7話
翌朝、日が昇る前に寝苦しさから目が覚めた。首に手が跨っている。誰の腕かなど確認しなくても腕の細さから分かる、シェリーだった。
睡眠を邪魔されるのだけは辛抱ならず叩き起こして旅支度を代わりにやらせた。それだけでなく朝飯も抜きだと言った。これが想像以上に堪えたらしい。泣きながら謝ってきたのだ。
「次からは気をつけろよ」
「うん、ごべんなざい」と、涙と鼻水を流している。
涙と鼻を拭かせ三人で食べた後、サイアとシェリーは厩舎まで行ってロバに荷物を載せたら西門へ。魔王はイザベルの家によってから西門へ向かうことになった。
「イザベル、いるか?」
名前を呼びつつノックする。すると勢い良く扉を開け放たれた。
「おはよっ」
元気よく挨拶をしてくるイザベルは何も告げていないのに旅支度していて、魔王は呆気からんとした。
「なんだい。あたいも行っちゃダメってのかい」
「そんなことはないが、子供たちは?」
「それならカイルからお父さんをお願い、と頼まれてね」
カイル、あの財布を盗んだ少年の名前である。以前の少年だったら反対してイザベルを置いていっただろうが、今の少年ならそこらの大人よりしっかりしている。
「仕方ない、一緒にいくか」
「道中よろしく頼むよ」
スラムから初めて外に出るウキウキ気分のイザベルを連れて西門に行くと、愛人を連れた夫を見てしまった妻のようなサイア。それと新たな姉が出来たと喜ぶシェリーが待っていた。
「魔王さま? 説明していただきますか?」
「いや、これはだな」
表情には一切現れていないが今にも噴火しそうなほど怒りがこみ上げていた。
「そう、カイルだ。あの少年の頼みでイザベルも同行することになった」
魔王は一切嘘を付いていないし、事実そうだった。だがサイアの魔王を見る目はとても信じておらず疑いの目はやまない。
「嘘を付いていますよね魔王さま。イザベルさんの体に誘惑されたのでしょう? 大丈夫です、私が目を覚まさせてあげます」
ニヤッと笑ったサイアはロバの荷物からとあるものを取り出した。見に覚えがある、例のアレだ。シェリーが悶絶した薬草(不味い)である。しかも、だ。八粒丸々包みから取り出したのである。
「あのー、サイアさん?」
「大丈夫です。何かあった時私が責任を取ります」
不敵なほほ笑みで触手を艶めかしく動かし魔王へと近づいていく。魔王は足が竦み一歩も動けない。
「頼むっ。許してくれ!」
「何を許すのですか? 怖がることありません。私がいます」
魔王は覚悟した、これから起こることを。
触手は尻もちをついて情けなく後ずさりする魔王の口をこじ開け八粒全てねじ込み、顎を強制的に上下させる。勿論触手を使って吐き出されないように。
無理やり顎を動かされてあのカラシとワサビが同時に、しかも八倍の強さで魔王を襲った。目から止めどなく流れ出る涙、立っていられないほどのツーンとした刺激が鼻を襲い転げまわる。
「ッンー! ッンー!」
悶絶して転げ回る魔王は道行く人の邪魔になるとサイアに押さえつけられた。身動きできず襲い来る刺激に耐える姿を見てシェリーはゲラゲラと笑い、イザベルは哀れな何かを見るような目で魔王を見ていた。
四章
「あああああ!」
ドラゴンの咆哮、ゾンビの唸り声。なんとも表現しがたいが、罪人が罪を償い開放されたような気持ちよさだった。
五日間旅を続けたどり着いたのは目的の町『バルザレイ』、今その町にある温泉に浸かっている。山から見下ろす夜景は今まで見てきた中で一、二を争う美しさである。
実は鉱山の町としてだけでなく、上流階級には温泉観光地として有名な町。温泉地として有名な場所は多いらしいが、上流階級にとなればここだけであった。
勿論それには特別な事情がある。それは、
「みてみてー、タコ泳ぎっ」
「ああ、そうだな……」
そう、世にも奇妙な全予約制の混浴温泉地として有名なのだった。
「いやぁ、いい気持ちだねぇ」
