勅使河原さんは瞬きをしない
会社員(?)×会社員
勅使河原さんは職場でめっちゃ評価の分かれてる人だ。
私には面白い。でも、他の人には超つまんないらしい。
冗談なんか生まれてこのかた口にした事のないような見てくれと、それを裏切らない中身。
仕事はおおむねパーフェクトだけど、時折信じらんないような間違いをする。なんて言うのかな、マークシートは得意なのに、記述が苦手、みたいな。
彼が心から笑ってるとこ、多分誰も見た事ない。たまにぎぎぎぎって音がしそうなぎこちなさで口角を上げてるけど、多分あれ本人的には笑ってるつもり。一度その状態を鏡で見せたら、すごく不本意そうにして、「私は、藤野さん(私の事だ)のようにしているつもりなのですが……」としきりに頬を擦っていた。いや、頬の筋肉じゃなくむしろ目じゃね?
彼の細い目は、いつだって永久凍土のように冷え冷えとそこにあるから。
私だって最初から親・勅使河原派だった訳じゃない。むしろバリバリに苦手だった。
仕事さえできてればそれでいい、人間関係なんて知ったこっちゃない、そんなスタンスを隠そうともしない人に好意的に接するのは無理だ。だからって無視したりいやがらせしたりは大人気ないから、職場の同僚として最低限しなくちゃいけない事だけをしていた。それは私だけじゃなくみんながそうで、どうして勅使河原さんはこんな居心地の悪い中であんなに普通に仕事ができるんだろうと不思議なくらい。
だからって故意にした訳じゃなく、カレーうどんをぶっかけちゃったのは、ほんとのほんとに偶然。
あの日はとびきり暑くって、夏仕様とはいえスーツ着用の男性社員が気の毒なほどだった。営業さんとは違ってずーっと社内にいるせいでこのところ冷房負けしかかってた私は、朝から『今日はカレーうどん!』な気分で、もちろんお昼には社食でそいつをオーダーした。
勅使河原さんは一番カウンターの近くに座ってて、私は受け取ったばかりのカレーうどんのトレイを持ってて。
勅使河原さんの後ろを通り掛かったタイミングでバランスを崩して、そいつをひっくり返してしまった。
どんぶりはプラだから割れはしなかった、けれど、ほんの三〇秒前に出されたばかりの熱々の中身は、私の手に少々かかりながら、残りは全部勅使河原さんにかかってしまった。
「わああああああ!」
人間、パニックになると言葉が出ないってほんとだね。ただでさえ頭悪げなしゃべり方って言われてんのに、言葉じゃなくシャウトしか出なかった。
「てってってしがわらさ」
「ああ、これはもったいない」
当の本人はそれでも永久凍土のまま、頭にうどんやら人参やらを乗せたまま、ぽたぽたと黄色い汁がシャツやスーツに滴り落ちるのにも構わずに暢気なことを言っていた。
「そ、そんなのより、」
これほど熱い液体を被ったのだから、ひどいやけどを負ったに違いない。ほんの少しかかっただけの私の手がこんなに痛いんだから。
そう思っていても、彼は頭の上や肩やテーブルに落ちた中身を律儀にまたどんぶりへ戻しながら、平然と「私なら平気です。この程度では怪我をしないので」とのたまった。
「それよりも、藤野さんの手当てをしないと」
そう言うと、私を食堂の窓際にある手洗い場へと連れて行く。
勢いよく流れる水の筋に手首を入れれば、たちまち痛みは消える。ホッとして、それから猛烈に反省した。
「勅使河原さん、すみませんでした」
ようやく謝ると、彼は「何がですか」と眼鏡を拭きながら聞き返してきた。
「私の方が先に手当てしていただいて……」
「先ほどもお伝えしましたが、私なら大丈夫です」
ほら、と見せられた顔と手は、食堂のおばちゃんから差し出された濡れタオルできれいに拭われていて、彼の言葉通り赤くすらなってなかった。
「……よかったー!」
「よくはありません、藤野さんがやけどを負ってしまいました」
「だってそれは、自分が不注意だったんだからしょうがないです」
「……分かりませんね」
彼は黄色い汁まみれのままのスーツ姿で腕組みをして、眉を少しだけ寄せた。
「不注意だったとしても私はこの通り無傷で、まあ身に着けていたものは被害にあいましたが」
「すいません! ほんとすいません!」
「でも藤野さんはわざとしたのではないのだし、ご自身は負傷されている。その事の方が、大変なのでは?」
「……」
びっくりした。なんていうか、この状況から言ったらネチネチチクチク言われて、駄目にしたシャツ&ネクタイ&スーツ代は実際に買ったよりも高い金額を要求されるんじゃ、なんて思ってた。
まさかこんなフラットな意見の持ち主だったとは。
「それにしても今日、このままでは仕事ができませんね。困ったな」
さして困った風でもないように言うのがおかしくて、笑う。するとそれもどうしてだか分からないという顔をするのでさらにおかしい。
「確か、土木課にツナギの予備があるはずです。私、それ借りてきますね」
「ありがとう」
彼の放つ感謝の言葉の温度はやっぱり永久凍土なんだけど、それでも嬉しかった。弾んだ足取りで廊下を駆けだす。
