チョコレートトーク/キャンディデート(☆)
「如月・弥生」内の「チョコレートガール/キャンディボーイ」の二人の話です。
私が『チョコレートあるある』を披露するのは、挙動不審をごまかす時だ。
『前に一度、チョコレート工場に見学行った時に試食させてもらったんだけどね、お砂糖入ってないチョコって全然甘くないんだよ!』
――ついてるよ、と口の端についていたチョコパフェの名残を、平君の指ですいと拭われた時。
『とにかく量を食べたくてやっすい外国産のチョコを食べてたことがあるんだけどね、なんか酸っぱかった! あと味がコーヒーっぽいのとかあったよ』
――どうぞと抹茶プリンの乗ったスプーンを平君に口の前まで運ばれて、羞恥心と食べたい気持ちをはかりにかけたら羞恥心が敗北したので、結局そのまま『あーん』で食べたあと。
『お口で溶けて手で溶けないチョコだけどね、熱ある時の手だと表面の着色溶けたりするよ!』
――初めてのデートで差しだされた手をおずおずと繋いだ時の、普段表情が豊かじゃないその人がにこっとした瞬間。
きっと他の人にしてみたらなんてことない、よくある日常の一コマ、カップル編。
なのに、平君にだけこんなにどきどきしてしまうその理由を、私はもう知ってる。
ホワイトデーからひと月の間、今度は私から飴ちゃんを毎日あげて、それからお付き合いすることになった。『別に飴をわざわざ俺にくれなくてもいいよ』って平君は笑ったけど(そしてチョコをくれ続けてた魂胆も教えてくれたけど)、物を戴いて戴きっぱなしというのは気持ちが悪い。それに、マンゴーミルク味の飴ちゃんに微妙な顔をしたりだとか、慣れない手つきでチュッパチャップスの棒をちょこんと持っている平君が、いつもの頼れるクラス長の顔じゃなく、なんだかかわいらしかったのでもっと見たいなと思ったせいもある。
恋より男子とサッカーやってた方が何ぼかマシ、なんて思ってたのに、バレンタインからふた月かけてじっくり熱して、平君は私に恋を教えてくれた。おかげで、というかなんというか、まんまと意識させられて『平君の彼女』になったという訳だ。それから年度が替わり三年生になると、自分は文系、平君は理数系にクラスが分かれた。ちなみに、平君は今年もクラス長だったりする。
おりこうさんで、なのに面倒見もいい平君。でも私のことを好きになってくれたとか謎すぎる。なんで好きになったのか、どういうところが、とかは、未だに聞けてないので知らない。
学校よりも、お休みの日に外でデートしてる時に、赤くなる平君やくつくつといつまでも笑ってる平君を見ることが出来る(当社調べ)。だから今日も、たくさん見られるといいな。
このところ朝から日差しが強い。電車の中は冷房が効いているけど、汗が引くまでは乗り込んでから三駅分くらいかかってしまう。
――汗、あんまりかかないといいな。夏だから仕方ないけど、繋がれた自分の手が汗ばむのは気になるし、手を繋ぐくらい近くにいると、自分の匂いも過剰に気にしてしまう。平君の手はいつもさらさらしているし、男の子なのにあんまり汗の匂いとかしない人だから余計にそう。
ほんと、私、こんなんじゃなかったのに。
汗なんて夏はかくもんだし、そんなの気にして制汗剤をせっせと使ったり汗をまめに拭いたりするのは何か不自然。
恋をしていなかった時は、そう思っていた。
好きなら、ちょっとでもマシな自分を見て欲しいもんなんだな……。って、何痒いこと云っちゃってんの、私のくせに。
やだやだやだ、恋する乙女なんて柄じゃないし、切なくて泣いちゃうとか嬉しくて泣いちゃうとかほんとやだ。ちなみに、平君と付き合ってから流した涙は、今までの人生の総涙量をあっさり超えた(赤ちゃん期間を除く)。
こんな風に、付き合う前とはまるで変わってしまった私ってどうなんだろう、もし平君が付き合う前の私が好きならつまんない女になったなこいつ、とか思うの? いやいやいや、平君は紳士だからそんな風には思わないかもだけど。
私のそんな不安の芽は、毎日にょきにょき生えてくる。でもそれは、毎日平君の手で一本残らずちゃんと抜かれて、ケアされている。
今日だってそう。
待ち合わせた電車、前から三両目の中で会って早々に、「――藤田、どうしたの」って、眼鏡の奥からじっと見つめられた。
平君が私を呼ぶ声(お付き合いするようになって、『さん』がとれた)を聞くとそれだけでふわっと安心する。それに、平君はすぐ私の不安に気付くけど、だからと云ってそれを無理やりに聞き出そうとか、聞いてもそんなくだらないって一蹴するとかない。ちゃんと私が口を割るまで待つし、苛ついて酷いこと云ったりしないって知ってる。
だから私は、自分のペースでそれを話していい。ただし、電車の中は混んでいるし、他の人に聞かれると恥ずかしいから、こそこそ話。平君が近付けてくれた耳に、メガホンにした手を当ててそっと打ち明ける。
「――私が、恋する乙女だと、平君はいやかな?」
がたんがたんと電車がポイント切り替えを乗り越える時、いつもと同じに平君は私の背中に手を添えてくれた。でも、常ならクイックにレスポンスされる筈の平君の解答が、今日はなかなか返って来なくて不安になる。
おそるおそる、自分+一〇センチのその人を見上げた。すると。
「――大歓迎、だよ」
赤い顔を隠すように、すじすじの大きな手が眼鏡のブリッジを押し上げていた。
