ひたすらオチもなく野良猫画像付きで猫を語るだけの小説。
当作品内の写真は、すべて作者が日本一周中に遭遇した野良猫である。
ちなみに、作者は猫アレルギーである。猫に触ると発赤とくしゃみが出る。
しかし、それがなんだというのか。猫が触って良いとアピールしているときは、撫でに行くのである。
それは星ではないし、宝石ではない。
宝石にも星にも猫の目と称される物があることから分かる様に、猫の目は宝石や星よりも闇を裂き光り輝くものなのである。
光を吸い、闇を抱き、それはすなわち全てを貫くことに相異なく、猫の目は自らを研ぎ澄まし、鋭利な輝きを放って自らの道を見通す狩人の道標そのものである。
カワイイ。もうカワイイ。この地上で最も優美でありながら強さを兼ね備える炎以上の熱量と妖力を備える結晶体なのである。
その瞳を収める頭部もカワイイ。
猫の額のようだと小さな土地を指すこともあることからわかるように小さくはあるが、この猫の額が広ければそれは全ての生命体を引き寄せるキャンバスとなってしまう。既にこの面積が完成系なのである。
大自然の生み出した黄金比、獲物を正面に捉えるときに敵が最後に見るのはこの小さな絶対領域である。
人間の額は生え際から眉毛までだが、猫は顔面が全てファサファサの毛に覆われている。ならばこの小さな額は、どこからどこまでが額なのだろうか。
目から耳までだろうか。カワイイところからカワイイところまでだろうか。 ならば全部である。耳の先っちょから尻尾の先まで全てである。全て額になってしまう。
カワイイ。耳も尻尾もカワイイ。耳はなぜあれだけピンと立っているのか。人間の心と心臓を貫く鋭角でありながら、触ると人間の神経と心を撫でとるブラシのように柔らかい。
中にちょろっと皮脂が溜まっていたりする。野生のセンサーであり、外敵や獲物の動きを捉える生命線である。
だがしかし、耳の中に耳が入ったりする。しかもそれに気付かなかったりする。どういうことだというのか。音の聞こえは大事ではないのだろうか。なぜ気付かない。
それは生命線ではないのか。音が聞こえないことになぜ気付かないのか。それはもうカワイイ。
人間が猫の頭を撫でるとき、人間は猫の耳によって心を撫でられるのである。そして耳だけでなく尻尾の先まで撫でようものなら、尻尾によって全て心臓を絡め取られる。
切れてしまったのかと思う尻尾もあるが、生まれつきだったりもする。短い尻尾もクリンとして美尻をアピールするセックスシンボルにもなるが、長い尻尾も凶器である。人間のエゴと欲望を全て絡め取るのではないか。魔法のロープである。
時に猫自身をも虜にする道具である。生まれつき無かったり、切れたりしても支障がないパーツでありながらカワイイ、それは明確に猫を表すアイデンテティである。すなわち優美さと愛らしさこそが猫の生来の必須条件であるとばかりである。
尻尾は毛で覆われているが、中にはどんな物が詰まっているのだろう。骨というには柔らかすぎるし、肉というには自在すぎる。夢が詰まっているとしか思えない。
夢の詰まっているそれを猫は追うことがある、自分の尻尾を玩具だと思って追ってしまうのである。猫は夢追う獣なのである。人はその夢を追う獣を追う宿命を背負わされている。人間は夢を忘れることができないのだ。
人は夢を追うとき、その流れるような動きの中に野性と共に理性を垣間見る。
猫は無駄なことはしない。全ては計算と理想の元になりたっており、猫のしたいことは全てカワイイ、というか、全て欲望という大義の元に成り立つのだ。
欲望と夢の境界線とは何か。そのフカフカとした腕にプニプニとした肉球とシャキーンとした爪、カワイイ……で、教えてくれる。
腕は掻き出すように獲物を捉える。食べもしないのに多くの虫や小動物を襲うこともある。その残虐性こそが人の欲深さを映し出すかのようであり、人はそこに大いなる意思と自らの愚かさを見出すかどうかは知らないが、とにかくカワイイから仕方ない。
