ニコさんVSマーヤ(前)
会社員×ショップ店員
初めて展示会で会った時、おしゃれ剃りこみ坊主頭+サングラス+ダークスーツといういかにも反社会的な風体で会場内の人々をざわつかせていたその人は、紙の束をいくつもひょいっと持つおちびな私を見て足を止め、目を見張っていたっけ。
あんまりにも見られていたので「どうかなさいました?」って半分意地悪で声を掛けてみたら、「……いや、驚いた。力持ちなんですね」とストレートに感心されてしまった。
「小さいのに、って言っていいんですよ」
「それはさすがに、初対面の女の人に失礼でしょう」
反社会風味なのに案外穏やかな声と柔らかい物腰のその人は、本気で慌ててそう言い募る。――その様子に、いつもならむかっ腹を通り越して持ちネタなやり取りが、妙に楽しくなってきた。
「紙、重いんで。運んでるうちにこの通りです」
パフスリーブの半袖をめくり上げて力こぶを作ってみせると、「立派ですね、頼もしい」と、コワそうなのにどこかかわいい人はサングラスの奥の細い目をさらに細めてくれた。
それが、片思いのきっかけ。なんて単純なんだろうね。
反社会風なその人は、紙製品の展示会にいたくらいなので当然ホンモノの反社会的勢力に所属しているのではなく実は印刷会社の人だったと、弊社ブース前で立ち話をしたのち、互いに渡し合った名刺で知った。
印刷会社さんと紙問屋兼専門店な弊社は接点がありまくりだけど、インクの開発の部署にいる二光さんと普段はショップにいる私とでは、接点なんて展示会くらいしかない。先のイベントは二週間前に終わり、次は一年後。名刺にはメールアドレスが書かれていたけど私用というかお誘いになんて使えるわけないし、これではいかな片思いでもそのうち萎びて枯れてしまうよ、と思いつつショップで仕事をしていた私の前に、ある日突然その人が、思いつめた顔をして現われた。
――もしかして、私に会いたくて?
なーんて甘すぎる考えが頭をよぎることもない。なにかお仕事のことでショップに寄ったんでしょう。
その考えを裏付けるように二光さんはこちらに小さく「こんにちは」と告げた後、美魔女な店長に「突然すみません。実は、御社のお力をお借りしたくて」と名刺を差し出しつつがばっと頭を下げた。
わあ、まるでカチコミに失敗した反社会的な人が、姐さんに詫びを入れているみたい。
堅気っぽくない見てくれの男性によるいきなりな深いお辞儀に、私なんかはちょっとだいぶびっくりしちゃったけど、店長は小ゆるぎもせず、名刺をちらりと見るとゆったり構えたまま話し掛ける。
「二光さん、まずは頭を上げて。お話を伺わないと、力を貸すとも貸せないとも言えない。こちらへ」と、店の隅のソファセットに二光さんを誘った。
二人の前にアイスティーを出して下がろうとすると、店長にぴしっと止められた。
「嘉藤も同席して」
「あ、はい」
そう言われて、自分の分のアイスティーを持ってきて、店長の隣、二光さんのはす向かいに腰掛ける。二光さんは「いただきます」と小さく頭を下げてからミルクもガムシロもどばどば入れて(うわー)、ストローでその二つのレイヤーと紅茶部分を丹念にかき混ぜた。店長はストレート。私はミルクとガムシロを普通に一つずつ入れて。
二光さんはまだ念入りに激甘&激ミルクアイスティーをかき混ぜながら、ぽつぽつと語りだした。
「来年度、都内でポスターの展示イベントがあるのですが、そちらの主催から声を掛けていただきまして、自分も作品を作って参加することになりました」
「まあ、おめでとうございます」
「ありがとうございます。――ただ、参加にはひとつ条件があって、『今までと違った切り口での印刷表現をする』なんです。それで、自分がしたいと思っている印刷に合致する紙の選定のアドバイスをいただけないかと思いまして」
「なるほど。それはうちが費用持ち出しにはならないという認識で合ってる?」
「はい」
「どこかにうちの社名は出ます?」
「展示のキャプションと会場で配るリーフレット、特設サイトで公開する展示リストの掲載程度になりますが」
「それならいいかな。情報が解禁になったらこちらからもアナウンスして大丈夫?」
「もちろん、そうしていただけると助かります」
「なにかコラボ出来る?」
「進捗によりけりですが考えます。御社の紙を選定できれば、やりやすいかと」
「分かりました。――嘉藤」
「はいっ」
