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夏時間、君と  作者: たむら
season1
14/47

お二人さん、幸せそうなの(☆)

「クリスマスファイター!」内の「篠塚君、幸せそうなの」及び「如月・弥生」内の「七瀬さん、不機嫌そうなの」の二人の話です。

※文中に豚を貶める表現がありますが、もちろん豚は悪くありません(´・ω・`)

 恋は付き合い初めが一番おいしい、と云うのが世間一般の色恋常識らしいが、それでいくと付き合って別れて再度付き合っている私と篠塚(しのづか)(まなぶ)は、他の恋人たちの倍、おいしい思いをしていることになる。

 だがしかし。

 付き合い初めの熱病のような季節が過ぎたら、煮えていた恋愛脳は徐々に冷えて、やがて冷静になると云うのも、確か色恋常識ではなかったか?

 私と篠塚学の間で、熱が失われたことはついぞない。いや、あった。あったとこちらが勘違いしていたことが一度だけ。そのせいで二年もの恋愛停止期間を作ってしまった。本当は、篠塚学の罹った恋の病は大変な重病でそれは誰の目から見ても明らかだったらしいが、同じくらい恋で盲目になっていた愚かな私はそれを他の人への気持ちだと解釈した。

 辛かった。

 傍にいられないと思った。

 だから別れた。

 なのに、離してはもらえなかった。

 ずっと好きだった。

 と過去形で話すことさえ赦されなかった。ずっと好きだ。


 人前で愛を囁くにとどまらず実力行使(といっても公然わいせつ罪に問われるほどではない)にまで出る困った男だけれど、それでもあれは私が唯一愛している男でもある。すなわち、あばたにえくぼかつ割れ鍋に綴じ蓋かつ蓼食う虫も好き好き、と云うことで、要するに未だこちらにも熱病が快方に向かう兆しは見られない。どうにも救いようのない二人なのだ。否、救われずともよい。ずっとこのまま、篠塚学と云う名の甘いシロップにどっぷりと浸かっていたい。私と云う名のスパイスを篠塚学がどれ程好んでいるかは分からない、などと云う気はもはや起きないほど身を持って日々思い知らされている。昼は言葉で、夜は、おおっとこれ以上は云わないお約束と云う奴だな。

 ともあれ、我々が『人生の墓場』と揶揄される領域に足を踏み入れるのも、そう遠くないことである。


 ********************


『一緒にいるのは、もう苦しい』

 彼女に告げられたのは、二人が憂いなく思い合っていると勘違いしていた、俺にとっては幸せの絶頂の、彼女にとってはその真反対の時。

 手放すつもりは毛頭なかった。ただし、自分と同じ気持ちを七瀬に望む心も持ってはいなかった。七瀬の心は自分から離れてしまったのだと、別れた当初はそう思っていたから。彼女をそれでも逃がすまいと必死に考えを巡らせて、定期的に会うと云う約束を何とか取り付け、以来そうしていた。

 違和感は最初からあった。

 別れた男と義務的に会う約束、の筈なのに、待ち合わせ場所で見る七瀬はいつも頬を上気させていた。彼女がお気に入りの、俺もお気に入りの服や靴でやって来た。いつも慌てて男を捕まえては、深い仲になる前に放逐していた。俺が七瀬を思う気持ちをほのめかせば、切なそうな顔をされた。そして。

 服の下、隠れるか隠れないかの位置に、以前俺が贈ったネックレスがあった。


 これはもしや、とかまを掛けるべく、恋する自分を見せた。すると、七瀬はひどく傷付いた顔をした。どうも七瀬にではなく、あたかも他にそう云う存在があるかのように思われているらしい。

 そうじゃないよ。俺が好きなのは前も今も七瀬だけ。

 そう云いたくても、この危うい均衡を保った関係を何かのきっかけで失われるのは何としても避けなくてはならなかった。

 何故七瀬が別れを申し入れて、何故今の形を享受しているのかが分からない。相手の出方が予想出来なくては、こちらの次の一手もこれとは決められない。なので、いつも『七瀬が本気で好きになる存在が現れませんように』と祈る気持ちで月に一度のペースで会っていた。

 誘えば決して断らないのも謎ポイントだった。誘った日の都合が悪ければ、向こうから日延べを提案してくる。一度だって『ごめんね、じゃあまた声掛けて』なんて曖昧に断られることはなかった。かといって、『やっぱり好き』なんて云われることもなく、一見のんびりと、こちらの内心はひりひりと痛みを感じつつ逢瀬だけを重ねて。


 ねえ。

 今でも、キスした後は恥ずかしくて相手に殴り掛かりそうになってるの? それとも蹴り技?

