夏色長恋
会社員×高校生
絶対絶対、今日はこの服じゃなきゃヤ! って時、あるでしょ?
なのにそんな日に限って、お目当ての服はクローゼットの中で迷子になってて見つからないんだ。それとおんなじ。
鏡の前で、もう一五分は格闘してる。今日は絶対絶対、髪を緩くお団子にしたい気分だったから。
ずっと上げっぱなしの二の腕は、きっと明日筋肉痛。でもって、指も攣りそう。
使い慣れている筈のブラシが、誰より知っている筈の自分の髪の毛が、ちっとも云うことを聞かない。
「――なんでよぉっ」
子供みたいな泣き言と鏡に映る情けない顔に、笑いたいような泣きたいような。
希、日曜日暇? お祭り、一緒に行こうか。
そう誘ってくれたのは、お隣に住んでるのぶくんだった。
もちろん、のぶくんのお誘いなら他に予定があってもそっちを蹴って、何を差し置いても最優先のあたしだ。てか、日曜日はバイトも入れてなくて用事もなかったので、「いくいく!」と二つ返事をした。子供っぽかっただろうか、こういうのって少し勿体ぶったり、『そんなに行きたくもないけどね』なんてダルそうに返事した方が相手は気にしてくれるかな、と不安にしていたら、のぶくんがうれしそうににこって笑った。だからあたしは自分のバカ正直が正解だって分かった。
「決まりね。じゃあ、日曜の夕方、迎えに行くから」とあたしの頭を撫でて、のぶくんは出勤するために駅へと歩き出した。
「分かった。行ってらっしゃい!」
スーツ姿の背中に声を掛ければ、向こうを向いたままで手を一振り。キザいよのぶくん! と思うけど、のぶくんなのでゆるす。
周りじゅうにバレバレだと思うけど、あたしは物心ついたときからのぶくんのことが好きだ。うちに生息しているデリカシーまるでなし男(仮名)と同い年とは思えないくらい、のぶくんは素敵。
物腰は柔らかくって、すっごいジェントルマン。容姿端麗、ではなくて多分フツメン、でもあたしにとっては世界一イケメン。その上、少女漫画から抜け出したんじゃないかってくらいに優しいから、あたしはたまに勘違いしそうになるのだ。あたしにとってのぶくんが特別なように、自分が、のぶくんにとっても特別なんじゃないかって。
あたしはのぶくんが好きで好きで、朝、玄関を出る時間だってのぶくんが家を出るタイミングにわざわざ合わせて早めにしている位。こうしてまんまとお話し出来た日は一日うっとりしちゃうけど、でも、弁えているつもり。
二五歳のサラリーマンが、隣に住んでる発展途上の一六歳に手出しするほど女の人に困っているとは思わない。
のぶくんの後姿が見えなくなるまでぽーっと見送って、よしあたしも登校しようと思っていたら、新聞を取りに来たデリカシーまるでなし男(仮名)が、寝癖で髪の毛くっしゃくしゃ&無精髭のまま、おっきい口して欠伸しながら云う。
「お前ほんとのぶの事好きなー」
「好きだよ? 悪い?」
あたしがつんけんしながらはい、と郵便受けから出した新聞を渡すと、兄はおう、とか云いながらそのまま新聞を読み始める。
「ちょっと、ステテコのままお外で読みはじめないでよっ」
「ステテコっつってもお洒落ステテコだから大丈夫だろ―? 外っつっても庭だし」
そう云って堂々と読み続けようとする兄の背中を玄関の方に押し戻す。開き直ってたステテコの柄はキツめの水色にショッキングピンクのデッカイ水玉で、あたしにしてみたらちっともおしゃれなんかじゃないんだけどな。目、チカチカするよそれ。
「てか、大貴ももう出る時間じゃないの」
