表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

素敵なお隣さんみたいな……

作者: 一花

 この庭付きの小さな一軒家に越してきたのは結婚してすぐの三年くらい前のことだ。旦那さまの仕事場へは電車で一本、あたしの実家までは自転車で三〇分という近さで、中古に出ていたこの家をすぐに購入した。ローンはあるが、同棲していた時よりも月々に支払う金額は低く抑えられているのだから、将来のことを考えると悪くない買い物だったのだと思う。

 何より、お隣さんが素敵な家庭であることが、一番ありがたかった。あたしがひっそりと憧れていることを、おそらく彼らは知らないのだろう。


 * * *


 十二月二十日金曜日。外は快晴で、あたしはベランダで洗濯物を干していた。

 ――うう……なんか気分悪いなぁ……。

 先週くらいから体調が優れなかった。食事を作っていると気分が悪くなるし、時折吐いた。ノロウイルスにやられたんじゃないかとも思ったが、下しているわけではなかったので、今は病院にも行かないで様子をみている。

 ――こんなときに限って、旦那さまは忙しいし……。寂しいよ……。

 年末が忙しいのは毎年のことだ。社内SEをしている彼は、年末年始でも会社のシステムがきちんと稼働し続けられるように対応せねばならない。あたし自身も寿退社をするまではSEをしていたので、少しはその大変さがわかる。ものわかりのよい奥さまとしては、どんなに寂しくても旦那さまに文句は言えない。

「はぁ……」

 洗濯物を干し終えた頃、陽気な音楽が聞こえてきた。フラメンコが好きだというお隣の奥さんが休憩時間に入ったようだ。いつもこのくらいの時間に聞こえてくるので、あたしには学校のチャイムだとか市役所が流す帰宅を促す放送みたいな感覚で聞いている。

 フラメンコの楽曲が聞こえてきただけで微笑ましい気分になり、ため息をついたのも忘れて部屋に戻った。



 十二月二十一日土曜日。昨夜は飲み会で遅かったというのに、愛しい旦那さまは早朝に掛かってきた電話で起こされて出社してしまった。

 ――あれ?

 旦那さまの見送りに出ていたあたしは、自分より三つほど下らしい女性が苦い顔をして歩いて行くのを目撃した。お隣さんの長女だ。着ているコートが平日に見掛けるコートと違って可愛らしい。デートにでも行くのだろうかと思ったが、それにしては表情が暗い。どうしたというのだろうか。

 気になってその場にとどまっていると、お隣さんの玄関から声が聞こえた。

「誕生日は家族みんな一緒だって思ってたのにーっ! 裏切りものーっ!」

 この声はお隣さんの三女のものだ。すでに成人しているはずだが、末っ子特有ともいえる甘えん坊なところはまだまだ健在のお嬢さんだと認識している。

 ――なるほど、今日は誰かの誕生日なのか。

「仕方がないよ。ウチらよりも大事な人ができたってことなんだし」

 それをなだめるのはお隣さんの次女。顔を合わせると必ず笑顔で挨拶をしてくれる感じの良いお嬢さんで、とりわけ最近、出社の時間に見掛けるときはキラキラとしている。なんとなく恋の気配を感じるのだが、首を突っ込むような話ではないので妄想するにとどめていた。

「でも……」

「それはそれ、これはこれ――でしょ? ウチらにはやらなきゃならないミッションがあるんだから、切り替えていくよっ!」

「――うん。ドッキリを仕掛けるんだもんね」

 ふふっと笑う楽しげな声がして、彼女たちは駅へと向かっていく。

 ――本当に仲が良いよなぁ。珍しく、三姉妹一緒ではないけど。

 あたしは彼女たちに気付かれないように家の中に入った。



 お隣さんは五人家族だ。

 成人した娘が三人もいるとは思えないほど可愛らしい奥さんと、クールビューティーな雰囲気の長女、明るくて今時な見た目の次女、母親譲りらしい幼さを残す三女、彼らを守り支える渋いダンディーな旦那さんという家族構成。旦那さんは単身赴任中らしいのであまり見掛けない。だが、顔を合わせるときは決まって家族全員が揃っているので、仲良しなのは確実だろう。娘たちに囲まれて目尻が下がっているのを見たことがあるのだから、旦那さんが娘たちを可愛がっているのは間違いない。

