9話
五章
「これより第三回、魔王会議を始める」
ここはスラム街にあるイザベルの家。
坑道で一段落ついた魔王たちは、転移魔法で首都レク・ホルル近くに半魔獣人間全員を連れて移動して戻ってきたのだった。
街に入ると知らせを聞いた家族が迎えに来て、人々は自分たちの家へと帰っていった。しかし、その中には出て行ったきり帰ってこなかった人もいた。家族が帰ってこなかった家族はその場で泣き崩れ、途方に暮れていた。
そんな光景を見て魔王は今できることをやろうと会議を始めたわけだが、
「シェリーはお菓子を食べない。ヴォルディも口説くのをやめて真剣に聞け」
坑道で頑張ったのだからわたしは食べていいの。と注意してもお菓子を頬張るシェリー。
僕かイザベルが急にいなくならないとも限らない、今僕のにできることをやるよ。と口説き続けるヴォルディ。
それとスラムの人達が助かりホッとしたイザベルは、ヴォルディの甘い言葉攻めにまんざらでもない様子。
唯一の良心であるサイアだけが魔王の話を真面目に聞いていた。
「あー、お前らもういい。始めるからな」
魔王は疲れていた、今すぐにでも宿に帰って眠ってしまいたいほどに。それでも急ぎ会議をする必要があった。それは根本から変えてしまわないといけない。そうしないと再び今回のような悲劇が生まれるからだ。
付け加えるならば、今回の件は時間との勝負でもあった。
「今回の議題は迅速に女神派教会をぶち壊すことについてだ。奴らをこのまま野放しには出来ない。本の神父のこともある。アイツは誰なんだ、分かるかヴォルディ」
空気を読んで口説くのを辞めたヴォルディが、面倒そうに口を開く。
「彼はマクセン司教、女神教の中でも一番の過激派さ。転移魔法も使える」
悪い予感が的中した。坑道で急にいなくなったのは魔法で首都の教会に戻ったからで、奴のような人間は何をしでかすか分からない。もしかすると明日にでもスラムを滅ぼすかもしれない。
「分かった、ならば明日の朝から教会に攻め込む。ただ、普通に潰してはまた同じ過ちを繰り返す。だからイザベル、君が主導となるんだ」
「えっ、あたい達スラムが矢面に立つのかい?」
自分たちは見ているだけでいいと思っていたらしく、驚きの表情で声を上げた。
「そうだ」
「なんであたいたちが?」
「魔王の名で解決しても構わない。だけどそれは支配者が魔王に変わっただけだ。俺はスラムに主権を持って欲しい、だから主導はイザベル、君だ」
イザベルは天井を見つめて考え始めた。年齢は一九歳と魔王と二歳も低い。それなのにスラムの運命を背負えだなんて急に言われても、即答できるはずがなかった。
徐々に薄暗くなる部屋に蝋燭を付けた頃、多少心の整理ができたのか口を開く。
「……他には方法は無いのかい」
不安で消え入るような声で呟く。
この世界に来る前の自分を見ているようで魔王は苛立った。
「なら言わせてもらう。言葉だけでいつか変わるかもしれない。だがそれはいつだ? 一〇年後か? 二〇年後か? その間に何人死んでいくんだ? 確かに平和的な解決策だ。しかしそんな時間を待つ気はない」
疲れ、緊張の糸もすっかり切れてしまった魔王は感情に任せ、言いたいことを全て言ってしまう。驚いたイザベルは無言で俯いてしまった。
「俺はこれが最善だと思っている。明日スラムの皆を集めておいてくれ」
その場にいるのがいたたまれなくなり、捨て台詞を吐いて家を出る。もっと上手く立ち回れたと思うが今の魔王にはこれが限界だった。
後を追いかけるようにシェリーがついてくる。サイアも何か数言話したあとに同じく後を追ってきた。
スラムの人を救うために坑道で大立ち回り。魔力を殆ど使い果たしてしまって眠気が襲う。会議も疲れから苛立ちってしまった。結果ああなってしまった。
