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6.六日目

「瑠夏はどこに行ったのかしらね」

 お母さんの声がする。心なしか、とても沈んだ声に聞こえる。私はここにいるのに、何を言ってるんだろう。

「……捜索願、出すか」

 お父さんも何を言ってるの? 私、ちゃんといるじゃない。

「誰かと駆け落ち……何てこともないか」

「駆け落ちも何も、うちの誰かがお付き合いを反対なんて、するわけないのに?」

「ほら、相手の家が、とかさ」

「そもそも、あの子付き合ってる人いた? それに、アパートの荷物、全部そのままだったじゃないの」

 お兄ちゃんもお姉ちゃんも、何言ってるの? 駆け落ちなんて……カイルがそんなことするわけ、ないじゃない。だって違うんだから。

 だって、カイルは、私が……だから助けてくれているだけで。だから、違うもの。だから、違う。

 ──なら、私はどう?

 誰?

 私なら、君が君であるだけで良いよ。


 がばっと起き上がり、きょろきょろと周りを見回し、最後にはあっと大きく息を吐いた。なんだろう、すごく恐ろしい夢を見た気がする。じっとりと汗をかいていて、心臓が早鐘を打つようにドキドキとしていて……窓を見れば鎧戸の向こう側は暗く、まだ日が昇ってはいないのだとわかる。

 もう一度寝ようかと思ったけれど、汗が気持ち悪いし、目も冴えてしまった。このまま起きることにして、ナイアラとイリヴァーラを起こさないようにそっとベッドを抜け出し、細く窓の鎧戸を開けてみる。

 空を見れば、ちょうど東の空が白み始めたところだった。早朝のひんやりとした空気が顔に当たって気持ちいい。

 ちょっとお水を貰ってこようと、上着とブーツだけを身につけて、そっと部屋を抜け出した。


 宿の中庭には、客がいつでも使える小さな井戸がひとつある。水差しを持ってそこへ向かい、水を汲みながら、まだこの世界に来て6日目なのに、ずいぶん慣れてしまったんだなと考える。最初はちょっとした道具の使い方すらもよくわからなかったのに、とりあえず、この宿にあるものならなんでも使えるようになってしまったし、着替えだってイリヴァーラの手伝いがなくても早く済ませられるようになった。

 ……でも、それももうすぐおしまいだ。蝕を無事に凌げば家に帰れるんだから、と考えて、なんとなく心臓のあたりが痛んだ気がした。

 イリヴァーラはお姉ちゃんみたいにあれこれと心配してくれて、ナイアラとは仲良しの友達みたいにいろいろな話をできるようになって、ヘスカンはなんだか頼れるお父さんみたいだと思うし、カイルは……どうなんだろう。

 こんな、歳も上で、彼氏いない歴年齢の、変に拗らせてる自分なんかめんどくさいだけだろう。いや、そもそもそれ以前なのに、私は何を期待してるんだ。

 それに、蝕が終わっていろいろカタがついたら、そこでこんな状況もおしまいだ。私は皆から離れ、家に戻れるまでここでひとり、どうにか生活する方法を探さなきゃならない。さすがにそこまで面倒を見て欲しいなんて、図々しすぎると思う。


「ルカ、ずいぶん早いけど、どうしたの」

 声を掛けられて振り向くと、カイルだった。

「カイルこそ、こんなに早くどうしたの」

「僕はいつもこのくらいには起きているよ。祈りの時間もあるしね」

「あ、そうか。私はなんだか目が覚めちゃったから」

 カイルもヘスカンも、そういえばいつも夜明けの頃に祈りの時間を作っているんだっけ、と思い出す。

「……ちゃんと寝られているのかい?」

「うん、ちょっと夢見は悪いんだけど、ちゃんと寝てる」

「それならいいんだけど……あまり顔色が良くないから、あとでヘスカンに診てもらったほうがいい」

 なんだか怠いと感じていたのは、気のせいじゃなかったのか。

「今日は、出かけなきゃいけない用事もないし、イリヴァーラとヘスカンの図書館通いを待つだけだろう。宿でゆっくりしよう」

 こくんと頷いて、水差しを手に、また部屋へと戻った。


 今日はとても穏やかに晴れた日で、ここに来てからあまり季節を気にしたことはなかったのだけど、今は夏に向かうとても気候のいい時期なのだそうだ。

 どことなく怠いのも、顔色が冴えないのも、疲れてるからだろうというのがヘスカンの見立てだった。蝕が近いことも影響しているのかもしれないと。だから、今日は1日宿でゆっくりするようにと厳命されてしまった。

