1話
「あー、もうヤダヤダっ。何もやりたくないぃぃ~」
夜明け前の肌寒く薄暗い部屋の中。青年は布団に篭もり駄々をこねていた。
「――そうだっ!」
いい事を閃いたらしい。ベッドから飛び起きて明かりもつけず、近くにあったボロボロな椅子に座る。それから目の前にあるボロボロな机を引き寄せ、紙とペンで文字を書き始めた。
「いひひっ。これはいい、いいよぉ」
不敵な笑みを浮かべてサラサラと書いていく。まるでこれを書いてしまえば全てから開放されるかのように。
「よし出来たっ。それじゃ早速始めちゃおう」
椅子から立ち上がってベッドの前へ進み、呪文を唱え始める。詠唱によってベッドの回りには徐々に魔法陣が完成していく。
あと少し、そんな時窓から朝日が差し込み青年を照らした。
「眩しい、あっ」
綺麗な曲線や直線で描かれていた魔法陣が、最後の一筆で魔法陣を飛び出し円を突き抜けて完成してしまった。魔法陣は完成すると光を上げて効力を発揮していく。
「あ――、うん。まぁいっか」
描き間違えた時は焦った様子だったが、別にいいやと魔法陣の中へ入っていった。
小鳥の囀る音で目を覚ます。寝起きの悪い自分に母が買ってくれた、けたたましい音が鳴り響く目覚ましを止めるべく枕元に手を伸ばす。
「ううん、どこだ……」
あるはずの目覚ましに手が触れない。その代わりザラリとした木の板に手が触れる。ついそのままなぞってしまい、そげが刺さった。
「ッつぅー……」痛みで飛び起きる。
「朝からついてないなぁ」
愚痴をこぼし、普段と違うベッドに違和感を感じて辺りを見渡した。
「ここは、どこだ?」
石のレンガで出来た壁。蛍光灯どころか電球すら付いていない天井。所々隙間風が入って来て寒いし、家具はベッドに机、椅子、小さなクローゼットぐらいしかない。
「なんだ、夢か」
普段過ごしている部屋ではない。それだけは分かった。
せっかくだから冒険しようと、ベッドの側に置かれていた革の靴を履いて紐を締める。地面に立つと運動不足の体にズシリと重みがかかった。
「今日の夢は妙にリアルで思い通りに動けるな」
なにか無いかなと机の上を見た時、一枚の紙切れが置かれていることに気がついた。
「おっ、何かの手紙か?」
――ようこそ我が城へ。君はとても幸運だ。なんといっても僕に代わって世界征服出来るのだからね。
あぁ、心配しないでくれ。君の元いた世界は僕が代わりに問題なくやっておくよ。だから大丈夫だよ。ささやかなプレゼントとして、君にその世界での新しい服をプレゼントするよ。きっと気に入ってくれるはず、クローゼットの中をみてね――
世界征服、別世界、よくある夢の内容。
「見たこともない文字なのに読めるとはねぇ……」
適当な設定の夢だなぁとは思いつつ、自分の服が用意されているらしいクローゼット、おそらく部屋の隅にあるボロボロのクローゼットがそれだろう。
近づき「頼むからお化けとか虫はでるなよ」と、小言で呟きながら開ける。
中には真新しく、ローブに近いコートのようなマントが有った。フードは付いておらず、襟や裾、布の端には金と銀の糸で飾り付けられている。
一言で言えば、格好いい。せっかく貰ったのだからとクローゼットの下段にあった、いかにも似合いそうな服も着用する。
「なんか貴族って感じだな」
一式服を着て最後にマントを羽織うと、全く重みを感じない。まるで羽を着ているようで、何枚もあれば空に飛んでいけそうな感じにさえ思えた。
「ふむふむ、これはこれは」
飛び跳ねマントをひらひらさせる、面白い。何が面白いって、それはマントの端が着地してもずっとひらひらとしているからだ。
「泥棒!」
飛び跳ね魔法使いらしいポーズを取って遊んでいると、突如女性の甲高い声が響く。
「えっ?」