やってしまったと思った魔王は、どんよりとした気分になってしまう。
「魔王さま、その、お疲れ様です」
宿に向かう途中サイアが労いの言葉を魔王にかける。城か宿以外でサイアが労うなんて初めてのことだった。
「すまないな」
サイアはイザベル達に魔王の代わりに謝り、そしてその原因となった魔王を励ましてくれる。そんなサイアにどんな顔を向ければいいか分からなかった。
「そんなことありません。魔王さまは皆の為を思ってやっているじゃありませんか」
「なんでこんな風にってしまったのだろうな」
商店の看板を取り付けて親方に怒られている青年は、家に帰れば親に愚痴を言って翌日また仕事に精を出す。その店の中で給仕する女性は、夜まで忙しなく働いてこれからクタクタになる。
魔王も少し前であればその中の一人であり、明日も再び同じ日が繰り返されると憂鬱になったものだった。それが今じゃ羨ましく思える。一度決めた理想の魔王になろうなんて、今からでもすぐに辞めて元の世界に戻りたかった。
「この世界にやってきてさ、魔王って超有名な人に生まれ変わったのだからと気張った。けど、俺には向いてなかったらしい。今は全てを投げ出したい」
いつもはただ赤いだけの夕日が、今日は見つめれないほど眩しい。
「魔王さま、辛い時は私を頼ってください、お話ください。私は魔王さまの一部でありたいのです」
サイアの言葉に甘えてしまいたい。甘えてしまえば全て救われるような気がした。
本当に甘えてしまっていいのだろうか、それすらも分からない。
悩み歩いていると、いつの間にか宿に到着していた。部屋に入るなり汗だらけの体を沸かしてもらった水で拭う。そのあとすぐベッドにうつ伏せになって泥のように眠った。
「おはようございます魔王さま、朝ですよ」
初めて枕になってもらい起こしてくれたような、そんな甘い声で目が覚める。ただその時の、なんでも出来てしまいそうな気分と違い今日は何もしたくなかった。
「おはよう。朝食を取ってその後でイザベルの家に行こうか」
それでもやらなければならないと体を起こし、今日の予定をサイアに告げる。そして部屋を見渡したがシェリーがいない。
「シェリーはどうした?」
「魔王さまのために頑張ると、夜が明ける少し前から宿の裏で鍛錬をしています」
「俺のために、か」
シェリーが鍛錬をするなんて今日が初めてだった。少し興味が湧いて窓へと向かう。
窓の外にシェリーを探す。すると庭の真ん中で肩をゆっくり上下させていた。おそらく小休憩をしていたのだろう、二呼吸ほどした後に、シェリーは岩で出来た人形を作り出して両手を構えた。誰に教えてもらったでも無いだろうに様になっている。
両手にはめた岩の手袋をグーパーした後、空気を裂く鋭い右拳が人形の顎を掠める。生物であれば驚き少し身を引いて硬直するだろうほんの少しの間に、間髪入れず相手の戦意を削ぐ左拳が人形の鼻を穿つ。
顔の岩が少し砕け膝が崩れ落ちそうになった人形だが、シェリーはまだ地に伏せる事を許さない。隙かさず顎元に引き戻されていた左手を、地中から芽が出る草のように相手の顎目がけ、力強く振り抜かれる。
鼻を砕かれ、顎を砕かれ、完全に戦意と意識を失った相手にとどめをさすべく、腹部に渾身の一撃を加える。人形は砕け散って破片が飛び散り、上下が別れて地面へと溶けていった。
「如何しましたか?」
サイアの声ではっと気がつく。坑道の時と違いしっかりとした武道に見入っていた。
「今すぐシェリーに鍛錬を辞めさせ一緒にパンを買ってきてくれ」
一撃一撃重い打撃が重音を生み出す。そのせいで三階の窓越しにいる魔王にまで響いていた。あとから近所迷惑だと支配人に言われたら、たまったもんじゃない。
「分かりました。行ってきます」
サイアにパンを買いに行かせた後、汲み置いててくれた桶の水で顔を拭った。
