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悪魔の証明  作者: 群青
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プロローグ

【プロローグ】 


 ――その連絡は突然だった。


 プルルルルル……! プルルルルル……!


 明かりが消え、静寂に包まれた部屋の中に突如としてそのコール音が響き渡る。

 俺は手元の明かりのスイッチを入れて、サイドテーブルのライトを灯した。

 時計の時刻は深夜一時。

(誰だ? こんな夜中に……)

 そう思いながら俺はけたたましく鳴り響くスマホを手に取り、画面を確認した。

 『黒崎美代子(くろさきみよこ)

 電話の主は、どうやらお袋からだ。

「ん~……アキ、どうしたの?」

 隣で眠っていた恋人の『奈々』が目を覚まし、眠たそうに目を擦りながらそう言った。

「お袋から電話。何だろう、こんな時間に」

 そう言いながらも内心、俺は言い知れぬ不安感に襲われた。

 こんな時間に掛けてくるなんて尋常じゃない。

 そう思いながら、俺は通話ボタンを押した。

「お袋? どうしたの、こんな時間に」

 電話口から聞こえたお袋の声は、どこか震えていて、泣いているようにも思えた。

 その直後、俺はお袋から衝撃的な知らせを受ける。

『――雪希(ゆき)が……、お姉ちゃんが死んだの』

 それはまるで青天の霹靂。俺の心臓は鷲掴みされた様に途端に苦しくなって、呼吸が荒くなった。

 それからのお袋の話は、あまりハッキリとは覚えていない。というより、頭に入らなかった。

 ただ、姉ちゃんが死んだということだけが、ハッキリと脳に刻まれた。

「分かった、すぐ帰るよ」

 そう言って通話を切った。

「お義母さん、何だって?」

 奈々がそう言った気がするけど、今の俺には全ての音が遠く聞こえる。あらゆる音は鼓膜を素通りし、意識がふわふわとして、まるでこの地球から重力がなくなってしまった様だ。

