2話
四魔王目
村人に負けてしまった。それも斬られたとか攻撃されたなどという記憶もないうちに。
もしかすると村人が異常に強かったのではないか、いくら成り立ての新人魔王といえどここまで弱いはずがない。
城より小さな家に住んでいたから、ただの村人と判断した。今思えばその考えは間違いで、一国の最強に近い兵士だった可能性もあった。などと愚考する魔王。
「此方にいましたか、夕食が出来上がりました」
「頂くとしよう」
云々と言い訳を考えていると既に夕食が出来上がっていたらしい。
食卓に着いてスライムに給仕される。パンが半切れ、それとスープが出てきた。
「新魔王さまご誕生ということで、出来る限り豪華な食事にさせていただきました。お口に合うかどうか分かりませんが、お召がりください」
町を暫く歩きまわって分かったことがある。この城というのはボロい一軒家で、用意してくれた食事も非常に質素なものである。本来ならば魔王が口にするようなものではない。。それでもスライムは十分に考え、そして尽くしてくれている。この好意に豪華とはなんだと皮肉を言えるはずがなかった。
「では頂こうか」
「はい、どうぞ召し上がってください」
手始めにとろみがあり、無味白色の豆がスープに彩どりを添えたスープを口に運ぶ。手塩掛けて作ったもののようで、しっかりとした味付けがしてあった。
調理中に誤って入ったと思われるスライムの一部がピリッとした酸味を際立たせ、口の中で激しくカーニバルを踊る。無味で硬いパンと一緒に食べるても少し刺激的だった。
「美味いぞ」
母以外の女性の料理なんて初めてだった。そのせいで明らかに食べてはいけない料理だったのを褒めてしまった。
魔王のために料理を作ってくれる、だから褒めた。それがいけなかった。
「ありがとうございます」
魔王に褒められたのよほど嬉しかったのか凄く幸せそうな笑顔をしている。
そんな表情を見てしまった魔王は、スライムの一部が入っていて体を壊すかもしれないからスープは遠慮する。なんて口が裂けても言えなくなってしまった。
一度味わった味が忘れられずスプーンが進まない。
スープが口に中々運ばれず固まっている魔王を見て、スライムはやはり口に合わなかったのだろうか。と悲しそうな顔になってしまった。それを見た魔王は覚悟を決めた。
「いざッ!」
心を無に変えてスープを口にする。
口の中で味という暴力が暴動を起こすスープを鎮め、パンで悠久なるバカンスを送る。そんないつ終えるのか分からない、地獄とも思える戦乱の世と束の間の太平を気が遠くなるほど繰り返す。
「美味い。美味いぞ」
一心不乱に口に放り込む。悲しみに包まれていたスライムの表情がパァっと明るくなっていく。
次第にスープは無くなっていき、残りスプーン数杯というところでパンは尽きた。
心に安寧をもたらす唯一のオアシスが干上がり、混沌を呼び起こす。発汗が激しく、向かいに座る笑顔のスライムを見るが焦点が合わない。
おそらく隣の住人を超える、下手をすればこの世界で最強。覚悟を決め、最後の一合を交えるために器を持ち上げた。
「ぐ、ぐんんっ!」
口の中で最後の攻撃だといわんばかりに激しく暴れまわるスープ。
魔王も最後の攻撃を行うために、鼻から新鮮な空気を取り入れ精神を研ぎ澄ませた。攻撃が来ると分かったスープは更に激しく暴れまわる。
だが、魔王に選ばれし魔王になった者の決意はそんなことでは折れず、一飲にして全てのスープを飲み干した。完全勝利である。
「大変、美味かった」
「お粗末さまです」
スープ皿が綺麗になくなり満足気なスライムは食器を片付け始めた。
激戦を繰り広げ疲労困憊な魔王は胃がギュルギュルと鳴って寝室に戻る事もできず、たまらず玉座に座り込む。
「く、苦しい」
休憩していても胃の痛みが増していく。このまま座っていては漏らしてしまうと感じた魔王は、何としてもトイレにたどり着こう一歩踏み出した。
歩みだしたと同時に体の中から色んな物が一歩出そうになるが堪えて一歩、また一歩とトイレに向かい、なんとかトイレに辿り着く。