驚いて振り向くと人影が見当たらない。その代わり水が宙を舞って向かってくるものだから、盛大に覆い被った。
「ひー、ちびてぇ」
濡れた顔を手で拭おうとする。すると皮膚がヌメつき、体中が痒くなっていく。
暫くするとチクチクする痛みが現れ、呼吸ができなくなってしまった。
二魔王目
「魔王さまをどこにやったのですか」
揺すられて目が覚めた。目を開けると再び夢で見た天井と全く同じものがある。
目覚めの悪い俺は「あぁ! 誰だ! 俺は魔王じゃねぇ!」と、声を荒上げる。その勢いで布団を跳ね除け起き上がった。
すると布団の上にグミ状の体に青く透き通った体を持つ生物がのしかかっていた。
「こいつぁ……」
こいつはあれだ。そう、ゲームの世界では序盤に現れ、現実では小さな入れ物に入って駄菓子屋で売っていた例のアイツ。スライムだ。
「今日の夢は変わった夢だな」
不意に触ってみたくなって柔らかそうな体へと手を伸ばす。
「やめてくださいっ」
伸ばした手は叩かれた。その時触手で払われたのだが、思いの外硬くゴムのようだった。 いや、そんなことより喋ったような……。
「質問に質問で返すようで悪い。これって夢だよな」
スライムが動き、更に喋るなんて現実じゃありえない。故にこいつは夢の中だと断言できる。
「分かりました。これで分かりますか」
呆れた声でスライムが触手を作り出し、頬に伸ばしてくる。少し怖かったが好奇心に勝るものはない。
そのまま伸びてきた触手を受け入れ、頬にへばりつく。ほんのり冷たい。
「どうですか」
吸盤で吸い付いた後、捻るように頬をつねられた。「ひ、ひはひへふ」
抓られて痛い。つまり、現実だった。
痛みで異世界に来たことを実感し、小さくガッツポーズを決める。異世界、それも言葉の通じる魔物がいる異世界。誰しもが一度は行ってみたいと思うだろう。
別世界に入れたらこれだけは守ろうと、とある五箇条を決めていた。その一つが『女性には紳士たれ』というもの。スライムは声から察するに女性である。
なのでちゃんと正座して、「えーと、スライム。さん?」と名前を伺った。
一応これでも大人なのだ。少しでも悪いと思えば改まって正座をして話もする。ただし、床は痛いのでベッドの上で。
「スライムと呼んでいただいて構いません」
肌と同じように声も透き通っているような、美しい声。出会って間もないが、もしかすると好感度が高いのかもしれない。
「それより魔王さまを知りませんか?」
スライムは体を揺すっていた時と同じように、魔王について聞いてくる。紳士協定第一箇条、女性の頼みは迅速に。急いで状況整理だ。考えろ。
まず起きたらそげが刺さった。いや、それはいい。
起きたら別の部屋にいた。これは重要そうだ。
部屋を見渡したら紙切れがあった。そうそう、あの机にある紙の――。
「あれだっ」
ベッドから飛び出して机の前に向かう。やはり紙があった。書いてあることもさっきの夢と全く同じである。
「こいつを見てくれ」
置かれた状況を説明出来る最高の証明書を、どうぞ見てくれと指し示す。
「一体何でしょうか」
ヌルンと机の近くまで移動し、机の上まで触手を伸ばして紙を望遠鏡で覗き込むように読み始めた。
「……魔王さまの置き手紙ですか」
筆跡からすぐに分かったのだろう。触手の動きで端から端まで紙をじっくり読んでいるのが分かった。
「えっ!?」
予想外の事が書いていたのか、ほんの少し読んだところで驚きの声を上げた。
「もう一度読ませてください」
プルプルと体を震わせ、再び最初から読み直し始める。
それから何度も読み直し、触手の何処に目が付いているんだと観察していると納得したのか触手を引っ込めた。
「あなたが誰なのか、大凡察しました」
「それで、俺はどうなるんだ。戻れるのか?」
「私からはなんとも……」
