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夏時間、君と  作者: たむら
season1
10/47

会社員×会社員

「私を野球場へ連れて行って」に出てくる志保ちゃんの話ですが、未読でもお楽しみいただけると思います。

 私たちの間には、埋められない深い深い溝が横たわっている。

 決して分かち合えない感覚が、そこにある。


 ぱたぱたぱたぱたぱたぱた。

 顔の近くでせわしなく動かす扇子。温い空気が動くだけと分かっているけれど、何もないよりは格段にマシだ。

 それにしても今年も暑い。人より若干体温が低い私に、湿度と気温の高い日本の夏はなかなかに辛い――よその国に行った事はないけど。

 六月末に日帰りで訪れた東北は涼しくて素敵だったなあ、とひと月ほど前の事を思い出して遠い目をしてしまう。まあ、一緒に行った友人が恋人とイチャコラしてて見ているこっちはお熱うございましたけどね。『暑い』じゃなく、『熱い』ね。ここ重要。


 会社のクールビズとやらは、冷え性女子の皆さんには大好評だけれど、私を含むチーム暑がりにはちょっと不評だ。だって汗かいたら匂いが気になるもん。

 まあ、でもそれは仕方ない。冷房の設定温度を上げましょうは時流だし、上が決めた事なら底辺ヒエラルキーの私たちは文句も云えない。気は心、と云う事で会社ではうちわだの扇子だの手ぬぐいタオルだの、和グッズを持ち込み楽しむ事にしている。でも、真夏日なんですいませんとこっそり下げてた一℃を、各部署を回って設定温度が守られているかをチェックする総務の子に見つかって、申し訳なさそうに『ごめんね』と謝られたのちそれでも無情に元の設定温度まで上げられたのは、なかなかに切ない。


 まあそんな事より問題なのはプライベートだ。

 狭いアパートの部屋に、何ら文句はない。夏冬のエアコン稼働時にはその狭さが功を奏してすぐに効くところがお気に入り。

『それはお湯じゃなく、夏の水たまり』と恋人に揶揄される三八℃設定の風呂にざばんとつかり、汗を流して出てくれば、冷え冷えのお部屋の冷蔵庫で冷え冷えのビールが私を待っていると云う訳だ。

 今日もまだ汗が引かないので、パンツ&ハーフパンツのみでごめん遊ばせ。と、ビールのプルタブを勢いよく開けた。

 一日の疲れも、汗で肌に貼り付いてたタンクトップの感触や、ストッキングを履いた足の内腿を汗がたら――っと伝うイヤーな感じや、汗に含まれる塩分で肌がかゆくなっちゃったりとか、そんな苦行のようなアレコレも、この一杯でチャラになるって云うもんよ。

 ごっごっごっごっごっ、と勢いよく飲む。ビアマグに移す余裕すらない。しかも立ち飲み。いいんです、これがおいしいんです。

 五〇〇ミリリットル缶があっという間に空になる。次のだって冷蔵庫でバッチリ待機させてたからこれも冷え冷えだ。

「あーサイコー……」

 ただしこのパラダイス、金曜の夜に限って長くは続かない。


 かちゃ、かちゃかちゃ。

 部屋の鍵の正当なオーナーである私よりも大分控えめな解錠の音。合い鍵でそっとドアを開け、ここに入ってきたのは私の恋人だ。嬉しい来訪はそれ即ちこのパラダイスタイム終了のお知らせでもある。