トイレに辿り着いた達成感を味わいつつも、魔王にも体に合わないものがあるというのが身にしみて理解した。
腹の痛みに耐え暫く力んでいると、口から血が滝のように流れ出す。止まることのない吐血に呼吸ができなくなってしまった。
息ができなくなった魔王は胸を叩きなんとか呼吸しようと試みたが、肺に血が入るだけで意識が薄れていく。
五魔王目
魔王になってから五度目の死亡。溶けて死んだり斬られて死んだり。一番苦しいと噂の窒息死も経験した。死ぬのには慣れたけど痛いのはやはり慣れそうにない。
魔王はふと気になった。スライムに溶かされた死体はスライムが片付けてくれてるとしても、村人に殺された死体はどうなってしまうのだろうか。
放置されたままだと彼方此方に死体が落ちていることになる。百歩譲ってただの死体ならまだしも、同じ顔の死体が生きて動いてたら問題である。
「お体、大丈夫ですか」
扉をノックする音と共にスライムの心配する声が聞こえる。
「それは大丈夫なんだけど、ちょっと来てくれないか」
「如何しましたか」
扉を開け、スライムが入ってくる。
「さっき復活したのだけど、死体はどうなっているのかなと思って」
あぁ、なるほど。という顔をしたスライムは説明を始めた。
要約すると、まず死んだ時に持っていたものなどはその場に残る。服と体だけ復活。復活するまでは血や肉片がその場に残って、復活と同時に綺麗さっぱり消えてなくなる。
二つ目、顔の問題。これは魔物から見た場合同じ顔で、人間から見た場合は違う顔に見えるらしい。便利だけど、顔以外の身分証明が必要となると面倒くさい。
三つ目、魔王の強さについて。ただの住人に殺されて記憶に真新しいのでついでに聞いた。スライムによると、【死亡数×係数×配下の強さ】らしい。つまり魔王の、今の強さは五αスライムということだ。
「ところで、隣の住人とスライムどっちが強いんだ?」
「物理攻撃だけでしたら負けません。魔法もある程度なら勝てます」
つまり、五αスライムより一スライムのほうが強くて、隣の住人は一スライムより圧倒的に低い。
「一応聞くけど、隣の住人は勇者だった、なんてことは?」
「いえ、一般人ですね」
もしかしなくても、魔王は凄く弱かった。そもそも三分で復活する魔王が強い訳がない。圧倒的な力を持っているが当たり前だと思っていただけに落胆が大きい。
「頭が痛い……」
魔王は頭を抱え項垂れる。
「お疲れでしょう。本日はもうお休みになってはいかがでしょうか」
スライムの言う通り。今日は突然異世界に呼びだされ、あまつさえ魔王にまでなってしまった。
異世界来たという事実はまだ飲み込める。だけど、魔王は流石に許容範囲を超えている。できれば勇者のほうがまだマシだったように思える。
「よろしければ、お眠りになるまで側にいましょうか」
思っている以上に酷い顔になっているのらしいのか、いい歳だというのに寝るまで側にいてくれるという。
「そう言ってくれるのは有りがたいんだけど……」
言葉を濁す。スライムを見ると心の底から心配していそうな、風邪を引いて寝込んだ時、母が付きっきりで看病してくれたあの表情になっている。
「それじゃあ、お願いしてもいいかな」
昔を思い出した魔王は少し甘えた。
「お任せください。すぐにシーツを直しますね」
器用に皺を伸ばしている。奥の皺を伸ばそうすると、前かがみになり柔らかそうな尻が突き出る。その光景に朝の事を思い出した。
「良かったらでいいのだが、一緒に寝てくれないか」
「え?」
シワを伸ばす手が止まる。
「どういう意味でしょうか」
スライムは一体何を望まれているのだろうかと必死に考えている表情。
そんなことなど目に入らず、触れた時のあの柔らかそうな体、包み込まれたかのような安堵感。それを思い出した魔王は逸る気持ちを抑え、邪魔になるであろう枕など足元に投げ捨てた。
「さぁ、頼む」
皺が無くなりピンと張ったベッドに上がる。
手招きでスライムにも上がるようお願いすると、少しモジモジとしたが決心した面持ちのスライムが無言でベッドに手をかけた。