「アキ?」

 ふと左腕に暖かい感覚を覚え、遠退く意識が引きずり戻される。目をやると、奈々が俺の腕を掴んで心配そうな顔で見上げていた。

「――姉ちゃんが、死んだ」

 無理矢理発した声はかすれ、まるで喉が潰されたように張り付いて上手く声を出せなかった。

「え……?」

 俺はもう一度、潰された喉に鞭打って言葉を発した。

「姉ちゃんが死んだんだ。首を吊ったって……」

「うそ!?」

 そう言って奈々は勢いよく立ち上がると、俺の首に両腕を回して俺を抱き締めた。

 反動で俺の手からは「ゴトッ」とスマホが鈍い音を立てて落下した。

「アキ、大丈夫だよ。すぐに帰ろう」

 そう言いながら、奈々は優しく俺の頭を撫でた。

 奈々の長い髪からはシャンプーの良い香りが漂い、俺の鼻を霞める。それが逆に現実であることの証明となって俺の心を締め付けた。途端に俺の瞳からは、涙が溢れた。

 全身から力が抜けて、その場に座り込んだ俺は、もはや自分の気持ちをコントロール出来ないでいた。

 俺の意に反して溢れる涙。喉からは嗚咽が漏れ、肺が痙攣した様に呼吸が苦しい。

「辛いね……アキ」

 奈々の声だけが妙にハッキリと聞こえ、なだめるその声にどこか安心感を覚えていた。

 奈々の腕の中で、まるで子供の様にわんわんとひとしきり泣いた。

 しばらくして落ち着きを取り戻した俺は、

「ごめん、もう大丈夫……」

 そう言って、頬を伝う涙を服の袖口で拭うと、俺はすぐに着替えを始めた。

「今から実家に帰るよ。悪いけど、奈々はここに居てくれ」

「え、何で!? 私も一緒に行くよ!」

 奈々はそう言ったが、俺はどうしても一緒に連れていく気にはなれなかった。

 奈々は俺の姉ちゃんとは仲が良く、はたから見ると二人は本当の姉妹の様だった。

 姉ちゃんと話してる時の奈々はいつだって目を輝かせて、もしかしたら憧れていたのかもしれない。

 そんな奈々に、自ら命を絶った姉ちゃんの姿は見せたくなかった。

「いや、もう遅いし明日は朝から講義だろ? 奈々は寝てなよ」

 俺は適当な理由を付けた。

「こんな時にじっと寝てなんていられないよ。車で行くんでしょ? 私が運転するから」

 先程の取り乱した俺を心配しているのか、奈々は自分がハンドルを握ると言い出した。

 だけど心配には及ばない。奈々のお陰で気持ちは大分落ち着いたし、眠気も吹き飛んで現実と向き合う覚悟が出来た。

 俺は男なんだ、しっかりしなくては。

「ありがとう。だけど大丈夫だよ」

 そう言って素早く着替えを済ませ、財布と車のキー、スマホを引っ付かんで玄関へと足早に向かった。

「戸締まりだけ頼むよ。落ち着いたら連絡する」

 そう言うと、俺は奈々を一人残して家を後にした。


 外は今にも雪が降りそうなくらい寒く、暖房の効かない車内でハンドルを握る俺の手は悴んでいる。

 車の時計で時刻は確認すると、既に深夜の一時半を回ったところだ。

(さすがにこの時間だと道も空いてるな。飛ばせば一時間位いか……)

 中古で買った軽自動車のアクセルを踏み込み、等間隔に並べられたいくつもの街頭を見過ごしながら、俺はお袋との電話の内容を思い出していた。


『雪希が……お姉ちゃんが死んだの』

『え……? 何言ってんだよ……死んだって、何で……?』

『夕方、買い物から戻ったらお風呂場のドアが開いてて……覗いてみたら、そこで雪希が首を吊ってたの』

『まさか……!? 姉ちゃんが……何かの間違いだろ?』

『でも息をしてなかった……救急車が来て病院に運ばれたけど、ダメだったの』


 その後、お袋は電話口でただ泣きじゃくるばかりだった。

 「今から帰る」と言った俺の言葉も、聞こえていなかったかもしれない。

 ただただ聞こえるお袋の嗚咽としゃくり上げる声に、俺は胸が張り裂けそうだった。

 薄暗く人気の無い道路。通い慣れた実家への道。普段は何てことないその道が、この日は妙に気味が悪かった。

 静寂に包まれた道路に佇む街頭は頼りない。何となくバックミラーで背後を確認すると、まるで真っ暗な暗黒が俺の車を追いかけてくるように思えて、俺は更にアクセルを強く踏み込んだ。


 程なくして車は実家に到着。俺は時刻を確認した。 

 深夜二時ちょい過ぎ。普段なら(もっとも、こんな深夜に実家に帰ってくることは一度もなかったが)一時間以上掛かる道のりを僅か四十分程度に短縮していた。

 大きな石造りの門には『黒崎』の表札が掲げられ、その奥には二階建ての現代的な家屋が見える。

 大学に入学するまでの十八年間を過ごした場所だ。

 俺は眼前の大きな門を潜り、玄関へと向かって歩く。

(こんな気分で帰ってくるなんてな……)

 砂利に敷かれた飛び石をゆっくりと踏みしめながら、俺はそう思っていた。 

 

