ふつうの恋人
おまけ第二弾はデッカイ族の人と小っちゃい族のお姫様です。
「ほら」
俺が手を差しだすと、真緒は「え」と躊躇した。急かすように、手を広げてもう一度「手」と促すと、ようやくおずおずと小さな手が近付いて来る。
「か、和馬君……」
「ん、何」
「恥ずかしいんだけど……」
「慣れて」
「無理だよ!」
デッカイ族の俺と小っちゃい族のお姫様の真緒が歩いていると、それだけでものすごく目立つ。その上、俺がここの地元球団のピッチャーで、真緒は俺の婚約者で、その二人が街の大通りで手を繋いで歩いていたらそれはもう目立たない訳がない。
分かっていても、こうしたくなる。まお、とようやく名前で呼べるようになって、当たり前に外でも手を繋いで歩けるようになったんだ。今まで出来なかった分、そして野球選手と云う全国を飛び回る仕事柄これからも寂しくさせてしまう分、二人でいる時間は片時も離したくない。
あのね、のはらく……じゃなかった、和馬君のお洋服、一緒に買いに行きたいなあ、なんて。
真緒からその申し出を受けたのは、俺が試合後のヒーローインタビュー中に公開プロポーズをした、そのひと月後の事だった。
お互い長年相手を名字で呼び合っていたので、いざ下の名前で呼ぶとなると照れる。でも結婚するのだからいつまでも『鳥谷』『野原君』と呼び合っている訳にもいかないだろう。
球場での公開プロポーズの後、彼女を丸め込んでホテルへ連れてきた。こそこそ逢引するのではなく、堂々とチェックインをしてやっと普通の恋人らしくお泊り出来た翌朝、恥ずかしさをねじ伏せつつ名前で呼び合う事を提案すると、真緒は照れに照れて「無理だよおー」と顔を隠しながらずるずるとソファの座面に倒れ込んだ。
「俺知ってる、慣れるにはどうしたらいいか」と、いつかと同じトラップを張った。すると人を疑う事を知らない真緒は、「え、教えて!」とやっぱりまんまとそれに食い付いた。
ソファで横になったままの真緒に近づく俺の意図をそれでも途中で気付いただろうに、彼女は目を閉じて俺を迎えてくれる。その事が嬉しくて、ついキスが深くなった。
指を絡めると、それだけで俺よりずっと小さい真緒の指は簡単に折れてしまいそうに見える。のけぞる華奢な指と、覆いかぶさって逃げる事を許さない俺の指。
キスの合間に互いの息遣いが聞こえ、欲望に火を付けられそうになるけれど、昨日の晩さんざん貪ったばかりの真緒に朝からその行為を強いるのは躊躇われた。
名残惜しい気持ちで何とか離れる。そして当初の目的を思い出して、「……名字で呼んだら、そのたびこうすれば嫌でも慣れるだろ」と囁くと、「嫌じゃないけど恥ずかしいよ!」と云う言葉と、腹にへなちょこなパンチを頂戴した。
それがどんなに俺を舞い上がらせていたかなんて、真緒はこれっぽっちも知らない。
話があるんだ、と高校の同級生で野球部員でもあった幸太郎と反町と、鳥谷の友人の近藤さんを呼び立てたのは、渋る鳥谷に何とか試合の観戦を了承させてチケットを送り、一緒に観る面子の名を聞いた直後。
千葉で行われたデーゲームの後、その三人を食事会と云う名目で都内の中華料理店の個室へと呼び出した。
回る円卓で反町がはしゃいで、それを幸太郎が諌めて、近藤さんが「相変わらずバカだ」と呆れて。
話は食事の後に、と暗黙の了解でもりもりと『中華無口』になりつつ皆でよく食べ――近藤さんも現役の野球選手である俺と元体育会系男子二人の食欲から脱落する事なくそこそこ喰らいついていた――デザートの愛玉子を戴いた頃合いで、近藤さんが「で? 試合の日に何しろって?」といきなりど真ん中にストレートを放ってきた。
つるんつるんスプーンの上ですべって逃げるゼリーは、まるで鳥谷みたいだ。そこにいるのに、ちっとも捕まらない。
そんな風に思いながら、「試合の後、鳥谷にプロポーズをしたいと思ってる」と手の内を明かした。
「試合の後って? 例えば、夜二人きりの時に? まさか、ヒーローインタビューでやらかすつもりじゃないよね?」
普段は温厚な幸太郎が、恐ろしく冷静に鋭く俺の行動を予測し、そして予防線を張るように先に云ってのけた。
