4話
「ぐすんっ」
泣き疲れ果て、感情の波が収まり胸から離れた。
「……ありがとう」
「気にするな」
服が涙でびちゃびちゃだったが、男の称号である。
「そろそろ帰ろうと思う、大丈夫か」
「うん、大丈夫」
「じゃあ、いこうか」
手を引き連れ外に出ようとする。
「あ、ちょっと待って」
「どうした」
棚にあったロザリオを手に持って戻ってくる。
「ううん。もう大丈夫」
「そうか」
外に出ると陽が暮れ始めていた。森の中を歩くと日が沈む寸前のように暗い。
「そういえば、本にはどんなことが書かれているんだ?」
首を横に振り「分かんない。キースに少し読んでもらったけど難しかった」
「ちょっと見せてくれるか」と手を差し出す。
「はいどーぞ」
本を受け取って歩きながらパラパラとめくる。読めない文字は無いが暗くて読みにくい。内容は魔法に関することがびっしりとか書かれている。
「城に戻ったらちゃんと読ませてくれ」
「いいよ。そのかわりににマオーはわたしを守ってね」
「当然だ、頼まれなくても俺は魔王なのだからな」
本と大魔導師について。歩いてる最中に聞いたが、大魔導師は魔力を研究する第一人者で魔王と勇者についての研究も行っていたらしい。
森を抜けると、空が真っ赤に染まっていた。
「あ、そういえば討伐報告しないとな。少しギルドに寄るぞ」
「わ、わかった」
ギルドに対し売られると思ったのか、ブルブルと怯えて震えゴーレム。
「お前を売り払ったりはしない、安心しろ」
少し面白かったからそのままにしようと思ったが、また泣かれると面倒なのでやめた。
町の広場に到着するとギルドはまだ営業をやっているようで、扉や窓から明かりが溢れていた。
本当に大丈夫なのか、殺されないかと何度も聞いてくるゴーレムを何度も宥めてギルドに入る。カウンターには昼間からずっと同じ受付嬢らしく資料の整理をしてた。
「すまない。まだやってるか?」
「本日の一般業務は終了となっておりますが、どういったご用件でしょう」
「タイラントゴーレムの討伐報告を行いたい」
「え!?」信じられない、といった驚愕の表情を浮かべる。「討伐出来たのですか?」
「これが証拠だ。ゴーレム、前に出でくれ」
隣にいたゴーレムの背中に手を伸ばして前に押し出そうとした。
「やだ!」背中にへばり付き離れようとしない。「わたし死にたくないよぉ」
後ろから力任せに腰を締めあげられる。
「やめろっ。俺の腰が砕けるッ。大丈夫だからっ、大丈夫だから離してくれっ」
色んな物をぶち撒けてしまいそうなほど強い力。お陰で骨がミシミシと悲鳴を上げている。
「……本当?」少し力が弱まった。
「本当だ、本当だから前に出て顔を見せてやってくれ」
「うん、分かった」
ようやく離れてくれたゴーレムはおずおずと前へでる。
「あら、可愛い女の子ですね」
少し屈んで受付嬢はニッコリとゴーレムに笑っている。
「そいつがタイラントゴーレムだ」
「……えっ」
頭を撫でようと手を伸ばした受付嬢が固まった。
「何かの冗談ですよ、ね?」
信じられないといった表情の受付嬢は魔王に問い返す。こんな奴がタイラントゴーレムじゃないと魔王も初めは思った。いきなり少女からならいいが、魔王の場合はあの岩の巨体を見てからだから、まだ受付嬢はマシである。
「本を見せてやってくれ」
「大丈夫?」
本を大切そうに抱え渡したくなさそうに魔王を見つめる。
「あぁ、俺が保証する」
ゴーレムは本をカウンターにおいた。
「大魔導師の本だ、証拠を持って来いとしか言われてないから渡さないからな」
「はあ、少し読ませていただきますね」
受付嬢は表紙、背表紙を真剣な眼差しで売っている本じゃないか訝しげに確認しているようだった。それが済むと目次らしきページをしっかり読んで、内容が贋作ではないかパラパラと捲った。
「本物、ですね。一応聞きますが盗んだとかではありませんよね」
本物であることは認めれても、タイラントゴーレムを倒して手に入れたとはとても思えない様子の受付嬢。
「当然だ。偽物なんて恥ずかしくて出せるものか」
「ですよね、失礼しました。少々お待ち下さい」
