第二十波『異世界国家アルキマイラ ―最弱の王と無双の軍勢―』
他にも読んだ作品の中で感想を書いておきたいと思えるものがあったので、ここでは伏せておくことにいたします。
本日のタイトル
『異世界国家アルキマイラ ―最弱の王と無双の軍勢―』
著者:「蒼乃暁」様
ジャンル:シェイクスピア型ゲーム転生ファンタジー
タイトル評価:4.5(最高5.0)
あらすじを読んだ時、このタイトルは最初2.5だった。
語呂は良い。サブタイトルにしても補足の役割を果たしており悪くない。
だが「異世界国家アルキマイラ」ではなく「ゲーム内国家アルキマイラ」なのだから、異世界ではないだろうと感想した。
例えばRPGゲームをやっている時、ゲーム内にある国を指して「異世界国家」とは呼ばないだろう。
「ゲーム内の話だから」とは言っても「異世界の話だから」とも言わないはずだ。
ゆえに、減点した。
減点したのだが、中身を読んでみると話が変わった。
正しく「異世界国家アルキマイラ」であった。誤っていたのは私の評価であり感想だった。
そう考え直すと、このタイトルは実に良い。
焦点がどこに当てられているのかもよくわかる。
主人公である最弱王が復題に来て、本題が国名にあるということはすなわち、王だけの物語ではなく国家の物語であるという示唆に他ならない。
その上で、欠かせないのが最弱王、そして無双の軍勢となるわけだ。
まさに納得のタイトルであり、どれだけ厳しめに見ても高評価をつけざるを得ない。
最高点に0.5及ばなかった理由は一つ。
無双とは、個人、及び単体固有名詞に与えられる特別評価のような意味合いが強い。
軍団とは集合体であるが為に、幾ら強くても無双とは呼びづらい。
この場合は、「最弱の王」と「最強の軍勢」の方が対比もとれており受け入れやすかったと思う。
あらすじ評価:3.0
ややちぐはぐな印象を受けた。
冒頭では「ゲームによく似た世界に転移」とあるのに、その後「唐突に自我を持ったNPCの魔物達」と書かれている。
が、「ゲームによく似た世界」であるならNPCなどいるわけはない。
つまりNPCがいるということはゲーム内であるということだ。
そうなるとあらすじの根幹から崩れ去るので、この部分はかなりの減点となる。
その上、あらすじの末尾は「異世界譚である。」と締めくくられているので、ここでもゲーム内を否定していることとなる。
あらすじの内容自体はおおむね良好である為、ゲーム内なのか、異世界なのか、いまいちはっきりしないちぐはぐ感を孕んだあらすじとなってしまっているのがもったいなかった。
世界観評価:3.0
他の機会にも書いたかもしれないが、ゲーム内転移ものというのは何よりも「世界観の構築の緻密さ」が求められる。
そして同様に、「第三者の手による制作物」という強制意思が存在していなければならない。
だが、今回に限って言えば後者のほうは無視して良いだろう。
何せゲーム内ではなく、『ゲームに登場するキャラクターを巻き込んだ異世界転移』である。
そうなると第三者の手による意思強制、言い換えると設定とフラグから逸脱していると考えれる。
製作者からすれば異世界に転移することを前提としてないので、そうなるというわけだ。
「対象環境外での動作は保証致しません」と言い換えても良い。
また前者、「世界観の構築」に関しては実にうまく隠しているといえる。
今回はこれが非常に評価が高かった。
詳しくは読んで知るべきだが、大航海時代やネトアトラスという名前を聞いてピンと来た人がいれば想像通りである。
もやもやする人もいるかもしれないが、これ以上の言及はここでは避けておきたい。
4点台まで届かなった理由としては「最初から登場人物を揃って出しすぎた、割に地理的固有名詞がほぼ登場しない」ところにある。
オンラインRPGをやったことある人なら、必ず地図には地方名や大陸名が記載されていることがわかるだろう。
そしてその中に、国家名や都市名、いわば地理的固有名詞が並んでいるはずだ。
実際の世界地図にしても必ずそうなっている。
転移先の世界地図でそれが隠されているのは都合上構わないが、元の世界の方まで登場しないとなるのは少し困ることになる。
