0.神託
突然の神託だった。
地底から湧き上がる漆黒の闇と吹き上がる炎。まさに九層地獄界で燃え盛る地獄の業火そのものだ。
闇と炎はゆっくりと、しかし確実に世界を焼き尽くそうと広がっていく。森も山も村も町も炎に呑み込まれ、その後に広がるのは、九層地獄界をそのまま持ち込んだような荒れ果てた光景のみだった。
大悪魔率いる悪魔たちが闊歩する、あの九層地獄界の光景だ。
その恐ろしい光景に汗が噴き出て、心臓が何かに握り締められたかのように苦しくなる。
空を見上げれば、輝いているはずの月がふたつともがじりじりと影に覆われ、欠けていくところだった。
……神は、いったい自分に何を知らせようとしているのか。
そう考えたとたん、業火の中から何かが現れた。
地の底から生えた、闇が凝縮したかのような漆黒の影が踠き出て、何かを探すように腕を伸ばす。その先には……。
──あれを、絶対に取られてはいけない。
突然湧き上がった強い感情に周囲を見やれば、微かな光が輪を作り、辛うじて炎を退けている場所があった。
その輪の中にあるもの。
光に包まれた何か。
あれを取られてしまったら……という焦りが衝動になる。
「──神よ! しかと承りました!」
すらりと輝きを放つ剣を抜き、カイルは背の白い翼を広げた。力強く剣を振り下ろして業火を切り開き、翼をはためかせて光の輪へと降り立つ。そうやって、光の輪を探し当てようとする影の腕を切り捨てて……。
とたんに。炎も闇も影も、瞬く間に地面に吸い込まれ、消え失せた。
後に残されたのは、先ほどまで見ていたいつもと何の変わりもない辺境の風景と……、
「女の子?」
腕の中に眠る、女の子だった。
* * *
「で、それが、その“神託”とともに現れた女の子なの?」
黒妖精のイリヴァーラに尋ねられて、カイル……天人と呼ばれる種族の聖騎士はこくりと頷いた。
「僕が神に任された」
そう言ってしっかりと女の子を抱えて離そうとしない彼に、イリヴァーラは呆れた顔になる。
「だから抱えっぱなしなのお? その理屈はどうかと思うよお」
横から猫人のナイアラがカイルと女の子を交互に覗き込んで、なんだかただの変質者みたいだよお? と付け足した。
「少なくともさあ、この女の子の意見も聞いてみたほうがいいと思うんだあ」
「神に、任されたんだぞ」
むっとして睨みつけるカイルの視線を平然と受け流して、ナイアラはつんつんと女の子の顔をつつく。
「うわ、ぷにぷにでかわいいー! てかさあ、カイルの気のせいかもしれないじゃん? 目が覚めた途端、“きゃーひとさらいー!”って叫ばれるかもしれないしねえ」
「ナイアラの言うことも、一理ある」
目を細めて笑うナイアラに、竜人のヘスカンが重々しく頷くと、イリヴァーラは小さく息を吐いた。
「ヘスカンもそう言ってるのだから、きちんと確認したほうがいいわ。カイルが騙されてる可能性だってあるんだから」
イリヴァーラとヘスカンの言葉に眉を顰めながらも、あからさまに納得がいかないという表情で、不承不承カイルは頷いた。
「調べるにしても何にしても、いちど、“深淵の都”までは戻ったほうがいいかもしれない。あそこには、知識と魔術の神の教会と、教会の図書館もある」
「そうね。ヘスカンがいれば、図書館も問題なく使えるし」
ヘスカンは知識と魔術の神の神官でもあるのだ。彼がいれば、部外者には許可されていない蔵書の閲覧もできるだろう。
これが神託なのかは教会で調べればすぐに判明するし、あの光景が何を意味しているのか、調べることもできるだろう。
「……わかった、じゃあ、一度都に戻って今回のことをきっちりと調べる。この子のことも、それからどうするかを決める。これでいいだろう?」
目を眇めて渋々カイルがそう述べた……ところで、「んん?」と小さく声が上がった。
──カイルの腕の中で、急にもぞもぞと身体を動かし始めた人物が、今にも目を覚まそうとしていた。