「ただいま戻りました」
「朝ごはんだよー」
汗塗れで動物的な匂いをさせるシェリーと瀟洒な立ち振舞で涼しい顔をしたサイアが、パンを手にして戻ってきた。
買ってきたパンは魔王のためにと、その場で焼いて貰ったらしい。紙袋から熱気が白く漏れている。
「おいシェリー、汗を拭け」
「食べてから拭くー」
「駄目だ。女としての嗜みを身に付けろ、サイア頼む」
「シェリー。こっちにきてください」
女の嗜み、と聞いて渋々顔で体を拭かれる。多少は汗臭い匂いがマシになった。
「それじゃ頂こうか」
「いっただきまーす」
パンの上にバターを乗せると熱で溶けていい匂いが立ち込める。運動後の空いた胃に食欲をわかせるような匂いに、ニコニコ顔になったシェリーはサクリと音を立てて齧っている。
「シェリー、今日終わったらやりたいことはあるか?」
「んーとね。今日はお肉食べて~、あっ、海に泳ぎに行きたい。それとねっ、――」
無邪気にやりたいことを一つ一つ、アレがしたいコレがしたいと指折り数えている。
「そしてね、マオーにもキースに教えてもらった綺麗な場所を見せてあげる!」
「ああ、頼むよ」
嬉しそうに今後の予定を話す光景を見て、この笑顔を守りたいと思った。どんよりとした気分が昨日から治らず一切れで済ませようと思っていたパン、気が付くと二枚目を食べていた。
二枚目は少し美味しかったように感じた。
「すっごい人~」
宿を出てイザベルの家に向かっていたのだが、今じゃ凄い数の人集りである。
スラム街に入った頃はそれほどだったのが、途中から祭りでも始まる寸前なかと見間違うほどに人が多くなっていた。
「頼むからはぐれないでくれよ」
「えー、そんなこと言われても無理だよ~。あっ、そうだ。手繋ごうよ」
小さな手のひらを上に向けにこやかな顔を向けてくる。
隣にいたサイアが少し怪訝な顔をしたが、まぁこれぐらいなら許してくれるだろうと小さな手を握手するように掴む。
「違うよ、こうやって手を繋ぐんだよ?」
物足りなさそうな顔で魔王の手を一旦離し、指と指を絡めるように繋ぎ直された。
「えへへ、恋人繋ぎ~」
背筋が凍るような視線を感じる。気配だけで殺されそうなほど凄まじい殺気、皮膚にある細胞の隙間全てに針を突き立てたような。振り見てはいけない。だけど振り向かなければそれはそれで殺されてしまう。
ああ、人生とはなんと儚いのか。人生五〇年と有名な話にあるが、実は人生乙女心の胸三寸が世界の真実なのかもしれない。覚悟を決めゆっくりと、着実に、鼓動で胸が飛び出しそうになりながら顔を曲げていく。
「なぁ、サ――」
阿修羅。シヴァ。鬼。デーモン。虎。名状し難い世にもおぞましいもの。
なんて表現したらよいか分からないものを見てしまった。比喩で心臓が止まりそうなという言葉があるが、確実に心臓が止まっているはず。なぜなら手足が一寸も微動だにしないからだ。
「これぐらいで勘弁してあげます」
突如サイアの声で現実と引き戻された。どうしたのといった表情でシェリーが自分を覗き込んでいた。
体を見回しても別状はない、勿論右手には恋人繋ぎの右手がある。違っていたのは左手にもその恋人繋ぎの手があったことだ。
世には知らなくていいこと、知らないほうがいいこと、そして分からないほうがいいこともある。君子危うき近寄らず、何も考え無いことにしよと決める魔王。
右に一見すると華奢ではあるが顔が整っており褐色の健康的なボディを持つ美少女、左には魔物ではあるが誰もが目を引くようなグラマーなボディを持つスライム。
そんなのとそれぞれ手を繋ぎ、尚且つ恋人繋ぎをする自分を見て人でごった返している人の海が割れる。周りの羨むような視線、妬むような視線、場違いな人を見るような痛い視線。とにかく痛く、恥ずかしかった。
