことしめす警告が鳴る。
人事を尽くして天命を待つ。
その言葉をかみしめながらするべきことにかかる。
機長を見ると何かを探して脇を探っている。
酸素マスクを探しているのだろう。
だが判断力が曖昧になっているせいかかなり所作がおぼつかない。
歯噛みしながら、とにかくメーデーを発信するために通信機を起動させる。
が――
「なんで!?」
おもわず文句を漏らす、つながらない。
思いつく限りの通信回線を開くがどれもノイズしか返さない。
それと同時に高度をとにかく下げようとするが――
「自動操縦がおかしい!?」
自動操縦装置に高度を下げるように指示を出すが、すぐに元の高度に戻そうとする。
だから自動操縦を切ろうとするが言うことを聞かない。
同時に不穏な激しい揺れが始まる。
祈るような気持ちで機長席を見るが、ぐったりとしている。
ぶつぶつと何か声が聞こえる。
耳を澄ますと音の出どころは僕だった。
内容は――
「人事を尽くせ人事を尽くせ人事を尽くせ人事を尽くせ――」
最後のアドバイスを繰り返していた。
それに気づいたので一つ浅く呼吸をして切り替える。
「メーデー!! メーデー!! メーデー!! こちら――」
定期的に回線を切り替えながらとにかくメーデーを発信し続け、同時に何とかして自動操縦を切ろうと操作を続ける。
こちらからの連絡はできなくてもこの機の様子がおかしいことは管制に伝わっているはずだ。
だからとにかく空を飛ばす事と、高度を下げる事に集中する。
胸の内では何百人もの人間の命を背負うにはあまりにも心細すぎる状況だ。
頼れる先輩は倒れ、自動操縦は言うことを聞かず、助けを求めることすらできない。
だが――
「やるしかない」
小さくつぶやき操縦桿をゆっくりと押し下げる。
====================〇===========
「メーデー!! メーデー!! メーデー!!」
いったいどれほどこの言葉と操縦桿――いや自動操縦と格闘しているのだろうか?
ほんの五分程度の様にも、数時間の様にも思える。
声もかすれ、張り詰めた精神もいつ途切れるかわからない状況だ。
それでも――
「メーデー!! メーデー!! メーデー!!」
世界共通の信号。
助けてほしいという叫びを続ける。
それを言わなくなったら本当に誰からも忘れさられるような気がするからだ。
「誰か、頼む、だれでもいい」
本来は使ってはいけない言葉だ。
しかし、それくらい打ちのめされている。
「メーデー!! メーデー!! メーデー!! こちら――」
そこで、ありえない物が視界の端に写る。
それは銀色の存在だった。
腕には風に髪をたなびかせた人影。
それは非現実的だがとても美しい光景だ。
銀色のそれは武骨でありながら、機能美を思わせるまとまった外見をしてる。
腕に抱かれた存在は宗教画から抜け出してきたように整った容貌をしており、人ではありえない若干青みがかった髪を持ち、服装は近未来的な光沢をもつ銀の服装をしている。
「銀の――天使」
ぽつりとつぶやく。
その存在が近づくにつれてだんだん表情が見える。
その顔を見た瞬間理解した、天使ではない。
年頃の少女だ。
こちらの無事を願う必死さと、僕が意識をまだ保っていることを確認したときの無邪気さすら感じるほど安堵。
そこまで表情が豊かな存在は超常存在の天使などではなく、ただの少女だと感じた。
そして強風で聞こえるはずなどないのにはっきりこんな声が聞こえた。
「あと何分飛ばすことができますか?」
一瞬燃料の事かと思うが、ちがう。
僕の意識があとどれくらい、持たせることができるのか?
ということだろう。
一瞬五本の指を立てる。
それ以上は無理だ。
少女ははっきりうなずいて――
「助けます!!」
そんな決意に満ちた声が届いた。
そして、助けを求めた声が届いていた喜びを噛みしめながら、最後のひと踏ん張りにうつる。
明日も頑張ります。