オマエって呼びたい
「オマエって云わないで」の高地目線です。
気が付いたら好きだった。
好きだって気が付く前に、河野を見てるとモヤモヤして、動悸がして、苛々してた。
他の男に笑顔を安売りしてんじゃねえよ。
誰彼かまわず気安くペタペタ触んな。オマエが今べったり掌くっつけてんのはただの腹筋じゃなく、森先輩の腹だ。
簡単にオマエに触らせんな。『あたし色気より食い気なんでー』って云っても、女は女なんだよ。ハンバーガー一個奢られたくらいで森先輩に懐いて、頭撫でられてにこにこしてんじゃねえ。
そう思っていたのを全てそのまま伝えた訳ではなく、もっとひねくれた意地の悪い物言いであった事は確かだ。
『オマエ、欲求不満なの? そうやって男の体触るとかよく平気で出来るな』
『ハンバーガー一個で落ちるとか、やっすい女だな』――等々、面と向かって吐いた毒は数知れず。
こんな風に、自分でも戸惑いながら河野に対してよくない態度を取り続けていたら、最初のうちは傷付いた顔をしていた河野がそのうち俺に反撃してくるようになって、それがやけに嬉しかったからわざと煽るような事ばかりしていた。河野のリアクションや会話を、楽しんでさえ、いた。
自分で気付く前に、先輩――特に、女子の先輩たちにはとっくに俺の気持ちはバレていたらしい。
『高地、そんなんじゃ、うまくいくものもいかなくなるよ』
女子の先輩に窘められた事は、一度や二度じゃない。
自分でも子供過ぎると頭を抱えたくなるけれど、今更他の女子にしてるのと同じようにアイツに接するなんて、無理だ。
一年でレギュラーをもぎ取ったからには、補欠に回った先輩方に納得してもらえるようなプレーをしなくちゃいけない。誰かにそう云われた訳ではなく、勝手にそう思って自身に技術向上を課していた。朝は毎日自宅周りで走り込みをして、時おりシュートに特化した自主練をする日々。
その日もシュート練をしようと思って朝の自主練タイムに体育館へ行き、そこで河野を見た。シュートがちっとも決まらずに、腐っているのが傍から見ても分かる。少し突けばいつもと同じように刺々しい言葉を口にしてきたが、その口調はしゅんとしていて覇気がない。そんな元気のないオマエなんてらしくないんだよ、と思っていたら、柄にもなくシュート練の手助けを申し出てしまった。慌てて、ただじゃないけどと付け加えたが、河野がそれを怪しむ様子はなかった。
そして、アンタになんか教わりたくないと突っぱねるかと思った河野は、目を輝かせて「いいの?」と食い付いてきた。
何だ、そんな顔出来るんじゃん。――見られなかったのは自業自得。怒らせてたら笑顔なんて向けてもらえる訳もない。
見惚れて赤くなったのをごまかして、時計を見る。片付けや教室への移動を考えると、そろそろ自主練を終わりにした方がいい時間だ。
いいの? と聞いた時に妙な遠慮をしてきたので、いっそそんなのぶっとばしてしまえと厚かましい条件を後から押し付けてみた。案の定、キャンキャン吠えてきたので笑った。
やべー。面白い。おまけにかわいい。
河野の怒ってる声もおっかない顔も、俺だけに向けて欲しい、ってどう云う事なんだろう。俺はヘンタイなのか。だけど。
アイツの特別になりたい。大勢の中の一人じゃなく。――少なくとも、こう思っているのはヘンタイではない筈だ。
そうして始まった連日のシュート練では、思っていたよりも打たれ弱いものの、それでも練習を投げ出しはしない、ひたむきな河野を見る事になった。
バスケをするには少々ちっちゃいし、俺と違って高校から本格的にバスケを始めてまだ三ヶ月の河野には、正直云って今すぐレギュラーになれる実力はまだ備わっていない。だけど、貪欲に喰らいついてくる姿勢は苦しい展開の試合ではすごく大事だ。努力を惜しまない、諦めない人間じゃないと、素質や恵まれた体格だけではとてもつとまらないから。
技術的な事や、背の高さについてちゃかしたり暴言を吐いたりは同じバスケを愛する人間としてさすがに出来ない。なのでフラットに接して教えていたら、河野は素直にそれを聞きながらも『何だコイツ』って云う目をしていた。その訝しむ表情がまたかわいい、と思う気持ちを一旦脇に置いて、俺が河野にしてやれる事を考える。シュートの精度を上げるのは最終目標。
何度も何度も反復練習を重ねて、体に覚えさせる事。
練習メニューを伝えてそれを一人でも出来るようにする事。
――今は落ち込んで今にも涙をこぼしそうな河野を一人にして少しだけ泣かせて、それから怒らせて気持ちを浮上させる事。
自販機までゆっくり歩いて行って帰って来ると、まだ目は赤かったけどさっきよりすっきりした顔の河野がいてホッとする。おしるこの缶を投げたら予想通りのリアクションがあったのが可笑しくて思わず笑ってしまった。
本当はいつまでも二人でいる時間が欲しい。だけどいつまでもずっとこうしてもいられないと分かっていた。人に教える事は自分も学ぶ点が多くて勉強になるけれど、でも、俺だって自分の練習が必要だし、河野だって一人で出来るようにならなければ意味がない。
だから、これで良しと思った時点でマンツーマン指導終了を告げた。
いつまでも河野とぎゃーぎゃーやりあいたいと思っていたからだろうか。