「あのー、おふた方。道も空いてることだし手を離しても……」
手を繋ぐのをやめようと発言しようとすると、小動物のような今にも泣き出しそうな顔とカエルを睨む蛇のような顔に挟まれる。
――やめてくれ、俺を精神的にも物理的にも殺す気か――
「あ、あはは、分かった。このままイザベルの家まで行こう……」
生まれてこのかた二一年、このような修羅場に出会ったのは初めてだった。
荒波に揉まれるような激流に遭遇すると人は為す術なくただ流されるしかなく、それを知るには俺には早すぎたのか、遅かったのかすら分からない。
取り付く島もなく周りに助けを求めたくても求めれず、針の山を歩くかのごとく進む。諦めの肝心さ、そしてそれを受け止める度量、人生は奥が深い。
「おや、その状態はもしや、決戦前日ってことで夜は大忙しだったのかい」
人混みの中、凱旋状態でイザベルの家までたどり着いた。昨日と違い慎重した新しい鎧を着たヴォルディが、頬に赤い手の跡を付けて外で待っていた。
「ヴォルディ、お前勇者だろ。この状況から救ってくれ」
「レディーを前にその発言はどうかと思うよ。そんなことより聞いてくれ! 昨日イザベルを一晩中口説こうとしたんだが――」
両手に爆弾状態でヴォルディの惚気話が始まった。後ろにはスラムの人たち、両脇は堅められ前にはヴォルディ。見事な四面楚歌。
「皆おまたせ!」
扉から自分を救ってくれる女神、イザベルが現れた。ヴォルディは惚気話をやめイザベルへと駆けてゆく。両脇を堅める二人も許してくれたのか手を離してくれた。
「イザベル、昨日はすまなかった」
「あたいの方こそ悪かったよ。あたいがやらなきゃ誰がやるってんだい」
イザベルは力強く拳を握っている。顔からは燃え上がるような闘志が感じ取れた。
「それでスラムの皆集めたけどこれでいいのかい」
「ああ、イザベルのお陰で全てうまくいきそうだ」
イザベルの家の前はたくさんの半魔獣人間と坑道で助けた人で溢れかえっていた。中には年端もいかない、ようやく大人の第一歩を踏みだしたという子までいる。
色んな人がいたが皆の顔は同じで、今こそ俺達の手で変えてやるんだという顔を見せている。お陰で自分のやろうとしてることが正しいのだと、ようやく自信が持てた。
「えー、あーあー、テストテスト」
スラム街中に声が届くように準備されたスピーチ台に上がりマイクの具合を確かめる。ほんの僅かに遅れて遠くから魔王の声が聞こえてくる。
何が始まるのだとざわつく群衆が魔王を注目した。
「我は魔王である」
マイクがハウリングするほどの大声に、スラム中がシンと静まり返った。見える範囲だけでもゆうに千人は魔王の声に耳を傾けている。
「今回の決起を提案したのは魔王である俺だ。俺はこの街を見て思った、この国は間違えている!」
一呼吸置く。
口の中のつばを飲み込んでいる今も、早く続きを言えと背中を押すような視線が体中に突き刺さっている。
これほどの人数の前で、ましてやマイクを通して数千人に対しスピーチしたのは生まれて初めてであり、舌を噛んでしまわないか緊張していた。
「この国は間違えている、そう思った俺は皆に集まってもらった。皆もそう思っているだろう、違うか!」
「そうだ!」
何が起こるか知っている連れ戻していたスラムの人々、普段から国に思う所があった青年や若い娘が腹の底から出るような、魂の篭った声でスラムを震わせる。
「この国は人間だけのものじゃない! この国に住む半魔獣人、人間共に公平に分かち合われるものじゃないのか! 違うか!」
「そうだ!」
「差別を生み出している元凶、女神派教会から今ここに開放を!」
締めくくるとこれでもかというほど湧き上がった。全て民衆から、炎が上がりそうなほど熱気を感じ、始めは特定の人しか呼応しなかったのが今では老若男女誰もが湧いている。