後ろの棚からフォルダ取り出してカウンターに置かれる。昼間見たフォルダとは違う。そこから一番後ろで一番古いタイラントゴーレムに関する依頼資料を取り出した。
「こちらが契約完了用紙です。討伐証拠は確認しましたの此方にサインをお願いします」
見せられた紙は甲だの乙だの小さな字で沢山書かれている。しかも真面目に読めばどれだけ時間が掛かるのか計り知れない分量。どうせよほど大切なことは書いていないだろうと読み飛ばしていった。
「お支払い方法なのですが、証文による預かりと一括支払い。他にも応相談となりますが、如何しますか」
討伐報酬の一八〇〇万から二〇パーセント引きの一四四〇万が手に入る。全額キャッシュで貰うのが一番いいと思ったが、全額あの城に全額保管は心もとなかった。なぜなら少し前の魔王のように泥棒に入る変な奴がいるかも知れないからだ。
「端数の四四〇万だけゴールドでもらいあとは証文にしてもらえないだろうか」
「分かりました、では此方に名前のサインをお願いします」
厚手の紙で出来た契約完了書と羽ペンを渡される。ここで少し問題が発生した。魔王の名前をここで書いてもいいのだろうか、というものである。仮にも現在は魔王であり、今後何かに響くかもしれない。
「これでいいか」
この世界の言葉で初めて文字を書いた。案外アルファベットより簡単だった。
「ジミー、さんですね。ゴールドを用意するので少々お待ち下さい」
中学時代のアダ名。本名とつながりも欠片もない。ただ、地味に目立たないように過ごした結果からこのアダ名になった。なのでこれでサインした。
暫くすると奥からゴールド袋が5つ抱えた受付嬢。それと初めて目にする三〇台か、老いてて四〇歳の男性がやってくる。
「やぁ。君がジミー君だね、こんなに若いのにタイラントゴーレムを倒すとは凄いよ。全くもって驚きだ。他国の勇者も挑んだこともあったけど、誰一人と倒せる人はいなかったんだ」
やってきて自己紹介もせず言いたいことを只管喋る。こういうタイプは言いたいことを言いたいだけ言って興味を無くす。そして放置だ、あまりいい印象を受けない。
「おっと、申し遅れた。私は一応ここのギルドマスターのチェコ。マスターになってまだ浅く大物討伐した君のお陰で色々と助かったよ」
この後も止めどなく話し続けるチェコの話に圧倒され、適当な相槌を打ちつつ何か有力な情報がないかと聞いていた。
分かったことはつい最近ギルド代表がチェコに代わった。そこで今年春のギルド認可更新基準に満たせてなかったらしい。
危うくギルド認可取り消しになる寸前だったのが、この町で最も古く何年も残っていた討伐依頼を魔王が達成した。そのため大幅に基準をクリア出来てギルド存続が可能になったとのこと。
つまり魔王はこのギルドの恩人ということだった。
「どうだいここは一つ、このギルド専属の冒険者になってみないか?」
ギルド専属になれば安定した収入が得られる。安定収入、なんていい響きだろうか。通常の冒険者なら即答するだろう。
「有難い話だが、大量にゴールドが必要なんでな」
「事情はよく知らないけどいくら必要なんだい。場合によっては先に全額払うよ」
どうしても引き止めたいらしい。チェコは受付嬢に金庫の中にいくらあるか確認に向かわせた。
「そうだな……」
世界征服をする足がかりとなる金が手に入るなら、多少の仕事を押し付けられても構わない。そう思って試算してみるが全く検討がつかなかった。なので、
「とりあえず国一つ」
具体的な数字ではなく目標としている額を告げる。
「それは何かの例えかい」
「本当に国一つ分が買えるだけのゴールドだ」
「はっはっは、国が買えるほどのゴールドだって、くっくっく」
大の大人が子供の戯言でも言ったかのように嘲笑われる。だがすぐに魔王の真剣な眼差し、それとタイラントゴーレムを倒せるほどの実力を持つ魔王をじっくりと観察し始めた。
「いやぁ、笑ってすまない。どんな男なのだろうと思ったが期待以上のようだ」
何か特別な事情があると察したのだろう。まるで少年の頃の夢を思い出したかのように話し始める。