申し訳無さそうに濁した回答。それはつまり元の世界には戻れないということだった。
「ですがご安心ください。貴方様は今日から魔王さまです」
「魔王っていうと、魔王?」
「そう、魔王です」
質問した通りの返答が返ってくる。だが聞きたかった事はそうじゃなかった。魔王というのは分かる、だけど魔王とは具体的に何をもって魔王なのかさっぱり分からなかった。。
「魔王さまは私の消化液を被り死んだのですが、このベッドで復活していました」
説明するようにスライムが話し始める。
言われてみれば、ワープしていたような感じでベッドにいた。そのワープの正体は死亡だったらしい。
「それに魔王さまは貴方を魔王へと任命しています。なので今日から名実共に魔王さまなのです」
言いたいことはこういうことだった。復活する、という魔王の特性が魔王たる能力の証明で、紙に世界征服を任せる。と書かれていることにより名目上も魔王。
感情的には何一つ納得できないが、理路整然と考えればある程度理解出来た。
「そういえば、復活したとはどれくらい時間が経ったんだ?」
魔王は死ねば百年以上の歳月が経ってようやく蘇るイメージである。
窓からの風景や部屋の様子が全く変化がないことから、そこまでは長くないことは分かる。おそらく数日なのだろうと魔王は思った。
「三分ほどですね」
三分。スライムが言うには三分で復活したという。たった三分で復活する魔王、それは流石にどうなのか。三分といえばカップラーメンが出来る時間である。
元いた世界と三分が違うのか、はたまた本当に三分なのか。概念が違うといえば、そもそもなぜスライムの言葉が理解できるのか。謎が多すぎた。
「如何しましたか魔王さま?」
余りに急な変化に受け入れがたい魔王は、頭を抱えて屈んでいた。
「あー、そういえばなんで俺がこの世界の言葉を理解できるのかな」
「それでしたら私の知識ですね。――」
魔王の特性について、配下が持つ知識や経験は魔王が影響されて強化される。なのでこの世界の文字が読めるし、スライムの知っている言葉も使える。
なんとも便利な能力の説明をしてもらえた。
「それでスライムは俺に忠誠を引き続き誓ってくれる、と」
「はい。魔王さまの遺言通り今日から魔王さまです。この身の全てを捧げます」
スライムはグミの前部分を凹ましてお辞儀しているような姿になっている。
こうして実際に魔王になったのだが、これといって実感が沸かない。何もしていないのだからそりゃそうだ、と言われればそれまでだろう。そんな魔王でも一つ気になったことがあった。
「もし、もし良かったらでいいんだが触らせてくれないか」
「えっ」
まるでセクハラされたかのような拒絶の声をあげる。
魔王にその気はなかったのだが、女性誰しも知り合ってすぐの男性に触らせてくれと願われれば当然同じような反応をする。だが、相手はただの女性ではなく魔王の配下スライムである。
「……優しくお願いします、ね?」
見た目はグミだけど女性の甘い声で「ね?」と言われ、女性に耐性の無い魔王は心を射抜かれた。
触られるのは嫌。だけど忠誠を誓った相手なのだから仕方ないという判断なのかもしれない。現実世界でこんな反応されれば冗談だ、といって気が引けて遠慮する。しかし、ここは異世界。それに相手はスライムである。遠慮するのは昨日までの魔王だけで、今日は魔王は一味違った。
「軽く触らせてもらうけど、力加減が分からない。痛かったら言ってくれ」
「分かり、ました」
覚悟を決めたようでそっと歩み寄ってくる。まるで初恋の女の子とキスをする気持ちだった。
「じゃあ、触るぞ」
触りやすいように屈む。普通の女性ですらどう触ればいいのかわからない魔王なのに、女性のスライムなんてどのように触っていいのか検討もつかない。