「そっか、ならよかった」
「うん」
たたんたたん、という電車のリズムが、まるで弾む心みたい。
嬉しいな。私は私のまま、恋をしていいんだ。
こうして今日も不安の芽は無事に取り除かれて、私はますます平君のことを好きになる。ごつごつしたその手に、ポケットの中のタオルハンカチでこっそり汗を拭った自分の手を添えると、食虫植物みたくぱくんと捕えられた。心臓が跳ねて、顔が赤くなる。
それをごまかす為に、私は『チョコレートあるある』をまた――。
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今日は久しぶりのデート。学校で毎日顔見て会話を交わしていても、やっぱりデートは特別だ。いつもの制服姿ももちろんかわいいけれど、スペシャルにかわいい私服姿(しかも褒めるとはにかむ姿が、さらにかわいい)を見られるし。
お人好しでチョコレートフリークの藤田をチョコレートでの餌付けでまんまと釣り上げることに成功し、以来『藤田の彼氏』として、彼女の心にでんと居座っている。
藤田は、変わった。すごく変わった。俺が良いなと思うところはそのままに、女の子らしさが増した。
じっと、俺を見つめていたり。
何か言いたげに息を溜めていたり。でも云えなくて、そっと横を向いて溜め息を逃がしていたり。
その喜ばしい変化を彼女はそうは受け止めず、それで俺に嫌われたらどうしようだなんて思ってくれるのだから、彼氏冥利に尽きると云うものだ。
それにしても藤田は、沈黙が苦手らしい。普段友達と戦場の最前線で降り注ぐ弾雨のようにエンドレスかつハイスピードでおしゃべりしてるから、会話をしていないとどうしたらいいか分からなくなるみたいだと見当をつける。別に、黙ってたって俺は一向に構わないのに。『どうしようどうしよう、何か話さなくっちゃ』と懸命になっている藤田を見るのはなかなかに好きなので最初のうちは沈黙のたびそのリアクションを楽しんでいたのだけど、だんだん小動物を苛めているような心地の悪さを感じるようになってしまった。
なので、彼女が云うところの『飴ちゃん』を常備するようになった。この季節、いくらなんでもチョコレートを持ち歩くわけにはいかないので。
沈黙が降りると、用意していたそれを出して『はい』と手渡す。彼女は、『ありがと』と受け取って、ふっと表情を和ませる。チョコの時ほどじゃないとは云え綻ぶ顔を見ると、それだけでこっちも幸せになれる。
親指とひとさし指でつまんだ飴を含む時の、唇の形が好きだ。それから、ちゅるんと口に吸い込む姿は、こちらを誘っているように錯覚してしまう。そんなんじゃないと思いながらも、つい見惚れてしまう。
あまいあまいミルキーを渡したのは、三回目のデートの観覧車の中で。
喉が痛くなるほど甘くて、でも彼女がふにゃんと笑ってくれたから、その痛みさえ観覧車からの景色と一緒に嬉しい記憶として刻まれた。
すっぱい小梅ちゃんは、喧嘩をした日の電車の座席で。
渡したのは、袋に二つくらいしか入っていない大玉で、彼女は『おお』と喜んでくれた。すぐに喧嘩の真っ最中だったことを思い出して慌てて怒っているポーズを装着したけれど、その時にはもうほっぺがぽっこりと飴の形に膨らんでいたから、笑いを堪えるのが大変だった。
チョコレートが中に入っているチャオは、デート終わりの今。
彼女に手渡して、自分も同じものを口に含む。からになった包みを受け取って、まとめてくるんでバッグのポケットにしまった。そして、何でもないように云う。
「そろそろ帰ろうか」
「……うん」
そんなに切ない声を出すなよ。明日になればまたすぐに学校で会えるのに。それを藤田も知っているのに。そんな彼女がかわいすぎて、駅だと云うのに抱きしめたくなるのをぐっと堪えた。
ホームに並んで立って、俺の携帯に差したイヤホンをシェアした。立ち位置と同じに、俺がR、藤田がL。彼女を乗せて連れ去ってしまう下り電車が来るまで、温い風に吹かれながら二人でラブソング一曲分ほど待つ。
明るい曲を聞いている筈なのに、何故か二人して沈黙してしまったから、セオリー通り彼女の口にキャンディを押し込んだ。
「なにふんのー!」と軽く怒る彼女の頬に手をやる。
今から俺はきっと恥ずかしいことを云うけど、どうか蹴散らさないでくれ、と心の中で懇願した。
「……それ舐めてる間は、俺のこと思い出してて」
云ってから、とてつもなく恥ずかしくなって、ずれてもいない眼鏡のブリッジを押し上げる。だったら初めから云わなければいいのに。
彼女は、とそっと表情を伺うと。
「舐めてなくても、忘れたりしないよ」と、少し赤い顔でほほえんでいた。
うっかり見惚れていると、はい、とイヤホンの片割れを手渡され、いつの間にか滑り込んでいた下り電車に彼女が乗り込んで、あっと云う間にドアが閉まる。扉の向こう、胸の前で両手を振って『ばいばい』と云っている彼女。
その電車が見えなくなるまで見送ってから、自分が乗り込む上り方面のホームへと足を運んだ。
――俺も。
藤田を忘れることなんか、一秒だってないよ。
今日の余韻に浸りたくて、チャオを口に入れた。噛んだりせず、ころころと口の中で転がす。薄くなった飴に亀裂が入りやがて中からチョコレートが現れれば、それはそのままチョコレート好きな彼女と交わしたやりとりみたいに、温かい気持ちと飴の甘さが体じゅうへ広がっていった。