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夏時間、君と  作者: たむら
season2
32/47

彼女さん元年(☆)

「ハルショカ」内の「女の子元年」の二人の話です。

 大好きな三浦(みうら)君が、私の彼氏になってから、初めて訪れた彼のお部屋。

 約束通り、贈られたエプロンを身に付けて、手作りハンバーグをこさえる為に、生まれて初めて一人暮らしの彼氏のおうちを訪れた。


 三浦君はエプロン姿の私を見るなり「……ほんっと、超絶かわいい」と云って、ぎゅうぎゅう抱き締めてきた。

「み、三浦君、お料理、ハンバーグ作んなきゃだから、」

 慌てて私がそう云い募ると、三浦君ははーっとため息をついて、「……そうだよねえ」と名残惜しそうに離れる。その顔が、今までとは違ってて、胸の奥がきゅっとなる。

 あれが彼氏の顔、なのかな。なんて、私自意識過剰かも。

 色々と恥ずかしくて、思わず高速で玉ねぎをみじん切りしてた。 


 使い慣れているコンロやフライパンじゃないからちょっと火加減が心配だったけど、三浦君は「おいしい、これほんとおいしい!」って大好きなにこにこ顔で何度も云いながら、付け合せのお野菜まできっちり完食してくれた。

「ごちそうさまでした」

「はい、おそまつさまでした」

 あ、またおっかさんみたいなこと云っちゃった。慌ててたら、三浦君がごろっと横になる。

「食べてすぐ横になるの駄目って云われなかった?」

「云われた云われた」

 私がおっかさんにならないように気を付けつつ注意しても、三浦君は起き上がらない。そして。

「あーあ」

「? どうかした? ……もしかして、ほんとはおいしくなかった?」

 何度も作ってるし自分でも食べて確認してるから、そんなにひどい味じゃないとは思うけど、家族以外に披露するのは初めてだし、もしかしたら味付けとかも私の方と三浦君の実家の方では違うのかも。なのに気を使わせちゃったかな、って思ってたら「違うから! ハンバーグは、ちゃんとおいしかった!!」って、三浦君が慌てて飛び起きた。

「ならよかったけど」

 じゃあ、どうして? 

 女の子になれたかな、と思った矢先に好きな人の彼女になったばかりの私じゃ、まだまだ分からないことだらけ。腑に落ちない顔をしていたら、困った顔した三浦君にじいっと見つめられてしまった。――何でしょう。

「あのねえ、自分で呼んどいてなんだけど、今の知世ちゃんの状況は鴨がネギしょって調味料も持参してやって来てるようなもんだよ」

「それはおいしそうだね!」

 うきうきして返すと、「ほんとにね……」と苦笑された。

「あーあ」

 あ、またごろんてした。

「どうしたの?」

「うん……」

 両手で顔を覆うから、くぐもって聞こえる声。

知世(ちせ)ちゃんはさー、女の子になったばっかでしょ?」

「うん、そうだね」

 生物分類的にではなく中身的には、まさしくそうだ。

「彼女にもなったばっかり」

「うん」

 お互いの気持ちを確かめ合ったのは、ほんの数日前。まだいろんなことがいちいち初めてで、いちいち緊張もワクワクもしてる。

 でも、どうして今そんなことを確認されてるんだろう。

 分からないまま(ついでに、エプロンもまとったまま)でいたら、優しい顔した三浦君と目が合う。

「一人暮らしの男の家にかわいい彼女がやってきて、俺の贈ったエプロンを身に付けて、おいしい手料理を振る舞うだなんてのはね」

「うん」

「『襲ってください』って云ってるようなもんなんだからね?」

「!」

 ひゅっと、変に狭まった喉が、息を吸うタイミングで高く鳴った。それを聞いた三浦君はゆっくり起き上がって「俺は、そうしないけど」って、私を宥めるような口調で云った。

「なにも分かってない知世ちゃんをそのまま戴いちゃうのは、フェアじゃないからね」

「う、うん」

「でも」

 ちら、と私を見る目。それだけで、動けなくなっちゃう。

「俺、待つけど、待てるけど、知世ちゃんとそうしたい気持ちはあるから」

「――うん」

 こく、とぎこちなく、縦に一度だけ首を振った。

「だから今日はこれだけ」

 床についてた握り拳を、三浦君が掬い上げて、ネイルも指環もない、短くしてある爪にキスした。

「!」

「次会う時は、ここね」

 予告する指は、私の唇をつんとついて、離れた。――今から、もうこんなにドキドキしてて、大丈夫なのかな私の心臓は。

「う、うん、」

「やだったら、云ってよ」

「やじゃない。待ってる」

 私がきっぱり言い切ると、三浦君は嬉しそうに私の頭を撫でた。


 夕方、「じゃあ私そろそろ帰るね」って立ち上がると、「俺もアルバイトあるから、駅まで一緒にいこ?」って云ってくれた。

「うん」

 手を繋いでアパートを出る。明日の授業のことや、お昼の待ち合わせなんかを話してたら、あっという間に駅についてしまった。

「今日はありがとう」

「それは俺の台詞。ありがと。帰り、おうちまで送れなくてごめん。気をつけてね」

「うん」

 離したくない手をそれでもなんとか自分から離して、改札を通った。何度も振り返るけど、三浦君は必ず私を見てくれていた。目が合うたびに笑顔で手を振りあって、でもホームへの階段を降りれば、当たり前だけど姿は見えなくなっちゃって、あんなにドキドキして楽しかったのが嘘みたいに心がしゅーってしぼむ。