告げた時の河野ががっかりしていたように見えたのは、きっと俺の願望だ。
報酬の一つである『夏祭りに一緒に行く事』をすっかり忘れていた様子の河野を、土曜の部活終わりに校門を出たところで捕まえて、再度確認する。――やっぱり忘れてやがったか。『オマエ』呼びも自主練では封印していたのでこちらもセットで忘れていたらしい。 それでも素直に応じて、連絡先もあっさりよこして、とんとん拍子で行く事になった。
さっそくメールをすれば、噛みつき返してくる時と同じく速攻で勇ましい返事がやって来た。浮かれてしまう自分を抑えきれないで部屋の中をうろうろしていたら、母親から「あんた明日お祭り行くの?」とドア越しに声を掛けられた。
「夕方から行ってくる」
「浴衣は? 出しとく?」
いいよ着ないから、と云いかけて、浴衣姿の河野を想像する。――やばい、かわい過ぎるだろそれ。
せめて彼氏のふりをして、他の奴がアイツをナンパしないように牽制を、そう思って秘策を思いつく。
「うん、着るから衣紋掛けに吊るしといて」
「わかった、それからその檻の中の熊みたいにうろうろするの、下の階の人に迷惑だからやめなさい」
見てもないのに行動を正確に当てるとは、母親は本当に恐ろしい生き物だ。
結果から云うと秘策は失敗に終わった。何故なら、浴衣を着てくると思っていた河野はカジュアルな私服姿だったから。だけど、これはこれでかわいいのでもちろんアリだ。
だけど、『カレシカノジョが浴衣でデート』風に見える事をもくろんでいた自分としては間抜けだとしか云いようがない。思いっきり片思いなのがバレバレじゃないかとさえ思う。
混んでいるのを言い訳にして、手を繋いだらギリギリと締め上げられた。
浮かれた気持ちのまま食い物を勧めてみれば、意外そうな顔をされる。
そんな一つ一つに、河野にとって俺は『守備範囲外』なのだと思い知らされる。
『ヤな奴』と称され、性格も口も悪いと云われ、分かってはいたものの面と向かってそれらを云われた事は堪えた。それでも、これは今まで自分がしてきた事の結果だ。せめてきちんと受け止めようとまだ云い足りない様子の河野を促せば、シュート練の報酬として『オマエ』呼ばわりを堂々と行使しようとしていたずるい自分もばっさりやられた。
彼氏じゃなければ、呼ばせない。
俺の名前も、彼氏じゃないから下の名では呼ばない。
そう告げて、俺の顔をじっと見上げてきた。
まるで、呼べる立場が欲しければちゃんと云えと突きつけられたようだ。
云ってもいいのか。分からなくて見つめ返すと、繋いだままの手を一瞬強く握られた。それを勝手にゴーサインだと解釈した自分。
高鳴る心臓。この間の練習試合、高校に入ってから初めてコートに立たせてもらった時と同じだ。云ってしまったら、きっと俺たちの関係は変わる。終わると云ってもいいかもしれない。
それでも、機会はこうして与えられたんだ。
負け試合と諦めていたら、スリーポイントシュートだって決まりはしない。
残り一秒でも走れ。全力を尽くせ。頭の中に、先輩や先生の声が響く。今が、その時だろ?
夜店が途切れたところまで移動して、そこで立ち止まる。
繋いだ手が震えているのがカッコ悪い。いつもの河野なら、「だっせえ!」と人の顔に指をさして笑っているだろうに、そうされないのもかえって居たたまれない。
お囃子が聞こえる。屋台の後ろで発電機が動いている音も、中学生がいきがって騒いでいる声も、「ちょっとあれ河野じゃね? 男連れだよ」って云うヤローの声も、「高地君、彼女と来てる」「マジで?」なんて云ってる、多分同じ中学だった女子の声も。
河野は黙ったままだ。だから、繋がれた手を信じる事にした。コイツは嫌なら罵詈雑言と共に勢いよく手を払っている筈だ。
意味もなく咳払いをして、それから話しかける。
「……リンゴ飴食うか」
「そうじゃないだろ」
こんな時でもツッコミは正確で速攻だな。
「綿あめは?」
「いらん」
「たこ焼き」
「……後で」
「かき氷」
「あーとーで、って、高地」
「……ん」
くだらない会話に付き合ってもらったおかげで、とりあえず口は動くようになった。
空を見上げる。雲はない。だけど煌煌と灯りを燈されているから星も見えない。右下が僅かに欠けた月がぽかんと浮かんでいた。
「俺、散々オマ……、河野の事弄って、からかって、怒らせてたよな」
「そうだねえ」
「だから、こんな事云う資格ないって思ってるし今更だって云うのも分かってる」
「そう云うのはいいから」
ちゃんと云え。そう目で云われて、初めて逃げていた事に気付く。くそ、カッコ悪い。
息を吸った。
まっすぐ、河野を見る。フリースローの時、ゴールと向き合うように。
はじめて、思いを素直に乗せた言葉を渡す。
「河野が、好きだ」
ざーんねーん! て笑いながらそう云われても、ごめんやっぱ無理って云われても、きちんと受け取る。そう思って、俯きたいのを何とか堪える。
河野は顎にひとさし指を当ててンーと考える素振りをして見せた。その数秒間を長く感じる。
「ほんとは、何日か勿体ぶってやろうと思ってたんだけどなー」
ざーんねーん、と苦笑してから、河野は「いいよ」と軽やかに言葉を返してきた。
「え?」
何が?