だから、彼が漏らした「……人間の体は脆弱だな」という呟きには、気付けなかった。
スーツを着て生まれてきたような勅使河原さんに、青くて大きいツナギ(XLしかなかった)はシュールなコントかっ! てくらいに似合ってなくて、フロア全体に何とも言えない空気が流れる。氏はもちろんそんなのにはお構いなく、いつも通りお仕事してた。
そして終業後、そのままの格好でバス乗って帰ろうとしてたからあわてて「送ります」と申し出た。
「ありがとう、助かります」
いつもは荷物しか置かない小さな軽の助手席に、長身の、ツナギを着た、永久凍土が座ってる。私はやらかした本人だというのにその絵ヅラは申し訳ないけどやっぱりおかしくて、笑いをこらえるのが大変だった。そしたら。
「……藤野さん、顔が変ですよ」
「……勅使河原さん、あの、も少し包んで言いませんかね……?」
直截すぎる物言いも、もう面白いだけだった。
やけどは負わなかったものの、やっぱりカレーうどんの威力は絶大で、勅使河原さんが身に着けていた一式はクリーニングに出すまでもなく駄目だと分かるくらいどれも染まっちゃっていた。もちろん弁償させていただいた。
『なぜ藤野さんに買わせなくてはいけないのか分かりません』と渋る勅使河原さんを押し切って。
シャツとスーツを買いに行くため――ネクタイは『そこまで弁償していただかなくて結構です』ときっぱり拒否された――お休みの日に待ち合わせをすると、勅使河原さんは高温注意情報が出ている真っ昼間、汗一つかかずスーツで待ち合わせ場所にやって来て(お休みなのに!)、もしかして英国スパイ映画の俳優さんみたいに寝る時もスーツなのかなとか思った。けど聞いたら「普通にパジャマで寝ますよ」という事だった。がっかり。
隣を歩く勅使河原さんを盗み見る。氏はスーツを着て生まれてきたような人ではあるけど、いつも(そして今日も)着てるスーツは体のラインに合ってなくて、もったいない感じ。ちゃんと合ったのを着たらそこそこモテるんじゃないかな。顔は無表情だけど、頭小さいし手足長いし。
そんなこと思いながら、「これとこれです」と試着もせずに差し出されたシャツ&スーツをお会計させてもらって、お店を五分足らずで出た。
「勅使河原さん、もしや服のお買い物苦手ですか?」
ミッションクリアと言わんばかりに帰ろうとした氏を、「お茶しましょう!」とこれまた強引に誘って、喫茶店に引き込んだ。私はクリームソーダ、勅使河原さんはブレンド。
ミルクは入れないくせにスティックシュガーを四本も使って(どういう味覚だ)、彼はそれをくるくるとかき混ぜながら「よく分かりますね」と答えた。
「服なんて煩わしいばかりです。何着か用意して、それを順番に着ていますが、女性社員のように制服を着られたらいいのにと思います」
「……でも、髪の色を少しだけ明るくしたり、スーツをセミオーダーにしたりしたら、多分絶対かっこいいのに」
「この場合、藤野さんのおっしゃる『多分』と『絶対』はどちらが有効なのでしょうか」
でたでた、曖昧さ回避な勅使河原さん。
「どう思います?」
聞き返せば、あっさりと「分かりません」と匙を投げた。そして、きっとカブトムシも逃げ出すほど甘いに違いないコーヒーを永久凍土のまま飲み干して、呟く。
「人間は難しい」
まるでご本人は人間じゃないみたいな仰りようが、やっぱりおかしい。
カレーうどんをぶっかけて、お休みの日に弁償して。そんな、イレギュラーな事があったのが私の夢か妄想だったみたいに、月曜の朝の勅使河原さんはいつも通り。
――ちょっとは仲良くなったとか思ったのにな。
なんでか、残念に思った。
それでも、面白い人だと気付いてしまったので、勅使河原ウォッチングはいまさらやめられない。
この間なんか、給茶器のお茶がよっぽど苦かったのか、机の引き出しからスティックシュガーを取り出して期待通り四本入れて飲んでた。――そりゃあ、抹茶味のスイーツとかあるからすっごく変とは言わないけど。
取引先との金額の交渉はお手の物。いくら相手が粘ろうと「分かりましたよ」なんて言わない勅使河原さんだから、電話の向こうの取引先が結局は根負けする。
通話を終えた受話器を戻す手付きは静かで、長時間の交渉の疲れも、粘り勝ちの高揚感もそこにはない。
そうしてウォッチングを続けているうちに、私はある日とんでもない発見をしてしまうのだ。
「勅使河原さん、瞬きしませんよね!」
元々細い目だし、こんなに彼に注目しているのは私だけだから、多分他の人は気付いてない。でも。でもでも。
私は見た。それが幻覚じゃないのは、一週間のウォッチングで裏付けされている。
彼は、瞬きを一切しない。
そんなの、人としてありえる? いやないっしょ。こえーよ。
でも勅使河原さんだからな……。と納得しかける心をいやいやいやちょい待ちってツッコんで、仕事上がりの勅使河原さんを捉まえて、飲み屋さんで問い詰めた。
さあ、どう答える?
