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夏時間、君と  作者: たむら
season1
19/47

出木杉さんの恋(後)(☆)

 朝方、寒いなと思っていたらぐいと何かに引き寄せられた。

 あったかくって、ちょっと酒臭くって、煙草臭い。――ぱちっと、目を覚ます。

 上杉さんと密着してた。当の本人はすやすやモードなので、無自覚の犯行か。

 温いそこに未練を残しつつ起き出して、朝ごはんの支度をした。上杉さんは食べられるかどうか分からないけど、おかゆならいいかと当たりを付けた。

 時折お水を足したり掻き混ぜたりしながら、お鍋でひたすらコトコト炊く。

 洗濯物を干し終わってのんびりしてたら、がばっと起き上がる音と同時に「うわっ」と驚いている上杉さんの声がした。

「おはようございます」

「……おはよう……」

 辛うじて挨拶は返すものの、『なんで?』って顔してるのがちょっと面白い。

「私、吹越です。スッピンだけど分かります?」

「分かるよ、会社でもいつも素顔が分かんないくらい濃いお化粧じゃないだろ」

「昨日のことは、覚えてます?」

「あのバーに一緒に行ったのは覚えてるけど……」

 そう聞いて、不意にからかいたくなった。

「昨日の夜、ベッドで激しかったんですよ上杉さんたら……」

「!」

「嘘です」

「!!」

「頭痛かったり、気持ち悪かったりします? おかゆ炊いたんで、よかったら一緒に食べませんか」

「大丈夫だけど……吹越さんは、いいの?」

「何が」

「その、休みの日の朝の自分の家に上司がいたりするのは」

 ああ、と私は笑っておかゆをスープ皿に入れる。

「大丈夫ですよ、彼氏もいませんし」

 よかったらそれ着てくださいねと、友達が来た時用の男女共用サイズの部屋着を渡して、ローテーブルの上におかゆとれんげを並べる。洗面所でTシャツと黒いジャージ上下を着込んだ上杉さんが戻ってから、二人でいただきますをした。

「好きなの乗せて下さいね」と、梅干しと海苔と塩とごま油を卓上に出す。

「うん、ありがとう」

 ハフハフと熱いおかゆを掬っては食べ、おかわりをした。

 食後に焙じ茶を飲んでたら、正座をした上杉さんがおずおずと切り出してきた。

「……結局、昨日俺はどこまで吹越さんに迷惑を掛けちゃったんだろうか」

「んー別に、寝落ちしたからタクシーでここに連れてきたくらいですよ」

「部下で年下の女の子にそこまでさせるなんて……」と上杉さんはショックを受けていたけれど、すぐに真面目な顔になった。

「本当に、俺は君の嫌がる事や、セクハラまがいの事や、それ以上をしていない?」

「してませんて。なんならゴミ箱見ます?」

 冗談で云ったのに、上杉さんときたら「ああ、プライバシーの侵害をして申し訳ないけど」と本気だ。こりゃあ見せないとこの手合いは信じないぞと、ベッドサイドのも、キッチンのも、洗面所のも見せた。そこに避妊具のゴミがないことをようやく理解すると、上杉さんの肩から緊張が抜けた。