一つ深呼吸をしておそるおそる指でやんわりと触れてみた。
触れると「んっ」と、吐息が漏れた。粘力、というのか粘っこさは見た目以上に少なくほんのり温かい。
少し勇気を出して撫でてみる。くすぐったかったのかピクッと最初だけ表面が波打った。
少し興奮したが魔王の好奇心は尽きない。今度は指で少し押してみた。
人の筋肉より柔らかくゼリーより少し硬い。自分のおしりを触ってるような感じだった。そのまま更に強く押しこむと、
「あっ……」という艶やかな声と共にめり込んでいく。
無遠慮にそのまま指を押し込むと手首まで入り、包まれるような気持ちよさに襲われた。
まるでビーズクッションに包まれているかのように、あまりに気持ち良すぎる。
魔王は荒い息でずっと触っていたくなるスライムから手を引き抜く。粘液がついてこない。意外な結果だった。
「次、痛かったらいってくれよ」
魔王は昂ぶる気持ちを抑え、趣向を変えて上から手のひらを押さえつける。
ゆっくりと圧力を込め押し込んでいくと指の一部が抵抗なく、ズブズブと吸い込まれるように中に入っていった。
「ま、魔王さま!」
三魔王目
「――っは」
ベッドで目が覚める。スライムが側にいて魔王が復活するのを待っていた。
「俺、死んだ?」
「そうですね」素っ気ない返事。
顔も無く表情が分からない。だけど声から不機嫌な事がわかる。
なぜ不機嫌になったのかは分からない。
「なんで死んだ?」
「分かりません」
そんなはずはなかった。確かに魔王はあの時スライムを触っていたはずで、側にいたスライムがどのように死んだのか知らないはずがない。
「いや、そんなことは――」
「分かりません」
思考が見透かされたかのように同じ答えが返ってくる。これはあれだ、この話題にはもう触れるなということだった。
「わかった。すまないが水を持って来てくれないか」
「分かりました」とツンとした声で水を取りに扉から出て行く。
それにしても困った。魔王になるのは嫌なわけじゃない。この世界の主人公だ、毎日同じような日常を送っていた時よりは断然良い。
紙に書いていたように、世界征服するのも悪くはない。ただ、どうやって世界征服をすればいいのかは全く思いつかない。
「はぁ、どうすっかなぁ」
漠然と考えていると、ボロボロな木製の扉が軋む音を鳴らして開いた。
「お持ちしました」
器用に触手でポットと取っ手のあるコップを持たスライムがいた。机においてもらい自分で注ぐ。見事な無色透明、濁りの欠片もない。
「ありがとう」
木のコップに入った水をゴクリと飲み込む。都会じゃ味わえないカルキ臭くなく、新鮮な味、少し喉越しが硬い。
「美味いな」
「ありがとうございます」
井戸から汲み上げているのだろうか、そもそもここはどこなのだろう。城というからには魔王城の城下町なのだろうか。地理的知識はスライムから流れてこなかった。
「少し外の様子を見に行きたい。構わないか」
「ご一緒しましょうか」
「いや、玄関まで見送ってくれればいい。ちょっと外に出てみるだけだから」
断られたスライムは、せめてもと城から外に出るまでの道案内を買って出てくれた。
此方ですと丁寧に扉を開けてもらい通る。貧相な木製の玉座が真っ先に目に入った。その玉座からこの部屋は謁見の間だと分かった。
少し高い位置にある玉座は他より一段高くするための段差が敷かれていた。その台は素人仕事で作った木製の台で、魔王が作ったほうがよっぽど上手く作れる。
玉座の奥には調理するための竈が設えられていた。こればかりはきちんと備え付けられており、使い込まれた鍋や調理器具が並べられている。
中央にはテーブルとイス二つが並べられていた。燭台もあり、食卓だと分かる。
改めて謁見の間を見ると、狭苦しく家具が置かれ何もない空間は圧倒的に寝室のほうが広かった。
