8話
「本当にこんなところに坑道なんてあるのか?」
昼飯を食べ終え、イザベルの案内で鉱山の入り口へと向かっていた。だがどう見ても人の多い街の中心へと向かっている。
「あたいの情報に間違いがなければこっちであってるよ」
疑う声を掛けても自信たっぷりに進んでいる。
「ほらついた」
大通りから一つ角を曲がると、行き止まりに白く大きな建造物に着いた。建物のてっぺんには鐘がぶら下がっている。敷地を囲う鉄製の塀はあれど門は誰を拒むわけではなく、建物の入口にある大きな扉が両開きで開いている。
屋外から中の様子を伺うと、まさしくこれぞ聖職者といった服装の男性が一人と女性が二人、賛同者と思われる老人が数名と孫と思われる子供一人が、今にも天に召されるかのように祈っている。
「教会にしか見えないんだが」
「ご名答。ここは教会だよ。まぁ付いてきてみなって」
イザベルに言われるがまま敷地内に入る。するとゲームのように魔王は敷地内に入ることは出来ない、なんてことはなくすんなりと入ることが出来た。
魔王をも受け入れる教会、そんなもの有っていいのだろうか。という気持ちを抱きつつも、周りの人にバレないよう教会の裏手の回った。すると敷地内を示す鉄の柵が山肌にぶち当たりなくなっている。
「あれか」
「情報によるとあれらしいね」
山肌の一部がポッカリと口を開けていた。情報通りであれば坑道だが、ぱっと見た感じだと、ただの洞窟ぐらいにしか思えない。
「イザベルの情報は凄いな、この中にいるのか?」
「あたいの情報に間違いがなければね」
もし見つかっても言い訳が出来るように通り過ぎるように前を通る。ちらりと坑道を覗くと、入り口に人が立っている節もなく、油で明かりを灯すカンテラが約五メートル置きに吊るされていた。
「本当に坑道があるな、中に入ってみようか」
坑道は明かりがあるとはいえ薄暗く中はひんやりとしている。床は掘った土砂がこぼれた跡がなく綺麗な岩肌が顔を見せていた。掘った土はどうもこの穴から出している気配はない。
一分ほど歩いたところで広い空間に出た。
「凄い数の毛布だな」
寝床と思われる区画は毛布六枚が一山として置かれ、その山が転々と百はある。その区画の反対側、つまり開けた空間に出て右側には小屋が建っていた。中からは明かりが漏れ、人がいる気配がする。
「こっそり中を確認できるか」
「あたいの十八番だよ、任せて」
イザベルは足音を殺し忍者のように歩いて行く。抜き足差し足忍び足という言葉があるが、実際に目の当たりにするとなんともマヌケな歩法である。
背伸びしたような格好で膝と腰を曲げる、そしてロデオに乗ってるかのように上半身が前後してスルスルと進んでいく。
ただ面白いのは見た目だけで音は一切なく、普通に歩くかそれ以上の速度で小屋の扉までたどり着いた。中をこっそりと伺ったイザベルは指を一本立て、一人しかいないことを伝えてゆっくりと戻ってきた。
「中はどうだった」
「シスターが一人事務仕事をしてたよ、それでどうするんだい」
「中に入り込む。なぁに、町を探索していて洞窟を見つけたから探索してたとか言えばいいさ」
堂々と小屋に向けて歩く。足音など全く気にせず二段ほどある木製の階段を上り、小屋の扉をノックして入った。
「すみませーん。迷って入ってしまって、ここはどういったところですか?」
「ああっ。一般の方に入られては困ります」
突然入ってきた魔王に一瞬困惑顔を見せるが、シスターという職業上アクシデントになれているのだろう。すぐに坑道から追いだそうと魔王に近寄ってくる。
「そうは言われも。もう仲間が先行して先に行ってしまいまして」
「では此方にお連れの方を連れてきますので少々お待ちください」
シスターが坑道の奥へと急いで向かおうとしたため、その隙だらけの手を取りひねりあげた。
「ッうぅ~。痛いじゃないですか」
「この先にいる半魔獣人間に用があってね、少し聞きたいことがある」
拘束した後、必死に逃げ出そうと抵抗するシスターを近くにあった縄で手足を拘束させてもらった。
「こんなことしてはいけません。すぐに解きなさい」
「シスター、そんなことより半魔獣人間は知っているよな、外の毛布の山はなんだ?」」
「知りません。早く解きなさい」
シスターは知らないの一点張りで状況証拠を突きつけても変化がなく、ただ開放しろと突っぱねる。仕方なく棚や机を漁ると、坑道の奥で半魔獣人間を奴隷のように扱って魔石を掘らせるという就業規約がすぐに出てきた。それを見る限りでは既に何人かは死んでしまっていた。それでも、まだ殆どの人が生き残っている。
「おいシスター、これを知らないとは言わないよな」
資料はこの小屋に入ったものであれば全員知っているであろう場所にあり、シスターも当然知っている内容だった。
「私達より下等な生物を正しく使ってあげているのです。分かったら今すぐ離しなさい」
魔王も未だに女の子を沢山奴隷にして囲いたいという妄想は確かに何度もする。だが現実の奴隷制度なんて実際に目の当たりすると虫唾が走った。それにこのシスターは聖職者なのではないのか、半魔獣人間のような人のために存在するんじゃないのか。そう思うとやりきれない気持ちが溢れだす。