「こんばんは、お邪魔します」

「お疲れさま―」

 さすがに汗は引いてたのでしぶしぶキャミソールを着て(ただしノーブラ。カップは付いていないので純然たるノーブラ。)、夜八時過ぎに訪れた淳朗(あつろう)を労う。

「ご飯あるよ、ドライカレー」

「あ、嬉しい」

 今晩の献立を告げれば、仕事と暑さで疲れた顔がふっと綻ぶ。大変好みなその顔ゲットだぜ! とほくそ笑んでいたら、早速申し訳なさそうに切り出された。

「……エアコン、切ってもらってもいいかな?」

「……どうぞぉ」

 あからさまに声もテンションも低い私と対照的に、言質を得られたと云わんばかりにいそいそエアコンを切る恋人。

 そう。

 私はスーパー暑がりで、淳朗は超絶寒がりだ。なんでも、『三人の騎士』と云うディズニーアニメに出てくる寒がりペンギンにはいたくシンパシーを感じているらしい。

 エアコンを切ると、狭い部屋に大人が二人もいるのですぐに室温が上がる。汗をかき始めたところで堪らず窓を開けると、同じ位かむしろ暑いかと云った具合の空気のカタマリがむぁん、と部屋の中へ侵入してくる。温い空気が循環するだけと分かっているけれど、扇風機さんのスイッチ、オン。

 今、扇風機の前でアイスを食べてたらすぐに溶けそうだ、と思っていたら、薄手とは云え長袖のTシャツにきっちり踝まである丈の綿のパンツと云う見るからに暑苦しい出で立ちにお着替えした恋人が戻ってくる。その腕には洗面器より二回りくらいの大きさの桶。それに水を張り氷を浮かべ、ダイニングの椅子に座る私の足元にそっと置いてくれた。水が零れてもいいように新聞紙だって敷いてあって、まったく至れり尽くせりだ。

「どうぞ」

「ありがとー!」

「ごめんね」

「ん、なにが?」

志保(しほ)ちゃん、暑がりなのに、俺に合わせてもらっちゃって」

「それは云わない約束でしょ、おとっつぁん」

 私がふざけて時代劇に出てくるけなげな娘を演じると、淳朗もノッて病気のおとっつぁん風に「ごほごほ」と咳の出る真似をしてくれた。思いきり棒読みだったけど、お痩せさんなので病気のおとっつぁん設定がめちゃくちゃ似合ってて笑えた。



 今はこんな風に友好ムードだけど、付き合い始めにはよく二人の間で小競り合いが勃発していた。


 エアコン勝手に消さないでよ。


 こんな冷えた部屋にいたら死んじゃうよ。


 その長袖やめてくれない? 見てるだけで汗が噴き出る。


 人がみんな志保ちゃんみたいに暑がりじゃないって、分かってもらえないのは悲しい。


 よくムッとしたし、よく悲しい顔をされた。

 それでも一年なんとか一緒に過ごしてみて、お互いの暑がり/寒がりポイントを押さえてからは、格段にケンカが減った。譲り合うようになったし、諦めがついた部分もある。

 それに、いい事だってちゃんとある。

『三五℃はお湯じゃないよ』と呆れられてた、と云うより未知との遭遇みたいな顔をされてしまっていた私の夏のお風呂は、妥協して三八℃で入るようにした。そしたら、最初に入る時は熱いなあって思ってたのに上がった時には気化熱ですうっと体が冷めるって知った。

 家でもバカみたいにエアコンを使わなくなったので、夏バテとも夏風邪とも無縁になった。ついでに電気代も去年よりかからなくなった。目下の悩みは如何にあせもをかかないか、だ。

 淳朗がどこからか買い求めてくれた桶。冷蔵庫の製氷用のお水のボトルの残量を私よりマメにチェックして、週末は常に氷が豊富な状態にしてくれている。その氷を、例の桶に張った水に浮かべて(って準備してくれるのは淳朗なんだけど)、ちゃぷちゃぷと水面をひっかくように足指を遊ばせるのが好き。足首までじっと浸かるのも好き。

 寒がりのくせに、そうやってちゃんと人が快適に過ごせるように考えてくれる淳朗が好きだよ。だから私も、淳朗専用ハラマキと、涼しいと思った時にサッと掛けられる綿毛布を常備して差し上げた。毛布の季節が終わればお腹に一枚バスタオルを掛けて寝る私にはどちらも不要なもの。それらをどうぞと見せたら想像以上に喜ばれ、ぎゅうぎゅう抱き締められて非常に暑かったし、痩せてる淳朗の骨があちこちに当たって痛かったけど。