 まあ、そんな日が1日くらいあってもいいかもしれないと、カイルからこのあたりのことを聞きながら、食堂でのんびりとお茶を飲んでいる。

 そこへふと何か感じて、私は周りを見回した。

「どうした?」

「なんだか、見られてる気がしたの。カイルと一緒にいるからかな?」

 私の言葉にカイルもあたりを見回す。

「気になるものはないけど……嫌な感じだね」

 少しだけ怪訝そうに眉を顰めるカイルに、私は「たぶん私の気のせいだよ」と笑う。

「きっと、カイルみたいなきれいな天人といる地味な女は誰だって、誰かの気になっただけだって」

「……ルカは、自分の価値をわかっていないね」

 むくれたような顔でカイルが言う。私の価値なんて言うほど、そんなたいしたものなんかないのにと、首を傾げ、ああ、“神託の乙女”だからか、と納得する。

「そんなことはないよ。大丈夫、わかってるから」

 また笑う私に、カイルは「本当にわかってるのかな」と困ったように眉尻を下げた。大丈夫、ちゃんとわかってる。


「それにしても、外に出ないと結構手持ち無沙汰だね」

「確かにね」

 頬杖をつく私に、カイルが苦笑する。本の1冊でも読めれば違うのだけど、あいにく、私にこちらの文字は読めない。携帯ゲーム機とかがあればなあ、と考える。

「カイルは、こういう時っていつもどうしているの?」

「……だいたいは、教会にいることが多いかな」

「教会?」

「そう。教会の仕事を手伝ったり、鍛錬に参加したり、信徒の方々と話をしたり……だいたいそんなところだ」

 なるほど、カイルはやっぱり聖職者なんだ、と改めて思う。日本では、私の近くにこんな風に真摯に宗教を信仰する人はいなかったから、信仰ってどんなものなんだろうと思う。神が実在するこの世界と日本じゃ違うのかもしれないけど。

「日本じゃ、いろんな神様をごたまぜに拝んでたからなあ」

「こちらでも、教会の人間や熱心な信者以外は、そんなものだよ。皆、現在の自分に都合のいい神に祈るしね」

「そうなの?」

「そう。勝負に勝ちたいときは幸運の神に祈るし、旅に出るときは旅の神に祈るし、だいたいそんなものさ」

 ああ、実際にご利益が降りてくるなら、逆にそうなのかもしれない。

「カイルは、どうして正義と騎士の神の聖騎士になったの?」

「どうしてと言われても……」

 カイルはうーんと考え込む。

「僕の父は十天国界(パラディーゾ)で正義と騎士の神に仕える天使だし、母は教会の司祭だったし、なんというか、聖騎士になることは必然だったんだ」

「必然」

「そう。それ以外には考えられないっていうか、とても自然なことだったんだ」

 そうか、とどこかで納得する。カイルはそのために生まれてきたんだ、と。

「……そういう風に、自分を心から捧げられるものがあるのって、いいね」

「そう、なのかな?」

「うん、そう思う。ちょっと羨ましいな」

 これまで私にそんなものがあっただろうか。考えて、何にも思いつかないことに気づき、つい笑ってしまう。

「私、カイルたちみたいに、何かをすごく一生懸命やったことって、なかったみたい」

「今頑張ってるじゃないか」

 微笑んで即答するカイルに、一瞬目を瞠る。

「でも、神託のことも言葉のことも、何もかもおんぶに抱っこだし、私だけじゃ何もできないのに」

「そんなことはないよ。神託は、あれは僕が受けたものだから、僕たちがどうにかするのは当然だ。言葉は、今の問題が落ち着いてから、ゆっくり学べばいいことだ」

「そう、なのかな」

「そうだよ」

 カイルは私の頭をぽんぽんと叩く。これも、なんだかいつものことのようになってしまった。最初は自分が子供扱いされてるような気がして抵抗があったけれど、いつの間にかそうでもなくなってしまった。