「今日は休み―。一服したら昼まで寝るー。てかちゃんと『お兄ちゃん』て呼べって」
「もー、自堕落! のぶくんの爪の垢煎じて一〇リットルくらい飲ませてやりたい!」
だめ出しをガン無視して玄関でぶつぶつ文句を云っていたら、「お前、夢見過ぎ」と心配そうな声を掛けられた。
兄は廊下に立膝で座り込んで新聞の社会面を開き、四コマ漫画に目を落としたまま諭すように続ける。
「あいつだって生身の二五よ? そんなキレイでもないしカンペキでもないのよ。そこんとこ、もうちょっと分かってやらない?」
小さい子に教えるみたいに云われて、カッとなる。――まるで、あたしがのぶくんのこと上っ面でしか見てないみたいじゃない。
「知らない! 行ってきます!」
「おう、気を付けてな」
少し乱暴にドアを閉めて、それからガシャンといつもよりも大きな音を立てて自転車のスタンドを上げて、ぐいぐい漕ぎ出す。
何よ何よ何よ。一足ペダルを踏むごとにせり上がってくる文句。
涙が滲みそうになるけど、漕いでいる勢いであっという間に目が乾く。シパシパと瞬きを繰り返した。
あたしがのぶくんをどんだけ好きだと思ってるか、知ってるくせに。
のぶくんに彼女さんが出来るたび号泣するあたしを、気の利いた言葉一つ掛けることも出来ずに、ただおろおろと心配するくせに。
のぶくんのことなら、のぶくんパパとママ以外の誰よりも知ってるつもり。そりゃあ、お仕事してるところを見学したことがある訳じゃないからもしかしたらものすごい非情な面があるかもしれないし、逆にものすごく実は仕事が出来なかったりかも知れないけど。でも、学業も習ってたスイミングも、のぶくんはいい成績を収めまくっていた(スイミングなんか中学の時強化選手にならないかって誘われたのに断ってた!)。
のぶくんは一人っ子で優しいから、隣に住んでるみそっかすな女の子を放っておけないだけ。そう思うようにしているのに、あたしの気持ちなんて知らないのぶくんはテスト前になると当り前のように勉強を見てくれちゃうし、どこかに出張したと云ってはかわいいお菓子を買い求めてくれちゃう。『ありがとう』ってお礼を言いながら、あたしはこんな風に思う――勘違いしないようにせっかく頑張ってるのに。勘違いしたら困るのはのぶくんなんだよ。こんなこと、なんとも思ってない女の人にもしてたらそのうち刺されるよ。
今以上を望まないように、ワガママにならないようにするのは、なかなか大変。
パーンパーンパーンと、乾いた破裂音が聞こえてきた。よかった、あれは『本日お祭りを開催いたします』の合図。
浴衣を着ようかなって思って、でもやめた。慣れていないし、着崩れても自分で直せない。そのかわり、精一杯のお洒落をした。と云っても、下品にならないように、露出も控えて。
モノトーンのマキシ丈のワンピースの上に、透け感のあるグレーのカーディガンを羽織る。ウッドビーズの長いネックレスをじゃらじゃらと重ね付けして、手首にも同じものを巻きつけた。髪を結い上げて緩くお団子にしてから、フープピアスをつけて、ビルケンのピンクのサンダルを履いて完成、の予定だ。
もっと大胆な格好をして、のぶくんを誘惑したい気持ちもある。でも、つねづねのぶくんには『希はかわいいんだから、無理に大人びた格好はしなくていいんだよ』って云われてる。それを頭から信じ込んでる。バカでしょ。
長く伸ばした髪。くせっ毛がかわいい、なんて云われたら、縮毛矯正もかけられないよ。