 夏じゃなければ大丈夫かと云うとそうでもなく、冬には冬の溝がある。厄介な事だ(ときっと向こうも思っているに違いない)。

 付き合い始めの頃、ほんの何回か一緒にお風呂に入ったけど、はじめは熱々だったお風呂の湯温が浸かっている間にみるみる下がっていったのにはびびった。超絶冷え性の淳朗の体は冬になると芯まで冷えているので、お風呂には約五五キロの冷たいカタマリを投入しているようなものなのだ。

 今となっては、夏でも四一℃、冬は四三℃で入浴する淳朗のお風呂にお相伴は出来ない。三分も浸かっていたらのぼせ街道まっしぐらだそんなの。

 こたつの温度、ストーブの温度、寝具、着る服と、冬も火種はごろごろ転がっていて枚挙に暇がない。

 時折行われる会社の飲み会に参戦する時、冬でもお店はたいがい暑いからと半袖で行く私に淳朗はいい顔をしない。それを見て去年はなんと心の狭い男めとムッとしてたけれど今年はかわいく見えちゃうマジック。人はそれを色ボケとも云う。恋とも愛とも云う。

 ムッとしている内訳が『寒そうだから』だけじゃなくてジェラシーも含む、と気付いてからはお小言は笑ってスルーして、夜遅くでも淳朗宅を急襲し踏み込み、半袖を渋る淳朗に『すきだよ』といっぱいアルコール臭いキスをするようになった。それだけで済む筈もなく、それ以上も。その対策が功を奏したのか、飲み会があるとどんどんらぶらぶになるバカップルな私たち。と、自覚しているだけマシだと思いたい。

 いつまでも薄着でふらふらしてると、お外でもうちの中でも「そんな恰好しない!」と乱暴に自分のカーディガンを着せ掛けてくる、とびきりのジェントルマン。あっついけどね、ちゃんと嬉しいよ。それで自分の方が小動物みたいなくしゃみをするんだこの人は。そのくせ、冬のこたつアイスサイコー、みたいな事云うんだから矛盾しまくりだってば。アイスなんか夏だって、ちみちみちみちみ食べないとすぐお腹冷えちゃうのに。



 私たちの間には、埋められない深い深い溝が横たわっている事は確かだし、決して分かち合えない感覚は、きっと一生分かち合えないままだろう。

 でも、一歩ずつでも近付く事なら出来た。想像する事だって。かわいいと思う事だって。

 愛情は溝を凌駕する! ……なんてね。

 でもまあ、溝を埋める事が出来ないなら橋を架けよう。

 分かち合えないまでも認め合いましょう。

 それが出来ると思ったから、今こうして付き合えている。願わくば、この先もずっとどうぞお付き合いくださいませ、Mon amour(いとしい人)


 さて、それにしてもそろそろ暑いぞ。窓を閉めてエアコンにしないか持ちかけてみようじゃないか。

 ただつけるだけじゃなく、二人で愛し合うタイムにしませんかと提案すれば、淳朗はきっと澄ました顔してそうしようか、なんて云いながら私の手を引いてベッドになだれ込むに違いない。

 設定温度はピピピピと云う音と共に四℃も上げられてしまうからかなり切ないけれども、いずれにしても汗まみれになる事に違いはないのでノープロブレム。そう予想した通り私の提案はあっさりと採用されて、ベッドでもつれ合うようにキスをしたところから始まった。


 二人で同じ温度を分け合える貴重なこの時間を、私、心からあいしてる。

 お互いの服を脱がしながらそう伝えたら、「じゃあ俺に志保ちゃんの熱をもっと頂戴」と淳朗がおねだりしたので、どうぞと既に火照った体を差し出した。


続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n4134ci/10/

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