安寧と変化
市職員×市職員
間違い探しは昔から得意だ。今でも机の上の物の配置が変わっているとすぐに気付くので、上司には「此木はいつでもスパイになれんね」などとたびたび笑われている。
「あいにくですが、今の仕事が性に合っておりますので」
市役所の収税課で、日々市民からの納税についての問い合わせ、窓口での納税証明書の発行などに携わっている。忙しいがそれについての不満はない。職場に刺激や女性との出会いも求めていないので。
日々やる事が決まっている仕事をする。決まったルートで通勤し、決まった店で買い物をする。ハプニングとは無縁の日々。精神の安寧は自分が何より欲するものだ。その上で、『卵に黄身が二つ入っていた』『買った本が予想以上に面白かった』などといったささやかな楽しみがあればそれで十分。
「お先に失礼しますぅ」
「ああ、お疲れ様」
隣の席の女子は、毎日きっちりと時間で上がる。それについて異論はない。彼女は仕事が早い方だし、そして丁寧だ。
ただ一つ、語尾が若干伸びがちなのはどうか。
「おめーそれ位許してやれよ」
暑気払いをしようぜと半ば強引に連れて行かれたビアホールの向かいの席で、上司が笑う。
「許すだの許さないだの、そんな関係ではありませんから」
仕事の上ではどうかと思うが、個人的にはこんなところにまで柔らかい彼女の人柄が透けているのだなと感心している。
「お硬いねコノッキーは」
「妙な呼び名はおやめください」
困ってた顔が何よりの好物と言って憚らない上司なので、こういう時は構わないに限る。つまんないようコノッキーと絡み続ける上司にやってきたソーセージを切り分けて差し出せば、彼の関心はすぐに皿の上に移り。
「なあ、コノッキーのってコレと」
「男同士でも発言によってはセクハラですよ」
先に釘を刺せば、上司は膨れて(どんな四〇代だ)、泡の少なくなったビールを煽った。
「おはようございますぅ」
「ああ、おはよう」
隣の席の女子は毎朝誰にも均等にあいさつをする。あの人存在感薄いと挨拶を飛ばされがちな自分にもきっちり笑顔付きで。奇特な人だ。――ん?
気のせいだろうか。
彼女の黒目が、今日はほんの少しだけ大きく見えた。
以来、彼女の事を他の人よりも注視するようになってしまった。すると驚いた事に、黒目が大きい日、そうでない日、若干明るい茶色の日、逆に黒が濃い日、など日によって異なるという現象に気付いた。それ以外に、小さなほくろが手の甲にあったりなかったり。
自分以外にそういった一連の変化に気付いている人はいないらしく(上司は気付いていたとしても鷹揚な性質なので流していると思われる)、規定をはみ出すほどの事でもないので今のところ黙っている。利用者からの苦情もないので。
だがしかし、動機が分からない。いつからそうだったのだろうか、そして目的はなんなのか。
最近では『今日はどんな変化が』と気になってしまい、また帰宅してからも『明日はどんな風だろうか』と心がその事にばかり囚われ、買った本の面白さも卵の双子の黄身との遭遇も以前ほど喜べなくなってしまった。
おかしい。自分の日常が乱されている。早く安定した日々を取り戻さなければ。
そう思い、朝の挨拶を交わした後、勇気をもって彼女を昼ご飯に誘った。すると彼女は納税確認に訪れた人へ振るまう笑みよりもにっこりとして「よろこんで」と応じてくれた。
「場所、私が決めてもいいですかぁ?」
「あ、ああ」
取り立てて接点もない自分が急に誘ったというのに、困惑が見られないのは何故だ。
視界の隅で上司がニヤニヤしている。今日はなるべくあちらには近づかないようにしよう。
そして、上司のニヤニヤ攻撃になんとか耐えきって、ようやく彼女と市役所近くの、あまり職員連中の行かない――要するに若い女子に人気の、おしゃれなカフェへ行った。カタカナの並ぶちんぷんかんぷんなメニューを一つひとつ彼女に解説してもらい、ようやく注文を終える。
水を飲む。こくりと冷たい水が落ちていく感覚と向かい側に座る彼女が結びつかず、どうにも困ってしまう。
今日は、目はそのままで、ほくろが手の甲の手首に近い位置に据えられている。それを見て、ようやく「……なぜ、日々ご自分を使って間違い探しのような真似を?」と聞けた。発言してから、彼女にとってはおしゃれの一環かもしれないのに失礼な発言を、と内心慌てる。
ただの隣の席の女子だった彼女は笑う。今までで見た中で一番深く、そして泣きそうにも見える顔で。そして。
「やっと此木さんに興味持ってもらえたぁ」
続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n0063cq/53/
20/08/20 一部修正しました。