「この悪魔っ」
イザベルがシスターの言葉を聞いて頬にビンタした。乾いた空気が弾け小屋だけでなく窓から坑道内まで響く。今まで心の拠り所として慕ってきた教会が半魔獣人間をゴミの様に扱っている。それを知って激怒しないわけがなかった。
怒りに任せ振り払われた右手は、再び手の甲でシスターの頬に飛び込もうとしていた。
「やめるんだイザベル」
再びシスターの頬に近づくイザベルのの手を制止した。手を止められたイザベルはキッと魔王を睨む。
「確かに彼女の考え方は間違えている。だけど、彼女を咎めれば全て解決するというわけじゃない。元はといえばこの制度を作り教育した国や教会が悪いのであって、彼女もある種被害者なんだ。悔しいだろうがシスターをこれ以上責めるのは止めないか」
掴んでいたイザベルの手からは力が消え、するりと自分の手から抜け落ちた。そして悔しさに項垂れる。
咄嗟に止めたものの明らかな元凶の一端に怒りをぶち撒け、気持ちを整理するのも確かに良いのかもしれない。だが、イザベルには俺の代わりに優しい心を持っていて欲しい、そう思った。
「そこの女もゴミクズ――」
「そういうわけだシスター。あんたを縛ってここに放置させてもらうが、悪く思わないでくれ」
イザベルの目が縦に長細くなり尻尾も服から出たことにより、半魔獣人間だと分かった途端シスターは罵倒しようとした。その瞬間魔王はシスターの口を塞ぎ、小屋に入りさえしなければ分からない位置へイザベルと二人で奥へ移動させた。その時頭側を持っていたイザベルがこっそりと小さな声で叩いてしまって悪い、と謝っているのが聞こえた。
「イザベル、お前は凄いよ」
「な、何だい突然。気持ち悪いね」
シスターを小屋の奥へ隠すと照れながら一人先に小屋を出て行った。
「場所は分かった。どんな奴がいても懲らしめてやろうぜ」
小屋で見つけた坑道内を示す簡易な地図を頼りに、日誌に書いてあった発掘場所へと向かった。資料によれば、広間から一番奥まで続くメインの坑道で掘っているらしい。その道は人が5人並んでも楽々通れるほど幅がある。
網目の様に張り巡らされた横道は横に3人並ぶとギリギリ通れるか通れないほど狭い。なのでメインの道と見比べれば間違うことはなかった。
「足元を気をつけろよお前ら」」
緩い坂になっている坑道をゆっくりと降りていく。足場は入り口と違い小さな起伏があってあまり整備されておらず、所々に結露して出来た小さな水たまりができていた。
「うぉっ!」
注意した側から靴底に付いた水が地面の岩を滑りやすくしたらしく転んでしまった。その転ぶ様はなんとも不格好で、なんとか耐えようとこらえてみたものの一回転して尻もちを付いた。
それを後ろから見ていた三人は笑いを堪え切れなかったらしい。笑い声が小さく漏れていた。
「エスコートしましょうか、ミスター魔王?」
「恥ずかしいから勘弁してくれ」
前に回ってきて笑いながら差し出されたイザベルの手を、ガッシリと掴み起き上がる。
その時思ったがサイアはまず転ぶことはない、シェリーに至っては地面から足が生えてるようなもの。イザベルも不慣れな足場は得意。
この足場で最も危険なのは自分だった。一番危なっかしい奴がみんなに注意、端から見るとなんとも滑稽だった。
恥ずかしい気持ちを抑えつつ暫く坑道を進んだところで、何やら物騒な話が坑道の先から聞こえてきた。
「何か聞こえてきたぞ」と静かにするように三人に伝え聞き耳を立てる。
雑談をやめ静かになったことにより坑道の壁を反響してその会話が聞こえ始めた。
「こいつどうしますか、もう使い物になりませんぜ」
「これは神への冒涜でしょう。ヴォルディ様お願いします」
「はぁ~。いいよ、いいけどあんまり好かないんだよね、こういうの」
若々しい声とキリットした声、それと最後に気怠そうな声が響いてきた。
そしてその会話から導き出されるのは、半魔獣人間の処刑を今行おうかどうしようかの相談だった。
「急ぐぞ」
坑道を駆ける。転ばないよう出来るだけ急いで、一つ目の曲がり角を曲がった。だが声はもう少し先から響いていたらしくまだまだ坑道が続いている。
「ちぃっ。先に行く」
走っているようでは間に合わないと思った魔王は魔力を足に込める。すると足首に小さな厳つい悪魔のツバサのようなものが現れた。そのツバサは瞬く間に羽ばたき重力など一切感じない、飛べばどこまでも飛んでいけそうな感触が足から伝わってくる。
地面を蹴り前へと跳ぶ。次の足が地面に触れない、一足でどこまでも前へ前へと進んでいった。跳んだ時、壁まで三〇メートルはあろうという距離だったが一瞬で距離が詰まった。危うく坑道の壁にぶつかりそうになる。
慌てて水泳のターンのように宙で体を回転させる。壁に足から着地し勢いを殺して左へと壁を蹴った。その調子で数秒進むと今にも剣を振り下ろし、首をはねてしまおうとしているのが目に入った。
「ちょ――っと待ったぁっ」
声を聞いた男は振りかざしていた剣を、「んぎぎぎぎ」と力任せに止める。
これはダメかと思ったが、なんとか剣は既の所で止まった。ほっと一息ついて殺されそうになっていた男をみると、腕は太く毛で覆われ魔獣の特徴がある。ただ意識が朦朧としており、殺されかけても膝立ちになったままだった。