 そんなお隣さんは、あたしの理想のファミリーだ。



 二十二時を過ぎた。

 ――遅い……。

 サーバートラブルが思うように片付かないらしかった。体調が思わしくないあたしは、ふだんは帰宅するまで起きているのに横になった。先に寝ます、とメールする。

 ――心細いなぁ……。

 身体が本調子じゃないと、心も弱ってくる。お隣さんの賑やかな声を聞いていると寂しさはいっそう募った。

 いつものテンションであれば、「誕生日パーティーをしているんだろうな」とか「次女と三女が用意したドッキリとやらは成功したのかな」とか考えながらニヤニヤしているところだろうに、今はそんな気持ちになれない。

 ――あたしにも、お隣さんみたいな家族が欲しいよ……。

 その日、あたしの旦那さまは帰って来られなかった。



 十二月二十二日日曜日。

 旦那さまのいないベッドで目を覚ましたあたしは、外で怒鳴り声が聞こえてびっくりした。

 ――この声は、お隣さんの旦那さんかな?

 単身赴任先から帰ってきていたのだろう。滅多にない状況に興味が湧き、カーテンの隙間から外を見やる。

 車がかろうじてすれ違える程度の幅しかない通りに、お隣さんの長女の姿があった。手にはこの距離からも視認できるくらいの大きな箱がある。家から出てきたのは次女と旦那さんだろうか。彼らが近付くと、長女が乗ってきたらしい車が立ち去った。

 ――あらあら、朝帰りかしら?

 通りから人の姿が見えなくなる前に、あたしはカーテンを閉じる。

 ――羨ましいなぁ。せめて夢の中では独りじゃありませんようにっ!

 旦那さまには不満はない。あたしを養うためにも頑張ってくれているわけだし、休みの日はちゃんと構ってくれる優しい旦那さま。

 でも、この寂しさでぽっかりとあいた心の穴は、気の持ちようでごまかせるものではなかった。

 あたしはベッドに潜り込んで目を閉じる。

 結局この日、旦那さまが帰宅したのは二十三時をまわる頃だった。部屋に入るなり泥のように眠ってしまったので、ろくな会話はなし。だけども同じベッドで眠れるだけでも幸せだったから、昼間にありえないほど寝てしまっていたにも拘わらず、ぐっすり夢の中だった。



 その日見た夢は不思議な夢だった。

 あたしたち夫婦には子どもがいないはずなのに、二人の子どもとテーブルを囲んでクリスマスパーティーをしているのだ。男の子と女の子は歳が近いらしく、背丈に差がない。四、五歳くらいの子どもたちは、ケーキを食べ始める。「美味しいケーキだね」などと声をかけながら食べていると、ふと二人が顔を合わせ、こちらを見た。

「あのねあのね。パパとママにプレゼントがあるの」

「クリスマスには、サンタさんがプレゼントをとどけにきてくれるって、せんせーがいってたの」

「よいこにしてたこどもにしか、プレゼントくれないってきいたから、ふこーへーだとおもって」

「いつもいつもがんばってるパパとママに、なにかしたいなって」

 一生懸命になって、二人の子どもたちは交互に言う。

「プレゼントってなぁに?」

 勿体ぶってニコニコしている子どもたちに、あたしと旦那さまは顔を見合わせたあとに促した。

『それはね、もうすぐわかるよ――』



 十二月二十三日月曜日。

 なんとも続きが気になる夢を見たあとで目覚めると、旦那さまは着替えているところだった。

「おはよう。疲れているんだから、もっと寝ていても良かったのに」

「そうしたいところだったんだけど、実家の大掃除を頼まれていたからさ。約束は破れないだろ?」

 ――すっかり忘れてたっ!