 友人でいる時も、片思いの時も、ここまでお別れはさびしくなかった。

 これから会う日は毎回切ない気持ちになるのかな。今までより、うんと近い存在になったのに。

 電車に揺られるその一秒ごとに、三浦君から遠くなる。当たり前のことが、こんなにも泣きたい。

 大好きな人の彼女でいることは、とびきり甘い瞬間ととびきり切ない瞬間があるんだと知った。――女の子って、たいへんだ。『自分はみんなのおっかさんだから』って、遠くから眺めてた時には知らなかった、こんなの。

 心には今にも水が溢れんばかりなコップがいつだってあって、三浦君が笑ったり私を見つめたりするたびに、揺さぶられてこぼれそうになる。

 デートには何を着て行こう? とか、切り過ぎた前髪だとか、気にすることもいっぱいだ。でも、三浦君に会ってじいっと見つめられたそのあと、『知世ちゃん、今日もかわいい』ってテレ笑いしながら嬉しい言葉をくれる彼を見れば、不安も緊張も飛んでっちゃう。

 友達や家族といった、自分にとって大切な人達がくれる暖かな気持ちとはまた違うものをくれるひと。

 彼を、喜ばせたいな。いつだってにこにこしててほしいな。そのために、私は何を出来るんだろう。



 彼と私の共通の友人――三浦君はいつだって私を自然に輪の中に入れてくれるから、彼の友人で私の知らない人って大学にはいないと思う――で、とびきり手のかかる男の子がいる。深夜のバイトが忙しいのか、講義を受けててもノートを取らないで寝てたり、食堂で会えば汁ものをこぼして困っていたり。

 おっかさん気質の抜けきらない私が、目の前にそんな人がいて放置出来る訳もなくって、困っているたびに助けていたら何故だか懐かれてしまった。


 同い年なのに実家の弟みたい。


 そう思ったせいか、三浦君以外の男子にはちょっと緊張しちゃう私も、彼には親しみやすいなって思って接してた。上京してからそんな存在、初めてだ。

 いつもは仲間の中で世話を焼いているけど、二人っきりになっちゃう時もある。気にし過ぎかなって思いつつ、もし自分だったら、三浦君が誰かと二人きりでいたのを内緒にされてたらかなしいと思ったから、そのたびお話しするようにしてた。

「……でね、写したノート失くしちゃったからって、また私のノートを貸す羽目になったんだ。しかも『俺すぐ返すから書き終わるまでちょっとそこいて!』って食堂で待たされて、ひどいよねえ」

「あー。あいつ後でシメとくよ」

 最初のうちは、そんな風に笑ってくれた三浦君だけど、最近は『手のかかる男友達』の話をしても「へえ」って相づち一つだけになってしまった。

 いちいちこんな話を聞くの、つまんないのかな。

 そう思っていると「ねえ、次のデート、知世ちゃんはどこ行きたい?」って楽しそうにデートの提案をしてくれるから、ついつい確認を怠って、目の前の素敵なお話に飛びついてしまう。


 でも。


 やっぱり、おかしい。

 最近の三浦君、何か元気がないみたい。そう思って「どうしたの?」って聞いてみても「なんでもないよ」って答えが返ってくるけど。

 ――じゃあどうして、三浦君、そんな寂しそうな顔をしてるの?

 分からないのがもどかしい。教えてもらえないのは、私も寂しい。


 そんな毎日でも手のかかる男友達は今日も平常運転で、『ごめーん、二限のノートコピらせて!』ってメッセージが届いてた。まったくもう、って思いながら、待ち合わせ場所に指定された学食へと足を運ぶ。

 お昼時じゃないから、席に座っている人はまばら。その中に手のかかる人はまだいなくって、自分で時間と場所指定したくせにもうほんとにその勝手具合、うちの弟にそっくり! って憤慨してた時。


 窓際の席で、一人で座ってた三浦君を見つけた。

 声をかけようとして、でも出来なかった。

 今までで一番、寂しそうな顔をしてた。


 休講になったのかサボりなのかは知らない。

 でも、今までだったら『次の時間あいちゃったんだけど、知世ちゃんはヒマ? もし時間あったらお茶しよう』って声掛けてもらえてたのに、そうはならなかった。

 どうして。

 詰るような気持ち。でもそれは、彼を見ているうちに違う感情に変わっていく。

 考えなくっちゃ、彼女になりたてでも。


 彼はいつからあんな顔をするようになった?

 どんな話をすると、そっけなくなった?