いつしかどこかで始まった地踏みが周りへと伝染していき、首都全土が揺れている。
「凄いよ。あたいここまでスラムが団結したの初めて見たよ」
「まずは第一歩、と言ったところだ。教会までの誘導頼めるか」
「あたいに任せておくれ」
イザベルが壇上へと上っていく。
その姿は話や歴史の教科書の絵でしか見たり聞いたことのない、開放の英雄ジャンヌ・ダルクのようだった。凛々しく、そして美しい。
「皆集まってくれてありがとう。あたいはイザベル」
スラムで有名だったイザベルの声が拡声されると、押し寄せる津波のように巻き起こっていた旋風が一瞬にして静まり返る。
「あたいがスラム代表として先陣を務める。あたいに付いてきてくれ!」
スラムならば誰もが知っているイザベルがリーダーと明かされ、もう決して止まらない、止められない熱狂に包まれた。
遠くからも聞こえるイザベルコール、このイザベル大合唱でスラムどころか城や街中にまで知れ渡ることになるだろう。
「スラムの事はお前に任せた。くれぐれも犠牲が出ないようにしてくれ」
「あたいがそんなヘマするわけないだろう?」
自信に満ち溢れたイザベルを先頭に、教会までスラムの人々と友に行進していく。そしてそれは家や木を大きく揺らす。突然の揺れに金持ちや貴族は屋敷の門を門番や執事に警護につかせ、暴動が発生したのかと慄いていた。
それもそのはず。今まで下等種族だと揶揄していた半魔獣人間が開放を旗に掲げ、毅然とした態度で一糸乱れぬ行進を行っているのだ。
「君たちの主張は分かった! 引き返してくれ!」
教会を囲み始めると、中から騎士団と思われる人が数十人出てきて諌めようとしていた。だがそんな主張など耳に入るわけがなく、プラカードを掲げ柵の前で抗議の声を上げる。
些細な事から一触即発となっても不思議じゃない雰囲気だった。それでもイザベルが纏めてることもあり、ぶつかり合うこともなく均衡を保っている。
「本当に任せて大丈夫か? この――」
「任せてさっさといきなよっ」
イザベルに背を叩かれ一歩前に出る魔王。女は一度決意したら堅いというが、イザベルはまさしくその中でも一番の女だろう。
イザベルの覚悟に後押しされて踏み出した一歩を軸に、また一歩騎士団に歩み寄った。
「交渉の代表者として話をしに来た、誰かいないか?」
大きな声で騎士団に呼びかけると、贅肉が付き、騎士と呼べないような中年が出てきた。
「私が隊長だ。ここは誰も通すなと言われている」
「どうやら国のお膝元でぬくぬくと過ごしていると、頭が凝り固まって幼児ですら分かる判断を出来ないらしいな。言い直そう、ここで死ぬのが良いか案内するか選ぶがいい」
長年権力だけでブクブクと太った頭の回らないおっさんにも分かるように、噛み砕いて話す。ブルブルと震えようやく理解出来たのか血色の良かった顔が青ざめていく。
「あわ、あわわ。そう言われても困る。だがワシが殺されても……」
ブツブツと呟きながら周りの騎士を見て、誰に責任を押し付けようか考えているようで、あたふたしている。そんな時、魔王の後ろを見て何か閃いたようで真っ青になっていた顔から血色が戻り、赤く明るい顔に戻った。
「わ、分かった。そこにいる勇者様一行ということでお通ししよう」
禿げ上がったその頭で必死に頭をひねった挙句、勇者に責任を負わせることにしたらしい。騎士団から数名の騎士を呼び寄せ、一列に並んだ鎧と盾の壁を抜ける。
壁を抜けるとすぐに隙間は閉じ、スラムの人々が扉へ押しかけないように再び強固な壁が築かれた。
「うわー、おっきぃ~」
重圧感のある鉄で補強された木製の大きな両開き扉。おそらく自分たちが来るまでは信者に聖堂を開放するため開かれていただろう。
現在は決起により堅く閉ざされている。代わりに右扉に付いた人ふたりは通れない程度の小さな扉が、隊長のノックで開いた。