せめて痛んできた先だけでも今度切りに行こう、と思いながら髪の毛を結いはじめた。――ところが。
「――なんでよぉっ」
何度やっても、どうしてもうまくまとまらなくて途方に暮れる。
いつもはするんするんと指で軽く梳ける大好きな髪が、今日は必死なあたしをからかうみたいに、ブラシから逃げる。何とかうまく髪を上げて、これでやっとお団子が結えると思ったら、ポニーテールの根元にくるくる巻きつけていた髪ゴムがきちんと結び目を閉じる前にばらっとほどけてしまったり。
期末テストだってこんなに頑張らなかった、ってくらい頑張ってみたけど、約束の時間までとうとう一〇分を切ってしまった。――もう、間に合わない。
かわいいあたしを見て欲しいのに。こんなあたしじゃ、のぶくんの隣になんか並べないよ。ぐすぐす泣きながら、それでも携帯の操作は手が覚えているのでいつものスピードで文章を拵えた。
『ごめんなさい。約束してたけど、今日は行けません』
それだけを、見直しもしないで送信した。そして、ぺたんとフローリングに座り込んでベッドに上半身だけを突っ伏す。マカロンの形をしたクッションに顔を埋めて泣いた。のぶくんが、希にぴったりだったからと、お誕生日でもないのに買ってくれた宝物。
なんてワガママでイヤな子だろう。せっかく誘ってもらったのにドタキャンして。それも、髪の毛がうまくまとまらないなんて、そんな理由で。
どうしよう。嫌われたくないよ。どうしよう。
ひたすら泣いていたら、こんこんこん、と三回お部屋のドアをノックする音が聞こえた。――のぶくん、だ。
「のぶ、くん……」
顔を上げてドアの方を振り返り、しゃくり上げながら呟くと、「希? 今入ってもいい?」と、のぶくんの心配そうな声がドア越しに聞こえてきた。
「! だめっ!」
どうしようもない髪の毛は結局下ろしたままだし、盛大に泣いている顔なんて、絶対絶対好きな人には見られたくない。
「どうしたの? 具合でも悪くなった?」
あたし史上、多分最大の態度の悪さ。それでものぶくんはムッとすることなく、静かに話し掛けてくれる。
「出掛けたくなくなったの?」
「……のぶくんの、せいじゃない」
「じゃあなんで? 教えて、希」
そんな風に云われたら、あたしが拒否出来るわけない。
情けないコドモ、と自分で自分を罵りながら、ぽつぽつと話し始めた。
「今日、のぶくんとお出掛け出来るの、すごく楽しみだったの」
「うん」
「だから、おしゃれをしたの」
「うん」
「服とかアクセサリーはカンペキだったのに、」
「うん」
「……髪の毛、ちっともうまく出来なくて、」
話しているうちに情けなくなって、また泣けてきた。
途中からもう泣き声だったから、多分のぶくんにもバレバレ。
話途中で泣きはじめた後、ひとしきり涙を流させてくれてから、のぶくんは「希、入るよ」ってまた伝えてきた。
「だめって云った!」
「聞けない。入るから」
やっぱり、それ以上はあたしが拒否出来ない強さできっぱり云って、それからのぶくんは宣言通り部屋に入ってきた。ぱたんとドアを閉める音が聞こえるけど、頭からタオルケットを被ったあたしは、すぐそばにしゃがみ込んだのぶくんがどんな顔してるかなんて分からない。
「希」
「……」
「顔、見せて」
「……ヤダ」
「希の顔見られない方が、ヤだよ」
「いっぱい泣いたから、ぶすだもんっ」
「希はどんな顔だって、ぶすなんかじゃない」
「嘘だ!」
「俺の言葉を、疑うの?」