「謁見の間、だよな?」
「その通りです」
謁見の間とはとても見えない。だが魔王の紙にも城と書いているのだから、この世界ではこの程度のものが普通。そしてここも一般的な謁見の間なのかもしれない。
先入観だけで判別するのは悪い癖である。スライムを従える魔王の城なのだから、元いた世界の物差しで量るのはよろしくない。
テーブルの横を抜け「いってらっしゃいませ魔王さま」と、玉座とテーブルの直線上にある扉が開かれる。
薄暗かった謁見の間を、新鮮な空気が入ってくるのと同時に太陽の光が明るくした。
「うっひゃー、まっぶしぃー」
新しい世界に向かって第一歩を踏み出した。
薄暗かった城から一歩出ると、広々とした空が広がっている。
「んーっ」と、徹夜でテレビゲームをしたせいで疲れ固まった体を、背伸びして解す。空に向けのびのびと伸ばした腕を下ろした頃には、眩しかった太陽の光に目が慣れ始めていた。
目の前には延々と広がる長閑な麦畑。穂は青く、まだ実らせてはいない。
道沿いを見ると、出てきた城と同じような家々が並んでいる。遠くからでも分かる二階建て以上の大きな家が畑のない方へ密集していた。
雰囲気は魔物ではなく人が住んでいそうな村。きっと文化的に魔物も人間に近いのだろう。中央に向かいどのような魔物が住んでいて、どのように生活しているのだろうか。
ゲームの世界に入ったようでワクワクが止まらない。
「ねぇねぇ、聞いた?」
「えっ、何々?」
久しぶりの早起きと仕事のない開放感からストレッチをして筋の伸ばしていると、大きな家がある方面から見た目が人間そっくりな魔物が歩いてきた。
分類的にはオークだろうか。それぞれ両手に洗濯物を入れた大きな籠を持っている。
「この前ね、隣に住んでる彼にね、告白されちゃったの」
「え!? 本当?」
町娘ならぬ町オーク、なんだかネーミングがしっくり来ない。見た目はどちらも古風ではあるものの水々しい肌が魅力的。声を掛けてデートにさそうかどうか迷うぐらいだ。
「それで、どうするの?」
「彼、給金が少ないのよねぇ」
二人は電車の中でよく耳にするような女子トークをしながら、川か井戸のある方へ向かって歩いている。どこの世界も男は世知辛かった。
「断っちゃおうかな」
「断っちゃいなよ」
魔王を心に直接攻撃されるが、まだ心は砕けちゃいない。まだ大丈夫。まだいける。だが、村オークの攻撃はまだ終わらない。とどめをさすべく次の行動に移った。
それは、ただ横を通り過ぎるだけだった。たったそれだけだが、風に乗って髪から石鹸のいい匂いが鼻をくすぐる。
「リア充め……」
罵るようにぼやくことしか出来なかった。どの世界でもダメなものはダメらしい。
あの子に声をかけ、ましてや告白する勇気は微塵もない。だが新しい土地、新しい世界で確実に主人公になれることが確定している。そう思うと全てが吹っ切れた。
「チキショー! もう知らーん! 俺は今日から主人公だ!」
夕日が沈む海、ではないが朝日の昇る麦畑に向かって高らかに宣言した。過ぎ去った町オークが魔王を見て変な人がいるから逃げよう、みたいな会話をしたのかも知れない。足早に去っていく二つの足音が聞こえた。
現実を見つめ直し現実逃避はやめよう。あれはどう考えても人間であり魔物じゃない。
街の中の一軒家が城と呼ばれていたり、そもそもなぜ町中に住んでいるのかスライムに問いたださねばならない、そう思った。
「どういうことだ、説明してくれ」
「これには少し訳がありまして……」
城に戻るなり問い詰める。しどろもどろな話し方で、体をクネクネと動かし言い訳をする。何か事情があるのかもしれない。だからといって納得するつもりはなかった。
「ほぉ、下らないことであれば腸を喰ってやろう」