イザベルが尻尾で股を隠し、胸は全く隠さず恥ずかしげもなく湯船に入ってくる。ついその入ってくるとき豊満な胸を見ようと顔がそちらに向く、しかしイザベルの胸が見える前にサイアが持っていたタオルで目を塞がれてしまった。
「魔王さま?」
「おおう、すまんすまん」
謝っても目を塞ぐタオルは取ってくれそうにない。失敗した。
「あたい見られるの平気だけどよ。乙女の体をマジマジと見るなんて魔王も隅に置けないね~」
イザベルもこう言ってるのだからタオルを外してくれ、と頼むと渋々目を覆っていたタオルを外してくれた。
「はぁ~、しっかし。お前ら俺に見られても恥ずかしくないのか?」
「あたいは一度魔王に捧げた身。なんならここでも」と、恥ずかしげもなく抱きついてくる。そして腕で首を軽く締めてくる。勿論アレが背中に当たって柔らかい。それだけで終わってくれれば世界は平和なのだが、勿論終わるわけがなかった。
「頼む、やめてくれ。隣を見てくれ。俺はまだ死にたくない」
そう言ってイザベルに横を向かせる。ニッコリと笑うスライムがいた。それを見て顔から血の気が引いたイザベルは、抱きつくのをやめて離れる。
「あらあら、よろしいのですよ?」尚もにこやかに話し続ける。「それに魔王さまの子供を私は産めませんからね」
どこで選択を間違えたか知らないが、サイアが壊れ始めていた。初めはあれほど瀟洒で毅然とした誇るべき配下の一人スライムだったのが、今では早く嫁を見せろと急かす母と変わらない。
「わたしはマオーになら、いいんだよ?」
態々目の前に来て誘惑してくるシェリー。絶対わかっててやっている。小さな蕾が見えそうで見えない。最近まで天然だと思っていたがこれはワザとだ。こんな天然が居るわけがない。隣のサイアを見てみろと言いたい。本当に青い筋が頭に浮かんでピクピクしているぞ。深呼吸をしろ、深呼吸。深く一回。二回――。
「魔王はさ、この世界に来る前はどんな事してたの?」
旅の最中、元々はこの世界と人間じゃないとシェリーとイザベルにも教えた。そのことを思い出したイザベルが、深呼吸する魔王に興味津々で聞いてきた。
「そうだな、親父が道具屋みたいな仕事してたから休日は手伝い。それ以外の日は工房みたいなところでせっせとアイテム作ってたかな」
「魔王ってぐらいなんだから前世も凄いと思ったけど、あたいたちと大差ないね」
「そんなもんだ」
「そんなもんなのかねー」
想像してたより特徴の無い過去にイザベルは興味を失くしたようで、温泉を満喫し始めた。面白おかしく言うにしても学生時代は地味そのもの。社会に出ても地味な仕事、休日は親の手伝い。今の生活のほうがよっぽど面白かった。
「俺も一つ聞いていいか、ちょっと暗い話なんだが」
「ん。なんだい構わないよ」
夜景を見ていたイザベルが長い髪をかきあげ直して魔王に向く。
「今回の主犯、おそらく教会だ。女神教を潰してしまって構わないか?」
階級制度、ギルドで仕入れた依頼情報、スラム街の現状。どれを見ても女神教が原因だった。それも下だけが腐ったのではなく、下から上まで全てが腐ってる。壊すことでしか直せないほどだった。
「実はさ、本当は教会が裏で糸を引いてるんじゃないかって、スラムの皆も薄々分かってた。それでも倍のお金が貰えれば生活が楽になるし、糾弾すると国そのものを相手にするかもしれない。そんなことを思うと誰も言えなかったんだよ……」
悔しそうな表情で唇を噛んでいる。圧倒的な数で更に強い権力を持っていられては、尻込みするのも仕方ない。それで今まで耐えに耐えてきたのだろう。
「これからは安心しろ、俺を誰だと思っている。魔王だぞ」
「気休めじゃなくて?」
「本当だ」
「……ありがとう」
ボソリと聞こえないように震えた声で呟いた。
夜が明け、雲一つない晴天。昨日は町に向け山を登ってる最中に雨に見舞われて酷い目にあった。山の天気は移り変わりやすいというが、ここまで雲ひとつなければ大丈夫だろう。
「さて、と。今日中に助け出しますか」
効率よく情報を集めるため硫黄の匂いが微かに臭う宿の前でサイア達と別れた。集まるときは新たに習得した伝達魔法で伝える手筈になっていた。