 慌ててベッドから出ようとするあたしを、旦那さまは優しく押し返す。

「フミは寝ていていい。まだ体調が回復していないんだろう?」

 さすがはあたしの旦那さまだ。あんまり会話できていなくてもちゃんとわかってくれている。

 あたしはコクリと小さく頷く。

「お袋にはそう伝えておくから、早く治せよ。新年の挨拶に備えて、な?」

 言って、彼はあたしの頭を優しく撫でた。それが本当に心地よくて幸せな気分になる。

「ごめんね、マコト。よろしく伝えておいて」

「ん。じゃあ、行ってくるから。夕飯は向こうで食べることになると思う。お前は体調が悪いからって食事を抜くなよ?」

「わかってる。ありがとう」

 玄関まで見送らなくて良いからと告げて、旦那さまは彼の実家へと出掛けていった。



 十二月二十四日月曜日。

 あたしの実家から電話があって、母さんが我が家にやってきた。旦那さまは出社していて留守である。

「気分が悪いって、大丈夫なの?」

 母さんはあたしの心配をして駆けつけてくれたらしかった。郵送する予定だったクリスマスプレゼントを、わざわざ引っさげて参上してくれたことは素直に嬉しい。

「うん、まぁ……。においがダメみたいで、食事作ってるときに吐いたり、やたら眠かったりするけど、概ね元気だから大丈夫」

 ダイニングテーブルについた母さんに紅茶を淹れたティーカップを差し出す。自分のものにはスライスしたレモンを添えて、レモンティーにした。今月に入ってからはレモンやミカンがやたらと美味しく感じられるのだから不思議なことだ。ふだんは果物なんて口にしないのに。

 あたしの返事に、母さんは妙な顔をした。

「あんたさ、それって、もしかしてってやつじゃないの?」

「……へ?」

 何を言われたのかよくわからない。きょとんとしていると、母さんは続ける。

「年末年始の休業に入る前に、病院で診てもらいなさい。調べてもらった方が安心でしょ?」

「大げさだなぁ」

 あたしは笑う。病院だなんて。

「この近所なら――」

 母さんは自分のバッグからメモ帳を取り出すと、病院名をサラサラと書いて渡してきた。

「いい? 用事がないなら明日にでも行ってらっしゃい。電話で確認するから。わかったわね?」

 あたしはメモ書きされた病院名を見て、ドキリとした。

 ――まさか……え?

「聞こえてた?」

 繰り返し言われて、こくこくとすぐに頷く。

「わかった。あとでネットで調べて、やっているようなら明日診てもらうから」

 返事に納得したのか、満足げな様子で母さんは別の話題に進んでいく。

 ――まずは、病院よね。

 あたしは自分のお腹をそっと撫でながら、母さんの世間話に相槌をうった。



 イヴの夜に彼がいないのは珍しかった。

 大学二年の冬に付き合いはじめて、今年は十一回目のクリスマスイヴ。毎年なんだかんだでデートをしてきたあたしたちなのだけど、今夜は彼の姿がなかった。

 ――こういうときに限ってトラブルが発生するんだもんね……。

 今日のトラブルはネットワーク系のもので、すぐに解決できずにはまってしまったらしかった。帰りに駅前でチキンを買ってきてくれる約束をしてくれたのに、この様子では無理だろう。

 時刻は二十二時をまわっている。賑やかなお隣さんが静かになってきたのは、おそらくお酒が回って酔いつぶれてしまった人が出てきているからだろう。

 ――寂しいよぉ……旦那さま……。



 目覚めたときにはベッドの中だった。最後の記憶がダイニングだったことを思うと、待ちくたびれて眠ってしまったようだ。この状況から察するに、帰宅した旦那さまがベッドまで運んできてくれたのだろう。

「――ごめんな。ずっと待たせて」

 むくっと起き上がったあたしに気付いたらしく、旦那さまが声をかけてくれた。すでに背広姿で、あとはコートを着込めば出ていける。

「ううん。いいの。仕方ないから」

 寂しい気持ちを押し殺して、あたしは微笑んだ。クリスマスだからってわがままは言えない。

「今夜は早く帰れるように調整してもらうからな」

「無理しなくて良いよ?」

「俺がそうしたいんだよ」

 告げて、頭をぽんぽんとしてくれる。彼の気持ちと努力をしようという姿勢が本当に嬉しい。

「じゃあ、行ってくるからな。無理するなよ」

「うん……行ってらっしゃい」

 チュッと軽くキスをして、笑顔でお見送りをする。ささやかな幸せをあたしは噛み締めた。



 旦那さまを見送ったところで、あたしは身支度を整える。病院に行くためだ。徒歩で行ける場所にある小さなクリニックが目的地。この年末の時季にどれほど混んでいるものか想像できないから、早めに出発することにした。気分が悪くなる前にすべてを終わらせてしまいたくて、あたしは急ぐ。

 家を出たのは八時過ぎ。ちょうどお隣さんの長女と次女の出社時間と重なったようだ。顔を合わせると、二人ともにこやかに挨拶をしてくれる。そして互いの手首につけられたアクセサリーを見せ合いながら談笑し、駅へと歩いて行った。