 初めて急所に蹴りを喰らった時には本当に脂汗が出たよ。あんなの、味わうのは俺一人でいいよ。あれを照れの発露だって分かるのは、俺だけで充分。七瀬が感情を暴発させる時そうやって攻撃してくるって分かってだいぶ防御出来るようになった時に、七瀬に別れを申し入れられたけどね。

 容姿に見合ったかわいい口調と取り澄ました態度をされれば、『あなたは他人』と太く二人の間に線を引かれているようで悲しくなる。お願いだから、あの堅苦しい四角くばったおっさんのような物云いをしてよ。

 七瀬が別れを切り出した原因については、周りの人にも話を聞いたり当時のことを思い出したりしてようやくそれらしい推理が出来た。要するに、七瀬が俺に愛されてるって自覚を植え付けられなかった俺が悪かったんだ。

 七瀬、戻って来て。

 そうしたらもう二度と別れたりなんかしない。曖昧な云い方も紳士的な態度ももうナシだ。俺の気持ちを疑う暇なんてないくらい、ずっと愛を囁くと決めた。



 苦節二年、念願叶って再び恋人として七瀬の横に立てるようになって、半年と少し。今日は仕事帰りにデートだ。待ち合わせ場所である七瀬の勤め先の最寄駅へ未だ浮つく心で向かえば、七瀬の横には先客がいた。――この構図は覚えている。七瀬と俺の空白の二年に何度か見た覚えがある。ナンパだったり、七瀬が一瞬付き合っていた男の中で、こうして待ち合わせ場所にまでやってきた奴だったり。七瀬にベタベタしたのをこちらに見せつけたその男とは、それが原因でわずか一日のお付き合いで別れていた。

 七瀬が『人前だからやめてね』とやんわり笑顔で制しても、それに気付かず後ろから覆いかぶさろうとする男。三度同じやりとりをして、四度目で『日本語の分からん奴だな!』とブチ切れ、相手の股間を蹴り上げようとしていた七瀬を押しとどめたのは俺だ。それでも怒りが収まらない七瀬が『金輪際関わりを持つな!』とその場で相手の連絡先をブロック対象にしたのを眺めていたら、おもむろに『行くぞ!』と俺の手を掴み、予約をしていた店に向かってずんずんと歩き出した。しばらくそのままでいたけれど、繋いだ手に七瀬本人が気付いた瞬間、猛然と手は振り払われた。

『……色々ごめん』

『いや、いいよ』

 その日七瀬はずっと気まずそうで、俺はずっと上機嫌だった。

 あの男に触れられるのを、七瀬は嫌がっていた。

 俺には、自ら触ってきた。それが答えだ。


 改めて、今の男の顔を見た。

 女の人に好感をもたれそうな親しみやすさのある、いわゆるイケメン。その笑顔が七瀬に向けられている。七瀬本人はと云えば、能面のような顔をしていた。

 と思ったら、俺の姿を認めた瞬間、にっこりと笑う。俺は七瀬に向かう歩幅を気持ち大きくして近付いた。

「おまたせ」とその頬に手をやれば、「さほど待ってもない」とまんざらでもない様子で七瀬がそれを受け入れる。そして、再び能面顔をその男に向けた。

「云いましたよね、私婚約者がいるって」

 よそ行きな口調でそう云われて、俺の存在をじかに突きつけられてもその男は怯まなかった。

「これが、君のお相手なの?」

 腹の中で『俺より数段劣る男』認定をしたらしい。身長もルックスも、そしておそらく勤め先の規模もその通りだろうけれど、七瀬が選んだのは俺だ。その一点が得られなかった男に何を負けていても別に悔しくはない。