「国一つというと、この国の予算はは大体一年で百億ゴールド。それとそう小さくないこの町のギルドで、一年の稼ぎはせいぜい一千万ゴールド」
手をグーの形で両手を前に出して「ギルド一つで一千万」と指を一本立てる。
「そしてこれが二千万」二本の指が立つ。そして三つ、四つと増えていき一〇本指が立った。
「ほら、一〇本で一億ゴールドだ、どういうことか分かるかな?」
ギルドが千集まってようやく国一つの予算になる。そう言いたいのだろう。
「勿論だ、それでもやらないといけない」
覚悟は変わらない。そう即答するとチェコはにっこりと笑った。
「分かった。君に助けられたし出来るだけの手助けをしよう」
チェコは右手を伸ばしてきた。この世界にも握手というものが存在しているらしく、互いに硬く手を握り合った。第一印象はいけ好かなかったが、話してみるとチェコも悪く無い男だった。
「そうとなれば金を稼ぐ工面をしよう。付いてきてくれ」
チェコは手を離すと先ほど出てきた『ギルドの関係者のみ』と書かれた看板のある扉へと向かっていく。当然そのあとを続いた。
通路を右へ左へ、五回曲がった先の行き止まりにある部屋。ギルド長チェコの部屋へ通された。
「入ってくれ」
チェコの後に続いて入る。中の様子はマスターの部屋というより倉庫に近い。書類を入れる棚が壁一面に覆っていて、それだけでは入りきらない書類が散乱している。机の上には手紙や返事の試し書きがいくつもある。
「ちょっと待っててくれ」
机にあった新しい紙に文章を書き始めた。
その間に棚に置かれたトロフィーや額に入れられた賞状を見て回る。第二一回ギルド大会優勝、第一八回ギルド大会準優勝と刻まれたトロフィーが数個。額には『ナル歴二八六年、魔王討伐感謝状』『ナル歴三〇二年、魔王討伐感謝状』といつ送られたかわからない金属製の感謝状が掲げられており、最も新しいもので『ニナ歴一年、魔王討伐感謝状』とある。
それらを見ていたら既に書き終わったらしく、赤い蝋燭を垂らして印を押し当てて固めた封筒を渡された。
「これがあれば首都にある大元ギルドで話が通じるはずだ」
「それだとここらで依頼を受けなくなるが、いいのか?」
チェコは机の引き出しから葉巻を取り出し、先をカットして火を付けると吸い始めた。
「それなら問題ない。向こうで稼ぐと少しこっちに戻ってくる仕組みさ。君ならとんでもない額を稼ぐだろう。手間いらずでゴールドが稼げる、うちとしては万々歳」
なんとも悪そうな顔をして葉巻を吸っている。会ってすぐに自分の事を最年少でギルドマスターになったと自慢するだけのことはある。どう転んでもギルドが儲かるように仕向けていた。
「それならありがたく受け取らせて貰おうか」
「いつ首都に向かうつもりなんだい」
「明日には出発しようと思っている」
「早いことはいいことだ。もう暗い、首都までは道を歩いて三日。安全だし安心して向かうといいよ」
葉巻をいかにも美味しそうに吸いつつギルドから見送られる。建物から出るとすっかり陽は落ち暗くなっていた。
ゴーレムは生きて出れたことに安堵の表情を浮かべている。
「こりゃ晩飯がもうあるな、どうすっかなぁ」
どうやってスライムの料理を避けるか考えていると、
「ねーねー、マオー」
「ん、なんだ?」
服の裾を引っぱって呼び止められる。足を止めてゴーレムの顔を見ると、上目遣いで見つめられていた。
「お肉食べたい、な?」
計算してやってるのか、本当に天然なのか分からない。ただ、どちらにしても可愛いことに変わりはなかった。
「そうか、食べに行くか」
「やった、マオー大好きっ」
後ろから抱き付かれる。スレンダーなせいで胸のクッション性があまりない。お陰で岩のビキニアーマーがゴリゴリと当たって背中が痛い。
「ただいま」
「おかえりなさいませ魔王さま」
扉を開けると明かりを灯し、魔王の帰りを待っていたスライムがいた。
「無事に倒してきたぞ」とゴールドの袋と一千万の証書を見せつける。
「お疲れ様です。それではお祝いのお食事用意しますね」
無事返ってきた魔王を持て成そうと調理台に行こうとするスライムに、
「ちょと待った」
呼び止められれ不思議そうな顔で振り返る。
