Lover♡(☆)
「クリスマスファイター!」内の「Fighter!」及び「如月・弥生」内の「Eater?」の二人の話です。
これからしばらくはパウンドケーキ焼きません。
と、デート中のカフェで宣言したら、ふわふわパンケーキを前にした恋人に、ものすごい絶望的な顔をされた。
「な、んで」
掠れた声でそう漏らした西山さんは冷静さを取り戻すつもりか、銀縁眼鏡のブリッジを指で何度も意味なく押し上げているけど、手が震えてるよ。そんなに衝撃受けちゃう程私の作るやつが好きなのかな。うん、あり得る。
なんて思いつつ、「夏場は家のキッチンがめちゃくちゃ暑いからです」と休業理由を正直に打ち明けると、西山さんはしばし放心したのち「……そうか」と呟き、そしてそのままテーブルに突っ伏した。
「どうしたんですか?」
さっきからやたらと挙動不審だな。いつものほぼ無表情が嘘みたいに、今日は短い時間の中でいろんな顔や動きをしてる。
西山さんは同じポーズのまま、「……てっきり、遠回しに別れを切り出されたのかと」とちいさく云った。テーブルと口が近いから、顔と似つかない(とは私はもう思わないけど)優しい声がやたらと籠ってる。
「や、今のところそれはないです」
「よかった」
突っ伏したままだから顔は見えないし(ていうかカフェのテーブルなのでいいかげん顔を上げてほしいな!)、まあ見えててもそこに現れる感情の起伏は分かりづらいんだけど。
何か今、すごーく素直だなこの人。――かわいい。
そう思ったら、短髪の後頭部をくしゃくしゃとかき混ぜてしまった。それを咎めもせず、私にされ放題だし。
「あのですね」
「なんだ」
「うちのキッチン、クーラーもあるけど古くて効きが悪いから、換気回しててもインドみたいに暑いんです」
「そうか」
「だから、夏の間はパウンドケーキよりは時短で作れてオーブン使わないですむゼリーを持ってきますね」
「作ってくれるのか!」
ぱっと上げた頭、銀縁眼鏡の中でキラキラと輝く目。うん、スイーツの時にだけ見られるいつもの顔だ。
「何も作らないなんて云ってませんからね」
「そうか。――楽しみにしてる」
「はい」
しみじみと漏らされる一言が嬉しい。私がスイーツ作りが好きで、西山さんがスイーツ食べるのが大好きでよかったって、いつも思う。私たちほど需要と供給がマッチしたカップルもそういないんじゃないかな、なんて、自作のパウンドケーキよりうーんとお砂糖増量なことを考えてしまった。
宣言通り、インド程暑いキッチンで手早く作ったゼリーをその後何度か渡すと、彼は喜んで受け取り、やっぱり律儀に『きっと旨いだろうと分かってはいたけど、想像以上だった』『さっぱりしてて口当たりがよくて、スプーンが止まらなかった』など、必ず一言熱烈な感想をくれた。付き合う前から好きな、西山さんのポイントのひとつ。本社でもそろそろ気付かれてるかもしれない。銀縁眼鏡の無表情だけど案外優しい声の持ち主で、スイーツが鬼のように大好きで、目をキラッキラさせて食べる人だって。――どうせなら、彼女の作るパウンドケーキやゼリーが大好きだってことも知っておいてほしいところ。
半年と少し、自作スイーツを作っては渡してるけど、私が作るのが当たり前、だとか、『またそれか』みたいのはなくって、むしろリピート要求がすごい。妹にも、『お姉ちゃんの彼氏さん、よく飽きないもんだね……』って感心&ドン引きされる程だ。
作ることを苦痛に思うペースでもないし(向こうが本社に行っちゃったから、会える=渡せるタイミングは週イチあるかないか)、作ったものを気持ちよく食べてもらえたらそれでいいのに、西山さんときたら誕生日だとかバレンタインのお返しだとか、そういうのと関係ないタイミングでも、お菓子や、お菓子みたいなアクセサリーをくれるし、ごちそうしてくれる。ちなみに今日も。