気分が高揚し、魔王になりきってそれらしい台詞を話してみた。勿論それっぽい動きとそれっぽい雰囲気も出して。
すると体から湧き出るように、薄皮一枚ほどだが紫と黒いオーラが身を纏う。魔王になったと感じたことは無かったが、実際に魔法的な事が出来ると魔王になったのだなと実感出来た。
「実は、ですね……。前の魔王さまは大変争い事と働くのがお嫌いでして……」
言葉に詰まるスライムに「それで?」と、次の言葉を促す。。
「私が働いて養っていました」
魔王は口が大きく開いて閉じれない。置き手紙からして違和感を覚えていたが、まさかここまで情けないニートだとは思わなかった。
「ん、ちょと待て」
素朴な疑問がう浮かび上がる。
「その格好でどうやって働いたんだ?」
見た目はグミ状の明らかに人間ではなく魔物。魔王の場合は皮膚が一応肌色だし角も生えていない、街娘に見られても敵視されることはなかった。それ故スライムが人間に襲われない理由が分からない。
「それについてはこのように体を作りまして――」
説明と同時にとみるみる体の形が変わっていく。初めはつきたての餅のような形から、細長く腰の高さまで伸びる。
それから体の端を上へ上へと伸ばしてぱっと見なら人間。ただ少しでも見たのなら青く透き通った肌、ジェルを塗りたくったような全身。
「この格好で酒場で配膳の奉仕をされて貰ってました」
見た目は何処からどう見ても人間じゃない。それでも何故働けていたのかすぐに分かった。それは、胸だ。柔らかそうな、たわわに実った二つの山が素晴らしい。酒場なのだから、男の客がウェイターに求めるものなんて可愛さや、やららしさである。
ただでさえ柔らかいスライムが、料理を持って歩くごとにぷるんと揺れる様は、さぞ見ものだったのだろう。
なんとも信じがたい理由だろうが、働けていたという事実とスライムの姿から察するにそれしかない。酒場の店主と客も大概である。魔物と分かっていて雇っている。そうなるとこの世界での魔物の世界観が大体分かった。
危害を加えない魔物は人間と共存出来ている。
別に世界征服する必要がないような……と、思う魔王。
「魔王さま? まおーさまー?」
顔の少し下を見つめる魔王に、何か不具合でもあるのかと心配して魔王と読んでいた。。
「あっ」
「如何しましたか」
胸に夢中になっていた魔王は気付いてしまった。体を作り上げていく工程でなぜさっきの魔王が死んで、なぜスライムが不機嫌になったかを。
「旧魔王は出来損ないですまなかったっ」
突如本日二度目の土下座。一度目と違うのはベッドの上か下かの違いと、謝罪の意味があるかないかの違いがある。なので膝が痛い。
「魔王として尽くす、今後も変わらぬ忠誠を誓ってくれ」
「はいっ。私こそ魔王さまの下僕となって尽力させていただきます」
二つ返事を聞き、安堵の表情で顔を上げるとそこには女神のように眩しい顔があった。
「えー、では第一回魔王会議を始める」
お互いの置かれた状況と立場を理解し合い、どうすればいいか分かった魔王は今後の行動を決める会議を始まった。。
「今回の議題、それは世界征服をどう行うか。なにか提案は?」
魔王として最も重要なこと、世界征服。勿論魔王にも幾つか方法は思い浮かんでいたが、この世界の住人ならではの方法があるのではないか。そう思った魔王はスライムを交えて考えることにした。
「武力による世界征服など如何でしょう」
スライムがまず提案したのは力のみで世界を支配する方法。セオリー中のセオリー。響きもいいし実に簡単。でも勇者に殺されて全く進展しない気がした。
「却下、次」
「宗教など作ってはいかがでしょう、魔王教など」
次に出してきた提案は思想の支配、決して悪くない。ただ一般人だった魔王に教祖になるようなカリスマ性を持ち合わせているか不安だった。