「中にいる係の者が案内する、入ってくれ」
隊長が中にいるシスターに勇者一行が到着したことを告げ、中へ通された。まず目に入ったのは、様々な色が散りばめられている地面。薄い色で塗られていて時折色が濃くなったり薄くなったり、光の加減で色が変わることに気が付き壁をみる。
そこには床から天井まである特大のステンドガラスがあった。大きい破片や大きな破片色とりどり違う色が埋め込まれており、上まで見上げると天井一面に絵が描かれていた。
絵は勇者が民衆の前に立って牛のような角を生やした魔王と対峙し、その後ろで勇者に祈りを捧げている女神も描かれていた。
「それでは此方でお待ち下さい。すぐに戻ってまいります」
黒を基調とした服を着たシスターが、しんなりとしたシルエットを浮かび上がらせ、奥の関係者のみが通れる扉へと入っていった。
「魔王さま、もし戦闘になった場合如何いたしましょうか」
「出来る限りそうならないようにしたい……」
本音は穏便に事が済むなら済ませたかった。だが、身分制度による恩恵に長く浸っており、今更そんな甘い蜜を自ら手放すなんてことは、今の自分からスライムの枕を取り上げるぐらい難しい。
「が、無理だろう。戦闘になったら背中を頼む」
「分かりました」
これから会う人が僅かでも良心があり、魔王がいた世界の歴史を説けばもしかすると分かってくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた。
「遅いねー、寝起きで顔でも洗ってるのかな」
「こんなもんだよ。こんな事態に僕が会いに来たってことで、何話すか会議してるんじゃないかな」
「ヴォルディはお偉方と面識はあるのか?」
「勇者って立場上程々に顔見知りって感じかな。元々僕の家は農家で貴族じゃないしね」
待っている間絶え間なく自由を求める声が、ステンドガラスが割れるのではないかと心配するほど響く。締め切ってるのにも関わらず外に居るのと変わらないぐらい大きい。
その声に答えるかのように奥の扉から人が現れた。
「おや、勇者様お元気ですか」
胸に白い表紙で聖書と書かれた本を右手に抱え、身なりも綺麗で神父とは正にこういう男のことをいうのだろう。この男であれば話が通じるかもしれない。第一印象はそんな感じを受けるだろう。
しかしそいつの表情は笑っているものの、心の底までは決して笑っていないはずの男。そう、坑道にいた本の男であった。
「この通りピンピンしてるよ」
「それはそれは、お話というのは自分の過ちに気が付き、女神様に許しを乞うということですか?」
「いんや、今日は魔王の付き添いかな」
魔王という言葉を聞いた瞬間、微笑んでいた顔が哀れみを感じさせる表情へと変わった。
「なるほどなるほど、このような場所で会ったのも何かの縁です。私は枢機卿のマクセン・カーチス、そしてこの方が我らが女神教の聖女様であられるメイドリア様です」
マクセンに注目していて気付かなかったが、背中に隠れてもう一人入ってきていたらしい。マクセンが一歩横にズレると少女が現れた。
栄養不足なのか少しか細く、胸もあまり膨らんでいない。背丈から歳はシェリーと変わらないと思う。白いワンピースに白い肌、髪も白色でどことなく虚ろな赤い目をしていた。
「ご丁寧にどうも。俺のことは知ってるはずだが改めて言わせてもらおう、俺は魔王。スラムの代表として来た。出来れば穏便に済ませたいが、本物の枢機卿はどこだ?」
「おかしな事を言う魔王ですね。枢機卿だけが持てる聖書を持っているのだから、私以外にいないでしょう」
マクセンが枢機卿な訳がない、それだけは言える。なぜなら鉱山の町にまで現場指揮に来る枢機卿なんて存在しないからだ。だがこの場での教会最高指導者はこの男なのだから、そんな細かいところはことは今はよかった。