卓球の小気味よいラリーみたいにポンポン交わされる二人の会話に聞き入ってたら、突然店長に声を掛けられて、しゃんと背をのばしてしまった。
「うちからはこれを出します。好きに使ってください」
「ありがとうございます。――改めまして、二光と申します」
「嘉藤です」
「どうぞ、よろしくお願いします」
「こちらこそ、精一杯務めさせていただきます」
立ち上がってまた深々とお辞儀をした二光さんにつられてぴょんと立ち上がって、その勢いのままぐわっとお辞儀をしたら、「ゼンマイ仕掛けのおもちゃじゃないんだから……」と店長に苦笑された。
それから、ひと月に数回のペースでミーティングをした。どんな紙がいいか、厚みや光沢、色や風合いは。実際に、二光さんが美大にいた頃制作した印刷物を拝見したり、作品イメージを聞いて意識のすりあわせをして、実際に制作に入ればペーパーソムリエになった気持ちでいろいろな紙を運び続けた。二人とも当り前だけど普段通りに抱えている仕事があるし二光さんは制作作業もあるから、その合間を縫って。
それでも、自分にはとても楽しみな時間なことは間違いない。なんてったって、二光さん改めニコさんを独り占めできる時間なんだから。
それまでの『二光さん』呼びが『ニコさん』になったのにはわけがある。
すらりとした長身に鋭い眼光&サングラス、かつ剃りこみをキメてるニコさんは、大概の人に怖がられるんだそうだ。その上、眉をぎゅーっとひそめがちだから、怖がられポイントがさらに倍。
「まずはそのしかめっ面をやめてみたらどうです?」
「分かってはいるんですが、集中しているとどうも……。目も悪いので、ついしがちです。これ、発色悪いですね」
「なるほど。……うん、こっちの方がいいかも」
僅かに明度の高い色をのせた紙を指差すと、「嘉藤さん、目がいいんですね。実は鳥なんじゃないですか」と反社会的サングラスの奥で鋭すぎる細い目が優しく笑う。
「まだ人でいさせてください」
「はは。でも本当に目がいい。――自分のことも、初対面から怖がらないでくれたし、早い段階で『脅かそうとしているんじゃなく、ただのしかめ面』って見抜いてくれたし」
「たまたまですよ。え、てか、そんなに社内で恐れられてるんですか?」
そう指摘すると、それまでぴんと伸ばされていた背中が、見る見るうちに丸くなってしまった。
「――一緒に仕事をすればたいがい分かってもらえるんですが、そうでない人には『二光組組長』だとか『狂犬』だとか言われていると、人伝てに聞きます」
「えーっと、じゃあ髪型変えてみるとか? 坊主頭じゃなく、普通にサラリーマンっぽく」
「そうしたらそうしたで、『香港マフィア』呼ばわりです」
したことあるんだ。
「せめてそのおしゃれ剃りこみをやめてみるのは」
右耳の上にすっと伸びるラインを指摘するけど。
「これはおしゃれでしているのではなく、中学の時に頭を怪我して以来生えないんです……」
「あ、じゃあ、職業を誤解されやすそうなサングラスをやめるとか……」
「自分、光に弱くて。特に今時期の強めの光が苦手でして、外すとさらにしかめ面になってしまいます」
「ああ……」
万策尽きてしまった。よどみなくすらすらともたらされる答えに、そうだよね一通り試さないわけないよねと、浅はかな自分の思いつきを反省。
しょんぼりしている二光さんにつられて、自分もしょんぼりしそうになる。いやいや、同調してどうする。ふんっと背を伸ばした。
「なら、呼び名をかわいくしてみるの、どうです? 下のお名前で呼んでもらうとか」
「……あいにくですが、自分に似合わないから嫌いなんです」
「ちなみになんて言うんです? あ、私はきららです!」
「かわいらしい。嘉藤さんにぴったりだ」
うんうんと、頷いて感心されると照れてしまう。ごまかすように「で? 二光さんは?」ともう一度聞いてみた。
「……内緒です」
「ひどーい!」
結局、粘っても教えてもらえなかった。
怒ったふりをしてみせたら本気でしょげられてしまって慌てて『冗談ですからね!』とフォローした。――しょんぼりしてしまった二光さんは、とてもかわいかった。でも、このまま誤解されっぱなしじゃ、ちょっとかわいそう。
だから一生懸命に考えた。
次に二光さんの会社でミーティングで顔を合わせた時に、「ニコさん」と声を掛けてみた。
「一文字略してみただけですけど、案外かわいく仕上がったと思うんですが」