脇から肘は衝撃を受け止め、自らの行動を支え続ける剛と柔を兼ね備える超自然的可動を可能とする。
だが、それ以上の驚異的かつ衝撃的な衝撃吸収性能を誇る部位、それこそが肉球である。肉球とはなんなのか、人には決して備わらない尻尾以上のバイオマテリアルである。
触れるだけで大地の性質を読み取り、歩むにたるかを察知する。それでもたまに失敗して落ちたりする。それもカワイイので仕方ない。決して完璧ではないということを教える。不完全であり新たなる道を切り拓こうとする開拓者の魂を持ち続ける。それこそが猫の完璧さなのである。カワイイ。
果てしない道をどこまでも行く。道なき道を行く。そのために肉球は不朽であり無垢なのだ。カワイイ。
音もなく、影すらもなく、大地との激突に備えて硬くなるのでなく、柔らかくすることで全てを受け入れる愛情すらも感じる。肉・球。
そしてその柔らかさの中に鋭い凶器を隠し持つ。さながら人が笑顔の裏に攻撃性を秘めるように、宇宙の陰陽と正邪、究極的な問いを発し続ける。
爪。猫様の爪。小さく脆い刃のようで相手の肉体を苛むにたる威力を持つ。牙で殺す必要もない相手にはその御手手で切り裂くのだ。
孫の手のような形状とされることがあるが、猫の腕で引っかけば肉は裂ける。でもカワイイからそれはそれで認められるべきなのだろうか。いや猫の爪が折れたりしたら困るので禁忌である。
その凶器めいた爪は子猫の内から備わっている。生まれながらに柔軟な存在である猫だが、その体はどこまで伸びるのだろうか。
寝そべれば、もう伸びる。カワイイ。無限とも思えるくらい伸びる。液体なのではないだろうか。液状生命体なのだろうか。もう迸っている。伸びる。とにかく猫は伸びるのだ。
猫は人に尻尾を振ったり、振らなかったりする。それは尻尾を持たずに生まれた人間へのせめてもの慈悲なのではなかろうか。
猫は微笑む。猫は欠伸をする。猫は走る。猫は丸くなる。
しかし、人は怒る。人は働く。人は悩む。人は角ばるように怒りを露わにする。
人は猫のように生きることを忘れてしまっているし、もう二度と取り戻すことはできない。なぜならば人間は猫ではない。猫を愛でることしかできない。猫カワイイ。
その伸びる体で餌を食べる。チョコレートやタマネギは中毒を起こすから絶対にあげてはならないが、魚以外に肉も食べる。むしろ肉の方がよく食べる。
野良猫は日々を必死に生きている。餌を貰っている野良猫も多いものの、痩せ細っている猫も多い。
生きることに罪など無い。でも車に轢かれたり、イタズラをされたり、人の都合で振り回される。
人間のカルマである。業である。人は一匹の猫を幸せにすることは難しいが、不幸には容易く陥れることができる。悪魔になることは容易いが、猫の救世主になることは難しい。
そんな世界だからこそ、猫を愛して欲しい。人は猫と共に生きる栄誉を与えられているはずなのだ。猫様と触れ合うことを許される唯一と云ってもいい生物なのだ。
人は悪魔にでもなれる。しかし神には決してなれない。猫は神なのである。神の使いではない、神なのである。
神を蔑にしてはならないのだ。それはすなわち自らの中にある神性の否定であり、地獄に落ちるべきなのである。
今日も、世界中の猫様に幸あふれることを。そして猫を愛する全ての人間に祝福と信念、そして猫を信じる心を失わないことを。
カワイイ。何をしていてもカワイイ。
寝ても覚めても、ああ、猫カワイイ。
猫
が
好
き
!
写真を撮るときに猫をビックリさせることがあり、それが非常に申し訳ないと思いつつ、カワイイ写真を撮ることを抑えられない人間のエゴよ。
なんと醜い人間か。そしてなんとカワイイ猫様か。
第二段の野鳥様バージョンはこちら。
https://ncode.syosetu.com/n3041em/