手を軸に膝からベッドに入り、艶めかしく身をよじって転がり込む。人型のスライムは仰向けに横たわり、緊張しているのか呼吸しているかのように胸が上下している。
「いつでも構いません。ただ、お優しくお願いします……」
スライムは目を瞑り、これから起こるだろうことを想像し高揚していた。青く透けている肌が微かに赤くなっている。
暗がりの中近くで見る唇はふっくらとしていて潤いがあり、真上に向かって主張の激しい張りのある胸、魅力的なくびれのある腰。
そんなスライムの肩に手をやる。こわばった体の表面が波打つ。
「違う、そうじゃない」
突然の言葉にスライムは目を見開いた。
「……魔王さま?」
魔王の求めているものはそういうことではなかった。
「元の体型だ、元の。早く寝たいから、早く」
何が起こっているのか分からないといった表情をみせつつ、緊張が原因なのか綺麗な半球状のグミになった。
「そう、それだ。その状態で枕の位置まで来てくれ」
その言葉を聞きたスライムは、初めプルプルと戸惑っていた。
移動した後、ベッド上の配置からようやく魔王の望みを理解したらしい。枕があった位置で徐々に体のこわばりが溶けて、綺麗な半球からトロンとした枕が出来上がった。
「そう、それだそれ」
理想通りの形になったことを褒める魔王。
「ふふっ。魔王さまはいけずなんですね」
「何を言っているの分からん。今日は疲れた。さっさと寝るぞ」
スライムを枕にベッドで横になる。思った通りの柔らかさ、弾力、そして包み込まれるような安心感。この世界で最初の楽しみが出来た。
「今後一人で寝ることは許さないからな。明日からも頼むぞ」
「はい。魔王さま」
二章
「ううん、眩しい」
深くまで布団を被る。
夜が明け、薄暗い部屋に窓から太陽の光が差し込んでいた。
寝るとは不思議の塊である。目を瞑ったと思えば次の瞬間、一日の始まりを告げる朝日が瞼を開けよと攻撃する。
太陽さえ登らなければ永遠に寝ていられるのにとさえ思う。
「目覚まし、目覚ましがなる前に切らないと……」
だが現実は非情だった。時間というものがあり、陽が登らなくても朝はやってくる。
もう少しで大音量で鳴るはずの目覚ましに手を伸ばす。鳴ってから止めてもいいのだけれども、朝から隣の部屋から壁ドンされたくない。
布団から手を出し枕元を触る。柔らかく、ほんの少しひんやりした物に手に当たった。
「おはようございます。魔王さま」
女性の声が聞こえる。それに普段と違い気持ちのいい枕を使ってるような――。
思い出した。俺は異世界に来たのだ。
「あー、うん。おはよう」
目覚めたのにスライムをずっと枕にしているのも悪い気がして体を起こす。
「本日はどう致しますか?」
頭をのけるとすぐにベッドから降りたスライムは、人型に戻って今日の予定を尋ねてくる。出来ることならもう少し世界に馴染むためサボりたいのだが、昨日の晩飯より酷いのは御免被る。
「一先ずまとまった生活費が必要だと思う。だから当面は金を稼ぐ方法を探す予定だ」
異世界に来て翌日には仕事探し。少しは金を貯めておいてくれよと切実に思った。
「それでしたら、ギルドに行ってみてはいかがでしょう」
スライムの言うギルド、それは確か道具屋を探しに行った時見かけた。
「冒険者や傭兵が依頼を受け、報酬としてゴールドを受け取ることができます」
「じゃあ今日はそこに行ってみるか」
今から貿易で稼ごうとしても道具屋で見た商品の値段では大量に買うことが出来ない。それどころか他の町で差額を儲けるといっても元手が少なすぎて移動費で足が出る。
ならばスライムのいうギルドに行って報酬額を聞いてから他の事を考えてみても遅くはなかった。
「新しいお隣さんか、あんたも魔王というのかい?」
朝日が燦々と降り注いでいる外に出ると、隣の住人も丁度どこかに向かうのか家から出てきたところだった。
「なぜ自分の名前を?」
「ハハハ、ごめんよ。この町で新顔を見ると冒険者か中央からのお役人様か、はたまた変な奴なんだ。その変な奴ってのは皆自分を魔王と名乗るんだ」