 考えてみれば、ひとりひとり、自分のやるべきことやできることを弁えていて、急な出来事にも落ち着いて対処できる彼らからすれば、私なんて本当に幼く思えるんだろう。

「それに、皆、ルカのことを気に入ってる」

「そう、なのかな」

 “気に入ってる”か、と、カイルもそうなのかなと思いながら、やっぱり訊けずに、あは、と笑う。そこへ、「ただいまあ!」という元気な声が割って入った。

「ナイアラ、おかえり」

「お腹すいたあ。お昼食べちゃった?」

「まだだよ」

「じゃあ、一緒に食べよう!」

 さっそく同じテーブルに座ると、ナイアラは手をぶんぶんと振って「今日のお昼は何ー?」と大声で給仕のお姉さんに尋ねていた。


「それでねえ、今日聞いた話だとお、なんだかあんまり本拠に変化がないみたいなのよお」

「変化がないって?」

「んー、なんていうかねえ、特別なイベントが来る割に、あんまりそれっぽい動きがないんだってえ」

 ふむ、とカイルも眉根を寄せて考え込む。

「今夜あたり、詩人くんにもういっかい聞いてみようかなあって思ってるの」

 カイルがちょっと嫌そうな顔になったけど、でもナイアラの判断は正しいだろう。彼ならもっと細かい情報を得ている可能性は高い。

「専用の場所を、他に作っているのかもしれない。条件に合うような場所を」

「その可能性は高そうだよねえ」

「なら、イリヴァーラとヘスカンが調べ上げてくるんじゃないか?」

 うん、そうだねとナイアラも同意する。

「カイルはふたりが帰ってくるの、待っててねえ。あたしはもうちょっと聞いてくるからあ。ルカちゃんも、カイル見張っててねえ」

 お昼を食べ終わると、ナイアラは「じゃ、あとでねえ」と、また慌ただしく出て行ってしまった。見張ってるって、何をだろう。カイルも難しい顔で考え込んでしまったままだ。

「本拠を、調べなきゃいけないかもしれない」

 カイルは急にぼそりと呟いた。

「本拠を?」

「ヘスカンたちの調査の結果次第だけど、そこで有用な情報がなかったら、本拠を叩いて調べるしかないかもしれない」

 確かに、本拠になら儀式のこととか場所のこととか、もっと詳しい情報があるかもしれない、けれど。

「でも、危険じゃないの?」

「危険は承知だけど、必要ならやらなきゃならない」

 やっぱり、と思う。

「じゃあ、そうなったら、私は教会で待ってればいいのかな」

「……君も、いや、そこはちゃんと相談して決めよう。そうは言っても、まだ行くと決まったわけじゃないし、ナイアラかヘスカンたちがきっちり調べ上げてくるかもしれないんだ。どっちにしろ、今夜の結果しだいだよ」

「確かに、そうだね」

 私は笑って頷く。「まだわからないことを心配してもしょうがないしね」と。カイルも安心したように、「今夜、皆が揃ってからだ」と笑った。


「詩人くんにも聞いてみたんだけどお、本拠以外の特別な催し(スペシャルイベント)の場所までは抑えてないんだってえ」

 夜、部屋に集まって話を始めて、ナイアラが開口一番そう言った。

「基本的にい、詩人くんと詩人くんのご主人様に影響ないとこは外してるからってえ。そういうのは、お友達の魔術師さんのほうが詳しいんだってさあ」

「なるほどね」

 イリヴァーラとヘスカンは目を見合わせた。

「我々の方では、過去、カルトが根城にしていた場所の記録や、そういった儀式が行われた場所の記録を調べてみた。都の近くにはいくつかあるというのはわかったが、どれというのを絞りきるところまではいってない」

「さすがに、向こうもそうそう掴まれては困ると思っているんでしょうね。だから、明日、もう一度変人魔術師を訪ねてみようと思ってるの。例の本に儀式の条件について書いてあれば、場所を絞るキーにできるわ」

 それから、イリヴァーラはじっと考える。

「……確かに、本気で本拠を探りに行くことを、考えたほうがいいかもしれないわね。ナイアラには、明日、可能かどうか、情報を集めてもらいましょう。カイルは準備をお願い」