「どうかしましたか、協会関係者ではないと思いますが、何の用ですか」
怪訝な表情で問われる。その男は胸の前で本を片手で持ち、ゴチャゴチャと色々装飾が付いた服を着ている、まさにこれぞ神父って感じの男。その横にも同じ服をきた男がいる。ただ顔がゴロツキそのものだった。
剣を持っている男は鉄の胸当てをしているだけで他は軽装、聖騎士というよりは傭兵に思える。
「半魔獣人間がここから帰ってこないと聞いてな、連れ戻しに来た」
「ここにそのような方はいませんよ」
目の前に瀕死の半魔獣人間がいるというのに白を切る。まるで何も分かってい子供を憐れむ目を向けられて。
「そこに一人いるじゃないか、その男を保護させてもらおう」
「そうですか。お帰りのようです、出口までご案内してあげてください。」
それを聞いて剣を持った男が魔王と半魔獣人間との間にのそりと立ち塞がった。
「あー、そちらの方。面倒なんで帰ってくれると助かるよ」
乗り気じゃないが仕事なので仕方ない、といった体で剣を片手に話しかけてくる。
「はいそうですか、と帰れない事情がこっちにもあるんでな」
「ですよねぇ。分かっていましたとも、ええ。だからこの仕事やりたくないんだよ……」
男はブツブツと文句を言いながら剣を構える。その構えはどこに魔法を放っても全て弾かれるかいなされる、そう感じ取れるほど隙が見つからない。
無闇に攻撃するのは得策じゃない。経験上そう思った魔王は魔力コントロール発展工程の一つである魔法鎧を展開した。
「これは凄い。魔法鎧を使えるなんて」
剣の男は驚きの目で褒めるように言った。それもそのはずで魔法鎧を使えるのは魔道士でも極々一部の上位の者だけが使える、らしい。キースの本がなければ確実に今扱えてなかっただろう。
馬上のランスであろうと突き通さない。スライムの消化液ですら防いでしまう。更に消費魔力もそこそこ低いという素晴らしい物である。ただ欠点としてシェリーに岩を投げつけてもらって分かったが、衝撃は中にまで伝わってしまい非常に痛かった。
「まだ使えるようになって日が浅い、手加減してくれるか」
「それは無理かな。僕も仕事なんでね」
剣をギュッと握り直す。先ほどまでの構えと違う、隙がないどころか隙を見せると逆に殺されるような殺気まで増えた。魔王は動けない、動けないというより動けないでいた。一歩踏み出せば殺されてしまう。そう感じさせるだけの何かを魔法鎧纏っても感じ取っている。
剣を突きつけられて数秒、いや数分、それとも数時間、剣を突きつけられるという初めてのことに体内時間が完全に崩壊していた。いつ動き出すかわからない。無意識に目線を後ろの神父にほんの少し向けた。すぐに目線を戻す、剣が大きく膨張した。
「貰ったッ」
気付いた時には喉に向け鋭い刃先が刺さろうとしている。首一点に突きを貰えば貫通しなくとも衝撃で息ができなくなる可能性がある。
「くっ」
急ぎ半歩右足を下げ回避行動を取る。
剣は喉を掠めるように突き抜けた。その瞬間、反撃するため左手へ一粒の魔力原子を生み出し魔力を込め振りぬいた。
「過圧球闇魔法ッ」
極小の、目で認識出来ないほど小さな球が次の瞬間男の体に押し込んでいく。
「よっと、あー怖い怖い」
手は空を斬り裂いただけで軽々と後ろへ避けられた。
「鎧は切れたけど、甘かったかなぁ」
その言葉に釣られて首元を触わった。すると斬れるはずの無い魔法鎧に隙間が出来て手に血が付いた。
「大丈夫ですか魔王さま!」
サイア達も追いついたらしく首から血を流す魔王を心配していた。
「魔王、ねえ。だからその魔法鎧が斬れたわけだ」
一気に畳み掛けくる様子はなく、一人合点がいったようでうんうんと頷いている。その隙に首に負った怪我を治療魔法で治療した。
「一応聞くけどそ、ちらの美しい半魔獣人間との関係は?」
「ただの依頼人だ」
男は剣片手で保持したまま波打った髪をいじり、剣を鞘に収め腕を組んで考え事を始めた。子供と稽古をつけているような感覚で対峙されて調子が狂う。
「何をしているのですか、早く摘み出してくださいよ」
しびれを切らせたゴロツキ顔の神父はさっさと魔王をつまみ出せと催促する。それにも関わらず暫く考える剣の男。暫く両陣営は硬直し沈黙していたが剣の男の一言で動いた。
「……決めた。僕は今からそっちの依頼者につくね」
ボソリと何かつぶやいたと思えば、脈絡もなく突如味方になることを宣言をされる。つい先程まで戦闘をしていた魔王はもちろんの事、本の神父もゴロツキ顔の神父、サイア、イザベルは唖然としていた。唯一シェリーだけが訳も分からず理解しようと頭を捻っている。
「じゃ、そういうことで」
剣の男は宣言した後、今まで何も無かったかのように自然体で歩いてくる。当然のように歩いてくるものだから隣を過ぎても制止出来ず後ろへと過ぎ去られる。
はっとして振り向くとイザベルの前で片膝を立てていた。
「惚れた。結婚してくれ」
剣の男はイザベルに求婚した。イザベルはイケメンに求婚され満更でもないという顔をしているものの、理性がこの男は関わっちゃいけないと一歩引いているようだった。