 玄関を入ると、家の中はしんっと静まり返って不気味に思えた。

 二階へ続く階段やリビングへと続く廊下の電気は消され、俺は真っ暗闇に出迎えられた。

 しかし暗闇の奥、リビングには明かりが付いていて、どうやらお袋たちはリビングにいるようだ。

 俺は靴を脱ぐと、一直線にリビングを目指した。

 扉を開けた俺の目に飛び込んだのは、ソファに腰かける親父の姿だ。

 手にはロックグラスが握られ、まだ半分ほどウイスキーが入っている。

 いつも大きかった背中が、この時ばかりは小さく思えた。

「親父、帰ったよ」

朱希人(あきひと)か……早かったな」

 親父はグラスを見つめたままそう言った。

 スーツ姿のところを見ると、職場から戻ってそのままなのだろう。

「お袋は?」

 すると親父は、親指を突き立てて静かに背後を指差した。

 そこは五畳の和室で、六年程前まで母方の祖母が使っていたが、今は仏壇が置かれているだけだった。

 その部屋にお袋と姉ちゃんは居た。

 布団に横たわる姉ちゃん。肌には赤みがなく、見たことのない青白さが俺の背筋をゾッとさせた。

 傍らには、正座の姿勢で姉ちゃんを見つめるお袋。

 仏壇の蝋燭の灯りだけがゆらゆら揺れて、まるで二人の時だけが止まったかのような光景だ。

 いや、少なくとも姉ちゃんの時だけは完全に止まってしまったのだ。

 俺はお袋の隣に座って声を掛けた。

「お袋。今、帰ったよ」

「……」

 お袋は俺の呼び掛けには答えず、ただ姉ちゃんを見つめている。

 その時、リビングにスーツ姿の男が入ってきた。

「朱希人君! 帰って来てたんだね」

 男は俺にそう言った。

「清治さん!」

 彼は『深堀清治(ふかぼりせいじ)』と言って、姉ちゃんの婚約者だ。

「清治さんも来てくれたんだ。いつからここに?」

「夕方に連絡をもらって、それからずっと雪希に付いてるんだ。お義母さんの事も心配だしね」

 彼はそう言いながら俺達とは反対側に腰かけると、ちらっとお袋の様子を伺った。

 お袋は相変わらず身動ぎせず、じっと姉ちゃんを見つめている。

 時折、リビングからは親父がウイスキーを注ぐ「コポコポッ」という音が聞こえ、親父もお袋も、姉ちゃんの思い出に浸っているように思えた。

 そんな雰囲気の中、俺はふと違和感を覚えた。

 それは清治さんの服装だ。といっても彼のスーツ姿がおかしいのではなく、そのスーツの状態がおかしいのだ。

 ズボンは普通、膝裏にシワが着くものだが、彼のズボンは何故か膝下全体に大小のシワが着いているし、腰のベルト通しにはベルトが無い。更にネクタイはワイシャツの中に仕舞われているし、袖口も肘まで捲られている。

「清治さん、何してたの? ズボンしわしわじゃん」

 俺は清治さんのズボンを指差した。

「え? あぁ、浴室を見せてもらってたんだ」

「浴室? なんで?」

「雪希が亡くなった時の状況を知りたくてさ。職業病かな」

 そう言って清治さんは、少し気まずそうに眉を潜めた。

 自分の居ない時間、自分の居ない場所で大切な婚約者が自殺したとなれば、状況を細部まで知りたくなるのは当然だ。

 しかし彼が言っているのはそんな事じゃない。

 彼は浴室に入る為に背広を脱いでズボンの裾を膝下まで捲し上げ、浴室を細部まで調べる為に袖口を捲ってネクタイをワイシャツに仕舞いこんだ。

 更にはベルトを、姉ちゃんが首を吊るのに使った紐か何かに見立てて実際にぶら下がってみたのかもしれない。

 真実を探求する「探偵」という仕事柄なのだろう。

 彼の言う「職業病」とはそういうことだ。

「職業病か、清治さんらしいね」

 別に誉めたつもりじゃない。ただ、婚約者が死んだというのに、少し不謹慎な気がしただけだ。

 もちろん「婚約者が死んだのだから大人しく喪に服せ」なんて言うつもりはないが、何もこんな時に仕事柄を出してくる必要はないだろう。と俺は思った。

 そんな俺の心境を悟ったのか、清治さんは言った。

「すまない、こんな時に不謹慎だね。ただ、どうして雪希が自殺なんてしたのか知りたかったんだ」

 そうだ、俺は姉ちゃんがなぜ自殺したのか理由を知らない。

 帰ってくる道中では、なぜ結婚を控えていたのに自殺したのか、何か悩みがあったのか、とにかくあらゆる疑問が沸き上がっていたのに、いざ姉ちゃんを前にしたら、ただただ悲しみで一杯になって、そんな疑問など何処かへ消えてしまっていた。

「そうだ、姉ちゃんはどうして自殺なんか……」

「僕も理由に心当たりがないし、何か分かれば少しでも雪希が報われると思ったんだけど」

 そう言った清治さんの様子から、恐らく何も検討が付かなかったことは明らかだ。

 そこで俺は、お袋なら何か知っているんじゃないかと思った。

「お袋、姉ちゃん何か悩んでた? なんで自殺なんて……」

 そう言い掛けた時だった。

「やめろっ!」

 突然、大きな声が響き渡り、同時に「バリンッ!」というガラスの割れる音がした。

 声の主は親父だった。

「親父……?」

 想像もしていなかった親父の言動に面食らった俺達は、呆然として言葉が出てこなかった。

 普段は口数が少なく、怒鳴るどころか笑った顔さえ見た記憶がない。

 それほど感情を表に出さない親父が突然、怒鳴ってウイスキーグラスを壁に叩きつけた。

 親父は肩で息をして、かなりの興奮状態だった。

「もう止めないかっ……! 雪希は死んだんだ。今さら探ったところで、やり直せはしない」

 そう言うと親父はリビングを出ていった。

 俺と清治さんはただ呆然とし、まるで蛇に睨まれた蛙の様に全身が硬直してその場から動くことが出来なかった。

 突如襲った嵐は急速に通りすぎ、割られたグラスや飛び散った破片が爪痕として残された。

 背後ではお袋のすすり泣く声が聞こえ、蝋燭の灯りがゆらゆらと俺達の影を揺らした。


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