タオルケットの包囲網から逃れた髪の毛が一筋掬われ、そしてのぶくんの指に絡めとられる。だんだんに、指は上へ近づいてきて、とうとうタオルケットの中に侵入してきた。
「希」
そんな、困った声で呼ばないで。涙で冷たくなった頬を撫でないで。
結局、注意深く頭のてっぺんにまでたどり着いたのぶくんの手で、タオルケットはばさりとベッドに落とされた。
それでも往生際の悪いあたしは、ベッドの方を向いて座ったまま、クッションに顔を埋めた。
のぶくんの手が、あたしの髪をまだ弄っている。髪を持ち上げたり、片方に寄せてみたり。
「希が髪の毛下ろしてるとこ、久しぶりに見る」
どうせなら、カンペキにかわいいあたしの時に見て欲しかったよ。
「希、もう諦めて」
何を? そう話す筈の口は、逆にひゅっと息を吸い込む。
のぶくんが、あたしのすぐ後ろにいるのが分かる。美容師さんくらい、近いところ。
「どんな希だってかわいいって、云った筈だよ」
「の、のぶく……」
「俺と出掛けるのを楽しみにしてて、お洒落も頑張ってくれて、なのに髪の毛がうまく出来なくて泣いちゃうとか、かわい過ぎるだろそんなの」
希はもう少し俺の言葉を信じてくれていいと思うよ、と云うため息交じりの声。近すぎるのぶくんの気配に、動きたいのに動けなくて、でも声が聞こえるだけでびくっとしてしまう。
「……あーもう、やばいからもう時間切れってことで。こっち向いて」と、珍しく少し焦ったようなのぶくんが、うなじを一撫でしてから離れた。マカロンクッションも取り上げられて、振り向くしかない。どっちみち、あたしがのぶくんに逆らいきれるわけがなかった。今日のこれは、結構頑張った方だ。
のろのろと、俯いたままのぶくんの方に向き直る。まだ顔を見る勇気はない。
「希」
頬を両手で包まれて、ようやく上を向く。――満面の笑みののぶくんと、目があった。
「ほら、かわいい」
「かわいくなんか、ないよ」
「かわいいの。もうこっちは大変なんだからね」
「何が?」
「希は知らなくていいこと。俺が勝手に意地張ってるだけ」
そんなこと云うのぶくんに驚く。
「意地なんて、張ってるように見えないよ」
「そりゃそうだろうね、希にはそう見えないようにしてたから」
隠しごと、されてた。その事実に、ツキンと胸が痛む。するとのぶくんは違う違う! と慌てた。
「希に云わなかったのは、カッコ悪いから! 俺が!」
「……のぶくんはいつでもかっこいいよ?」
そう素直に伝えると、「そう思ってもらえるように、やせ我慢してた甲斐があるね」としみじみ呟かれた。そして一転、今まで見たこともない目をしたのぶくんが、あたしを射抜くように注視している。半分見惚れて、半分縛られているようで目が逸らせない。
「二五の男がね、一六の女の子に本気で恋してるんだ、これ以上みっともないことがある?」
あたしの『うん』も『ううん』も不要とばかりに、のぶくんは続ける。
「ずっとかわいい妹だと思ってた。でも、もうそんな風には見られないから。……ちゃんと、女の子として見てるよ、希の事」
また髪の毛を掬う手。それから、膝をついてるのぶくんにそっと抱き寄せられた。おでこに息がかかる。胸に頬を付けているから、半分籠って聞こえる、大好きなのぶくんの声。
「多分、希の思ってる俺とほんとの俺は違うよ。ほんとは、情けないとこばっかだ」
兄の言葉を、思い出す。――あいつだって生身の二五よ? そんなキレイでもないしカンペキでもないのよ。そこんとこ、もうちょっと分かってやらない?