「新たに配下になった魔物がいる。ゴーレムだ、入ってくれ」
「きょ、今日からお世話になりますゴーレムですっ。わたしは魔王のもの、です」
緊張したのか上ずった声だった。しかも言葉が短絡的すぎて意味が変わってしまっている。ゴーレムは人見知りするタイプなのだろうか。
ギルドで人見知りな行動は一切取らなかった。というかずっと震えていた。魔物見知りというものだとしたら面白い。意外な一面を見ることが出来た。
「あらあら、緊張しなくても大丈夫ですよ。私はスライムです。仲良くしましょうね」
「はわぁ~。スライムお姉ちゃんやさしい。大好きっ」
微笑みかけながら優しく接するスライムにゴーレムは抱きついた。例の馬鹿力もスライムの柔軟な体には丁度いいらしい。
「二人共仲良くやっていけそうでよかったな」
「えぇ、そうですね」
スライムが此方に向く。微笑んでいた顔が目だけ笑わなくなっている。これは絶対に『わたしは魔王のもの』という言葉が誤解を生んでいる。そう直感で分かった。
「あれだからな。さっきの自己紹介は誤解がある。なぁ、ゴーレム。ちゃんと説明してやってくれ。ゴーレムは俺のものじゃないよな?」
「うん。わたしは魔王だけのものだよっ」
墓穴を掘った。そして分かった。こいつ計算じゃなく天然馬鹿である。魔王の配下、と言い直してもらおうとしたら魔王だけの、と態々強調しなくていいところをあえて強調していったのだった。
「そ、そうだ。飯に行こう。なぁ、ゴーレム」
「うんっ。お肉食べたい」
必死に話題と流れが変わるよう祈る。その願いは神に届いたのかスライムの表情が変わった。
「ゴーレムの歓迎会、ということですね」
表情だけ笑っていたスライムがいつもの瀟洒な表情に戻る。許してくれたのか最初から計算して演技してたのか、ゴーレムと違った意味で怖い。
「そう、それだ。すぐいこう、今すぐいこう」
「分かりました。戸締まりだけしてきますね」
証書と一〇〇万ゴールドの入った袋四つをスライムに預け、戸締まりを済ませるまで城の入り口で待つ。こうして危機を脱し、町の広場にあった酒場へと向かった。
「では、ゴーレムの歓迎式を始める」
小さな木の樽型ピッチャーを持ちあげ、
「長ったらしい前置きは無しだ、思う存分飲み食いしてくれ」
酒場は陽気な空気に包まれていた。ステージではストリートで演奏しているジャズのような愉快なメロディを奏でている。それを聞きながらカウンターで酒を嗜む客もいれば、全く聞かずに飲めや騒げやのどんちゃん騒ぎをしているテーブルもある。
「マオーっマオーっ、食べていい? ねぇ食べていいの?」
キラキラとした目を向けお預けを食らった犬のように、ゴーレムは口の端から涎を垂らしている。テーブルには店に入るなりありったけの肉料理、と注文していた料理が所狭しとあった。
どれもこれも涎が垂れそうになるほど香ばしい匂い、肉の焼けた匂い、他にも色んな匂いと見た目が食欲を刺激する。
「おう、好きなだけ食え。今日はお前の歓迎会だ」
許可をもらったゴーレムはハムスターの頬を膨らますように料理を詰め込んでいく。まるで飲み物を流しこむように。
「んふぅぅぅ、んばびぃぃぃぃぃ」
幸せそうな顔をして個々の味なんて味わくこと無く滅茶苦茶に食べている。本を守っている間まともな料理一つ食べていなかったのだろう。美味しそうな料理が久しぶりに目の前にあると、そうなってしまう気持ちも少しは理解できる。
それでも魔王も奴に召喚されてからというもの、まともな料理は食べていなかったが味わって食べることぐらいはする。
今日だけは許すが明日以降はキッチリと躾をしようと思った。
「俺達も頂くとしようか」
魔王とスライムも食事を始めた。
まず手にとったのはジューシーな肉団子と酸味の効いたトマトソースのパスタ。一度揚げた肉団子からはその内部に詰まった肉汁が噛むと口の中に吹き出る。その肉汁とパスタが絡み絶品である。
店で作った塩加減が少し強い、柔らかく酒と相性のよい生ハム。これも酒を飲み一枚食べる。なんとも言えない美味さ。普通の塩で水分を抜いたのではなく、旨味のある塩。しょっぱくなく、旨いのだ。