予想外な出来事に状況を理解しようと努力する。だが、本の神父もゴロツキ顔の神父同様口をぽかんと開いてしまって頭が回らない。
「確認するが、それは魔王の配下になるということでいいのか?」
理解できないのであれば事実確認。情報が少しでも得れば回らない頭でもなんとかなるかもしれない。そう思い男に問い詰めた。
「勿論だとも! 愛しのハニーと結婚できるのなら魔王の手先でも大歓迎さ」
屈託のないイケメンスマイルが返ってきた。ようやく魔王は目の前で起こった事がそのままの意味なのだと理解する。
それと同時に教会側の二人もようやく理解できたらしい。ゴロツキ顔がトマトのように段々と赤くなった。
「今一度お尋ねしますが女神様を裏切るのですか」
本の神父が残念そうな顔で剣の男に尋ねる。
「僕の女神は現実にいて共に寄り添ってくれることが出来る女性なんでね」
「残念です。貴方に女神の裁きを」
本の神父は本を開いて手をかざし詠唱を始めた。
空が一切見えない坑道で差し込むはずがない光の筋が、本の神父にスポットを当てる。周囲に天使のように光る羽が神々しく緩やかに舞っていた。言葉はサイアやシェリーも知らない知識らしく、何を唱えているか分からない。
「あちゃー、これはまずい。僕の援護を頼むよ魔王」
剣の男は何を詠唱されているのか分かったらしい、鞘を抜き捨て急いで斬り掛かっていく。
のほほんとした剣の男の顔から焦りが見えた、そのことから詠唱を終わらせるのは不味いと分かる。命令されるのは間尺に合わないと思いつつも右手に魔力を込めた。
「悪く思わないでくださいよっと」
剣の男があと数歩で本の神父に剣先が届く、というところで剣を振り上げた。そして斜めに振り下ろす、距離からいって本だけを狙ってる様子だった。
――キィィン
「あちゃ~。障壁か」
剣は金属と金属がぶつかり合うような高い音が坑道に響き渡る。
「これ吹き飛ばしてくれー」
「注文の多い奴だな、そこを退いてろ」
剣の男に声が届いたのか届いてないか分からないが、返答を待たずして右手に込めた魔力を放った。
「過圧球闇魔法」
先ほど剣の男に押し当てようとした魔法を指先から小さな玉として放つ。今の魔王が出せる最強の対物質魔法。どんなものでも圧倒的魔力質量の前には全て飲み込まれる。
弾丸のように早いそれは剣の男の脇を掠って本へと飛んで行った。
――チュンッ
「……なっ」
「おいおい魔王しっかりしてくれよ」
闇の弾丸は弾かれ真上へと飛んでいった。過圧球闇魔法は確かに物理に対してなら最強で間違いない。ただ相手が悪かった。魔法の障壁が斜め上を向くように張られ、丸い弾丸は刺さり突き抜けること無く滑り弾かれたのだった。
急ぎ次の攻撃を仕掛けよう、そうした時だった。
本の神父に差していた光が一瞬にして拡散し、体を突き抜ける。太陽を直接見てしまったかのような眩しさが目を刺激した。
「あー、やっぱり無理だったか」
「どういうことだ」
「あれを見てごらんよ」
より一層面倒な事になったぞという感じで剣の男がある方向を指差す。半魔獣人間だ。 さっきまでの様子から比べおかしい、瀕死だった半魔獣人間が背中に純白の翼を片方だけ生やして立っている。
「ゾンビって分かるかい、あれの天使バージョンさ」
端的に説明した剣の男は、あの隙があればいつでも斬り掛かってくる構えをした。
「おいおい、殺すわけじゃないよな」
「ああなっては術者を倒すか片翼が生えた人を物理的に破壊するしかない」
「なら術者を倒せば――」
術者である本の神父は奥の坑道へと逃げたのか、いつの間にかいなくなっていた。
「これで分かったかい」
追いかけるにも片翼が邪魔で追いかけれない。もしこの片翼を殺しても先にいるであろう半魔獣人間も片翼にならないとは限らない。
「一応聞くが、あれは魔法なんだよな」
「あれは神の言葉で唱えられた魔法だよ」
魔法、と聞いて勝機が芽生えた。確か精神を制御する魔法についてキースの本に書いてあった。そして常に携帯しているシェリーも近くにいる。
「サイア、あの片翼を取り押さえろ。怪我はさせるな」
「仰せのとおりに魔王さま」
サイアは片翼の前に立ち塞がった。
片翼は接近してきたサイアを殴り、噛み付き、引っかき、地面に叩きつける。だがスライムであるサイアに一切の物理攻撃など通るはずがなかった。ただただ攻撃されるのを何事も無いかのように受けるサイア。その表情からは捕食対象を見るような冷徹でおぞましく感じた。
「ここですっ」
いくら攻撃しても倒れないサイアにダメージを与えるため、大きく拳を振りかぶり体制を崩す。その隙を見逃さなかったサイア、手足を地面にくっ付けるように絡めとった。
「魔王さま、見て下さいましたか」
「見てたぞ、よくやった」
久しぶりに活躍らしい活躍が出来たことにサイアは満足ようだった。その上褒めて貰ったことにより恥ずかしそうに照れて「褒めてもらえた、魔王さまに、うふふ」みたく少し気持ち悪い。
そんなサイアを余所目シェリーから本を渡して貰って読んだ記憶のある精神制御のページを開く。
「あったあった、これだ。もう少し抑えててくれよ」
「はい魔王さまっ」