分かってなんて、あげたくない。だって、しれっと隠されていたのに、どうやって分かれって云うの。膨れ面して見上げたら、不安げに微笑むのぶくんと目があった。
「……そう云うのも、隠さないでちゃんと本当ののぶくんを見せてよ。じゃなきゃ、ヤダ」
そう文句を云うけど、でもあたし自信ある。どんな情けないのぶくんだって、きっと好きだよ。
「のぶくん、お返事は?」
「……はい」
珍しく、あたしが優位に立ったやり取り。少しだけのぶくんから離れて、膝立ちをする。握った拳をそれぞれ腰に当てて肘を張り、ん? と偉そうに聞いたら、のぶくんが、まいった、って苦笑した。
「希がそんな風にまっすぐ俺だけ見てくれるから、気が付いたらすっかりやられちゃってたんだよなあ」
「……ほんとに?」
「ほんとに」
「あたし、こんなだよ、髪の毛が決まらなかったからって、お出かけドタキャンするような人間だよ」
「それでも、ちゃんと時間前に連絡くれたろ? 希のそういうとこ、好きだよ」
「時間前って云ったって、ギリギリだったじゃん……」
甘いよ、のぶくん。あたしがつけ上がったらどうする気なの。そんな気持ちで見つめていたら、赤い顔したのぶくんがぷいと顔を逸らした。
「そんな顔でじっと見ない」
「どうして?」
「……わるい事をしたくなるから」
『わるい事』が何なのか分かった上で、肯定の意味を込めて頷いた。
「好き同士なら、いいんじゃないの?」
「怖がらせたくないし、希をパパさんとママさんに嘘つける子にもしたくない。だから、今はこれだけ」と、そっとおでこにキスをくれた。
「あたし、のぶくんならこわくないよ」
そういった類のアレコレを、実地で体験したことはもちろんまだないけど雑誌で予習&イメトレ済みだ。だから勇気を出して申し出たのに、「だめ」と即座に撥ねつけられた。
「俺が、ヤなの。希はまだ知らなくていい」
でも、読んだ雑誌の特集では『彼氏が我慢出来なくて、週に三度は求められちゃう』的な投稿だってあった。それをおずおずと聞いてみると、いつもは穏やかな表情を浮かべてるのぶくんが、くしゃっと顔を顰めてものすごくイヤそうな顔をした。
「そんなのは、ただの性欲処理で恋じゃない。相手を大事にしたかったら必死になって我慢するし、もしするとしても、大切に交わさなくちゃいけない事だよ」
それにね、とのぶくんが穏やかな顔に戻ってあたしに話し掛ける。
「俺が希を女の子だって意識する前、たくさん泣かせただろ? だから、今度は俺が耐える番にする」
それって『彼女さんが出来るたび号泣』事件のことだよね。なんで知ってるのそんなの。そう思ってたら、「聞いてもないのに大貴の奴が『希がまためそめそ泣いてた』って、いちいち報告に来てたから」
――大貴。やっぱりデリカシーがまるでなし男だ。彼女が出来てうきうきの人にそんな水を差すようなこと云って。あたしの気持ちを勝手に暴露して。
それでも、不憫な妹を思うと、いても立ってもいられなくてそうしてくれたんだろうってことは分かる。分かるけど。大貴のバカ。――ほんのちょびっとだけ、ありがと。
「ほんとはね、もっとちゃんと待つつもりだった。でも、あんなかわいいこと聞かされたら『希は俺のだ』って、云える権利が今すぐ欲しい」
あたしの髪の毛を掬う手。
もし今日、髪の毛がばっちり決まっていたら、あたしはまだのぶくんのこと王子様みたく思ったまま、ふわふわ恋をしていた筈だ。
その『もしも』と今と、どっちがいいって云ったらどっちでもいい。だってのぶくんはのぶくんだし、あたしはあたしだ。のぶくんが『みっともない』のぶくんを隠していても、あたしがまんまと気付かずにいても、いずれはこうなっていただろうから。
「希、俺とお付き合いをしてくれる?」
お祭りのお誘いとは全然違う。正座して、男の人の顔で、子ども扱いはナシで、のぶくんはあたしにきちんと申し込んでくれた。
「はい。――のぶくん、大好きだよ」
「俺も」
目はまっかっか、髪もくっしゃくしゃ。これで恋が冷めないのぶくんこそ、本当のあたしを見てないんじゃないかって思っちゃうよ。でもそんなことは全然なくて、のぶくんはあたしをしっかり見てた。ちゃんと、好きだって云う目で。