 ――お揃いのブレスレットをつけてニコニコしているのを見ると、こっちもにやけちゃうよ。

 飾りっけのない長女があんな目立つブレスレットをしているのを見ると、家族の誰かが贈ったものなのだろう、と考える。趣味が異なる三姉妹が、こんなふうにお揃いのものを身に付けているときがそうであるということは、隣の奥さんから直接聞いているから想像しやすい。

 ――あんなふうに兄弟姉妹が仲良しの家族が作れたら良いんだけどなぁ。

 お隣さんファミリーを見掛けると、ほっこりと幸せな気持ちになる。あたしもそういう家庭を作りたい。

 楽しい気持ちのまま、あたしは母さんが勧めてくれた病院に向かって歩き出した。



 クリスマスの夜。

 あたしの愛しい旦那さまは二十時前に帰宅した。彼にしては充分に早い時間だ。

「おかえりなさい」

 迎えに出てみると、彼の手にはフライドチキンが入った袋が提げられている。美味しそうなにおいが玄関から漂ってきた。あたしは思わず吐き気をもよおさないか心配になったが、今は大丈夫のようだ。

「フミ、チキンを楽しみにしてただろ? 少しでも精が付くように寄ってきたんだ」

「ありがとう。嬉しい」

 まさかサプライズで用意してくれるとは思っていなかったから、夕食の支度はすでに整っている。このままだと食べ過ぎになっちゃうな――と一瞬思ったが、今夜くらいは構わないだろうと考え直した。

 ――だって今日はトクベツだし。

「ん……? どうしたんだ、ニヤニヤして」

 部屋着に着替える彼のお手伝いをしていると、不審がられてしまった。食卓につくまでは黙っていようと決めていたけれど、あたしはもう我慢できなかった。

「あ……あのね? マコトに報告がある……の……」

 どう伝えたら良いものか浮かばなくて、ついもじもじとしてしまう。

「ん?」

 彼はセーターを着込むと、あたしの顔を見つめた。向かい合ったあたしは上目遣いに旦那さまを見つめ返す。彼の不思議そうな顔が素敵で、余計にドキドキした。

「今日、病院に行ってきたんだけど……」

「うん」

 促すように彼は頷く。あたしは自分のお腹に手を当てて深呼吸をし、続けた。

「お腹に、赤ちゃんがいるんだって」

「えっ!?」

 あたしの告白に、旦那さまはびっくりした顔をしたのだけど、すぐに満面の笑みを作って抱き締めてくれた。

「ふぇぇっ!?」

 いきなりの行動にあたしはついていけなくてオロオロと焦る。およそ悲鳴にならない妙な声をつい上げてしまった。

 彼はそんなあたしに構うことなく頬を寄せる。

「良かったぁ。フミが悪い病気じゃなくてっ! しかも子どもって!」

 ぎゅっと、だけど壊れ物を扱うみたいな繊細さも伴って抱き締められている。温かくて心地がよい。

「うん。そう。マコトとの子どもだよ。ずっと欲しいって言っていたもんね。やっとこのおうちに赤ちゃんを迎えられるね」

「そうと決まれば、お祝いしないとな」

 あたしを解放すると、旦那さまは頭をわしわしと撫でてくれた。

「そう言ってくれると思ったから、今日の夕食はちらし寿司にしたんだよ」

「さすがはフミだ。チキンもつけて、盛大にお祝いしよう!」

 ふふっと笑い合って、あたしたちはダイニングに向かう。お祝いの準備はできている。二人で騒いだところで、お隣さんの賑やかさには劣るだろう。だけど、来年の今頃はやかましく泣く赤ちゃんがきっとここにいる。張り合うには充分な追加メンバーだ。

 耳を澄ませば、お隣さんの賑やかな食卓の音が聞こえてくる。三人姉妹の明るいやり取り、奥さんと旦那さんの楽しげな笑い声……いつかこんな幸せの音を奏でられるようになりたいな――なんて思っていることは、きっと素敵なお隣さんは知らない。



《了》


お待たせしました!

読ませていただいた家族もの短篇に対する返歌を意識した短篇です。

どれも素敵なお話だったので、

その気持ちをお隣さんという立ち位置に込めて書きました。

それぞれの作品や設定が上手く盛り込めていることを祈ってます。


少しでも楽しんでいただけますように!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