「自信がない。もっといい案はないのか」
「申し訳ありません、私には……」
済まなそうな表情で謝まれる。前ニート魔王補佐のスライムに頼ってみたがこれといって碌な案が上がらない。仕方ないので魔王は普段使わない頭を必死に捻った。
大体アイディアというものは、日常の些細なところに転がっているものである。例えばスライムだと魔王を起こして火事炊事を行い、夜には酒場で配膳給仕。腹の空いた客に飯を届けて金を貰う。そういった日常から思いつく。
「――閃いた!」
指を鳴らして勢いよく座っていた玉座から立ち上がった。
「名案を思いついた、少し出かけてくる」
魔王は閃いた名案を確かめたくて、先ほど始めたばかりの会議に幕を下ろす。何が何やらといった表情のスライムを余所目に、急ぎ足で家屋が密集していたおそらく町の中心だろう方向へ向った。
「ここだ、ここ」
二階建てや三階建ての建物が集まっている中心地に向かうと、中央で催し物が出来できるほど広い場所に出た。その広間に面した建物は予想通り商店がズラリと並んでいる。その中でも冒険者に愛れているだろう目的の店、道具屋があった。
そもそもなぜそんなところに来たかというと、金でなら今の魔王でも世界征服出来るのではないかと思ったからだった。
「らっしゃい。新顔だな、見ていってくんな」
威勢のよい店主の挨拶。店の第一印象は悪くない。
「薬草関係を見せてもらえないか」
「うちは壁にある品書きを見てもらって、それで注文してもらってんだ」
「なるほど」と、店の中を観察する。
確かに壁へ掲げられた木の板に、商品名と効能・値段が記載されていた。それ以外には入り口からカウンターまで商品棚など一切なく、店長が陣取るカウンターの後ろにのみ在庫棚がある。
おそらくは冒険者崩れの強盗が多いか何かで、商品を触れる状態にしていると商売にならないのだろう。お陰で他に見るものもなく、早速説明商品を読み始めた。
【エリクサー。元気が出る、不味くはない。一万ゴールド】
具体的な回復量など分からないが、掲げらている板の中で最も高い値段を示している。飛び抜けて高いことから、高級品であることが分かる。
【ポーション。元気になる、リンゴ味。一〇〇〇ゴールド】
もしやこの店悪徳商店なのではなかろうか、という気にすらなる値段と商品説明。味がりんご味。ただのリンゴジュースではなかろうか、不安になる。
【上やくそう。傷が治る、不味くはない。五〇〇ゴールド】
ようやく求めていたものが見つかった。魔王が探していたのはこれである。これを他の町で高く売り払い差額を儲ける。交易なら元手次第でいくらでも増えるという算段。
そのためにあの城にある資金を安価で交易品となりそうな道具屋に来たのだった。
ただ、ここでも幾つか疑問がある。『傷が治る』とある。この説明は具体的な回復量だからまだいい。
問題がその後だった。『不味くはない』この一文がよくない。薬草といえばペースト状にして塗るもの、というイメージがある。
それが『不味い』、つまり食べるのだろうが即効性はないのではなかろうか。それに値段もおかしい。ゲームの世界では大体六ゴールド程度で売っていた記憶がある。
【やくそう。傷が治る、不味い。三〇〇ゴールド】
上薬草ではない普通の薬草があった。二〇〇ゴールド安いだけで味が『不味い』、効能は同じ表記なので味しか差がない。
「おっちゃんありがとう。決めたら買いに来る」
「おう、次は買ってってくんなー」
店長の声に見送られ道具屋を出る。
想像と違いすぎるこの世界で、本当に魔王としてやっていけるのだろうか。と不安になってきた魔王だった。
「おかえりまさいませ魔王さま」
「おう、戻った」