こんな状況だというのに再び頼りにされたことにサイアは嬉しさを隠しきれていない。サイアにとって半魔獣人間なんかより、魔王一人さえいればどうでもいいのだろう。
抑えている片翼の頭に手を当て魔力を微弱ながら流し込む。すると魔力が魔法陣型に浮かび上がったのが感じ取れた。そしてその魔法陣を本を参考に解析する。
魔法自体の構造は非常に簡単な魔法陣だったためすぐに終わった。
だが効果はあまりに酷く、脳に洗脳と暗示を延々と繰り返す。更に魔法陣を壊すと脳も一緒に壊れるようになっていた。つまり、この片翼は助けれない。
「イザベル聞いてくれ、治すことは出来そうにない」
「なんとかならないのかい」
悲痛な声でこの男もどうにか助けれないかと懇願される。そのような声を出したところでこれから片翼を殺す時、イザベルも皆も辛くなるだけだった。
「どうしますか魔王さま」
決断が迫られる。長引けば他の半魔獣人間にもあまり良い結果をもたらされないだけに急かされる。
「イザベル、悪い。無理だ」
「そこを何とか、この男はカイルの親なんだよ……」
なぜそこまでイザベルが拘っているのかと思えば少年の親だった。もしこのまま殺してしまえば一生イザベルを悔やませることになる。解決策を見出しても、奥の半魔獣人間にたどり着いた時には全員生きてるとは限らない。
二者択一、どちらかを選択しなければならない。
「イザベル、俺が誰だか分かるか」
「……魔王?」
「ああそうだ、だがただの魔王じゃない。一番わがままな魔王だ」
――二者択一? 絶対的な世界の理? そんなものは全部ぶち壊してやるッ。俺が思う未来以外に興味は無い、無理難題なんて知ったこっちゃねぇ! 俺が魔王だ!!――
「――脳速度強化魔法ッ」
魔王は魔王であることに覚悟を決めた。人間の脳は普段三〇パーセントしか働かない、それを魔法で活性化させる。その倍率七の七乗、八二三五四三倍の脳速度を実現する。
「なるほど、これは凄い。ふむ、そういうことか」
キースの本をページを捲った次の瞬間には次のページを捲る。それでも全文読みそして理解していた。
「魔王さま!?」
サイアに呼びかけられると本に血が落ちた。どうやら鼻血らしい。
鼻血が出たのは当然の事だった。人間が何か閃く瞬間、脳はこの状態になるがほんの僅かな瞬間のみで影響はない。だが、魔法で強制的に起こし続ける。そうなると脳の細胞が耐え切れず徐々に崩壊してしまう。その過程で鼻血がでるのだ。
死ねば元通りになる魔王でも脳と共に精神が破壊されれば、肉体が復活しても心は治らない。だからこの魔法は常人でも魔王でも使えたとしても誰も使用しない、禁術だった。
まるで握りつぶされるかのごとく頭が締め付けられる。それでも魔王は全部読み終わるまで何があっても、自身がどうなろうともやめる気はなかった。
あと五〇ページ、あと三〇ページ、あと――
「もう読むのをやめて!」
目からも耳からも血が垂れ流れているのを感じる。シェリーが見るに耐えず止めてくれと叫ぶ。だが辞めない、あと少しで少年の親、スラムの人々を救えるかもしれない。
あとすこし、あとほんの少し。
三、二、一――。
「魔法解除」
本を閉じてすぐに片翼に向け腕をかざす。
「永続破壊魔法」
呪文を唱えると片翼に首輪のような魔法陣が作られ、片翼の首から下がダランと力が抜け落ちた。
「もう大丈夫だサイア、離してみろ」
触手が片翼から離れ、サイアは魔王へと駆け寄った。そして血を拭い大丈夫ですかと心配している。
片翼はその場に放置され。抵抗が無くなったにも関わらず立ち上がらない。その代わり歯をガチガチとさせ攻撃の意思だけはある。
「……どうなったんだい?」
「首から下の支配権を潰した」
魔法そのものを触れても壊してもならない。そこから行き着いたのが、バレないように危害を加えようとする指令だけを首の部分で破壊する。そのため片翼は頭しか支配できず体は本人の意思のまま生命活動だけ行っている。
「それより奴の後を追うぞ」
運良く精神が壊れず耐えることが出来た魔王、ふらつきながらもスラムの人たちが待つ場所へと本の神父を追いけけた。
「ヴォルディ、だっけか」
「僕は『ヴォルディ・ウォールマン』。ついさっきまで勇者だった男さ」
キザったらしく答える。イラッとするが、心の底から嫌悪感は感じない感じだ。
「勇者ってあれか、魔王を倒すための存在的な」
「その勇者であっるよ。この剣も四本ある伝説の剣の内の一本。見る?」
歩きながら剣を鞘から少し抜き見せて貰った。神々しく感じるが宝剣のように装飾はされていない、シンプルな剣。
「そういえば、ヴォルディさんとはお久しぶりですね」
「ああ、そうだね。僕があの家から出てからだから、一〇年以上前かな」
突如サイアがヴォルディに久しぶり、などと話し始めた。
「頭が痛い。お前らいつから知り合いなんだ」
歩きながら脳に治療魔法をかけているが、まだ治っていないのかふらつく。ただ、頭痛の原因はふらつきからじゃないことだけは確かだ。
「僕が子供の頃魔獣に襲われていた時に助けてくれてね」
だからこのサイアさんは僕の恩人であり大切な人、と答えるヴォルディ。遠い日を懐かしむように話している。