「……その、まさか、だ」
「うわマジか」
反町のその反応が一般的な物だろう。見れば、近藤さんも渋い顔をしている。
「あのさあそれって鳥谷ちゃんが恥ずかしいって分かってる? そんな大事な事、二人の時に云ってあげなよ」
「……それだと、鳥谷、逃げるから」
「どういう事?」
付き合いは浅いものの、互いに思っていた時間は長い。なので、俺はすぐにでも一緒になりたいと思っていた。今まで何度か、左手の薬指に嵌める指環を見に行こうだとか、鳥谷の家に挨拶に行きたいなどと持ちかけてはいた。でも鳥谷は、『指環買ってるとこなんて見られたら、野原君困るでしょ?』と諌めるように云ったり、『いいよそんなおおげさじゃなくって。お付き合いするって事は、私から親に云っておくから』と笑って躱されたり。
それをかいつまんで告白すると「鳥谷ちゃんらしい」と近藤さんが笑う。
鳥谷は、俺の事をすごく考えてくれている。野球に関係ないところでスキャンダルにならないように。ファンが離れないように。でも、それは鳥谷を大事にする事とはイコールにならない。
「もっと、ちゃんと大事にしたいんだ。これからもずっと日陰者みたいに扱うのは嫌だ」
そう云えば、「そう云われちゃしょーがないなあ」と近藤さんがまず許してくれた。
「プロポーズはいいとしても、鳥谷さん本人の気持ちはどうなの? 結婚の意志はあるの?」
さすが幸太郎、聞かれたくないところをピンポイントで突いてきた。
「……ある、とは言い切れない」
「煮え切らねえなエース」
反町が笑う。
「でも、勝算はあると思ってる」
二人で過ごす夜。腕に閉じ込めると、鳥谷はひどく安心した顔で俺に体を寄せてくる。
朝、まだちゃんと目が明かない鳥谷にキスを落としながら『じゃあ俺、自分の部屋に戻るから。……また連絡する』と名残惜しい気持ちを抑え込んでそう告げると、一瞬泣き出しそうに顔が歪んで、それから笑顔のつもりの表情を浮かべて、それでも『わかった、またね』と云う。
一度だけ、『だめ、行かないで。もっと一緒にいたい』と夢うつつの鳥谷の口から本当の気持ちを聞いた事がある。ただしそれは俺に聞かせるつもりの言葉ではなかったらしく、すぐにきちんと目を覚ました鳥谷に『ごめん、大丈夫。もう行って』と撤回されてしまったけれど、その日は一日彼女の顔がちらついて仕方がなかった。
普通にプロポーズをしたら、多分鳥谷は逃げる。
嬉しいけれど俺とは釣り合わない、そんな理由で。
なら、後戻りできないような状況を作ってそこで告げたい。
三人には彼女が逃げ出さないように、その場にとどめて欲しい。それだけでいい。俺と結婚したらこんなメリットがあるとか、そんな甘言を囁くアシストは卑怯だ。
鳥谷自身に決めて欲しいと思う。俺を、選んで欲しいと思う。
野球が好きでここまで来た野球バカ。
俺はそれだけの男だ。ただのデッカイ族の男の求婚を、鳥谷もただの小っちゃい族のお姫様として受けて欲しい。
ただ、そうしてしまう事で鳥谷の日常は一変してしまうだろう。折角勤めた会社も、俺と結婚したら辞めて付いて来てもらうしかない。なので、せめて結婚時期は鳥谷に委ねる。
そんなあれやこれやを、つらつらと述べた。
「俺、いいよ協力する」と、反町が手を上げてくれた。近藤さんもさっき了承してくれたのは変わらないらしい。幸太郎は、と見ると、まったく、とため息を吐かれた。
「いつまで経っても無茶するね」
「そうだな」
「云っとくけど、俺は鳥谷さんの味方をするよ。彼女が少しでも嫌がるそぶりを見せたら、球場から逃がすから」
「……分かった。よろしく頼む」
遠回しな了承に、頭を下げる。
「てかさー、これって勝つ事前提だよね? 負けたらどうすんの?」と近藤さんが面白そうに聞いてきた。
「……負けなんかイメージしてない」
そう返すのが精いっぱいだった。
そして結果的にはなんとかOKしてもらえる事になったものの、試合内容は恋人に観てもらうにしては大分情けなかった事は否めないし、球団関係者にも黙っての決行だったのでオーナーや監督からも勝手な振る舞いをするなと後日キッチリ怒られた。