自画自賛しながら披露すると、サングラスの奥で細い目をさらに細くして、「自分じゃないみたいだ」と感激されてしまった。
呼ぶといちいちテレるので、慣れさせるためと自分の楽しみのために、たくさんたくさん呼んだ。
ニコさん。
ニコさん。ニコさん。
呼べば、小さな花がほろっと咲くように「はい」とお返事してくれる。
なんてかわいいんだろ、この人。
ちっさい私が臆せず、ニコさんニコさんと呼んでいたら、周りの人もじょじょにそう呼ぶようになって、ニコさんは皆のニコさんになった。呼び名をきっかけに話し掛けられる機会も増え、誤解は少しずつ、今のところ社内限定でだけど解けつつあるらしい。それは、当初の目的を果たせたので喜ばしいこと、なんだけど。
「嬉しいけど、ちょっとさびしい……」
「なにがですか?」
「ニコさんが自分だけのマイナーアイドルだと思っていたら、東京ドームで単独コンサートひらけるくらいメジャーになったからですよ! これ、いいですね、キラキラしてて素敵」
「インクが、やっとうまく紙にのってくれましたね。――自分だけの、ですか」
「あ、言葉のあやなので忘れてください今すぐにでも」
「いえ、とても嬉しいので忘れやしません」
胸に手を当てながらそう言うニコさんは、まるでマフィアのボスに忠誠を誓っているみたい。
なのに、かわいく見えるってなんだい。いい目、どこ行った。曇ってんじゃん思いっきり。
このコワかわいい人を、お菓子の缶の中にぎゅっと閉じ込めておければいいのに。狭いですよって文句言われても聞いてあげない。
――なに、それ。
自分の発想がほんのりダークで、思わず腕をわしゃーっと高速でさすっていたら。
ふわりと着せかけられた、大きなジャケット。
「着ててください」とニコさんはこっちを見ないまま言う。
「でも」
「今、風邪でダウンしたらいけませんし。……嘉藤さん、常々思っていたのですが」
「はい?」
「薄着はいけませんよ。クールビズとはいえ、冷房の効きすぎるところもありますからね」
「……はぁい」
別に、風邪引いたわけじゃないんだけどな。てか、私風邪引かないんだけどな。
でもジャケットを返したくなかったから、大人しくしてた。
「ありがとうございました」
ミーティング終わりの解散時に、ジャケットをたたんで返そうとしたら「そのまま着て帰ってください」と押しとどめられた。
「自分はベストを着ていますし、筋肉もあるので。返却は、次回で結構ですから」
静かにそう告げて、さあ着てくださいと言わずして目力で促された。
だから、風邪じゃないんです。
そう云おうとして口を開きかえたタイミングで、今度は「肩に掛けるだけじゃなく、ちゃんと袖を通してください」と、手に持ったままだったジャケットを奪われ、後ろからまんまと着せられてしまう。――ニコさんの匂いだあ。
くん、と袖元を嗅いだら「……臭いますか」とやや心細そうなお返事と、困った顔をされた。
「いいえ、ニコさんの匂いだなーって思ってただけです」
そう答えると、安心されるどころかますます困り顔になる。
「それは自分が口にしたらセクハラになりそうだ」
「えっ私セクハラかましてます?!」
「いやいや、……自分、こんなですから」
「素敵ってことですね!」
夏でも長袖のシャツと、三つ揃えのスーツ。いつだってニコさんはおしゃれだ。
私がにっこり返すと、ニコさんは何かを諦めたように笑った。
わあ、私、この人のこと絶対ほしい。
片思いだけじゃ満足できない。ニコさんにも、私のこと好きになってほしい。
そう自覚したタイミングで、嵐はやってくるもんだ。
色々と(色だけに)試行錯誤を重ねて、インクの配合を調整して、試し刷りをお役所に提出する書類ほどして(ついでに無事に弊社の紙を選んでもらえて)、GOサインが出た。
コラボはそのインクを、作品に使うのと同じ紙に載せてポスター、ポストカード、ノートで展開したものを会場の売り場で扱ってもらうことになった。
それから展示オープンの日、ニコさんと店長が登壇し、作品を作るにあたっての苦労や秘話をトークショー形式で対談することが決まった。
「自分、表舞台向きじゃないんで、成立するか不安なんですが……」
おっかなく見えがちな眉を思い切り八の字にして困っているニコさんに、「大丈夫、店長が絶対トーク拾ってくれますから!」と背中を気安く叩く私。
「……嘉藤さんは?」