香ばしく匂うのは自家製窯で焼き上げるピザ。パン屋で仕入れた種を使い、耳はカリッカリでチーズがよく伸びる。引き千切ろうと引っ張るが何処までも切れない。啜っては伸ばし啜っては伸ばし。ようやく千切れた頃には口いっぱいのチーズとその匂いが鼻にまで登ってくる。
そしてこの町特産らしいいくら飲んでも飽きない喉ごしが素晴らしい麦ビール。この世界の料理はどれを食べても美味かった。
勿論スライムの料理も同様に美味しかった。たたスライムの肉片が入っていないことが前提だ。それでもやはり料理は魔王にとって鬼門なのだろう。スライムの料理を避けても新たな問題が生じていた。
「魔王さまぁ~、私のことちゃんと見てくれてますぅ~?」
やはりスライムだった。店に着くなり酒を頼み、ウワバミのように浴びるほどの酒を流し込んでいた。
音頭を上げる頃には、今まで見た中でとびきり真っ赤に染まっている。
「私の心を奪うだけでなくそっけなく扱うなんて、魔王さまのいけず! 私がどれほど思って……」
機嫌よく飲んでいると思えば突然怒りだして肩を何度も叩く。急に涙目になったと思えば机に突っ伏す。挙句に木の器を溶かす。
「お。姉ちゃん今日はウェイターじゃなく客で来たのか」
声のする方へ振り向くとハゲ頭のおっさんがいた。
「今日も出来てるねぇ。あんたスライムの旦那かい。魔物と一緒にいるなんて珍しいな」
酒の入った瓶を手にヒックと千鳥足でふらついている。店の常連だろうか。
それより今魔物といったような、
「スライムが魔物だと分かるのか?」
「あっはっは。旦那も相当酒が入ってるな。肌は透明だしどこからどう見ても魔物じゃないか。それに自分の名前をスライムとしか言わなんだ、自ら明かしているようなものじゃないか」
スライムから酒場で働いていたと聞いた時どうもオカシイと思ったが、そういう世界なのだろうと今まで納得していた。
だがやはり違ったらしい、ゴーレムに昔の話を聞いた時は殺されそうだと思ったと言っていたし、ギルドの時も怯えていたのを覚えている。
「魔物がいない地域からきたものでな、よく知らないんだ。この国じゃ魔物はどう扱われてるんだ?」
「この国が特別なのかねぇ、王宮でも魔物が雇われてるって話だ。昔は魔物を見かけたら殺せってなっていたらしいが、この国じゃ魔物は人と変わらないさ」
持っていた酒をゴクリと飲み干し再びヒックと言っている。
「それにだ、人間にだって悪いやつやいいやつがいるだろ、そういうこった」
言いたいことを言うと千鳥足で仲間の待つのテーブルへと戻っていった。
この世界に来た時、魔物といえば忌み嫌われ殺される存在だと思っていたが、案外魔物と人間はいい関係性を築けているらしい。
だがそうなると、なぜわざわざ世界征服なんてことをしなくてはいけないのか疑問に残る。聞く限りでは魔物と人間は仲良くやっている。それでも何か理由があって奴は承知で異世界人の魔王に世界征服することを任せたのだろう。
奴、あるいは代々魔王は世界の本当のことを知っているのだろう。その内容を教えなてくれないのは何か意図があるに違い。
そうと決まれば世界征服の前に世界を見る必要がある。などと考えていたのだが、
「マオーっ、次アレ食べたい」
「魔王さまぁ。今夜は、わ、た、く、し、が、寝かせませんからね」
隣にまでイスを移動させ腕に絡みついて酒をあおるスライム。
それに三人では食べきれないだろうと思っていた料理を、ほぼ一人でぺろりと食べ上げてしまったゴーレムが次の料理を催促している。
「分かったっ、分かったからっ。ゴーレムはなんでもいいから好きなだけ食ってくれ、スライムは酒くせぇから離れろ!」
二人といると、とてもじゃないが真面目に考えることも出来ない。
スライムの相手をしながらゴーレムが黙々と食べる光景を眺める。それを肴に酒を飲むのが限界だった。
「ぷっひゃぁ、もう限界っ。お腹いっぱいだよ」
食い続けること二時間、ようやく腹一杯になったゴーレムは満足したようだった。テーブルに積み上がった皿の数を見て回りから歓声が湧き上がっている。
「おねーさーん、おあいそー」
