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夏時間、君と  作者: たむら
season1
26/47

お達者クラブ定例会報告

又の名を、阿部氏による松田懐かせ記録

 五月某日/目黒区/イタリアン

 完全予約制の小さなお店。駅からも距離があるし平日の夜なのに満席だったそこは、常連さんに愛されてる感満載。アウェーな気持ちを感じてしまうかと思いきや、一軒家のような店内の壁にはあちこちに小さな絵、各テーブルにも小さな野花を一輪飾ってあって温かみを感じたし、穏やかな店員さんのおかげで初めての私にも居心地がよかった。

 三崎漁港で水揚げされたと云う真鯛のカルパッチョはぷりぷりの歯ごたえだった。自家製のアンチョビを使ったじゃがいもとアスパラガスのパスタもおいしかったけど、一番はリゾット。半円型に切った大きなパルメザンチーズの中にリゾットを投入して絡めるのを、目の前で見せてもらって圧巻。いいよーとろけるパルメザン濃厚だよーと内心興奮しつつもりもり無言で食べていたら阿部さんに吹き出された。白ワインがむせたってそれ人のせいにしないでください?

 行きはタクシーで向かい、帰りはぶらぶらと自由が丘の駅まで歩いた。これもクラブの活動の一環、ですから。

 お散歩好きの私にはお店から駅までの距離は程よいものだったけど、普段ちっとも動かない阿部さんはどうかと心配になり聞いてみたら。

「馬鹿にすんな、短時間なら歩けるんだ、短時間なら」とのこと。威張ることでもないでしょうが。

 てか、何で手、繋いでますかね。坂道だらけだから、か?


 五月某日/千代田区/スペイン料理

 再び手を繋がれ――あまりにもナチュラルなその所業にさすが経験値の高い殿方は、と感心していたら離してくれと云うタイミングをすっかり失ってしまった――向かったのはJRの高架下の細長―いお店。ラテンなお店を意識してか、出迎えてくれた店員さんをはじめ、濃いめのイケメンぞろい。色黒マッチョで黒髪は後ろに一つで結んでたり、おしゃれ髭で長めの前髪を後ろに流したワイルド系だったり。やたらと男性店員のレベルが高いですねと阿部さんに云ったら面白くなさそうな顔をされてしまった。ただの鑑賞の感想ですよ。

 上を通る電車の音がうるさいかな? と思ったら、それよりもお客さんの会話の方が大きかった。活気のあるその店の中では阿部さんと丸テーブルを挟んで会話するのも一仕事で、気が付いたらカップルシート位、椅子を近付けてしまっていた。

「阿部さん、これって……」とメニューの中の一品を指差さして覗き込んでいたら、その指にキスされた。しかもかぷって噛まれた。

 ひゃん! て声が出てしまったけど、喧騒に紛れてくれてよかった。でもさすがに阿部さんには聞こえてしまったらしい。よほど変な声だったのか、何かを堪えるような顔をして、やって来たばかりのビールをガブガブと飲んでいた。私は赤ワイン。ゴリゴリした野性味溢れるフルボディが堪らない。んーおいし、と味わいつつ堪能していたと云うのに、阿部さんときたらやっぱりお水みたいにビールを飲んじゃっていた。もったいないなぁ。

 角切りのじゃがいも入りのスパニッシュオムレツはしっとりかつふわふわで美味しかった。次にイケメン店員さんの手で運ばれてきたシーフードがどっさり乗ったパエリアを見て、そのボリュームに『食べきれない!』と慄きつつ挑む。ムール貝やエビやアサリをガツガツ自分の皿に乗せる私に、阿部さんは生温い目で『好きなだけ食べな』と田舎のおじいちゃんみたいに云ってくれた。遠慮しないでそうした。そして食べきれない筈が何故かしっかり完食してしまった。