「お礼の言葉はいただいてるんだから、別にそんなに気を遣わなくていいんですよ」
連れて来てもらった中華料理の個室でいくら私がそう窘めても、「本多に時間割かせてわざわざ作ってもらってるんだ、これくらいはさせてくれ」と押し切られておしまい。それどころか。
「受け取ってもらえないなら今度から現金を押し付けるぞ」なんて逆に脅される始末。
「……分かりましたよ」
降参、の合図に目を閉じたら、「それ、付けてくれてありがとう。似合ってる」と西山さんからのプレゼントなのにお礼と称賛を囁かれた。そして個室なのをいいことに、ドロップみたいなイヤリングを付けた耳元を撫ぜられて、唇にそっと口付けを落とされた。
西山さんとのキス、好きだな。繰り返しキスを渡されたり、渡したりしながらそう思う。
今までそれが好き、なんて思ったことなかった。なんでだろう、大事にされてるって伝わってくるからかも。
キスはいつも、いま初めて交わすものみたいにじいっと見つめられて、与えられる。降りたての雨のようなまっさらな気持ちは唇越しに私にも伝染して、二人とも仕事で一年組んでいたというのに、その年月がないみたいにぎこちなく心臓が鳴る。たぶん西山さんも。
ほんだ、って名字で呼ばれるのも、好き。いつになったら名前で呼んでくれるかなーとは思うけど、これはこれで味わい深い。世界でただ一つの名前、みたいに口にしてくれるから。
こうしてお付き合いしてるのに、たまに『もう、あいつのことは大丈夫か』って、去年のクリスマスの失恋未満を引きずってないか確認してくる臆病さは、ちょっとしつこいって怒ってしまう。そろそろ私のこと、信用してくれていいと思うんだけど。
思い出したらむかっ腹が立ったので、私の口に忍び込んでいた舌を軽く噛んでやった。
夏の盛りのある日、『次の休み、うちに来ないか?』とお誘いを受けた。彼の見た目同様、クールな印象のそのマンションは、うちなんかより快適で過ごしやすい(おまけに居心地もよい)のでそのお誘いは渡りに船だ。――まだこっちから『西山さんのおうちに遊びに行かせてください』っておねだりするのは、どうにも慣れない。
「おじゃましまーす」
前回来たのはゼリー宣言より前だから、少し間が空いた。私よりも、本社にいる彼が忙しそうだったから、会うのを控えてたせい。
「どうぞ」
別に女の影とか失礼な心配はしてないんだけど、でも前来た時とさほど変わりのない室内の様子にホッと――――――――――――んんん?
私がなんとなく見渡していた視線をキッチンのある点で固定すると、西山さんは「いつでも好きに使ってくれていいぞ」と素っ気ない風に云う。
「……にしやまさん?」
「なんだ」
「どうして、ど新品のオーブンがあるんですか?」
私の問いに、彼は表情を変えないままそっと目を反らした。
「――もらいもんだ」
「嘘はもう少し上手についてくださいよ!」
ピッカピカのオーブンはこの間出たばっかりの上級モデル。お値段的にはなから諦めてたけど、西山さんの用事で電気屋さんに行けば必ずオーブンの並ぶコーナーに立ち寄って、『いーなーいーなー』とさんざん口走っていたものだ。こんなの、結婚式の二次会のビンゴや、『うちではいらないから』なんて理由で人から譲ってもらえるとは思えない。
私の追及にうっと言葉を失った西山さんは、銀縁眼鏡のブリッジを指で押し上げて「――買った」とようやく吐いた。
「なんでですか?! 西山さん、そこまで料理する人じゃないですよね?」
私がなおも追求すると、言い訳を放棄したのか彼は開き直った態度で「こうしておまえの興味を引けたから、いいんだ」なんて返しやがる。
「そんな理由で……」
「さっきも云ったけど、いつでも好きに使ってくれ。ここならクーラーも効いてるから、パウンドケーキも多少は楽に作れるだろうし」
「それはありがたい、ですけど」