さんざん絞られたオーナーとの面会を終え、廊下で監督にも頭を下げると、『式には呼べよ』と肩を叩かれた。
そして彼女に委ねた結婚時期は、『来年のシーズンオフで、お願いします』とのお返事を戴いた。それまでいい子でいられるかどうか自信がないけれど、デッカイ族の男のプライドを賭けて耐えるしかない。その時期を選んだ理由は、『せっかくお仕事覚えたし、せめてかけてもらった労力とコスト分は会社にお返ししたい』と云う事だった。
球団からマスコミには申し入れをしてもらい、彼女を付け回すような真似はしないでもらえる事になっていたけれど、一般人にカメラを向けられたり、心無い言葉を吐かれたりはしていないだろうか。それだけが心配だった。いつでも傍にいて、守ってやれはしないから。
事ある毎に聞くけれど、真緒には「もう、和馬君心配し過ぎだよ」とその都度一笑に付された。そして、「会社の人は野球ファンが多いから、皆におめでとうって云ってもらえたよ。そのかわり、辞める時には多分サイン色紙が大量に必要だと思う」と脅かされる。
「会社以外は?」
「今のところ困った事はないよー。球場にでも行ったら分かんないけど、たまーにファンの人に『おめでとうございます』って云ってもらえる事があるくらいかな、あ、もちろんそれは困ってないし嬉しいから!」
よかった。――そして、もう一つ。最大の難関。
「お父さんは?」
「ごめん、まだ『来るな』って」
プロポーズしたのは、彼女のお父さんが贔屓にしているチームとの試合に勝利した後で、俺はその相手を負かせたすこぶる憎い奴、らしい。お母さんは賛成してくれていて電話でも何度かお話しさせてもらっているけれど、お父さんには電話に出てもらうどころか御挨拶に伺う約束さえもままならない状況だった。
「多分ね、シーズン中は試合に集中しろ、って事だと思うよ」
真緒の言葉はどこまでも前向きで優しい。
「――ん、じゃあ連絡だけは引き続きさせてもらうけど、シーズン終ってからきちんと御挨拶に伺うから、真緒もその心積りでいて」
「分かった」
球団関係者にはあれからすぐに真緒を紹介して、俺のマンションにも彼女を通す許可をもらった。
真緒の都合と自分のチームの試合スケジュールが合ったのはプロポーズからひと月後。ようやく自分の部屋に来てもらう事が出来てホッとしていたら、真緒から俺の洋服を一緒に買いに行きたい、とかわいいお願いをされて、出かける事になった次第だ。
俺の女、と堂々と連れ出せる今が嬉しくてたまらない。うっかり外でキスなどしてしまわないようにするのが大変だ。そう云ったら、空は曇っていたのに『念のため』と真緒が手にしていた日傘で小突かれてしまった。
手を繋いで向かったのは、チームの先輩に連れて来られて以来お世話になっているブランドだ。今日は事前に行く事を伝えてあったので、スムーズに歓待された。
ソファに案内されて、飲み物とケーキを出された真緒は「お洋服屋さんでこんなの、都市伝説だと思ってたよ」と俺に耳打ちしてアイスティーを飲む。
いつも接客してくれる女性店員さんがケーキを食べ終わったタイミングで「野原様、鳥谷様、お待たせいたしました」とやって来たので立ち上がり会釈をすると、俺の横で真緒もぴょこんと立ち上がり、「いつも野原君がお世話になっています! 今日もよろしくおねがいします」とお辞儀をしてくれた。
店員さんも「こちらこそ、野原様には御贔屓いただいておりまして」と柔らかく微笑む。
一通りの挨拶が終わりいよいよ洋服を選ぶ段になると、「あの」と真緒が意を決したように店員さんへ話しかける。
「今日は、私が野原君のお洋服を選びたいので、そのお手伝いをしてもらってもいいですか?」
「はい、かしこまりました」
店員さんは真緒の申し出をすんなりと了承してくれた。
「和馬君も、それでいい?」とこちらに聞く事も忘れない。家で事前に聞いていたので異存がある筈もなく、「ああ、頼む」とお願いすると嬉しそうに笑った。