 お店を出るとまた当り前に手を繋がれてしまって、挙動不審になってたら「松田、変」と笑われた。



 五月某日/港区/鉄板焼き

 そのお店の名前をメールで告げられて、うわぁいとテンションが上がった。内心ガッツポーズ。一度行ってみたかったんだよねと鼻歌まじりに仕事しそうなくらい嬉しくなる。

 そのお店の入っているホテルには、何度か友人とランチやスイーツバイキングで訪れたことがある。残念ながら客室利用はまだだ。友人たちとガールズトークで騒ぐどころか、コイビトに甘く囁かれながら夜通し愛される、なぁんて夢のまた夢だ。まあ、別に今は望んでないけどそんなの。

 だから、甘く囁く恋人設定の妄想で、うっかり阿部さんを想像してしまったのはこのところ親しくしている異性が阿部さんだけだったから。登板理由なんてそれだけだ。なのに、 変な妄想をしてしまったせいか手を繋がれた時に黙ってしまっていたら、妙なところが鋭い阿部さんに「具合悪いなら今日は止めて帰るか?」なんて気を使われてしまった。

「いいや! 熱を出していようとも参ります! 倒れるのは完食してから!」と力強く宣言して大笑いされた。よかった、これでいつも通りの空気感。

 お店が入っているのはホテルの高層階ではないけれど、店内からは湾岸の夜景が一望出来る。

「なんで鉄板焼きのお店なのにこんなこじゃれてて夜景ビューとかですかね」と私が目の前でシェフに焼いてもらった但馬牛を戴きつつそう云うと、阿部さんは「普通女の子って夜景とか喜ぶんじゃないの」と呆れた顔をした。

「夜景は、単体で楽しみます。ご飯の時は、ご飯一択です」

 そう胸を張れば「よく分かった。今後の参考にさせてもらう」と思いのほか真面目に答えられた。

「あ、でもここはおいしいからまた来たいです」

「そんな要望なら、いっくらでも応えたいね」

 微笑む阿部さんはいつも通りなのに、私の目にはとても嬉しそうに映った。


 帰り道、またしても当たり前に繋がれた手について、アルコールの力を借りてようやく聞いてみたら「リハビリ」とあっさり云われた。

「恋をしようって気になるように、俺でリハビリすればいいよ」と云うけど、でもまだ私は。

 口ごもっていたら、「まあ、おいおいな」とそれ以上は侵攻されずに済んだ。

 繋いだ手はそのままに、モノレールの駅まで歩く。胸の中にある気持ちが何色なのか、まだカテゴライズは出来ない。それでもいいと阿部さんが示してくれた。そのことが、すごく嬉しい。 


 約束通り、ここには六月と七月にもそれぞれ一度ずつ訪れた。


 六月某日/新宿区/卓球場→卓球ショップ→ラーメン屋

 卓球勝負をした。また手を……もういいか。

 私はこの日に合わせた新しいマイラケット。もちろんグリップは削ってカスタマイズ済み。

 阿部さんはお店で借りたラケットの握りが気に入らないみたいで、「カッターで削りたい……」と何度も呟いていた。でも、負けたのをお店のラケットのせいにしないでください? ふふふん。

 八コ下の私に負けたのがよっぽど悔しかったのか、「松田がラケット買った店、教えてくれ!」と、おおよそ拒めない迫力で迫られた。ハラスメント寄りの圧力と云っていい。

 心の広い私はもちろんちゃあんと教えてあげた。ていうか、「すぐ行きたい」とか堪え性のないことを仰るので、ちゃあんと連れて行って差し上げた。

 古びたマンションの一室のそこは、広くはない店内なのに品揃えがとんでもない。

 阿部さんが「シェークのラケットとラバーを見繕ってください」と大真面目な顔でお店の人に聞くのを、商品棚越しに生温く見守ってしまった。三〇分程度で品選びが終わり、やっと卓球の装備が整ってにこにこ顔の阿部さん。買ったばかりのマイラケットの入った専用袋を小脇に抱え、「世話になった。松田の食いたいもんなんでも奢るよ」と云うので、「あ、じゃあ、ラーメン!」と素直に返せば、何故か「……欲のない奴」と呆れられた。何でやねん。