「お城の隣に住んでいたのでよく覚えています」
「今でもあの家に父が住んでいますよ、未だに魔法はいいとして剣術すら敵わないのが悔しいですけどね」
魔王がふらついて進めないことを理由に呑気な世間話が始まった。
その中でいくつか重要な情報が転がってくる。ニートと勇者は知り合い、そして隣の家のあの住人は勇者の父だった。そして家同士で付き合いもあったようだ。ということはあの隣人知ってて誂ったかボケてたか、どちらにせよ強かった理由が分かった。
魔王は改めて考えさせられる。この世界の重要人物って奴はどこか頭がおかしい。ニートになりたい魔王、惚れた女のためなら簡単に世界をも敵に回す勇者。
「それはそうと、健康的な足に凛とした顔立ち、特に自ら助けにいくその勇気に惚れた」
まるでイエスと答えが返ってくるのが分かってて回りに聞いて欲しいかのように、ヴォルディはイザベルに再びプロポーズを行い始める。
「国に追われる身になったけど、例え人類全てを敵に回しても君のために尽くす、だから僕の妻になってくださいお願いします!」
先ほどと同じようにイザベルの前で地面に膝を着き、手を差し出して結婚を申し出ている。絵になっているが場所・場面・状況、どれをとっても最悪である。
「あたいに好意を伝えてくれるのは有難いけどさ、タイミングというものがあると思わないのかい?」
イザベルからもうんざりしているようだった。だがそんなことお構いなしにヴォルディの求愛は続く。
「場所やタイミングなんて関係ないさ。僕がそんなもの気にしてたら二四時間常にこの身を尽くさなきゃいけない立場なのだから、一生恋人と結婚もできない。そりゃ勿論王様に王女を紹介してもらって結婚できるよ? でもそれは――」ガツンッ。
「痛いっ」
ヴォルディの背後から魔王はヴォルディの頭へと拳を振り下ろした。
「ふらつきが治った。いくぞ」
態々殴ることはないじゃないか、と反論するヴォルディを尻目に本の神父と半魔獣人間がいる奥へと走って向かっていた。
「急げお前ら、教会を裏切った勇者と魔王が攻めてくるぞ!」
奥から渋い男の声が響いてきた。どうやら待ち伏せて一気に叩くつもりらしい。
「今の声は?」
「多分騎士団の隊長さんかな」
ここに来て数回しか会話してないから確かなではないが、と補足される。次の曲がり角を抜けたら広い空間になっていて、今日はそこで掘っているらしい。
「よし、なら最後の作戦確認だ」
片翼化した半魔獣人間がいれば魔王が全て無力化する。後ろに漏らしてした場合はサイアとシェリーが耐えてその間に魔王がなんとかする。騎士団しかいない場合は各自で殲滅、殺しても構わない。そういった内容の説明をした。
「――以上が説明だ。わからないことがあるやつはいるか?」
四人はそれぞれ作戦を理解したようで質問がなかった。
「よし、じゃあいくぞ」
「はい」や「おう」、と気合の篭った返事を聞いて角を曲がった。
「魔王と勇者が現れたぞー」
正面にゴツい鎧を着込んで両手剣を携えた騎士見えたと同時に、魔王達が現れたことを坑道中に響くような大きな声で警笛をあげられる。
待ち伏せ上等、と突っ込む。すると中央に誘いこむように両側と奥に陣取っていた。
「女神様に似合わない勇者だと思っていたが、やはり魔王についたか」
正面の列中央にいる赤い羽飾りがついた兜をかぶった騎士がヴォルディに対し、嘲笑うかのように声をあげた。
「いやいや隊長殿、女神に僕を当てるなんて役不足でしょう」
「隊長も早くいい女性見つけたほうがいいですよ」
「言わせておけば……。全軍攻め立てろ、異端者に女神様の裁きを下せ!」
ヴォルディの方が一枚上手だった。ヴォルディを怒らせるはずが隊長は顔を真っ赤にして、陣形を潰し突撃命令を出した。
「ヴォルディは前を、サイアは右、シェリーは左、イザベルは俺と一緒に援護だ」
ヴォルディのお陰で陣形を組まれて劣勢だったが、見事に覆してくれた。前衛後衛しっかりと別れられてたら、大きな損害が出ていたかもしれない。
「イザベルちゃ――ん、僕が活躍する所見ててねー」
真っ先に駆け出しイザベルに声援を頼むヴォルディ。
言動は馬鹿そのものだが、それは強さの現れなのか剣術で流れるように鎧の隙間を狙って剣を突き通す。囮となった騎士を見捨てまいと詰めより斬りつける騎士は、体術と特殊な歩法でいなし剣に魔力を込め鎧ごと斬った。
一見その姿は赤子を相手する大人のようで、無駄のない動きに目が奪われる。
「魔王さまのご命令。ああ、体が火照ります……」
右でも馬鹿をやっているのはサイア。
斬り刻もうと何人もの騎士が剣を振りかぶる。だがスライムであるサイアに、そんなもの効くはずがなかった。全て剣の根本まで溶けてしまっている。
戦闘中だというのに頬に両手をあて「また褒められらどうしましょう」と、体を左右に振ってモジモジしている。そのときに飛び散る消化液が全身重厚な鎧を着込んだ騎士を、いとも簡単に骨まで溶かす。
もはや戦闘にすらなっていない、戦闘しようとしていない。騎士が哀れに思えてきた。
「んーっ、よいしょー」
左から気の抜けるような情けない声が聞こえる、シェリーだ。