約束してた時間を大分過ぎてから、もう一度『本日お祭りを開催いたします』の合図が聞こえてきた。
「希、やっぱりお祭り行こうよ」ってのぶくんが誘ってくれるけど、まぶたは保冷剤当てて腫れぼったいのを取ればいいとしても、この髪をどうしたもんかな。さっき、ほんとに限界まで手を使っていたのでまだブラシを握れない。
のぶくんに、「髪が……」ってだけ云う。すると、「簡単でよければ、俺がやってあげる」と思いもよらない提案が返ってきた。
「え?」
「希の小っちゃい時は、よく俺が髪直してたんだよ」
「そうだったんだ!」
近所に女の子があんまりいなかったせいもあって、小っちゃい時は兄とかのぶくんの後を付いて行くのが常だった。やんちゃでここのつも年上の男の子に喰らいついて行こうとしてたら、そりゃ髪なんかすぐにぐしゃぐしゃになるよね。
かして、と見せられた掌に、愛用のブラシを渡す。
ブラシを持っていないのぶくんの左手は、髪の毛を下から支えてる。自分とは違うブラシの感触が新鮮。
「久しぶりに希の髪、触った」と云う割にのぶくんの手は慣れてるから、もしかしたら元カノさんの髪もこうしてあげたのかも。早くも彼女としての嫉妬心がメラメラファイヤーだ。
手鏡を持って、鏡の中ののぶくんに「もうあたし以外の子の髪の毛触ったらだめだからね」と釘を刺した。云ってから、あ、今の重かったかも、と後悔してたら「嫉妬してくれて嬉しい」なんてさらっと返してくる。
「触らないよ。ってか、希以外の子の髪をいじった事なんかないけど」
「ほんとかなあ」
「希はもう少し俺の言葉を信じてくれていいと思うよ」
苦笑交じりに再び告げられて、ふにっと両方の頬を抓まれる。そうされても、ちっとも痛くならない力加減がのぶくんだよなあ。
出来たよと云われた髪の毛は、サイドで一本の三つ編みにまとめられて、それがくるんてお団子になってた。
「のぶくん上手!」って褒めたら、まんざらでもない様子で、「また今度いじらせて」って云ってくれた。
「さあ、まずはこれから下に行って、パパさんとママさんに『希とお付き合いさせてください』って頭下げてから、お祭りに行こう」
俺、パパさんに殴られちゃうかなーと云いながら、階段を降りるのぶくんは、それでもあたしの指に指を絡めたままだ。
真ん中くらいまで降りたところで、一足先にお祭りから帰ってきた兄が勢いよく玄関のドアを開けて入って来て、のぶくんとあたしを目撃して固まった。さすが、デリカシーまるでなし男はタイミングもまるで読まない。
仮面ライダーのお面を斜に被って、綿あめとフランクフルトを両手に持って、しばしフリーズしていた大貴がいきなり、「とーちゃんかーちゃん、やっとのぶが希に手ぇ出した―!」と家じゅうに響き渡る大声で叫んだので、「まだ出されてないっ!」って抗議して、食べ物で両手がふさがってる奴の頭をパーン! と叩いた。それ見てのぶくんが笑って、リビングにいたパパとママも廊下に出てきて、「のぶくん、希をよろしくな」とか「責任もってのぶくんが早めに引き取ってね!」とか好き勝手云って、想定外の好反応に面食らっているらしいのぶくんもええまあとかはいとか返しちゃって、あたしは何云っちゃってんのと今度はのぶくんに喰ってかかって、それでいてとびきり幸せな気持ちになってた。
結局その後はのぶくんのパパとママも呼んでの酒宴タイムになってしまって、お祭りには行かれず仕舞い。そのお祭りでないと手に入らないあんころ餅を食べる機会が一年後になってしまって、ぶうたれたあたしをのぶくんが必死に宥めようとしてくれたけど、食べ物の恨みは恐ろしいんだからね。そう簡単に許してなんてあげません。
でも、ぎゅってしてくれたら許してあげなくもないと、まだ酒宴の続く我が家を出て玄関のドアの外でその和解案を提示したら、「頑張れ、俺のやせ我慢……」と呟いてから、のぶくんはちゃんとそれを叶えてくれた。
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