 ちなみに、連れて行ってもらったラーメン屋さんで食べたのは豚骨。カロリーなんて気にしない。脂がぷかぷか浮きまくりの白いつゆを飲み干した私を見て、阿部さん(食べたのは醤油ラーメン)が宇宙人を見る目で「若いってすごいな……」と呟いていた。


 ――卓球勝負の後ひたすら固く拳を握っていた阿部さんの手が、ラーメン屋さんを出た後するりと私の手を繋いだから、なんでかとてもホッとした。


 六月某日/中央区/ガード下のお店

 阿部さんが連れて行ってくれるのはどこもお洒落なとこだ。でも今日は趣向を変えて、私がお店を選んだ。

 外国人向けの小さなお土産屋さんの向かいにある、会社の近くの飲み屋さん。お客さんの九五%はおじさんだ。残りの五パーが私。

 にんにくの焼ける、ものすごーくいい匂いがする。阿部さんの上等スーツに匂い付いちゃうかな、と思うも、嫌なら出るかとそのまま席に着いた。

「瓶ビール一つ、コップ二つで」

 メニューを見るまでもない。ここは瓶ビールか生ビールかホッピーか熱燗しかない店だ。サワーやカクテルなんてもとより存在しない。

 キンキンに冷やされた瓶ビールがやって来ると、冷ややっこやら出汁巻き卵やらと云った、比較的消化のよさそうな物を適当に頼む。ビールを注いだコップを持って、「お疲れ様でした」とテーブルの上に置かれたままのもう一つのコップにごっちんと当てた。

「……おう」

 ようやく、のろのろと手が上がり、コップを持つ。

 体力のない阿部さんは、只今絶賛夏風邪中。

 お昼休みにたまたま廊下ですれ違ったらゾンビみたいな顔した阿部さん(でも身繕いかは完璧)がいて、聞いたらそんな訳だった。食欲もないと云うので机に常備のゼリー飲料を渡し、五時を過ぎたら阿部さんを同じビルの中に入っている診療所に引っ張って行き、診療を受けさせた。お薬各種を出してもらって会計が済んだらさっさと家に帰そうと思っていたのに、「一日頑張った俺に褒美をくれ……」と弱弱しく云われてしまったので、仕方なく歩いて五分のここへ連れてきた次第だ。本当はお酒なんか飲ませたくないのだけど、コップに半分だけ。

 今日はにんにく揚げ食べられないのは残念。と、隣のテーブルにやって来たそれを未練がましく眺めていたら、「そう云うのはもっと体力のある時にな……」とか云う余裕はあるらしかった。出汁巻きも冷ややっこも少しずつ手を付けてもらえてホッとする。


 へろへろでいつもより熱い阿部さんの手を、いつもと違って崖線の時みたいに私が先導して繋いで、そしてタクシーに放り込んだ。ドラッグストアで買った栄養ドリンクとゼリー飲料も押し付けて。タクシーを見送ってから自分も電車に乗って帰宅した。

 阿部さんが無事に家に着いたのか、ちゃんと渡したものは口に入れたのか、気にはなる。でも寝ていたら悪いからこちらからメールも電話もしない。

 ――そんなに気になるならついて行けばよかったのに。

 そう思う私と、

 ――行くわけないじゃん彼女じゃないのに。

 そう思う私が、いる。

 気になったまま寝たら、阿部さんが自宅の玄関で行き倒れた夢を見てしまった。縁起でもない、と思うけど夢でみる悪いことはいい知らせらしいので、それを信じる。


 翌朝、いつもより寝不足で重い頭のまま出社したら、昨日よりはゾンビじゃない(でも人間とゾンビ半々くらい)の阿部さんと廊下で行き会った。

「よかった、無事で」と云ったら「は?」と掠れた声で訝しまれた。

「治ったら、付き合え」とジョッキを傾ける仕草には「了解です」と苦笑で返した。

『付き合え』が『飲みに』だって分かっていても、『俺と』と一瞬勘違いした自分が恥ずかしい。はやくこのドキドキ治まれ。


 六月某日/新宿区/卓球場→台湾屋台

 卓球勝負に負けた。

 くやしい。

 小龍包もエビ焼売も揚げパンも空芯菜のにんにく炒めも大根餅も全部美味しかったけどそれがぶっ飛ぶくらい悔しい。リベンジを固く誓う。

 行きはもう当り前に繋ぐようになった手を、帰りはいつかの反対に頑なに拳を握って早足で歩いた。わざとらしく手を大きめに振って、チラチラこっちを見てる人がいるけど知らんふりだ。