「誰?」と俺が聞けば、「取引先の人」と七瀬が答える。その声が潜められていなかったので、遠慮する必要はないと知れた。

 男は俺に照準を定めてきた。

「二人はいつ結婚式を?」

「――一年後ですが」

 訝しみつつ応えると、「こんな魅力的な人をそれだけ放っておくだなんて、まったく悠長なことですね」と呆れられた。

 痛いところを突かれたな、と思う。

 俺は少しでも早くに結婚したいと思ってそう伝えていた。そんな俺の勇み足を、『デキたわけでもあるまいし、通すべき筋は通した方がよかろう』と七瀬は苦笑して諌めた。そして互いの両親に未来の伴侶を紹介し、双方に温かく迎え入れられ――七瀬のお父さんには『この子は器量よしのくせにこんな口調のこんな性格で、嫁になんて行けないのかと半ば諦めていたのに』と泣いて感謝されてしまった――、結婚式場を押さえ、会社の上司にも結婚の予定を伝え、と動いていたら、成程一年くらいは猶予のある方が自分達にも周囲にも無理がないのだなと実感した。

 ただし、よそ行きモードの七瀬は簡単にモテる。――こんな風に。

 仕事上関わっても付き合いの浅い男や、空白の二年の間に一瞬付き合っていた男どもに今更七瀬を掻っ攫われるとは思っていないけれど、七瀬を思い過ぎて餓える気持ちは、いくら言葉を交わし、いくら抱き締め合って一時は満たされても、すぐに蘇ってしまう。


 一年足踏みしている間に、また七瀬と俺は別れやしないだろうか。


 それを、ひどく畏れてもいる。いくら強気なふりをしていたって決して消えない弱気。

 じりじりとしたテンポでしかやってこない一年後を思いながら、七瀬の体に所有印を刻む。ただ情熱的な恋人であるかのように能天気に振る舞って。人前でいちゃいちゃするのは苦手だと何度顔を真っ赤にして怒られても、それが原因で別れられたりしないと分かってからは七瀬の蹴り技もパンチも封じて俺の腕の中に閉じ込めて、聞かないふりでキスをして。

 本当に余裕があれば、七瀬云うところの『愚挙』であるいちゃいちゃを人前ではしないだろうし、この男の戯言を真に受けずにスルー出来るはずだ。

 俺が苦笑していると、七瀬が「もうお互い担当でもありませんし、こうして付け回されるのははっきり云って迷惑です」ときっぱり告げていた。

「それと、私と婚約者の決めたことに、部外者のあなたに口を挟まれるいわれはありません」

 人形のように整った容姿の七瀬が冷やかに接すると、相手もおや、と云う顔になった。

 担当ではないにしても、取引先の人間にその態度はいいのかと思っていたら、「今まで散々しつこくされてきたんだ、その記録ごと先方に報告すれば謝られるのはこっちだよ」と種明かしをされた。それを聞いてその男もぎょっとしたようだ。

「いやだな、少し強引に誘っただけじゃないか」と明らかに今まで程の勢いのない言葉で云い訳を始めた。

「そうですか」

 七瀬が、とびきりの笑顔で受けて立つ。そして。

「私の中では、取引先の異性の人間にガンガン酒を飲ませることも、無理にいかがわしい宿に連れ込もうとすることも、契約をちらつかせて迫ることも、『少し強引に』では済まされないですけれどね」

 七瀬の言葉に、目の前が真っ赤に染まった気がした。すると七瀬は俺の手を握り、にっと笑った。その小学生の男子のようなまっすぐな笑顔に、少しだけ心が楽になる。

 七瀬は俺と手を繋いだまま男に向き直り、笑顔を引っ込めた。

「あなたの前任の方にはとてもお世話になったのでその方に恥をかかせまいとずっと黙っていましたが、酒を飲んだ上でのことだけならまだしも契約まで持ち出してきたことは看過出来ませんでした。弊社内では既に何度か相談したこともあって担当を外れましたけれど、私の後任の子が同じ目に合わないとは限りませんからそちらの前任の方にも先日お伝えしました。沙汰が下されるのは時間の問題ですよ。――失せろ」