完全に魔王のことだった。これからまた殺されるのではと体が強張った。
「昨日見た魔王は俺の家に盗みに入ってやがった。流行なのかねぇ。あんたんちも気をつけなよ」
ダンディーなおじさんは鎌を片手に、魔王へ手を振って目の前の麦畑に入っていく。
「そういえば別人の顔に見えるんだったな……」
昨日スライムの説明に、人間であれば別人に見えると説明を受けていたこを思い出して心を撫で下ろし、軽快な足取りでギルドへと向かっていった。
「世界の半分をくれてやろう。配下に下れ勇者よ」
「断るッ」
広場に着くと、中央でまだ朝早いというのに男の子二人と女の子一人が勇者と魔王ごっこをしていた。
「さっさと姫を返せ!」
「我を倒せれば返してくれよう」
「あーれー、ゆーしゃさまー」
お姫様役の女の子と姫を奪った魔王、そして姫を取り戻すべく勇者が戦っている。魔王は勿論同じ役の少年に頑張れと心のなかで声援を送る。
「これでも喰らうがよいッ」
「ぐあー」
魔王役による迫真の演技が伝わってくる。勇者と生態的に敵という先入観を省いて贔屓目に見ても、勇者役と姫役の演技は下手だった。
「フッハッハッ、そこまでか勇者よ」
そうだ。そこだやっちまえ魔王。
「止めだッ!」
木製の剣を振りかぶり今にも斬ろうと勇者に迫る。まるで自分が斬りかかってるような見応えのある演技。
「ヴォルディ様っ」
「ヌゥォオオオ」
姫役の女の子が人が変わったように気持ちの篭った叫びを上げる。すると勇者も気持ちの篭った雄叫びを上げ立ち上がる。
「喰らえ。ヴォルディスラッシュ!」
決め技と最後のシーンだだけは何度も練習したのだろう。二人の演技はそこだけが迫真の演技だった。そして悲しいかな。例え勇者が瀕死だったとしても、必殺技で攻撃すればどれほど強く優勢だった魔王でも必ず死ぬ定めなのである。
「グハッ」片膝を着き「おのれヴォルディ、次こそは必ず殺してやるからな」と言い残してガクりと倒れる。
断末魔を上げ復活と復讐を誓い呆気無くバタリと死ぬ魔王、魔王の元から駆け出し勇者の胸元へ飛び込む女の子、鼻の下を伸ばした勇者。
「あほくさ」
下らない茶番劇を横目にギルドの扉を押し開き入っていく。
「おおう。いいねいいね。冒険って感じがするね」
カウンターにポニーテールが美しい看板娘。壁際には階段が取り付けられてロフト状の二階から、和気藹々《わきあいあい》とした空気が一緒に音を奏でようと魔王を包む。
おそらく二階は待合場所兼酒場みたいなものなのだろう。早朝だというのに酒を注文する愉快な声が建物中に響く。
「いらっしゃいませ、冒険者の方ですね」
「昨日この町に着いたのだが、恥ずかしながら資金が底を突きそうでな。仕事を紹介してもらえないか」
少し嘘を付いているが大きくそれてはいない。
「分かりました。では当ギルドが扱っている仕事について案内します。では初めに――」
このいって懇切丁寧に説明してくれたのだが一向に終わる気配がしなかった。そのため鎖骨より少し下まで服が開けた看板娘を、バレないように眺めていた。
「――となっておりますが、如何しますか」
説明が終わったらしくどれを受けるか聞かれる。五分ほど暇で暇でバレないように鼻の下を伸ばし見ていた胸元から目線を顔に戻す。胸元を見ていたことはおそらくバレていない、と思う。
「では討伐に関する一覧を見せてもらおうか」
話をそれなりに聞いていた限り護衛、採集、討伐の三つについての説明があった。なので魔王はその中でも最も報酬が高い魔物討伐について、どんな魔物討伐があるか見せてもらった。
「分かりました。少々お待ち下さい」
お辞儀をして後ろを振り向く。上の方で髪の毛を結んでいたので首の項が見える。普段見えないような首筋があらわにされており、男心を擽る。髪のある魔物が今後配下になったらポニーテールにさせようと思った。
「此方でよろしいですか?」
テキパキと棚から取り出した分厚く古いフォルダを、カウンターの上へ置かれる。好きなのを選んでいいというので表紙を捲った。すると懸賞金や生息地、そこまでの地図といった情報が並んでいる。