 敢えてのチョイスでアップダウンのきつい道を行く。早足で。

 そしたら、ぐーにした拳の上から強引に手を繋いできた。

「……置いてかないで」と乱れた息でお願いされて、うっかり絆された。


 七月某日会社の暑気払い/中央区/ビアガーデン

 遠いなあ。部署ごとに席を固めてあるから当たり前だけど。

 ……何さ、隣の女子にデレデレしちゃって。だったら私になんか、ちょっかい出さなきゃいいのに。

 思わず眉間に皺が寄りそうになっていることに気がついて、慌てて『ビール最高!』って顔をした。うん、夜風に吹かれて飲むビール、最高。

 あんまり期待してなかったけど、意外と揚げ物がおいしい。ぱりぱりの春巻きと、からっと揚がった唐揚げをパクパク食べてたら同じ部署の年下君に「よく食いますねー」と呆れられた。

 生意気だぞ! と、何かの八つ当たりも兼ねて、アイアンクローを掛けてやった。

「痛い! ちょっと松田さんひどいですよ!」

「ああごめんごめん、ここは好きなだけお飲みよ」

 最初っから飲み放題ですよ! と云う抗議は聞かず、ちょっと飛ばし気味に飲んでしまったので一旦戦線離脱した。

 大して高さのないテナントの屋上は、それでも地上より風が吹いている。温いその風を存分に感じながら、金網越しの夜景と軽い酩酊を一人楽しんでいた。

「飲まないのか」

 おっと邪魔が入ったぞ。

「一息入れてたとこです。阿部さんこそ、飲まないんですか?」

「飲んでるよ」と、ジョッキを見せられた。

「逃げてきたんだよ、ちょっとかくまってくれ」

「やですー。隣の女子といい感じだったじゃないですか」

 イラつきが再燃した。

 そしたらそれは、阿部さんにも飛び火したらしい。普段にこやかな人なのに、ムッとしてた。それが心のどこかで嬉しいような、ちょっと悲しいような。

「社交は必要だろ? そっちこそニコニコお酌しちゃって」

「それくらい普通ですー。阿部さんいいなあ、おっぱいぎゅうぎゅう押し付けられてたでしょ」

「俺は別に好きでもない女のおっぱい押し付けられたって」

「あーうん信じないんでいいですもう」

 男性が肉体の前で無力なのは、この歳になればなんとなくそう云うもんかって分かってるし。そう思って流したのに。

「……俺が触りたいのは、目の前のだけだ」

 うわ。

 そう、きたか。

 うまい返しも思いつけず、じゃあどうぞ触ってくださいとも云えず(云えるかあ!)、熱すぎる阿部さんの視線を、持て余していた。

「……あ、見てください、うち、あっちです」

「どっち」

「だから、……」

 ぴんと指先まで伸ばした右手の甲に、唇が押し付けられた。強く吸い上げられたと思ったらあっという間に離れてしまう。

「……今はこれで我慢してやる」

 去り際に、捨て台詞を吐いて、行ってしまった。


 顔が赤いのは、きっと外だから誤魔化せている筈、だ。

 に、しても。

 私、あと何回この攻撃を受けるんだろう。

「心臓が溶ける……」

 金網にしがみ付いて、キスの衝撃波をやり過ごした。


 七月某日/港区/鉄板焼き

 晴れて恋人同士になったので、お達者クラブの活動及び記録はこれにて終了。


15/09/10 一部修正しました。

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