第1章 船出
不定期更新です。
永遠に完結しないかもしれません(;´∀`)
書くのに困った時、息抜きで書けるものをという主旨のもと書き始めた物語です。
読まれる際には、その辺をご了承下さいませm(_ _;)m
時は16世紀。
地球の7割を占める海は、人類にとってまだまだ謎の多いものであった。
巨大イカにエイの化け物、船ごと消し去ってしまう魔境の噂など、海への畏怖の念からかさまざまなことがまことしやかにささやかれていた。
そう、時はまさに大航海時代である。
この頃、ボスポラス海峡に臨む港町から一艘の小舟が大海原へと乗り出した。船の名はアルカダッシュ号。その船に乗るのは、アミル・ヤナルダウという若干17歳の少年とメルト・シャーヒンという19歳の青年の2人だけだ。また、驚くことにアルカダッシュ号の船長は、いまだ幼さの残るアミルであった。
「メルト! メルト!」
「なんだい、アミル?」
しきりに呼ばう声に、メルトは梶を手にしながら首だけをそちらに向ける。
「海だ!」
「ああ、そうだな」
「やっとだ! やっと、海に出られたんだな。俺たち」
「ああ。…長かったな」
「うん。でも、メルトは航海したことがあるんだろう? 数年だけど、海軍にいたんだものな」
「黒海を少しだけな。他の国に行ったことはないよ」
「そうなのか」
「ああ。だから、これからたくさんいろんな景色を見せてくれよ。船長」
メルトがそう言うと、アミルはまるで子供のように破顔した。
「メルト、それ、もう1回言ってくれよ」
「…それ?」
「うん!」
メルトはしばらく考え、これのことだろうかと思いついた言葉を口にする。
「船長…?」
アミルは突如歓喜の声を上げた。少しばかり驚いていたメルトだったが、すぐに一緒に大声を上げて笑った。
「船員のことは俺が守る!」
「随分と大きく出たな。海軍で鍛えられた俺を守ってくれるって?」
「違う。俺たちは海軍でも海賊でもない、交易商人だぞ。俺の商才と舌先で船員を守るんだ」
「なるほど。それは頼もしいな」
そんなことを話しながら、アルカダッシュ号はボスポラス海峡を通り、マルマラ海を行く。ギリシャのアテネを目指していた。
船には色とりどりの絨毯を積んでいる。アテネで売りさばくためである。その後、アテネでは彫刻や絵画などの美術品を購入するつもりだ。芸術に長けたアテネの美術品は、イスタンブールでも受け入れらるだろうとアミルは思っていた。
イスタンブールを出港してより、アルカダッシュ号は一日中賑やかだった。中でも、アミルのはしゃぎようは目を見張るものがある。
朝日とともに出港したのだが、太陽が真上に昇った頃には、
「なあ、アテネはまだ見えてこないか?」
と尋ねて、メルトを閉口させた。
「まだ、マルマラ海に差しかかったところだよ」
メルトがそう答えると、
「そうか」
と言いながら笑っている。別段、残念に思っているふうでもない。ギリシャまで半日で着くはずがないことくらい、本当はアミルにもわかりきっていたのだ。
陽が傾き、海が赤く染まる頃には、
「メルト、見ろよ。海が燃えてるぞ」
と、海上から見る初めての夕陽に感嘆の声を上げ、天空に星が昇り始めると、
「あ、1番星! あ、2番星! お、あれが3番かな? それとも、あれかな?」
などと星を数えることに夢中になった。完全に陽が沈むと、アミルは見張り台の上に体を縮めるようにして寝転がり、天を仰いだ。そして、星と星とを繋ぎ、星座を読み解くことに集中する。
いくつか星座を見つけたところで甲板を見下ろすと、毛布にくるまりながらメルトが眠っていた。航行中はどんな危険があるかわからないので、不寝の番が必要である。海上で迎える初めての夜…この日の不寝の番は、興奮冷めやらぬアミルが買って出たのだった。
「やっぱり、仲間が欲しいなあ」
降ってきそうな星空に目を戻すと、アミルは独りつぶやいた。
「メルトとふたり旅もいいけど、この星空を誰かと分かち合いたいなあ」
おもむろに起き上がると、隅に追いやっていた毛布を手繰り寄せて、それにくるまる。なんともなしに水平線に目を向けた。天空の星が穏やかな海に映し出され、まるで自分が星のひとつになったような感覚だった。
「海って、凄いなあ」
そのつぶやきに返す者はいない。だが、無数の星の瞬きに照らされていると、自分にうなずき返してくれているように感じて、アミルは知らず知らずに笑みをこぼしていた。