「押し問答をする気はない。率直に聞こう、半魔獣人間に対する差別はやめる気は?」
「昨日もお答えしましたでしょう」
「なぜ彼らを人間と同じように考えれない。彼らだって言葉を話して同じように考え、同じように暮らしてるではないか」
なぜ分からない。なぜ理解しようとしない。それが魔王には解せなかった。
「あなたも純粋な魔物、それも魔族で王である魔王なら分かるはずです。本来なら魔獣の血を受け継ぎ家畜と変わらないモノを、女神様が愛されている人間と同列に扱っているのですよ。これ以上の幸せはないでしょう」
「よく分かった。本当に、よく、分かった」
沸々と行き場のない怒りがこみ上げてくる。やはり間違っていたのだ。穏やかに解決など不要、力こそ全て。最初からねじ伏せていれば良かった。なんて馬鹿馬鹿しい。
「貴様のような奴は葬り去ってくれよう」
ほんのり赤い黒よりも、どこまでも深く一度嵌ると抜け出せない沼のようにまとわりつく黒、赤い闇色のオーラが体を覆った。
「魔王はやはり魔王ということですね。メイドリア、女神様をお呼びしなさい」
「はい。――さま……」
少女は消え入りそうな、傍で聞かないと聴こえない程小さな声で返事をする。だがそんなことなど知ったことではない、どんな魔法を使おうとマクセンさえ消せば全て解決する。
先手必勝、左手に魔力を集める。
「遅いっ」
魔王を見てマクセンもすぐに詠唱を行った。だが魔王は人間と違い、殆どの魔法に詠唱を必要としない。遠く離れたマクセンを掴むように左腕を伸ばす。
「超過圧球闇魔法ッ」
開いた手からマクセンを丸々飲み込むほど大きな弾を放出した。
地面をも抉って少し離れた蝋燭立ての蝋燭も吸い込む。かすっただけでも死ぬ、そんな絶望感を持たせるには十分なそれは瞬きをした次の瞬間、マクセンを確実に飲み込む。
なぜなら人間にその早さで障壁を張るほどの詠唱速度はないからだ。
「甘いですね」
不敵な微笑みと共にマクセンは声を出した。その意味が分かったのは勝利を確信し瞬きをした時だった。大きなブラックホールが忽然と消え失せ、どこを見ても見当たらない。
弾かれて天井や壁を突き抜けたのかと辺りを見回すが、どこにも穴は開いていない。
「フヒャヒャヒャヒャヒャヒャ、流石は聖典魔道書です。女神様がご降臨されるまで今までの行いを悔み、反省しなさい」
「どうせ強力な一点障壁だろう、ならこれでどうだ」
左手に今度はミスト状の極小ブラックホールを雨の如く放つ。ゆっくりと迫る霧は、聖堂内であればどこに逃げようとも必ず包み込み、霧が晴れた頃には全て虚無へと返す。
一点障壁なら防ぎきれず、全面に張られようがこの膨大な量を許容できるはずがない。所詮は人間、魔王に勝てるはずがなかった。
霧はマクセンとメイドリアという少女に迫る。
「なん、だと……」
床の表面を磨くように削り取り、途中に有った礼拝用の長椅子は綺麗サッパリ木くずすら残していない。最初からそこに無かったかのように。
しかし、ある一線より先。障壁があると思われる先は一切の影響を受けていなかった。
「ああ、女神様……」
攻撃を受けたマクセンは魔王など全く興味が無いかのように、尊い者を見つめるような眼差しで天井を見上ている。全く危機を感じていないその様子に釣られて目線を追った。 天井には屋根を貫通し、光のベールを纏った女性の足がゆっくりと降りてきていていた。。
神々しい光に包まれて徐々に見える魅力的な恵体から眼が離せない。白いシルクのような布を纏った腰が見え、柔らかそうに実った胸、最後に凛々しく整った彫りの深い顔が見える。
羽が舞い落ちるように降り立った女神が、地面スレスレで静止してようやく我に戻ることが出来た。そして認識する、あれは女神である。