そして「じゃあ、大人しく待っててね」と告げると、「秋の新作はこちらです」と案内をされて行ってしまう。その姿を、ソファに座りコーヒーを飲みながらずっと追っていた。
時折、「柄物をとても……」とか、「目がすごくいいから……」とか云う会話の断片は聞こえてくるものの、何を話しているかは分からない。ただ、二人してきゃあきゃあ盛り上がっていたのと、楽しげに選んでいる様子が微笑ましかった。
「おまたせ」と告げられた時には三、四〇分は経っていただろうか。それでも真緒の姿を見ていたので退屈はしていない。
「色々素敵で迷っちゃった! 試着、してもらっていいかな?」
そう云われて、マネキン人形にでもなったかのように何着も着ては脱ぎを繰り返した。左右の手に持ったジャケットを俺の胸の前に交互に当てて考え込む真緒の顔は真剣で、『どっちでもいいよ』だなんてとても云える雰囲気ではなく、ひたすら従うのみだった。
――そうしてこの日真緒と店員さんが選んでくれたのは、今までに比べると大人しいような、少し自分としては物足りないようなデザインの服ばかりだった。
「……なんか、地味じゃないのか」
そう切り出すと、「地味じゃないよ! 和馬君は体がしっかりしてるから、これ位シンプルなのを着ても充分かっこいいよ」と云われてその気になってしまう。
選んでくれたジャケットとシャツ類はまずサイズが合わない為、いつもどおりオーダーをお願いし数週間後に取りに来る手配をして、すぐに持ち帰れるカットソーやニットだけ袋に入れてもらった。ありがとうございました、と云う声に見送られて店を出る。
「ありがとな」
そう真緒に告げると、「こちらこそ。楽しかったー!」とニコニコしてくれた。
部屋を出る時には曇っていた空は買い物をしている間にすっかりと晴れ、夏の太陽が強いコントラストを生み出している。午後の日差しと好奇の目線から真緒を隠すように、ショップバッグを持っていない方の手で真緒の日傘の柄を持ち、彼女の側に差し向けた。そうしたら何故か真緒に思いきり笑われてしまう。
「デッカイ族の人に、レースの小ぶりの日傘、似合わない!」
なんかサーカスの熊っぽい! と笑う真緒に、「真緒は、こん中入っちまいそうだよな」と大ぶりのショップバッグを見せたらむくれた。
十字路に差しかかり、左へ渡ろうとする真緒を止めて「こっち」とまっすぐ進む事を示せば、「え?」ときょとんとされた。
「もう帰るんだと思ってた」
左に渡って五分も歩かないうちに俺の住むマンションはある。でも。
信号待ちの間に真緒をビルの陰に入れて一旦日傘を畳む。――そして。
「いいかげん、指環を嵌めさせてくれ」と左の手を持ち、その薬指を指で辿ってお願いした。婚約だの結婚だのが頭についた指環はまだ彼女のお父さんの許可がもらえないので勝手にはあげられない。でも恋人としてのものなら贈って差支えないだろう。関係をオープンにして、それを球団もファンも受け入れてくれたのであれば、もう指環をしない理由はひとつもない筈だ。
真緒は恥ずかしそうに笑って「うん」と欲しかった返事をようやくくれた。そして信号が青になると陰から出て、俺が再び差し向けた日傘の下に身を寄せて大きく――と云っても俺にしてみたらかなりの小幅だけれど――ジュエリーショップへと歩き出した。
*お店での会話*
真緒「えっと、大変申し訳ないのですけれど、今までみたいな色とか柄のは、これからは避けたいと思うのですが……」
店員「よかった! 同感です!」
真緒「え?」
店員「野原様にはチームの先輩の方のご紹介以来うちの服をずっと着ていただいているのですが、その方のファッションセンスにとても影響を受けていらしてて……。特にインパクトの強い柄物をとてもお気に召されるのですけれど、……とてもアグレッシブな着こなしと云いますか……」
真緒「あのガタイで鶏柄のアロハとか豹柄のニットはないですよね!」
店員「うちのプリント物はかなり人を選ぶアイテムですのでこちらからは敢えてお勧めはしていなかったのですけど」
真緒「あー、目がすごくいいから見つけちゃったんでしょうね」
とかなんとか。
14/09/15 一部修正しました。