「はーい、今行きまーす」
他のテーブルを片付けていたウェイトレスが飛んでやってくる。
「えーと、料理とお酒、全部合わせて39万3000ゴールドになります」
これだけあればいくらなんでも足りるだろうと持って来た四〇万ゴールド。その額でギリギリの値段を請求された。
「うへぇ、それもっと安くならない?」
「これでも色々とサービスさせていただいていますので、これ以上はちょっと~」
スライムの飲みっぷりとゴーレムの食べっぷりにより、酒場の支払い歴代最高額をを叩き出した。食い逃げしようかと一瞬頭をよぎった。だが二人の満足した顔を見てゴールドなんてどうでも良くなった。
財布も気温もすっかり寒空の下、店で貰った明かり片手に扉から出る。
「マオー、ここだよー。あっははは」
城へ向かう途中、ゴーレムはたらふく飯を食べ気持ちが高揚しているのかはしゃいでいる。先回りしてポストごっこをしていたり、物陰に隠れて驚かそうとしていたりと大騒ぎ。
スライムは、千鳥足であっちフラフラこっちへフラフラ。
ゴーレムが先の物陰に隠れようと先行すると、
「魔王さまぁ。私の名前、知っていますか」
唐突に酒臭い体で話しかけてくる。
「スライム、じゃないのか」
「それは種族名ですよぉ。確かに今じゃスライムは殆どいません。けど今はそうじゃなくて真名ですよ。ま、な」
横で歩いていたスライムが、肩に寄りかかり魔王の手を握る。
「真名を呼ばれた魔物は絶対服従。なんだって出来るんですよ?」
「そんな大切なものを簡単に教えないほうがいいだろ、ましてや出会って一日の俺に」
「勿論誰にも、というわけではなく魔王さまだから是非知っていて欲しいのです」
言い終わると耳たぶを甘噛し、甘い吐息が耳をくすぐる。こんなことされれば反応しない男などいない。今にも抱きしめて物陰で抱きしめたくなる。
だが酒に酔った女性を襲うなど言語道断。紳士たれ、と最初に心に誓ったことを曲げると全てが崩れてしまいそうだった。
「ま、お、う、さ、まっ」
耳元で甘く囁かれる。限界を迎えた魔王は意を決した。
「……ここまでしてもダメなんですね」
甘ったるく話しかけてきていたスライムが、少し普段の雰囲気とツンとした口調に変わった。
「もういいです。私の真名を知ってもらって責任感を感じていただきます。『サイア・パーシヴァ』、今後はサイアとお呼びください」
襲おうと決めたのに相手から折られ襲えない状況。凛とした表情でもたれ掛かっていた肩からも離れられる。。
「あ、おねーちゃんだけずるいっ。私も繋ぐのっ」
驚かすために先行してたゴーレムが手を握っているのを見て走ってきた。空いてた手から明かりを奪うと手を繋ぎ、三人一列になって歩き出した。
なんとか二人を連れて城へと戻ると酒の匂いをプンプンと放ちながら枕になろうとしていた。
「なぁ、サイア。お前を枕にして寝ると酒臭いと思わないか?」
ハッとなって気がついたサイアは、
「気づきませんでした」
詫びた後、人型に戻って横で寝ようとしている。
「サイア?」
「何ですか魔王さま」
何か問題でもあるのかという表情で魔王は見つめられる。
「昨日一人で寝かせないとおっしゃいましたよね」
「確かに言ったが……」と、言葉を濁して反論しようとした。
すると先読みされたのか蔑んだ目で「いいましたよね?」と、問いつめられる。
その目からは逆らうと今後どんな恐ろしいことが待っているか分からない。未知の恐怖が魔王を襲った。
「はい。いいました……」と答えるしか無かった。
そんなやり取りをしているとギィッと扉が開いてゴーレムが入ってきた。
「あーっ、わたしも一緒に寝るーっ」
サイアが魔王のベッドで寝ている所を見つかってしまった。ただでさえ狭いベッドで両脇に二人。寝れる気がしない。
どうにかしてゴーレムには退散願いたかったが、もう何をしても無駄な気がしてきた。
「いいよ。一緒に寝よう……」
素直に受け入れ、三人一緒に寝ることにした。真ん中に寝転ぶと両腕を抱枕にされ身動きがとれない。
最初は興奮して寝れなかったが、腕から伝わる二人のぬくもりが心地よく、深い眠りへと落ちていった。