坑道は岩の宝庫。そのためサキュバスのような格好からまさしくこれぞゴーレムといった岩の鎧を全身に纏っている。
騎士は健気にそんなシェリーに斬りかかる。薄い鉄ならまだしも、鎧は分厚い岩なので勿論普通の刃など通じるわけがなかった。サイア同様戦闘になっておらず、おもちゃで遊ぶように叩き潰していた。
「お前らそれでも騎士団かーっ」
隊長が怒声を上げ騎士達を鼓舞する。だが悲しいことに戦闘らしい戦闘になっているのはヴォルディと戦っている騎士だけであり、そのヴォルディですら相手になっていない。
お陰で援護に回る予定だった魔王とイザベルは、何をすればいいのかさっぱりでただただ眺めていた。
瞬く間に騎士は一人、そして一人とやられていって残り隊長だけとなった。焦った隊長は左右を見渡す、だが生き残っている騎士はもう一人もいない。
「さぁどうする。素直に通すなら楽に死なせてやろう。嫌だというのであれば苦しみながら殺してやろう」
「ぐぅぅ、魔王風情があぁッ」
烈火のごとく怒った隊長は腰に差していた剣を鞘から抜いて斬り掛かってきた。ただ、その剣筋はヴォルディと比べるのもお粗末なものだった。
魔法鎧を展開するほどでもなく、後の先で左拳に炸裂の魔法を込め横腹部に殴りこむ。
「ぐぁはっ」
爪楊枝のごとく簡単に鎧ごと、くの字にへし折れ吹き飛ぶ。宙を無茶苦茶に回転しながら壁に向かって飛んでいってめり込んだ。
「素敵です魔王さま」
決まった。と思ったらサイアに惚れ惚れされた。他人に褒められるのはいい気分なのだが、サイアは別問題である。碌な事にならない。
気を引き締めほんの少し進む。すぐに大きな空間に出た。目の前にはぽっかりと開いた擂鉢の穴。底を見ると疲れ果てボロボロになった半魔獣人間が集められていた。
「くそっ、急ぐぞ」
走りだすと一人の人間に一筋の光降り注がれているのが見えた。本の神父だ。底まで渦巻状に下り坂が続いていたが、詠唱を終わらせまいと最短距離で下段へ飛び降りていく。
「おおっと、ここは通しませんぜ」
底まで到達したというのに、ゴロツキ顔の神父が本の神父まで行かせまいと道を塞ぐ。降りてきた位置が悪く両横に壁があって迂回が出来なかった。
「障壁を張っていたのはこいつね」と、ヴォルディが魔王に耳打ちする。
「ならリベンジさせてもらおうか」
一度弾かれた障壁を今度こそ打ち破るため右手に魔力を込める。
「芸のない魔王だな、クケケケケ」
気色の悪い笑い方をして余裕振るゴロツキ顔の神父。
「なら喰らってみろよ。――過重力闇魔法」
指先から一点に小さな玉として放つ。先ほど放った球と全く同じ大きさ、強さ、早さ。何も変わっていない。見た目は確かに過厚球闇魔法と同じである。だが今回はキースの本をすべて理解していた。
「抜けろッ」
理論上はいける。でも自信がない、頼む抜けてくれ。
「かはっ……」
攻撃は見事に障壁を貫通し、ゴロツキ顔の神父を貫いた。体にはぽっかりと大きな穴が開いてる。
「割れてない、のに」
「冥土の土産に教えてやろう、回転だ」
「回、転?」
「そうだ。来世があれば魔王に背かないことだな」
一度弾かれた障壁を貫けた理由。それはただの回転だった。回転が加わることによって摩擦が生まれる。物理法則は魔法にも例外はない。魔力原子に纏わり付く電子が対象に多く触れることにより接地面が増え摩擦をより多く生む。それによって滑らず突き抜けるのだった。
だが、時既に遅し。ゴロツキ顔の神父が倒れたと同時に、強烈な地震が魔王たちを襲った。
「クソっ、間に合わなかったか」
揺れる中、半魔獣人間を見た。片翼が生えていなければ変異した様子がない。そして本の神父もいなくなっていた。
「どうなってるんだ?」
辺りを見回しても何にも変化がない。ただ地震があるだけだった。
「これ危険だよマオー!」
「どうしたんだ」
突然あたふたと慌て出すシェリー。これほど慌ててる姿は食い物関係でも見たことがない。
「山が噴火しそうなの」
どうやら地震の正体は噴火の前兆だったらしい。キースの本を読んだ魔王にも噴火を止める術など無い。
「魔王さまっ」
「今度は何だ」
「片翼が迫ってきます!」
サイアも慌てた様子で後ろの降りてきた方角を指差す。鎧を纏った片翼が降ってきていた。その数五〇。先ほど倒した騎士団の死体だ。
「どうなってやがる。サイアとヴォルディは前衛、イザベルは援護だっ」
了解、と三人は答え魔王を守るように陣形を組んだ。
「シェリー、噴火が分かったってことは止めれそうなのか?」
「今のわたしの力じゃ難しいかも」
申し訳無さそうな顔で下を向くシェリー。
「下を向くな、諦めるな」
やりもせず駄目だというシェリーに、怒声を浴びせてビクッと驚かせてしまう。
「力というのは魔力があればいけるのか?」
「魔力でも大丈夫、でも今のわたしじゃ何も出来ないよ!」
「俺に任せろ」
これから何が起こるかなど説明せず、おっかなびっくりのシェリーに後ろを向かせた。
「これから直接心の中に話しかける、あと鎧は脱いでくれ」
「分かった」
岩の鎧をすべて脱ぎ捨て身を任せてくる。手を置くとほのかに熱く、速く力強い心音が手のひらを介して伝わってきた。
『聞こえるか?』
「聞こえるよ」