 七瀬が最後だけ低く本心を伝えたのを、逃げて行った男は聞いたか、聞いていないか。

「三度生まれ変わって三度豚になれ」とその背中に呪詛を吐いた七瀬に思わず吹き出してしまう。

「笑っている場合か、あんな奴に馬鹿にされたんだぞ!」

「うん、でも七瀬が迎撃して追い払ってくれたじゃない」

 本当ならその『沙汰』とやらが下されるまでは秘匿されるべき情報だっただろう。それを敢えて口に出して牽制したのは。

「俺の為に、闘ってくれてありがとう」

「――あんな奴に、罵られていい人間じゃないんだ、学は」

 いつもであれば、『お前』→『お前じゃないでしょ』→『篠塚学』→『ちゃんと呼んで』、と云う鉄壁のプロセスを経て後、漸くもたらされると云うのに。さりげなく名前を呼ばれて、うっかり顔が赤くなる。それをごまかすように顰め面をした。

「それにしても、こんなこと黙ってるだなんて」

「ごめん」

「大丈夫だったって云うことでいいの?」

「うん。酒は注ぎ返して潰したし、ラブホテルに連れ込まれそうになった時は驚いたふりして鳩尾にひじ打ちしてずらかったし、契約ちらつかせの件ではブチ切れて上司に今までのこと全部報告したからな」

 そう話す七瀬のどこにも傷付いた様子はなく、むしろドヤ顔だったことにホッとした。でも一応恋人として刺さなくちゃいけない釘を刺す。

「あんまり無茶しないで。心臓がいくつあっても足りないよ」

「持ち帰って検討する」

「七瀬、」

「大丈夫だ」

 何がだよ、そうやってすぐ根拠のない言葉を口にして、と思っていたら。

「結婚まで一年あったって、学を手放す気なんかないから。もっと自信を持て」

 どうやら俺の弱気は七瀬に見抜かれていたらしい。驚いていたら、「本当にお前と云う奴はメンタルが強いんだか弱いんだか分からん男だな」と鮮やかに笑う。こちらは「……お前じゃないでしょ」と云うのが精いっぱいだ。

「学」

 やっぱりプロセスをいくつか飛ばしての呼びかけにまた少し驚いて顔を向けると。

 ――バサバサの睫毛を伏せて、背伸びをした七瀬が俺の後頭部を引き寄せ、キスをした。その柔らかい感触を味わう暇もなく、それは離れて行ってしまった。

 七瀬自身の勤め先の最寄駅で。会社の人が見ているかもしれないのに。

 色々と不意打ちの攻撃を連打で喰らって、すっかり思考停止状態だ。

 七瀬は七瀬で、こんな事をして照れて暴発するかと思いきや、しれっと「なるほど、されるのは恥ずかしいけどするのはそうでもないもんだな」と感心していた。

「確かに、される方は恥ずかしいね」と答えた俺の声は、掠れていた。あれほど俺を苦しめていた弱気は、七瀬からのキス一つで簡単に消失したらしい。

 焦がれていても満たされていても、こんな風に一生、振り回されるのかな。まあいいや、七瀬の傍にいたら退屈しないからね。

 体も引き続き鍛えておかないとな。いつ手や足が飛んできても完璧に防御できるように。そう考えながら、「七瀬、そのうち温泉行かない?」と誘ってみた。すると彼女はニヤリと笑って、「草津の湯で例の病が治るか試すってことか?」と聞き返してきた。

「それは治らないでいいよ。二人で、お風呂入ってのんびりしよ?」

「たまにはそう云うのもいいな」

 ガイドブックを買いに行こうとうきうきしている彼女は、俺が露天風呂付きの部屋を予約するだなんてきっと想像もしていない。


 希望通りの部屋に通され、ガラスの向こうに露天風呂を見て『なんじゃこりゃあ!』と七瀬が松田優作ばりに声を上げて暴発し、『まあまあ』と俺が体を張ってそれを止めるのは、二ヶ月後の話だ。


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