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23歳、独身。資格・定職共に無し。

男と女とスケートについて

作者: 里田あひる



 近頃の「男女平等」を謳う博愛主義の体裁を誇示する社会において、今から私が考えようとしていることは反社会的かつ非人道的なことかもしれない。かといって資格・定職共になく未婚の私には守るべき地位も名誉もないので、忌憚なく考えてみたい。

 とはいえ、喧嘩を売るなら他人の土俵に上がらなければ。「男女平等参画社会」など男女の平等について社会が語るとき、「男」「女」のみが登場人物にされる。今回はその土俵で考えてみる。その土俵についてはまた後日、考えてみよう。







 さて、きっかけになったエピソードは先日のデートである。

 20代前半のカップルにしては長い付き合いで、しかもそのわりに酷く恐ろしいまでにラブラブな私たちは、スケートに行った。スケートデートは初めての試みである。というのも、幼少期から家族でスケートリンクに出掛けていた彼に反して、私はスケートが嫌いだからだ。トマトより嫌いで、ボーリングよりはマシ。この嫌いランキングも今回のデートで覆った。ボーリングより嫌いで、ナメクジよりはマシ。ランクアップおめでとう。




 こうした書き方をすると、私がまるでスケート初心者か二心者のように見えるが、幼少期には私もスケートリンクに出掛けもしたし、「あらあら、お嬢ちゃん上手だねえ」と褒められたこともある。この年になって10年ぶりに挑戦したところ、「滑る」の段階にすら辿り着けなったが。



 齢23にして、転ぶ恐怖が増長していることに気付いた。目の前の4、5才の子供たちは滑って転んで立ち上がっては転んで、転んだ子供に後方から来た子供がぶつかって、まさに玉突き事故。地獄の様相。それでも何とか彼にしがみつきながら引っ張ってもらって進むことに成功するも、どんどん壁際から引きはがされていく。壁際を見れば、30歳くらいだろうか、二人とも眼鏡のカップルがゆっくり進んでいた。そちらの彼は私の彼よりはスケートが得意ではないのか、それとも初心者風の彼女を気遣っているのか、子供たちのペースよりゆっくりと手を取り合って滑っていた。壁際は下級者が溜まる。壁の花にも気を遣って、人一人分壁際から彼女を離して人に道を譲っては、また彼女が壁に掴まれるよう誘導していた。眼鏡の彼は、彼女の恐怖心に寄り添っていた。

 対して、こちらはどうか。嫌だと言うのに壁際から剥がされ、挙げ句の果てには「支えるから」という約束も破棄して転ばされる。何だこれ、どこが楽しいんだ。レジャーが聞いて呆れる。というか、こいつ私が嫌がっているのを楽しんでいるだけで、教える気はないんじゃないか。意味が分からない。何が嬉しくてこんなことしているんだ。爪先だって冷えて痛い。帰りたい。

 いくら「嫌だ、怖い、帰りたい」と言っても相手にしなかった彼も、流石に泣き出した私には驚いて、

「マジ泣きしてる人、初めて見た。」

てめぇが泣かしてんだよ。






 これはもう一週間近く前の出来事だが、未だにぼんやりと喧嘩をしている。



 結局スケートリンク一周もしなかった私に対して彼は、

「二千円も払ったのに」

と怒っていたが、そのあと私にラーメンを奢らせた。夜になってふつふつと怒りが蘇った私は何が嫌だったか、どうしてチャレンジする気が削げたのか、切々と訴えたがどうやら「また何か怒っているから、ほとぼりが冷めるのを待とう」という結論に至ったらしい。







 さて、本題に入る。女は感情を重視する。



 「女は理屈を理解しない」などの文言をインターネットで目にするが、理論というものはそもそも男の土俵という論がある。弁論中心主義、男根中心主義といった名称で呼ばれる学派に当たるらしい。言論で他者とのやりとりを成り立たせ、言論が社会を構築している以上、それは無碍に出来うるものではないが、それは男が作ったものであるから男の重視するもので成り立っているのだという。


 「ちゃんと言わなきゃ分からん」

「言わないでも分かってよ」

 こう言った男女の諍いはそこに起因する。




 男は言論を重視する。言葉で、理論で言われたならば分かるが、その手段を執らなかったものに関しては、他者が気にかけるものではない。対して、女は感情を重視する。「言った・言わない」など些細なことなのだ。「今ここにある、この気持ち」が問題なのだ。ゆえに女同士での会話は共感が必須で、因果関係も結論も解決策も必要ない。


 もはや、まったく別の生き物ではないか。




 男根中心主義の論者が書いた本を一度読んだことがある。うろ覚えだが、「女性に選挙権を!」と謳う運動に関しての記述があった。


「彼女たちの手段は、広場で弁論をして、プラカードを掲げ、大きな声で主張しながら練り歩くものだった。慣れない手段の、まさに選挙活動のようなそれは、男たちがそれまでやってきたやり方を真似たようだ。結果、彼女たちの主張は通ったが、本当に作用したのはその手段ではなく、妻たちのボイコットや冷たくされた男たちの嘆きの方だった。」


手元に資料がなくうろ覚えだが、確かこのような内容だったと思う。男の持つ武器が言論ならば、女の持つ武器は感情であり、感情の表現なのだ。





「涙は女の武器」とは正しく、女の武器が感情であり、感情を露わにされると男は打つ手を無くすことを表現した端的な言葉である。


男が女を口説く時、いつどこで出会った君がいかに自分にどんな作用をもたらすからどういう仲として君にいて欲しいなどと、問題提起から解決策までこんこんと論じるだろうか。そんなことをするならば、良い雰囲気のディナーと相手を褒めちぎるロマンチックな言葉で女の感情を揺さぶった方が早い。そんなことは初恋をした童貞でも分かることだ。






ここから分かることは、彼が私にスケートをさせるに当たって、まずやるべきだったこと。

「上手く滑っている君が見たい。きっと氷の精のように美しいだろう。子供が出来たら家族で滑ろう。息子に自慢してやるんだ、『お前のママは美しく滑るだろう!パパが教えたんだ!!』ってね。最初は怖いかもしれないけど、ゆっくり教えるさ。子鹿のように震える君も可愛いよ。でも一緒に滑ったら、きっと君は美しい!だから、どうか一緒に滑ってくれ。」

くらいの口説き方をして、私の感情を揺さぶること。


「滑ってみたら楽しいから」は、共感できない為、何の効果も発揮しないのである。






 女は男が染めるもの、という話も考えてみたかったのだが、男女論の第一段階は「女は感情、男は言論」だったので、ここで区切る方が適切だろう。

 男女論第二段階はまた近いうちに。


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