「はい?」
「助けてくれないんですか?」
「難しいこと言いますねー!」
呼ばれてもいないのに舞台には上がれないし、私にできることと言ったら。
「……当日、出る間際まで手をぎゅーっ! てしてあげますよ!」
私がふざけてそう言うと、ニコさんは「約束ですよ」と子供が泣いちゃいそうな顔で圧を掛けてきた。うん、まあ、いいんだけど。てか私にはラッキーなだけだけどその約束。
当日、三つ揃えのダークなスーツにサングラス(ほら、ライトまぶしいからね……)といういつも通りのヒットマンスタイルで、ニコさんは颯爽と現れた。――とんでもない美女を引き連れて。
かつてミスコン世界大会の日本代表でした、と紹介されたら「なるほどね」と誰もが思うだろうというくらい、非の打ち所のない美人。
背が高くて(ヒールのある靴で、ニコさんとざっと五センチ差)、出るとこでてて、ウエストは蜂なの?! ってくらいきゅっとくびれてて、ハイブランドの服がよくお似合いで、それに包まって生まれてきたんじゃない? っていう馴染み具合な。
その人はニコさんの腕に手を掛けて「うちのマーヤがお世話になっております~!」と、居酒屋の店員さんもびっくりの、高気圧なテンションで私や他のスタッフに挨拶をした。
当の本人は、と視線を横にスライドしてみれば、やっぱり人を殺しそうな通常営業の顔で、――でも口元が不機嫌だな――「『うちの』になった覚えはない。――すみません、これの言うことは無視してください。事実無根なので」と、腕に絡んでいた奇麗な指を雑に剥がした。
「てか、マーヤって」
私が呟くと、眉間の皺を倍増させて「――――自分のことです」とぼそっと返ってきた。
「あら! あなたご存じなかった? この人の下の名前。呼ぶとすぐこうやってテレちゃうのよねえ~!」
「……はあ」
なんだこれノロケなのか。
美人は早口でまくし立てると、私の気の抜けた返事を聞くことなく、うちの店長の方へ早足で歩み寄っていくと「やだ~! お久しぶり~!!」と声を掛け、「うるさい」と一蹴されていた。
あら、二人きりになってしまった。
もちろん舞台裏だから本当は二人きりなんかじゃなくって、関係者だとかイベント会社の方なんかがいるんだけど、ニコさんの超絶おっかな顔(緊張してんのかな?)に恐れを成しているのか、ここだけ離れ小島みたくなっちゃってる。
いろんな人に次々声を掛けていく美女を顔広いな~と感心しつつ、ニコさんと壁際に並んで眺めた。きっと、さっきの美女とニコさんよりだいぶ不揃いな身長差だね。業績ががんと落ちた企業の月別売り上げ棒グラフみたいな。
とか面白くないことを考えつつ、いつまでも黙ってるのもなんだし、と口を開く。
「……あの方って奥さ」
「俺は独身です」
「彼女さ」
「俺はフリーです」
お餅につけすぎたきなこみたいにぱさついた質問は、ニコさんにことごとく瞬殺された。そして。
「それより嘉藤さん」と、正面に立ったニコさんの大きな手を差し出される。
「へ」
「約束したでしょう、手、貸してください」
そう言うと、おなかの前でもじもじしていた手が、右も左も両方勝手にさらわれてしまう。
すっぽりと包まれている右手と左手を見ながら、「……両方だなんて聞いてません」なんて言った。
「今言います。両方貸してください」
「駄目って言ってもいまさら無駄ですよねコレ繋いじゃってますからね?!」
私が噛みつくと、ニコさんはフフ、と少しだけ笑った。
それを見てうっかり和んでしまって、そうしてようやく私を包んでいる手の冷たさに気付く。あっ、緊張してるんだ。こんなおっかなげな見た目のくせに。あんな、一〇〇点満点中三〇〇点みたいな美女連れてきたくせに。
そう軽く反発したけど、結局手をそっと握り返した。平熱三六.五度の私の熱が、少しでも伝わりますようにと願いながら。
舞台袖までそのままくっついていって、もうすぐ出番なんだからもっと暖まるようにぎゅむぎゅむしてたら「くすぐったいですよ」と、サングラスの奥の細い目をくしゃっと和ませて笑ってくれた。
「だって」
「ありがとうございます、おかげで暖まった。――行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
私の手をするりと離して舞台に出ていくその人は、ド緊張してるだなんてみじんも分からないくらい堂々としていた。