「……よかった」

「でも同じお布団では寝ましたけどね」

「ええっ?」

「だって、うち客用布団ありませんもん」

「駄目じゃないか! そう云う時は男なんて床に転がしておけばいいんだから!」

「でも上杉さん、寝てても超紳士でしたし」

「……それは結果論だろ。自衛をしなさいと云ってるんだ」

「私が寒くて震えてたら、暖めてくれましたよ紳士」

「やっぱり駄目じゃないか……」

 頭を抱える上杉さん。なんか、昨日も今日も外面じゃないところを見られて楽しいかも。

「ストリップショーも見られて眼福でしたし」

「……俺、脱いだの?」

「大丈夫です、全部は見てません。下着だけは死守しましたから」

「……ありがとう」

「腹筋が、すーごく素敵でした」

 そう云うと、上杉さんはごんとローテーブルに頭をぶつけた。そしてそのまま突っ伏していた。

「何をやってるんだ俺は……」

「しょうがないですよ、出木杉さんだって痛飲する時くらいありますよ、にんげんだもの」

「だからってこんな、人に迷惑かけて……」

「私は嬉しかったですよ、行きつけのバーで寝落ちする直前、私の云うことなら信じるって云ってくれたから」

「……そんな事も、覚えてなくてごめん」

「いいえ」

「お詫びと、お礼をさせて。食事でも靴でも商品券でも、何でも用意する。吹越さんの望む物を」

 そう云われて、少し考え込む。

「物じゃなくてもいいです?」

「もちろん」

「じゃあ、たまにはうちでこうして一緒にご飯食べません?」

 私がそう提案すると、上杉さんはぽかんと口を大きく開けて驚いていた。

「――――は?」

「だから、ご飯を一緒に」

「それのどこがお礼とお詫びなの」

「一人で暇な週末を一緒に過ごしてもらえたら嬉しいんですけど」

 だって、食事や商品券じゃ、一回きりだもん。いや、云えばこの人多分何回でもスポンサーになってくれるだろうけど、それはさもしいってもんだ。

「そんなんで、ほんとにいいの?」

「いいですよ、ただしお互いに相手が出来るまで。――どうですか?」

「ああ、じゃあよろしく」

「はい、よろしくお願いします」

 出木杉スマイルを装着しようとしていたその人に、「ああ、出木杉禁止令出しますからね、素でお願いしますね」と釘を差したら、「……分かった」と渋々なお返事を頂戴した。

 それから二人でお昼は何にしようかと互いの食べたいものを摺り合わせた結果、煮込みうどんを作って食べた。

 録画だけして貯めていた映画を観て、思いのほか感動作だったそれで二人ともティッシュを消費して、互いの赤い目を笑った。

 

 そんなことが冬にあって、今では完全復活した出木杉さんな上杉課長が再び会社に降臨している。ジェントルマンで、ユーモアたっぷりで、色男な。

 時折まだその顔に翳はよぎるけど、以前ほどではない。


 週末には、予定がない限り約束通り律儀に訪れてくる。出木杉さんは禁止にした筈なのに、『手ぶらで女性の家に訪問なんて出来ない』と、ちいさな花束や、シャンパンやケーキと云った、女子が喜ぶものを携えて。ただし、服装はシャツにジーンズ、スニーカーとカジュアルで、そこはちゃんと禁止令を守ってくれている。

 私がご飯を作ることもあるし、上杉さんが材料持ち込みで作ってくれることもある。

 DVDを観たり、ゲームで一狩りしたり。ゲーマーじゃない上杉さんは普段のそつのない様子が嘘みたいに、壊滅的にゲームがへったくそで、マリオやぷよぷよでもすぐに負けてはふてくされてしまう。脳トレ系をやらせてみれば脳年齢七四歳とか結果が出てしまって落ち込むし。かわいいなぁ。

 そう云う時には、ロイヤルミルクティーを淹れてあげると、すぐに機嫌が直るのもまたかわいい。

 ハイスペックな上司に抱く感情として、かわいいはふさわしくない。でも、出木杉さんじゃない上杉さんはやっぱりかわいいって思っちゃう。そう伝えると、砂糖と塩を両方いれちゃったコーヒー飲んだみたいな顔して「四〇男捕まえてかわいいって云われてもなぁ」と困られてしまう。


 冬から夏に掛けてのんびりうちで遊んで、二人でいることにも馴染んだ。出木杉さんな『僕』と『俺』な上杉さんのオンオフ切り替えは見事で、でもどっちでも優しいひとであることにかわりはない。

 私はともかく、上杉さんはそろそろ新しい恋に羽ばたいていく頃かなあとなんとなく思った。

 あれからもう季節は二つも過ぎて、今は八月。そろそろ、何でもない仲の上司と部下がプライベートで遊ぶのは不自然かも。

 と思っていたら、この週末うちに来た上杉さんは、禁止令に引っかかる筈の出木杉さんな格好をしていた。

 胸元にチーフを挿した麻のジャケットを着て、ボトムはブラックジーンズだけど、きちんと革靴を履いて。

「これ」と渡されたのは、いつもの小っちゃくてかわいい花束じゃなくて、豪華な薄青紫のバラの豪華な花束。え、これって確か一本なんぜんえんもするやつじゃ……! 突如演算し始めたお行儀の悪い脳内計算機を慌てて止めた。