「メイドリア、魔王を滅するようにお願いしなさい」
「はい。女神様、あの人を倒してください」
弱々しい声でメイドリアがお願いすると、自分より一回り大きい女神は閉じていた瞼を薄く開き両手で空を仰ぐ。天井から光の筋が差し込んだ。次第に筋が重なって両脇に幕のある舞台が出来上がる。まるでオペラを歌う美女のようだった。
舞台が完成すると広げていた手を静かに下ろし、同時に両脇の幕が薄れる。カーテンの裏側が現れると、そこには以前見た片翼ではなく両肩に生やした使者が左右二人ずつ降り立っていた。
手にはシンプルではあるものの、美を感じさせる両刃の剣と受け流すことを主に行う小さめの盾を携え、ふわりと宙に羽ばたき襲いかかってきた。
「左右は任せる」
「りょーかいっ、サイアとシェリーちゃんは左の奴らをお願い」
女神から思考と目線を外せない。外すと殺される気がした。
空を滑空し交差する瞬間に斬撃を与えてくる敵に、サイアはその柔軟な体と自由に移動出来る核を動かし続ける。斬られても斬られてもコアに攻撃があたらないように。
シェリーは教会の石材を地面から吸い上げ体に纏い、多少は斬り削られるもののその厚い岩の鎧で本体にまで刃が通らないよう防ぐ。
今まで二人が不意打ち以外にこれほど苦戦していたことなど今までない。そのせいで使者の熾烈な剣撃に防戦一方で、反撃に移ることが出来ていない。
そんな強敵二人を同時に相手するヴォルディも反撃することなど出来ない。片方を受け流してもその隙を攻撃するように攻められ、攻撃に移る糸口が見つからないようだった。
助けに入りたいが、女神がそれを許すはずがない。
「女神よ。俺のために死んでもらおうか」
「……」
言葉が通じないのか反応がない。
「動かないのであれば十分に準備させてもらおうではないか」
薄く開いた目で魔王を見つめ何を考えているかわからない。ならば何が来ても良いように対応するだけだった。
「身体強化魔法、魔法鎧、時空停滞魔法!」
腕と足、それから神経の反応速度を強化。斬撃と弱い衝撃、魔法をある程度防ぐ魔力で創りだした鎧を身に纏う。最後にもしもの場合に備え編み出したオリジナル魔法を使った。何もなければ解除するだけで済むはずの保険である。
これで最低限どんな攻撃が来ても対応出来る。補助魔法を使ってもまだ攻撃してくる意思を見せない女神に、右手に魔力を込め人差し指の先へと凝縮する。
「走れ、闇雷撃」
黒く爆ぜる稲妻が空を裂き、女神の体を抱きしめ真っ黒に焦がしてしまおうと迫る。
「……!」
女神の口が何かを唱えたかのように開いた。しかしその声は可聴域の音ではないか、何らかの理由で聞こえなかった。。
何かする気配を感じさせなくてもジグザクに意表を突くような動きで、最短ではないがそれでも着実に稲妻は近づいていく。
「……」
再び何かを唱えただけで目の前に来ても反応しない女神に、呆気無く命中した。
当たった瞬間空気を裂き、駆けていた時の比じゃないほどに轟音を響かせる。あたり一面に黒い電を放電し鳴り止まない。女神といえどこの攻撃が当たれば無事では済まない。
徐々に雷鳴が収まって視界が戻る。ダメージを受けて戦闘不能になってくれればいいと淡い期待した。だがダメージを負うどころか焦げ目一つ付いてなかった。
「だろうと思った、ならばこれでっ」
次の攻撃魔法を繰りだそうとするが、周りに光が包み始める。
「ッ――」
危険を感じ攻撃を中断する。
出来る限り回避しようと動いた。だが光は完全に追尾し逃げることが出来ない。急激に目の前が真っ白になった。光は魔法鎧マジックアーマーを貫通し、溶けるように力が抜けていく。
自分の体がどうなっているか見たくても、白くて見えない。無我夢中で逃げまわっていたはずが、気がつけば頬を焼けつくような地面が触っていた。