私の興奮をよそに、勅使河原さんは永久凍土のままあっさりと「はい」と答えた。
「身体の構造上、瞬きする必要がなかったもので失念していました」と、理由まで。
「……勅使河原さんて、もしかしてロボットですか?」
学習途中のAIだとしたら、微妙にポンコツなのも瞬きがいらないのもうなずける。でも勅使河原さんは私の問いに眉をピクリともさせずに「いいえ」と答えた。
「じゃー改造人間」
「違います」
「未来人?」
「違います」
「なら宇宙人だ!」
やけくその思いつきで言うと、なんと「はい」という信じがたい言葉が返ってきてしまった。
「う、嘘ぉ……」
「嘘ではありません」
「いやそこ嘘って言っておこうよ!」
思わず敬語を忘れてつっこむと、「分かりませんね」と首を傾げられてしまう。
「本当の事なのに、なぜ嘘を吐く必要がありますか?」
そう言われて気付いた。彼は、嘘を吐かない。
あんな熱々カレーうどんを被っておいて、やけど一つしないなんておかしなことだ。なのに彼は「やけどしていない」と言った。取り繕いもせず。そして本当に無傷だった。
服の買い物が煩わしい、なんていうのだって、別に答える必要のないことだった。
なのに素直に答えたのは、嘘を吐かないから。
どうして嘘を吐かないの? ――宇宙人だから。
だいぶ穴開きなロジックは、それでも私を納得させた。
嘘は吐かないにしても、これはアレだ。よくある流れとしては。
「わたし、……記憶、消されちゃいますか?」
笑いながら言ったのに声がへたって、なおかつまた「藤野さん、顔が(略)」と言われてしまった。
「分かりませんね。どうして消すと思いますか?」
「だって、私、勅使河原さんの秘密をふたつも暴いちゃいましたよ」
嘘が吐けない上に瞬きしないって気付かれたなら、そんな邪魔な存在は排除するもんじゃないの宇宙人的には。
「消す必要が、見出せません」
「……は?」
「あなたは、私にとても親切です」
「あ、ありがとうございます……?」
「こちらこそ。――かなり学習をしてきたつもりでしたが、地球の人間は複雑で、かと思えば単純で、理解がとても難しい。人間の行動パターンの収集が進まないと、円滑な人間生活は望めないように思えます」
「……でしょうね」
「なので、こうして私と接触してくれる藤野さんはとても貴重な存在です。今の私には、あなたが必要です。引き続き親しくしていただけることを心より願っております」
「そんな事言って、コレ、ナンパだったりします?」
勅使河原さんからのまっすぐな言葉が恥ずかしくて思わずふざけると。
「私は藤野さんに異性としての魅力を感じたことはありません」と予想通りの言葉が返ってきた。こういう人だって分かってるけど、分かってるけど……!
「どうして何でもかんでも素直に答えちゃうんですかー!」
その気はないって分かってても、まっすぐ瞬きもしないでこっちを見て思わせぶりな台詞を吐かれたりなんかしたらさ、こっちだってその気はないのにうっかりときめいちゃったじゃんか!
「嘘を吐かないので」
「じゃあ覚えてください。人は嘘を吐く!」
「人は嘘を吐く」
勅使河原さんは真面目にそう繰り返した。
ところで、勅使河原さんは別に侵略目的で地球にやってきた訳ではないようだ。聞けば「学術目的で参りました」とまるで入国審査の窓口のやりとりみたいなことを言う。
よかった、侵略目的だったらいくらなんでも協力できないから。そうじゃないなら、人間代表としてお助けしますよ。
こんなとびきり胡散臭い話だって『宇宙人、嘘吐かない』説に則って信じてあげようじゃないの。
以来、勅使河原さんは適度に瞬きすることを覚えた。
そして、休憩中の雑談時に限り「今日は仕事を休みたいほどの暑さですね」「犬を飼ったら楽しそうですね」など心にもないことを言うようになり、「勅使河原さん、最近丸くなったじゃない」となかなか評判が良い。
「お目付け役(?)の私も鼻が高いですよ」
お休みの日の定期集会――そこで人間に関するあれこれを教えることになった――でそう言うと、彼は私をまじまじと見て。
「藤野さんの鼻の高さは、以前と変わらず典型的な日本人のものですが」とほざいた。このやろう。
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20/04/20 誤字訂正しました。