魔王はまずは馴染みの深いギルドの方に足を運んだ。これといって何も得られなかった。ならばと労働者がいそうな酒場で聞きこみをしたり、考えれるだけの場所で聞き込みしたが、これといった情報は得られなかった。
唯一それらしい情報といえば、街に入ってくる半魔獣人間はいても出て行く所を見た人はいないぐらいである。
『そろそろ昼飯ついでに情報を持ち寄ろう、昨日食べた飯屋に集合な』
各自に伝達魔法を飛ばして、昨日夕食を食べた定食屋で落ち合うことにした。
定食屋に着くとまだ誰も来ておらず、メニューを見せてもらい何を食べるか考える。
昨日食べたマルムイ貝は縦に噛むと身が裂け、横にして噛むと噛みきれない。その代わり貝とは思えない和牛肉のようにジューシーな貝汁が溢れ出てくる。
手のひらより大きいその貝を豪華に丸々ステーキ。付け合せの野菜も拘っていた。おそらく火山灰の土壌により、栄養が豊富なのだろう。今まで食べた野菜の中で最も美味しかった。
今日はその野菜をメインとした鍋料理にしようか、それら美味しい料理を作るシェフオススメの定食にしようか、非常に難しい選択である。
そんなことを悩んでいると、
「やあ、もう注文してる?」
イザベルが一番乗りでやってきてテーブルについた。
「いや、まだだが」
「店員さーん、日替わり四つ」
「あいよー」
メニュー片手に一〇分弱格闘していたのだが、全員分をあっさりと注文してしまった。今までの苦労は一体何だったのだろうかと頭を抱える。
「それで? 魔王の方は情報どれくらい集まったんだい?」
そっちは核心的な情報を得てきたのか、と自分が持ってきた情報のほうが素晴らしいに決まっていると言わんばかりに誇らしげな表情。
「酒場で仕入れたんだが、街に半魔獣がポツポツやってくるらしい」
「それだけかい?」
「あぁ、そうだ」
三段笑い、フッ、フハハ、フハハハハハっていうやつだ。それを魔王の回答を聞いた後イザベルは目の前で腹を抱えやってのける。周りが何をしてるんだという目線が痛かった。穴があれば入りたいという気持ちはおそらくこんな感じなのだろう。
そうこうしているうちにサイアとシェリーもやってきて情報の交換となった。だが二人も持っていた情報は魔王と一緒で、シェリーに至っては情報は何一つなく代わりに誰かから飴をもらっていた。
「で、そんなものしか手に入らなかったのかい」
イザベルは何も情報を得られなかった魔王を、何でも思い通りにする王じゃなかったのかいと誂っている。
「情報収集能力どころか配下に何一つ勝てそうになくて悲しいよ」
「まぁまぁ、落ち込みなさんなって。このスラム一の情報通ねーさんが全部仕入れてきたよ」
なんだかんだ言いつつしっかりフォローしてくれるイザベル。まるで面倒見の良い姉のような存在に思えた。そして手に入れてきてくれた情報はこうだ。
教会は魔力を蓄えれる魔石の採掘を、半魔獣人間に死ぬまでやらせている。場所も特定していてここからそれほど遠くない、今からでも行ける。
「善は急げ、だ。だが飯を喰ってからな」
シェリーほどじゃないが、この世界での楽しみの一つとして食べ物が大きい。ネットも無ければゲームもない。食事は数少ない娯楽だった。
情報交換が粗方済んだ所で丁度料理が運ばれてきた。料理名はマロン魚のムニエル定食。
黄色い身を持つ元の世界で見たことのない色にどこで釣れるか聞いた。すると温泉の源泉深くに糸をたらして一本釣りする伝統的漁とのこと。
淡水魚ならぬ熱水魚、という分類なのだろうが匂いが硫黄臭いと思えばそうではない。
一口食べると体の芯から温まるような感じ、それに魚の身そのものがものすごく辛い。
バターで焼いているお陰で少しは辛味がマシになっているとはいえ、パンがなければ舌を出してヒーヒー言っていただろう。それと昨日絶賛した野菜のサラダがついてきていた、一口食べると分かる濃厚な味わいと辛さにやられた口を野菜の水分で潤す。
確かに料理はシェフオススメといえるほど美味しかった。