「その間、ルカは」

「連れて行けばいいじゃない」

 カイルが私の名前を出すと、イリヴァーラは実にあっけらかんと言ってのけた。ヘスカンも横で頷いている。

「でも、私、足手纏いに……」

「ルカのひとりくらい、きっちり守れなくてどうするの。ねえカイル?」

「あ、ああ」

 戸惑い顔のカイルに、私も少し慌ててしまった。彼はきっと、教会にでも私を預けて行くつもりだったんだろう。

「でも、私が付いてったら、負担に」

「私、ルカを連れて行かないと安心できないの」

「え」

 イリヴァーラはキッと睨むように私を見る。

「別に、教会を信用してないわけじゃないけどね、でも、私が、ちゃんと手元で守りたいのよ。

 ──ちがう? カイル」

「も、もちろん、僕もだ」

 慌てて応じるカイルに、これはまさか売り言葉に買い言葉なんじゃ、とも思ってしまう。

「だからあ、カイルはあ、明日ルカちゃんの装備も整えとくのよお? 守り厚めにねえ?」

「わかった」


 今日1日、のんびり終わるかと思ったけれど、最後の最後に来たなあと思う。まさか皆と一緒に本拠に乗り込むかもしれないなんて。

 ……本当に、皆がいいって言うからって、私も付いて行っていいのだろうか、なんてことを考えながらベッドに潜ったとたん、たちまち睡魔に襲われて私は眠りについた。


 いちめん白い世界に佇むカイル。そこだけが光に照らされているように見える。さすが天上の血を引く者。

「僕が、神から命じられたんだ、ルカを守れってね」

 うん、わかってる。わかってるよカイル。

「彼女は“神託の乙女”だから」

 うん、そうだよね。それもわかってる。

「悪魔王の思う通りにはさせない。僕が神から彼女を託されたのだから」

 あなたが私を大事に扱ってくれるのも、私をそばに置いてくれるのも、全部それが理由なのはわかっている。

 きらきら輝いてて、何よりも綺麗で、握った手が頼もしくて、嬉しくて、でも、それはもうすぐ終わる。わかってる。蝕が過ぎればそれはおしまいなの、わかってる。大丈夫。

 ──本当に、それでいいのか?

 だって、しかたないから。

 ──しかたないで、諦められるのか?

 だって、カイルの気持ちはカイルのものだから、私が思い通りにできるものじゃないから。

「なら、私のところにおいで。こんなに苦しそうな顔をして、かわいそうに」


 ぱちりと目を開けると、薄い闇の中に、そのひとは立っていた。

 慌てて周りを見ても、イリヴァーラもナイアラも起きてはいなくて……。

「夢?」

「そう、夢。だから、お前の思う通りを口に出し、行動に出しても、誰も咎めたりはしない」

 そのひとの姿は、ひとことで言って、“悪魔”だった。カイルが天上から降りた者なら、彼は地の底から現れた者。

 ──艶やかな皮の翼に磨いた黒曜石のような黒い角。燃えるように赤い皮膚とところどころ身体を覆う小さな鱗。そして爛々と輝きを放つ、どこか禍々しい金の目……“悪魔混じり”とはまるで比べ物にならない、穢れを凝縮したかのような“悪魔らしさ”を持っていた。

 カイルが清浄な空気を纏う天上のものの美しさで魅了するものだとしたら、彼は、自分が堕とされるとわかっていても抗うことができずに引き寄せられてしまう、誘蛾灯のような不浄なものの美しさと魅力を持つ生き物だった。


 彼の甘言に誘われてはいけないとわかっているのに、耳を傾けずにはいられない。


「神の命がなければ、あの聖騎士はお前を歯牙にも掛けないのだ……わかるね?」

 甘く、耳に心地よく蕩けるような声で彼は囁く。けれど、その囁きの内容に私は耳を覆いたくなる。

「そんな……」

「そんなことはないと思いたいのだろう? わかるよ、彼を信じたいというお前の細い希望と、そうありたいという理想……けれど残念なことに、お前は彼のお荷物だ。お前が自覚しているようにね? 戦うことも、抗うことも、守ることもできず一方的に庇護されるのみだというのに、どうして役に立てると思えるのか」

 弱々しく首を振りながら、私は彼を見上げる。彼はゆっくりとこちらへ近づき、優しく私の頭を撫でて……。

「かわいそうに。けれど、私に委ねてくれればお前の望みは叶う。お前は、お前自身の力で彼の助けとなることができるようになるんだよ」

 私の頭を抱き寄せる。

「どうだい? たとえ彼に愛されなくても、彼の役に立ちたい。そう思っているのだろう?」

 耳元で囁かれる声は甘く、優しく、心に染み入るようで。

 彼の目と私の目が合った。赤い大地で燃え上がる炎のような金色の目は、優しく笑みを湛えて、私を覗き込む。

「私と一緒においで。望みを叶えてあげる」


 ──そして、その夜、ルカは姿を消した。


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