「上杉さん、」

「それ活けたら、たまには外で食事しないか? ご馳走するよ」と誘われた。

「……じゃあ、お支度するので上がって少し待っててください。お花も、ありがとうございます」

「うん」

 ドすっぴんの顔と部屋着なんて何度も見せているのに、出木杉モードの上杉さんに対峙してたら恥ずかしく思えてそのお誘いを承諾してしまった。お花を活けると慌ててクローゼットを開けて、上杉さんに釣り合いそうなワンピースとアクセサリーを見繕って洗面所に駆け込み着替えた。会社にしていくより丁寧にお化粧をし、髪の毛を整える。上杉さんは出来上がり前の私がバタバタとせわしなく支度するその舞台裏を見ないふりで、雑誌を広げてくれていた。

 これって、そう云うことなんだろうか。今日限りでおしまいってことで、でも出木杉さんな上杉さんはきちんと感謝の意を形にしたいっていうお食事会なんだろうか。

『今までありがとう、じゃあ』と、上杉さんの声で再生されてしまって、紅筆を持つ手が震えて口紅がはみ出した。

 思ったより、動揺してるみたいだ。


「お待たせしました」と装った自分を見せるのは、ドすっぴんと同じくらい何だか気恥ずかしかった。大丈夫、ワンピースはセール品だけどちゃんとしたとこの今季物だから。

 ビフォア/アフターとまではいかないものの、それなりに変身した私を見て、上杉さんは「きれいだ」と破壊力のある出木杉スマイルを私に見舞った。それに、「ありがとうございます」と何とか答える。バッグと靴を用意している間に上杉さんはタクシーを手配してくれて、私の支度が万事整った頃合いでそれがやってきた。

 二人で乗り込んだ後部座席は二月以来だ。――あの時ぐでんぐでんで酒臭かったくせに、今日は何やら香水のいい匂いをさせている。そんな出木杉さんな人のままで横に座っていられるのは、何だかさびしい。


 タクシーが停まったのは、普段私が行くことのないお洒落な街の郊外のレストランだった。

 予約をしてあったらしく、上杉さんが名乗るとすぐに席へと通された。しかも個室。小市民の小娘、こんなの初めてですよ。「何にしようか」なんてすっかり寛いだ様子の上杉さんは、やっぱりスペックが違いすぎると再認識した。――なにさ、ゲーム苦手なくせに。

 メニューを開いてはみたものの、お値段ばっかり気になっちゃうし、そもそも長ったらしい名前はどんな料理なのかさえ分からないので、「上杉さんにお任せします」と丸投げした。そしたら、私にいくつか質問を投げかけた後にこちらの分のオーダーをすませてくれた。

 やって来たシャトーなんとかの赤ワインを戴く。おっそろしく薄いワイングラスを上杉さんに促されて恐る恐る合わせるといい音がした。口に運ぶ。普段飲んでるのと全然味が違うことに驚いた。多分フルボディ。薄味じゃないのに、飲みやすい。変な渋みがなくて果物みたいないい香りがした。そう伝えると、「吹越さんは飲ませ甲斐がある」と目を細めた。

 ガブガブ飲んで酔っ払ってしまいたいけど、そんなお店じゃないしきっとそんなお酒じゃない。昼間と云うこともあって自重した。

「アミューズです」と置かれたお皿。パフューム所属の事務所じゃないことは分かります。

 お給仕の人と、ワインを決める時も食事を決める時も、やって来た料理の説明をされた時も楽しげに会話をする上杉さん。――こんなのご馳走になっちゃうと、なんか、うちでおかゆとか煮込みうどんとか振る舞ってたのが恥ずかしくなるな。

 どれもおいしくて、でも、よくわかんない。未知の味はイコールですっごくおいしいには繋がってくれないらしい。あ、でもデザートの前に戴いたチーズと、デザートのほろにがなショコラタルトはむっちゃくちゃおいしかった。

 やっと出た心からの「おいしいー!」と云う私のコメントに、上杉さんがホッとした顔で笑った。

「よかった。なんだか、緊張ばかりさせてしまったみたいで悪いなと思ってたから」

「こんなの今まで食べたことないので……。次、連れて来てもらえたら多分もうちょっとは味わえると思いますよ」と図々しい返しをしたら、上杉さんはにこっと出木杉スマイルを浮かべて「そうだね。じゃあ、さっそく来月来ようか」と仰った。