著者にとってはアルキマイラがどの程度の規模なのかわかっても、読者にとっては国土規模や都市関係が全くわからない。
大国といわれてもどの程度のものなのか、どれほど発展していたのか。
そういう情報がある方が読者が自由に考察できる余白、というかゆとりが生まれるのである。
逆に伏せられてしまうと暗中模索というにふさわしく、考察しようがないので面白みに欠けてしまう。
アルキマイラがなくなった元の世界の方はどうなのか。どの程度影響が出ているのか。
物語の裏側を考えるのが好きな読者も多いので、この点が足りていないのが少し残念に思った。
とはいえ今後明かされていくこともありえるので期待して待ちたい。
文章評価:4.5
この小説において、最も評価したいのがこの点である。
『ジャンル』で書いた通り、この小説は「シェイクスピア型」なのだ。
それじゃわからんという人の為に言い直す。
人生は舞台であり、人は皆役者である。
悲劇と喜劇は同一であり、悲劇のない人生ほど面白みのない人生はない。
それだけに「テンポが良くて読みやすいです」という感想は間違っても抱けない内容となっている。
心象描写と心の動き。役者であるがゆえの、役の心理と、深層心理の解離性。
裏と表、顔と尻尾、絶望と感動、様々な所で乖離が生まれ、それを丁寧に描写しているのがこの小説の最大の見どころであり、絶対的な魅力である。
人の心の動きをここまで精細に描いた小説は、なろうではほとんど見たことがないと言ってもいい。
それだけに「主人公は最強な上、サイボーグメンタルの持ち主であってほしい」という層には受け入れられない内容といえる。
私は現代人が幾ら力を手に入れたところで、倫理観による忌避観が邪魔をするのが当然だと思っているので、いきなりさっくり殺人に手を染めるタイプの方が受け入れられないので、この作品には高い評価をした。
どちらが好みかは個人の問題であり、良し悪しの対象ではないので比較はしないし、優劣もない。
内容評価:3.5
色分けが清々しい。キャラごとによる特性、特徴。
地域ごとによる差異、環境。
そういったものが際立って表現されており、「誰がだれだったかわからなくなった」という事がない程に確立して描かれている。
この点もまたシェイクスピア型と言える。
シェイクスピア作品は、登場人物が全て実在した人間のように思えるほど瑞々しく生々しい。
特にリア王ともなれば、モデルのレイア王よりも広く名前が知られており、実在の王と錯覚している人も多そうだ。
更にはレイア王すら伝説上の人物で、いわゆる伝承の中にしか根拠がない。
つまりリア王は物語上の登場人物をモデルにした物語の登場人物、であるのにも関わらず、まるで過去の偉人のような鮮度を持っているということだ。
それに似た生々しさが、この小説には存在する。
正確には、その神髄に挑もうとする冒険心を感じられた。
そうなってしまっては私は評価せざるを得ない。
人が人であり、文字が映像を作るという高みにこれからも挑んでいってほしい。
総合評価:4.0
既に高い評価を得ているこの作品だが、恐らく私が感じている高評価と、一般的な高評価の箇所は異なっているのではないかと思う。
別段、私が優れているとか特異であるということではない。
他の評価項目でも触れた通り、私はこの作品に対して「舞台」と「役者」という位置づけをしている。
ゲーム世界でも異世界でもない、舞台の脚本だと捉えているのである。
書籍化、漫画家、というよりも実写化したほうが映えるというのが私の感想であり、評価点となる。
書籍も漫画も悪くないし、私もそれをこよなく愛する一人であるが、この作品は立体であるべきだと思う。
平面では収まりきらない魅力を感じる作品であると思う。
勿論その為には幾多の高い階段を上らなければならないが、それすらも一つの舞台となるのだから実現したら実に面白いことになるだろう。
何を妄想しているのやらと言われればそれまでだが、私にとっては数少ない、実写化したものが見たいと思う稀有な作品であるということだけは、しっかりと伝えておくのが肝要である。
是非一度、読んでみる事をお勧めしたい。
作品リンク:
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n0031ei/