「嵐のように棘を放つ植物『ランサーボウ』一一〇万ゴールド」
「洞窟に入る者に容赦なく超音波で攻撃する怪鳥『ビックボイスバット』一三〇万ゴールド」
上にあるページはどれもこれも値段が低くぱっとしない。受けたい依頼は最も高い金額なため中間は飛ばし一気に最後のページを開いた。
「大魔導師が作りし宝物庫を守る巨岩『タイラントゴーレム』一八〇〇万ゴールド」
最後に綴られたページでおそらく最高額の報酬。
「これを受けよう」
受付嬢は丸く目を見張り驚いたような声で、
「タ、タイラントゴーレムですか。何度も失敗している超難関依頼ですよ?」と、本当にこれで構わないのかと聞いてくる。
「構わない」
即答で応えた。復活し放題の魔王なら、ゾンビアタックでダメージ蓄積させれば倒せない相手などいない。なので相手がいくら強くても問題なかった。
「わかりました。では討伐した証として何か証拠を持ち帰ってください」
受付嬢はファイルの中から地図を取り出し魔王へと渡す。
「場所はこの町から森へ入り徒歩一時間のところにある山の麓付近となっています。お気をつけて」
無事に帰ってきてください、危なくなったら依頼破棄でも手数料はかかりません。と何度も念押しされてギルドから見送られた。
「娘は渡さん」
「王様、どうかお姫様を私にください」
「お父様、私この人が好きなのです」
「ならんっ。決してならん」
ギルドから出ると広場の中央で寸劇を行う三人の子供がまだいる。
今度は姫を好きになった村人と、村人を好きになってしまい身分差が障害となって村人と駆け落ちを唆す姫。それを辞めさせるべく姫を説得する王様。
異世界にもロミオとジュリエットみたいな寸劇があるんだなと感心する。ただ先ほどの芝居と同じく決まりきったオチなのは分かる。
流石に最後まで付き合っていては日が暮れてしまうため、さっさとその場を後にした。
「お疲れ様でした、ギルドの方はいかがでしたか」
「依頼は受けた、報酬額は一八〇〇万ゴールドだ」
自慢気に言ってみたものの、報酬額を聞いてもピクリともしない。額に驚くだろうと思っていただけに少し興覚めである。
「タイラントゴーレムって知っているか?」
「存じません」
スライムであれば当然知っていると思った。だが知らないと言われ予定していた弱点を聞いて即撃破、とはいかなくなってしまう。
「それならゴーレムは知っているか?」
「ゴーレムでしたら石や土を繋ぎあわせて作られた魔導生物だと聞いております」
魔道生物。魔物ではないらしい。
「他に情報は?」と、聞くと申し訳無さそうに何も知らないと答える。
情報不足で作戦を練るなどという段階では無かった。情報が無いとなればギルドや酒場で聞きこみである。ただそんなことをしていては再びスライムの料理を食べることは明白だった。
そこで魔王は思いついた。そんな面倒なことをせずとも魔王ならではの方法、それは好きなだけ復活出来るのだから、多少なりとも死のうが突っ込めばいいというもの。
「少しタイラントゴーレムとやらを見てくる」
「ご一緒したほうがよろしいですか?」
「見に行くだけだからスライムが出るまでもない。城で待っていてくれ」
「魔王さま……」
スライムは足をもじもじとして何か言いたげだった。ただそれだけで後に言葉が出てこない。人生経験からいって言葉に出来ないことは大したことではないと判断、
「じゃあ、城は任せた」とスライムの反応を待たずして、地図に記されていた森へと飛び出した。
「ひえぇ、魔女でもいるんじゃないかこれ」
鬱蒼と緑が生い茂った気持ちの悪い森が現れた。ギャアギャアと鳥の鳴く声や、ツタが木から垂れ下がっていたり、地面が見えないほど草木が生えている。
「どうすっかなこれ」
森を突っ切っていくにしても目的地が何処にあるのか分からず為す術がなかった。
何か目印はないかと散策すると少し開けたところがあった。近づくとはるか昔に整備したと思われる石畳の道跡が、森の奥へと続くように残っている。
「これなら迷子になることはないな」