日も暮れ始め真っ暗な夜道を歩くすべがない魔王は、足早に道具屋から城に戻った。そして城の入り口を開けるとスライムが夕食を作っていた。
城に入り扉を閉めるといい匂いがする。釣られて調理しているスライムに近づく。鍋の底が焦げないように中を混ぜていた。中はドロドロ、それに白い。クリームシチューみたいなものだろうか、少し甘い匂いがしている。
「暗くないか?」
薄暗く竈の火が部屋の中を照らしていた。
「それが……」
スライムには言いづらいことなのか、所々声を濁しつつも何があったか教えてくれた。
それは、城にある金は一万ゴールドしかなく蝋燭もわずか。仕方ないので節約するために日が暮れる前より早く夕食を済ませている、ということ。
「分かった。少し待っててくれ」
「は、はい? お待ちしております」
要領を得ないスライムは戸惑った様子で、とりあえず返事をした。
魔王の秘策。それは異世界で主人公、それにゲームのような世界。その二つから導き出される誰もがやったであろう勇者よろしく民家のタンスや壺のを荒らす物色プレイである。 物語の主人公とは家の中を物色しても怒られない。それどころか目の前で物を奪っていっても咎められない。貴重なアイテムを手に入れることも多い。
積み重ねたゲームの経験は、学校で習うどの勉強よりはるかに役にたっていた。
「もしもーし、いませんか~?」
隣の家の扉ををノックする魔王。中に誰もいないのか反応がない。
そっと扉を開けて中を見渡した。人影が見えない。あるのはベッドやタンス、机など家具だけだった。
「お邪魔しますよ~」
小声で音を立てないように進入した。
まずは机の上にあった燭台に刺してまだ使っていない蝋燭をポケットに入れる。これで主要任務は一先ず完了した。
追加報酬としてお金がほしいのだが、ありそうな場所といえばタンスが二つとクローゼットがあるだけで、他は何もない。大体金が入っているのはタンスの上から二番目の角である。魔王がいつもそうしているからだ。
まずは一番奥のタンスから罠が仕掛けられていないか慎重に引き出しを開ける。
「ビンゴッ」
日用品が雑多に入った引き出しの隅にそれらしい袋があった。ズシリと感じる重さから金だと判断し、中身は確認せずさっさと退散しようと扉に向っった。
――ギィィッ
目の前にある扉が開きだす。ヤバイ、と一瞬心臓がびっくりしたが、主人公なのだから堂々としていれば問題ない。
魔王は気丈に構えた。
「我は魔王である」
開くと同時に主人公以外と間違われないよう自己紹介をする。
すると、変質者を見るような目で全身をじろりと睨む、いい具合に年齢を重ねたダンディな男性がいた。
「こ、この泥棒めッ。成敗してくれる!」
手に持っていた袋を指さし叫ばれた。
「まて、落ち着け」
この家の住人と思われるダンディーなおじさんは怒り狂い、手に持っていた鎌を振り上げる。その顔は鬼のような形相。
「我は魔王だぞ」
「魔王が盗みなんてするかっ」
どうやら魔王は主人公に含まれないらしい、まさかの盲点だった。この世界で初の戦闘が住人になるとは思いもしなかった。
だが、一村人に負けるほど魔王は弱くない。薄皮程度しか纏えない魔王オーラでも、それっぽい雰囲気を出して一喝すれば蜘蛛の子を散らすより容易い。
「許しを請えば命だけは助けてやろう」
迫真の演技。大地に轟き、空を駆け、海をも割る。それほどの演技で一般人を脅す。ただ脅した後から一般人相手にそこまで脅すのは流石に少し気が引ける。
「生きてここを出たいなら盗ったものを置いていけ」
振り上げていた鎌を握り直すダンディーな住人、お互い引く気はないようだ。
「ならば死ねいッ!」
高々一般人が魔王に勝てるはずがない。これも己の力量を見誤る住人が悪い。
そう思い魔王は渾身の力で殴りかかった。
――本日四度目の天井が顔を現した。