「オマエって呼んで、いいよ」
それって。と、云う事は。
俺がまじまじと河野を見つめ返すと、あーもう! とシュート練でキレた時のような声を出す。
「恥ずかしいんだからこれ以上云わすなボケってかそっちがもう少しちゃんと歩み寄って来いこのセンシティブ野郎」と、一口で言い切るいつもの河野が、顔を赤くしてそっぽを向く。
手は、振りほどかれないまま。
つまり、俺の投げた言葉は河野に届いて、河野からも同じ気持ちを示された、と云う事でいいのだろうか? イヤでも俺こう云っちゃなんだけど何も好かれるような事してないぞ?
若干パニクっていた俺は、そんな俺を見て河野がカーワーイイーと笑っていた事に当然気付く余地もない。
「だいじょーぶ」
その言葉を、何度も体育館のネット越しに何度も聞いた。辞めたいと泣く仲間に、バスケ経験者との実力の差に焦る仲間に、繰り返される優しい言葉。傍から聞いているだけの俺でさえも心が落ち着いた呪文。
「あたしだってアンタのいいとこの一つくらいは知ってるから」
「一つかよ」
「ゼロよりいいでしょ」
「そりゃあな」
云いながら、また人の流れに乗って歩き出す。
急に、あまあまなバカップルになんかなれないし、きっと河野とはずっとこんな感じなんだろう。
それは俺が希ったものだ。
繋いだ手を、もぞもぞ動かして恋人繋ぎにした。そうしたら、きゅっと返事の様に軽く握り返される。
やばい、かわいい。嬉しい。
灯りの下、いつもはすっぴんの唇が、グロスか何かで艶めいている。やばい。本当に、色々と。
「高地?」
見つめていたら気付かれた。
「……なんか食わない?」
ごまかす為に口にすると、「あー、迷っちゃうね! どっから攻めようか!」と、人の気も知らずに河野は嬉々として屋台のチェックをし始めた。と思ったら「いけない、後であんころ餅買わなくっちゃ」と漏らされた独り言。それを聞いて自分も母からそれを買って来るよう云われていた事を思い出した。
「うちも頼まれてたんだった母親に」
「そうなの?」
「こないだ、買ったばっかのタオル失くしたらあんころ餅でチャラにしてやるって云われて」
「あ゛―――ッッ!!!」
急に近くで叫ぶなビビるだろうが。
「ごめん高地! それあたし!」
「……何が」
「タオル! あたしが持ってんの! ほら、缶のおしるこ寄越してきた時の」
「ああ、」
そう云われて初めて思い出した。
「洗ってあるけど、なんか渡しそびれてた。ほんとごめん」
「そっか、別にそのまま持っててくれて構わないけど」
まだ買い与えられたばかりで、しかも『どうせあんたは汗が拭ければ何だって構わないんだから張り合いがない』とため息交じりに渡されたのは、贔屓でもないプロ野球チームのロゴ入りタオル。失くしたところで思い出しもしない程度のものだ。なのに河野はずっと持っていた事を気にしていた。いっそこの情けない裏事情を暴露したらコイツの気が楽になるかと口に出そうとした途端、河野が「……じゃあ、交換条件」と買ったばかりのリンゴ飴にかじりつきながらぼそっと喋った。
「アンタの事、下の名前で呼んであげても、いい」
そんな怒ってるような顔と口調で云われても、かわいいと思う気持ちはちっとも変わらない。それどころかむしろ大きくなっているんだから、ほんとどうしようもない。
喧嘩腰は今までどおり。でも、今までとはやっぱり違う。
繋いだ手と、はにかんだ河野。なら俺も、素直にならないとな。アイツ曰く『ちゃんと歩み寄』ろうと、ぎこちない笑顔を初めて向けた。
「呼んで。それで俺も、オマエの事、下の名前で呼んでいい?」
お伺いを立てると、河野はリンゴ飴と同じくらい赤いほっぺをしているくせに、「よろしい」と尊大に云い放った。
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14/07/16 一部修正しました。