道がある。太陽もまだまだ高い。魔王は無敵。恐れる心配がない。迷わず森へ入っていった。少し森に入ると陽があまり差し込まないのか薄暗く朝のように肌寒かった。
道は冒険者がここ数日の内にタイラントゴーレムへ挑んでいるのか、遮るように伸びる木々は無く、進行方向にある枝は全て切り落とされている。
――ガサガサッ
歩き始めて一〇分ほどだろうか、石畳の跡を辿っていると茂みで何かが動く物音が聞こえた。鳥であれば木の葉だが、地面から生えてる茂みで何かが動いている。
「我は魔王である。魔物であれば姿を現せ」
草むらに声を掛ける。魔物が居たとして従うか従わないかは分からない。それでも魔物であれば魔王であることを明かせば、戦闘を回避できるかもしれない。
そう思い相手の出方を伺っていると揺れ動く茂みが一つ、また一つと増えていく。
「まずったか」
相手に敵意があるのかあるいは言葉が通じないのか、未だに姿を見せない。結果、数を集める時間稼ぎにしかならなかった。
「ガウッ!」
突如震え上がりそうな声で茂みから獣が飛び出してきた。その獣は大きく開いた口で喉元に噛み付こうと飛びかかってきている。
「うおっと」横に飛び跳ねて躱す。「あっぶねえ」
揺れ動く茂みに意識していたため、バランスを崩しつつも避けることが出来た。
しかし、地面に横たわったところを後続の二匹の獣が続けざまに茂みから現れる。
「いや、それは無理だ。無理無理無理無理無理――」
いくら拒否しても迫る獣の牙。避けようと思ってもバランスを崩し転けているため動けない。その上腰が軽く抜けていた。
「はぁ――、よし。こいっ」
魔王は覚悟を決めた、噛まれた次の瞬間カウンターをぶち込んでやると。徐々に近づいてくる鋭い牙。痛みに負けぬよう歯を食いしばる。あれ、そういえば攻撃方法がないような……、
「やっぱり無理だ。やめてくれぇえええ!」
叫ぶが獣は獲物を前に当然止まってくれない。二匹は大きな口を開け飛びかかってくる。情けなくも目をぎゅっと閉じた。
「ッてぇぇえええ」
痛みに目を開くと、二匹の鋭い牙が深々と手足へ突き立てられていた。
「くそっ、離せっ」
あらん限りの力を振り絞り手足を動かすが、深く突き立てられた牙から逃れられない。それどころか更に食い込みが悪化する。流れ出した血が視界に入ると、ただでさえ痛い手足が、尚更痛く感じる。
「ガルルルルッ」
唸り声とともに目の前の茂みから、一際大きな獣が現れた。ヨダレを垂らしゆっくりと着実に、四本の足でのそり、のそりと近づいて来る。
「これ以上危害を加えるというのであれば、容赦せぬぞ」
魔王オーラを出して脅せばもしかすると助かるかもしれない。その一筋の希望にすがり、力を振り絞って魔王オーラを纏おうとしてみる。だが痛みで上手く出すことが出来なかった。
「やめろ。それ以上近づくなよぉ」
泣き言を言いつつも手足を振り払おうとする。だが深く食い込んでしまった牙はもう抜ける様子がない。魔王は絶望に包まれた。
「ここまで、か……」
全身が毛に覆われ、口にたくさんの鋭い牙を持つ獣が眼前までやって来る。逃げれる算段が思い浮かばない。喉を鳴らし口が大きく開かれ、鋭い牙を伝ってポタリポタリと足元に涎が落ちる。その涎が足、膝、そして太ももと濡らしていく。
「ッッ――」
途端、声にならない痛みが脳に今すぐここを離れろと危険信号を発する。喉を鋭い牙で噛みつかれたのだ。本能が逃げようともがくが噛みつかれた手足が自由にならない。
獣は抵抗の意思を感じるとねじ切るように頭を左右に振る。それに釣られて魔王の頭も左右に揺れ動いた。
「カッ、ッカヒュー」
激しく揺すられ喉を食いちぎられた。それにより喉から空気が漏れて呼吸が出来ない。痛みで薄れ薄れゆく。せめてタイラントゴーレムを拝むまでは死ねまいと、必死に目を開けようとするが重たい瞼が見開くことを拒む。
徐々に瞼が閉じていき完全に閉じられた瞼によって一面見渡すかぎりの闇が広がる。次の瞬間、瞼が急に軽くなった。
どうなったんだと目を見開くと、噛みついていた獣はいない。ただ見覚えのある天井とふかふかのベッドが体を支えていた。