そうして時が過ぎ、海上で見る初めての朝日が、水平線の彼方から顔をのぞかせた。
「メルト!」
甲板に声をかけると、
「…ああ」
寝起きだからか、普段よりも幾分か高い声が聞こえた。
「見てるか?」
「ああ。綺麗だな」
朝日と、朝日を見つめるメルトとを交互に見て、アミルは笑った。
「メルト、仲間を増やそう」
「そうだな。ふたりだけでは何かと不自由だし、大きな交易をするにも人手が必要だな」
「どうしたんだ、メルト?」
起き上がったメルトがうずくまり、背中をさすっている。
「硬い所で寝たから、体が痛い…」
「硬いって、板張りだろう? 情けないな。俺は、よく石の上で眠っていたぞ」
「アミルは凄いな。俺は、慣れるのにもうしばらくかかりそうだよ」
「それよりさ、メルト。マルマラ海を抜けたぞ。もうこの辺りはエーゲ海だよ。あと1日と半分もすればギリシャに着くんだ」
「そうか。なら、まだ時間があるな」
「ん?」
「航路は俺が見てるから、アミルは少し眠ったらどうだい?」
「え? いや、全然眠くないよ」
「昨日の朝から一睡もしていないだろう? その前の夜だって、なかなか寝つけなかったようだしな」
「でも…」
「隈ができているぞ」
指摘され、咄嗟にアミルは目元に手をあてた。
「ただでさえ航海中は何があるかわからないのに、寝不足で倒れられたら困る」
「……」
「船員を守ってくれるのはいいが、その前に自己管理はしっかりしないとな。船長」
「もう、わかったよ!」
アミルは見張り台から降りると、甲板にごろりと横になった。弁に自信はあったが、この時ばかりはメルトを黙らせる良い言い訳が何も浮かんでこなかった。やはり寝不足なのかもしれない、そう思って目を閉じると、瞬く間にアミルは意識を手放した。途端に静かになったアミルの傍らに膝を着いたメルトは、くすりと微笑みながらアミルの体に毛布をかけてやる。そして、梶を握った。
アミルが目を覚ました時、陽は水平線の向こうへと沈みかけていた。
「ようやくお目覚めかい?」
傍らで、パンとスープを手にしたメルトが微笑んでいる。
「相当お疲れだったんだな」
パンとスープを差し出され、それを受け取りながらも、アミルはいまだに夢の中にいるような心地がしていた。
「俺…どれくらい眠っていた?」
「明け方に眠って、今はもうすぐ陽が落ちる刻限だ」
「……」
「ほら、見てみろよ。宵の明星が見えているぞ」
ぼんやりと空を見上げながら、スープを啜る。
「…うまいな」
「そうか?」
メルトが笑うので、アミルも笑った。
「いいなあ、やっぱり」
「なにがだ?」
「日の出も、夕陽が水平線に消えるところも、星の美しさも…ひとりより、断然ふたりで見た方がいいよな」
「そうだな」
波も静かで、穏やかな時が過ぎた。
そして、翌朝。
「メルト、起きろ!」
アミルの声が船内に轟いた。メルトは目をこすりながら船室から出てくる。見張り台の上でアミルがはしゃいでいた。
「メルト、見えたぞ!」
アミルが叫ぶ。
「陸だ! ギリシャだ!」
言いながら、アミルが見張り台の上からなにかを放り投げた。慌ててメルトがそれをつかむ。望遠鏡だった。
「投げるなよ。高いんだぞ、これ」
抗議の声を上げるものの、今のアミルの耳には届いていないらしい。メルトはため息をつくと、望遠鏡に目をあてた。
「確かに、陸だ…!」
望遠鏡を握りしめながら、メルトも思わず口元を緩めた。
「メルト!」
いつの間にか見張り台から降りてきたらしいアミルが、メルトに抱きつく。それを受け止めながら、メルトの心も弾んでいた。
「あれがアテネだよな?」
「ああ」
「賑わっているみたいだな」
「ギリシャの首都だからな」
「あの街が、俺たちの最初の冒険の地になるんだな」
「そうだな」
「交易して、じゃんじゃん稼ぐぞ!」
「ああ」
「いい奴がいたら、仲間にしたいな」
「しばらくはイスタンブールとアテネを行き来することになるんだ。出会える可能性は充分にあるさ」
「うん。そうだよな!」
アミルが大声を上げて笑った。メルトも同じように声を上げて笑う。
もう望遠鏡は必要なかった。
イスタンブールを出てより数日、待ち望んだアテネの港は、今では肉眼でもはっきりとその姿をとらえることができた。
もうすぐだ。
もうすぐアテネに着く。
アミルはもちろん、メルトも、未知なる世界に想像の翼を広げながら、夢と好奇心とに溢れた胸を高鳴らせていた。