 考えて、導き出せば、とてもシンプルな答えに辿り着いた。


「ごめん、おまたせー」

 こんな時にも、空気を読まずのんきにマイペースな男友達に、とっておいたコピーを押し付けた。

「私、もう君の面倒見ないから、あとは自分でなんとかするんだよ!」

「え?」

 きょとんとしてるけど説明してあげられる余裕なんてない。

 そうだよ。

 私、人の世話を焼くの嫌いじゃないけど、それより大事にしなくちゃいけない人が、一人だけいるの。


 ごめん。三浦君ごめん。

『彼女なりたてだから』って言い訳にして、よく考えないでたくさん寂しくさせたのは、私なんだね。

 一番大切にしたい人をほっぽり出して、何してるの。あんな顔させて一人にして。


「あれ、知世ちゃん?」

 近づいた私に気付くと、寂しい顔なんて上手に引っ込めちゃう三浦君。にこって笑って――びっくりまなこになった。

「え? ちょ、ちょっと、」

「ごめ、んなさい」

「知世ちゃん? な、なんで泣いてるの?」

 三浦君が寂しそうにしてるからだよ。そうさせてたのは自分だって、ようやく気付いたからだよ。

 なのにあなたは自分の寂しさなんてぽいってして、私のことを最優先に考えてくれるから余計に泣けてしまった。


 目が溶けちゃいそうなほど泣いてた間、三浦君はずっとそばにいてくれた。

 まばらとはいえ人のいる学食で泣いてしまったら、注目されてひそひそ話されてるって分かる。でも、涙はなかなか止まってくれなかった。小さい子供みたいにしゃくり上げてしまうのが恥ずかしい。でも、伝えないといけないことがある。


 心配そうな三浦君に、「私、三浦君の彼女なの」って、とっても当たり前のことを宣言した。

「うん、そうだよ」

「なのに、ちゃんと大事にしてなかったね」

「……」

「おっかさんはもう廃業する」

「え?」

「だから、寂しくさせちゃったの、許してくれる?」

 テーブルの上に投げ出されてた手にそっと触れたら、ぎゅっと指先を繋がれた。

「それじゃ、みんなが困るでしょ」

 三浦君は、怒ってる顔でもなく、寂しそうな顔でもなく、とっても優しい顔をしてた。

「いなければいないで、何とかするよきっと」

 現に、あんなに手のかかってた弟からは、上京以来ほとんどメールも来てないし。

「私が今一番大事にしたいのは、三浦君だよ」

 ようやくしゃくり上げなくなった声で、きちんとそれを届けた。

「……うん、ありがと」

 そしたら今度は、三浦君が泣きそうな顔で、笑った。それから、自嘲するみたいに云う。

「俺、駄目だね、知世ちゃんに気ぃ遣わせて、そんなこと云わせて。……ごめん」

「謝らないで、私がしたくてそうするの」

「でも」

「三浦君だけの私になったら、迷惑?」

「そうじゃないから、今舞い上がりそうな自分を必死で抑えつけてるんだけどね」

 くしゃりと笑って、それから「あーあ」って、いつかみたいにごろんて学食のテーブルに頬を付けた。

「みんなにうらまれそう俺」

「大丈夫だよ、三浦君心配し過ぎ」

「なに云ってんの、のんきな人だなあ」

 そう云うと、三浦君は繋いだ指の付け根あたりにキスをした。

 キスは、もう何回もしてる。唇以外にだって。でも。

「……学食だよ」

「うん」

「見てる人、いるかもよ」

「うん、見せつけてやろうと思って」

「……恥ずかしいよ」

「うん、俺も」

 そう云いながら、離れて行かない唇。

 ここじゃいやだよ。こんな時の三浦君を見られたくない。

 それに、――私もそうしたいって思ったから。

「三浦君のおうちに行きたい」って、勇気を出して口にした。

「……今日は駄目。待つって約束したのに破りたくなってるから」

 困ったように笑う。そうされると、今までだったらあっさり『分かった』って引き下がってた私だけど。

「三浦君ちで、ハンバーグ作りたい。エプロンは、今日は持ってきてないけど」

 一人暮らしの男の子の家に行って、手料理を振る舞う。

 その意味は、三浦君が教えてくれたでしょう?


 それが怖くないなんて云えない。

 でも、知らなくて分からないことは、たくさん二人で経験していったよ。地下鉄の乗換えの仕方も、おしゃれなカフェでの注文も、シネコンの席の取り方も。

 三浦君は、初めてじゃないかも知れない。それをいやだとか汚いだとかも思ってない。

 私は、三浦君とがいい。それだけだよ。


 女の子の方からこんなこと云うの、引かれちゃうかな。ちらりとそう思ったけど、三浦君はそんな人じゃないって分かってる。

 それを証明するように、私の精一杯のお誘いで三浦君はとっておきの笑顔になった。繋いでた手はきゅってされて、「このあと、サボりになっちゃっていい?」って尋ねられる。

「うん」

 私からも、きゅって返したら。

「じゃあ、食べさせて」って、私の耳元で囁いてくれた。

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