「へ」

 適当に社交辞令で流されると思ってた悪送球は、ばっちりキャッチ&きれいに返球されてしまった。

「誕生日あるだろ? 吹越さんの」

「はあ、まあそうですけど……本気ですか」

「本気ですよ」

 すべて食べ終わったタイミングで、上杉さんがお給仕の人に灰皿をお願いした。

 煙草に火を付ける。吸い込んで、ふうっと横に吐く。

 うちのベランダで吸ってた時と違ってその煙までエレガントに見えるとかねえ、すごいよねえ。

「君んちで寛がせてもらって、楽しかったし、楽だった」

「……なら、よかったです」

 過去形で云わないでよ。寂しいじゃないか。

「おかげで、傷の治りも早かった」とキザく胸を押さえる。

「じゃあ、ファム・ファタールに出会う日も間近ですね」

 寂しいけど、よかった。こんな優良物件がいつまでも空室なのはもったいないからね。

「もう、出会ってる」

「まあ」

 さすがにお仕事が早いこと……。

「とっくに出会ってたのに、間抜けな俺が気付いてなかった」

「はあ」

 って、会社の子か。

「吹越さん」

「はい」

「吹越さんなんだ」

「はい?」

 話の流れについていけずに聞き返すと、出木杉仮面を外した上杉さんがじっとこっちを見ていた。

「俺はうわべを取り繕う事ばっかり上手で、君にからかわれてもうまく返せないし、お礼がしたくても君を恐縮させるばかりで、ちゃんと喜ばす事も知らない、でも」

 目の前にいるのは、怒られるのを背筋を伸ばして待っている男の子みたいだ。

「吹越さんと、もっと一緒にいたい。いつまでもそばで笑ってたい。……ふられた自分を同情してもらってるだけじゃ、もう嫌なんだ。君の、恋人にしてもらえないか」

「何やら誤解があるみたいですね」とため息一つ吐いて返せば、何を想像したんだか悲しい顔をされたので即時撤回。

「あのねえ、もういい加減こう云う私の意地の悪いからかいに慣れてくれてもいいんじゃないですか? 誤解って云うのは、『同情うんぬん』ですよ。同情なんか、してない。むしろ」

「むしろ?」

 私はにやりと笑った。

「懐いてもらうにはいいチャンスでした。ずっといいなって思ってましたよ、上杉さんのこと」

「え?」

「でなきゃ、上司の些細な変化になんか気付いたりしないし、気付いたってどうでもいいと思いますって」

「ええっ?」

「つまり、上杉さんを狙っていたのは肉食系女性社員だけじゃないし、獲物に罠を張るのは腹黒男子ばかりじゃないってお話です。この場合、まんまと釣れたウサギちゃんは上杉さんですからね」

 そう伝えたら、「やられた」と笑った。

「全然、気付かなかった」

「私も見てるだけで満足してた筈なのに、うっかり近付けて出木杉じゃない上杉さんを知っちゃったもんだから欲が出ました」

「……欲って?」

 分かってるくせに聞いてきたその人に「こう云うことですよ」と、立ち上がってテーブルに手をついて身を乗り出し、キスをした。

 テーブル越しと云うこともあって、ごくごく浅いキス。音を立ててゆっくり離れると、赤い顔した上杉さんが「これも、からかい?」なんてバカなことを聞いてくる。

「本気ですよ」

「じゃあ、付き合ってもらえるの?」

「何やら誤解があるみたいですね――もう離しませんと、云ったつもりだったんですけど私」

 ほんとは、テーブルの下で足が震えてる。だって絶対今日で終わりだと思ってた。くやしいから、もうちょっとだけ余裕のふりをさせてよ。

 今はこうして私に翻弄されっぱなしの上杉さんだけど、そのうち余裕を奪還したら出木杉スキルを駆使してこっちが追い詰められる気がする。

「好きです。――上杉さんがいいんです、私」

 やっと云えたその言葉に、上杉さんは私と同じように椅子から立ち上がりそしてテーブルを回りこんでこちらに来ると、「嬉しくて泣いちゃいそうだ」と呟いて私を掻き抱き、至近距離で笑顔を見せつけた。

 だから、私といる時はその破壊力があり過ぎる出木杉なキラースマイルは禁止ですってば。


続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n7313bz/31/

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