『心のなかで返事してくれればいい』
『これでいいのかな、聞こえる?』
『それでいい。今から激痛が走る、もし耐えれなくなったらすぐに言ってくれ』
『マオーがいつも頑張ってるの知ってるよ、だから次はわたしが頑張る』
健気に気張るシェリーの背に当てた手に魔力を込める。
まだ魔力を流していなくても魔力に触れた皮膚が抵抗して赤くなり、痛みを伴っているのは確実だった。それでもピクリともせず耐えている。
見えていないがシェリーのことだ、我慢していることを悟らせないように痛いのを顔に一切出さず我慢しているに違いない。
『わたし強いから、だから心配しなくて大丈夫だよ』
心の声が伝わったのか大丈夫だよ、と魔王に語りかける。
『お前に励まされるとは、俺もまだまだだな。いくぞ』
『うんっ』
『魔王の名の元にシェリー・ディオネ、我が魔力を預ける』
『よくわからないけど。はい!』
シェリーが返事したことにより最も強い契約、真名での契約を結んだ。これにより一定時間魔王が持っている魔力の半分がシェリーへと分け与えれる。
「――ッ」
シェリーの体は拒絶反応を示した。魔力を流し始めると痛みで体がビクンと跳ねて手を当てた周りから血がにじみ出してくる。
「ッ……!」
顔を見なくても分かる。痛みに耐え歯を食いしばってる様子が手に取るように分かる。
「後もう少しだ、頑張れ」
「早くしてぇええええ」
手を伝いダラダラと血が伝わってくる。それと入れ替えるように魔力が受け渡される。手から逃げようとする意思を跳ね返すように背筋を更に伸ばすこと数秒、シェリーにとっては何時間にも感じられるだろう時間が過ぎた。
「大丈夫か」
「背中がジンジンするけど、温泉に入った時みたいにポカポカする!」
「振り返るのはいいが、服を来てくれ」
無事契約が完了し振り返ったシェリーは、華奢な体が豊満な体へと変化していた。無頓着なところは変わってなかったが。
「これで最後かもしれないから見て欲しいなんて言えないよ……」
魔王には聞こえないほど小さな声でボソリと呟くシェリー。
「すまん、なんて言ったんだ」
「なんでもないよ。それじゃちょっと噴火止めてくるね!」
「ああ、頼んだ。帰りを待ってるぞ」
シェリーは何処か寂しげな後ろ姿で壁へ溶けていった。火山に対し為す術のない魔王達はシェリーにすべてを任せ、片翼が半魔獣人間に襲いかからないように倒す。
元死体の片翼には一切の手加減が必要なく、サイアとヴォルディだけで既に過半数倒していた。そこに魔王が加わり、すぐに殲滅が完了した。
それでもまだまだ揺れが続く。揺れが大きくなるとすぐ小さくなったりと、一〇分近く続いた。これで終わったかと小さくなった次の瞬間、今までの揺れと全く違う大きな揺れがやってきた。
「もうダメだ、娘を見ずに死んでしまうんだ……」
諦めの声が彼方此方から上がる。
シェリーが頑張っているのだから黙って祈ってろと殴り倒してやりたい。
そんなことを思いつつシェリーの無事を祈っていると、大きな揺れはすぐに小さくなりそして完全に揺れが止まった。
「女神様だ! きっと女神様が救ってくださったんだ!」
地震が起こっていた理由を説明していない半魔獣人間たちは女神に感謝をしたり、家に帰ったらもう一度家族を抱きしめると誓う宣言を高らかに上げているのが聞こえる。
「終わったな」
「そうですね……」
一段落着いた魔王達は半魔獣人間達が喜びあっている間、シェリーがしたり顔で戻ってくるのを待った。
「遅いな」
五分が経つ。
何をやっているんだと一〇分待つ、それでもまだ戻ってこない。
「魔王さま、シェリーは返ってきます、よね」
「勿論だ」
一五分経った、スラムの人達もようやく落ち着いたようで地面に座り込んでいる。
「あたい皆の怪我見てくるね」
「ああ」
三〇分、まだ帰ってこない。
事情を知らない人々は早く帰してくれと自分勝手な事を言い始めた。
「ちょっと現状説明してくるよ」
「……」
ヴォルディが魔王から離れていった。
「魔王さま……」
「……」
サイアは魔王の一方後ろで控えて、悲痛な表情で佇んでいる。
それから一時間、帰ってこなかった。
サイアやイザベル、ヴォルディは諦めていた。彼女は死んでしまったのだと。
「帰ってくるって言ったよな」
虚しく坑道に響く魔王の声。
「すべてが終わったら、戻ってきて、ずっと待つからな。少し、行ってくる」
歯を噛み締め、後ろを振り向いて一歩踏み出した。
――コロン。
石が転がる音がした。
ハッ、として後ろを振り向く。
壁から溶け出て来て地面に降り立つ、照れ臭そうに微笑む褐色肌の小柄な少女がいる。
「へっへ~ん、たっだいまー」
ずっと待っても帰ってこなかった。諦めて去ろうとした。そんな時に、タイミングを見計らったかのようにシェリーは帰ってきた。
「怪我はないか? 大丈夫か?」
誰よりも先に駆け寄った。両手がある。両足もある。背中には大きな手の跡がある。心配してたような大きな怪我はない。
「遅いぞ。だがよくやったシェリー」
何処にも行ってしまわないよう力の限り抱き締めた。
「痛いよマオー。でも、嬉しいっ」
シェリーは今まで見てきたどんな笑顔よりも一番の笑顔をしていた。