そんなに好きか(パウンドケーキが)と思って口ごもっていると、彼は面白くなさそうな顔して近付いてきて、子どもみたいに私をぎゅうとハグした。
「パウンドケーキが理由じゃない。レンジで本多を釣る気ではいたけど、それはここにおまえがいたら嬉しいと思った、ただそれだけだ」
冷たく見える顔のくせ、かわいいことを云って照れてしまったのか、私を手放して背を向けると、ダイニングテーブルにぱちりとキーを置く。
「自由に出入りしてくれ」
「え」
「ないと不便かもしれないから、本多にも持っててほしい」
それらしい理由をつらつら述べるけど。
「……西山さん」
「なんだ」
「ちゃんとこっち向いてください」
そういうと、ゆっくりゆっくり私の方を向いた。けど、叱られてる子みたいに、足元に目線を落としてしまう。
「そういう、ごまかしじゃなく、ちゃんと云ってください。付き合ってるっていっても他人の私じゃ、そんな理由で鍵なんて大事なもの、持てません」
「……わかった」
一度だけ、ゆっくりと上げられる眼鏡のブリッジ。
俯いていた顔が上がれば目が合うけど、もう怯まれも目をそらされもしなかった。
「結婚、してくれ」
「……」
もしかして、と思っていたその一言を噛み締めていたら、ふてくされたような「返事は」が、きた。
「はい。よろしくお願いします」
目を見てきちんと伝えると、パウンドケーキを見たようなキラッキラのおめめで私を見ている。そうかそうか、そんなに好きか。私が。
照れて、「西山さんの場合、『毎朝味噌汁を作ってほしい』のノリで『毎日パウンドケーキ焼いてほしい』ってお願いされるかと思ったのに」とふざけると、「強制じゃなく、好きな時に楽しく焼いてくれればいいんだ」と案外真面目に返事をされる。
「機嫌よくしてろー、とかは」
「俺が年がら年中こんな辛気臭いツラをしてるのに、云えるかそんな厚かましい」
「ハハ」
「――それより、」
そう口にした後、ふ、と伏せられたまつ毛で、云いたいこと、分かっちゃった。
「あの私の失恋未満を持ち出すのは今後一切禁止です」
「…………わかった」
「ほんとうに?」
念押ししたら、「本当に、――なるように、努力する」と眼鏡のブリッジを押し上げた。そっちの方がバリバリ引きずってんじゃん。
この際だからと思って、「あのですね」と口火を切った。
「私、西山さんが食べてる姿、めっちゃ好きです」
「……そうか」
「豪快だし早食いだけど下品じゃなくて、もっと見せてって思います」
「……そうか」
「誰かに、ていうか男の人にそんな風に思うの、西山さんが初めてです」
「……」
「あっでも結婚するんだったら西山さんが最後になるのか」
「頼む、」
「ごめんなさい、一人でぺらぺら喋りすぎましたね」
「いいから」
なにが? っていう言葉と唇は、赤い顔した西山さんの口で、食べられるように封じられた。
あれあれ? そういうモードだったっけ? 確かプロポーズからの流れでのおしゃべりをしてなかったっけ?
そんな疑問も、キスの合間に溶けた。
お酒にどっぷり浸かったドライフルーツくらい濃厚な時間ののち、「本多はもう少し言動に気を付けてくれ」と理不尽に怒られた。
「私の作ったレモンゼリーをぱくぱく食べながら云う話ですかねえ」とクレームをつけると、スプーンを持ったままうっと言葉に詰まる恋人。そして。
「……おいしかった」
「おそまつさまでした」
「レモンの風味がいいし、ゼリーの硬さも程よかった。生クリームとの相性が抜群だな」
「よかった! また作りますね」
「ああ、頼む」
睦言も諍いも、結局この会話に行きつく。半年後も一〇年後も、なんなら五〇年後もこうありたいものですね。シュトーレンみたく、長く置いた分だけ味わい深い二人になれるといいなあ。
嬉しそうに目をキラッキラさせる西山さんを見ながら、あのオーブンに早く慣れる為に、パウンドケーキも試作してみよう、と思った。




