成長してます3
私は止むことのない雨の中を歩いている。
心配しないようにと、返事をしたが更に心配された。
どうやら自分が思っていた以上に酷い顔をしていたようだ。
自宅まで送り届けるつもりだったらしい相模さんに
丁重なお断りを入れて図書室を出たのはいいが、小さく頭痛は続いている。
傘を握る手には、一定のリズムで雨が打ちつけているのが気持ちよく感じる。
しかし、初夏の暑さで暖められたアスファルトから
生温い熱が放出されているようで気持ち悪い気温だ。
どうして。
なぜ。
頭の中は、それだけを考えている。
一部分だけ不自然に抜け落ちている記憶が怖い。
なぜ怖いのかも自分自身がわかっていない。
ずっと俯きながら歩いていると、
いつの間にか家の近くまで来ていることに気づいた。
とりあえず、休もう。
落ち着いて考える場所でゆっくりと考察すればいいんだ。
心に浮かんでくる、理由がわからない不安を片隅に追いやり足を速める。
そして、視界に住み慣れた家が見えたところで立ち止まる。
玄関に明かりがついているからだ。
学校に行くときに、ちゃんと電気は消したはずだ。
私が住んでいるのは古い一軒家。
元々は母方の祖父母が使用していた家だが、今は私だけが暮らしている。
泥棒だったらどうしよう・・・
悪い方向に考えていると、ふいに玄関から見慣れた人影が出てきた。
身長が高く、手足も長い男性はラフな白いTシャツにジーパンを履いていて
40代には見えないくらい若々しい顔立ちをしている人物だ。
彼は母の兄にあたり祖父母は今、彼と一緒に暮らしている。
つまりは伯父だ。
視線の先では、その伯父が煙草に火をつけようとしている。
何の連絡もなく私の元を訪ねてきた彼に疑問を感じながら声をかける。
「良樹さん!」
伯父は呼びかけられたことで、私が居ることに気づいたようで慌てた様子で煙草をしまう。
その隙に私は玄関の軒先に入り、手にしていた傘を閉じる。
視線を上へとずらすと、彼が優しげな笑顔で出迎えてくれた。
「美穂ちゃん、お帰り。」
帰宅して久しぶりに人からの出迎えを受けた私は、じんわりと暖かい気持ちになった。
「・・・ただいま。連絡も無しで、どうしたんですか」
高校入学をすると同時に、祖父母が居なくなった以来の家族の挨拶。
返事を返して少し照れくさくなった私は、思いのほか堅い口調で伯父に問いかけてしまっていた。
「あぁ、ごめん」
彼の声と表情が少しだけ強張るのを見逃せずに、私は言葉を補填する。
「あっいえ。来るのなら家の中を綺麗にしときたかっただけなので・・・良樹さんに会えるのは嬉しいですよ」
ストレートな想いをそのまま口にすると、伯父は目じりに皺を作りながら笑ってくれた。
「ありがとう。俺も可愛い姪っ子に会えて幸せだよ。」
家の中に入ると、なんだか良い匂いが漂っている。
どうやらご飯を作ってくれていたらしい。
「紅茶を淹れてくるから居間で待ってて」
ここに住み慣れていたのが伝わる動線で、台所へと向かう伯父に言われて居間に行く。
すると、机の上には大量の料理が沢山の皿に並べられている。
特に真ん中を陣取っているロールキャベツが、すごいことになっている。
「こんなに・・・無理・・・」
二人で食べきれる気がしない程の量に圧倒されたが、腰を下ろす。
誰かと夕飯を取るのは2年振りだ。
自分でも顔の筋肉が緩んでいるのがわかる。
カシャンっと食器の擦れる音が聞こえたので振り返ると、伯父がたっていた。
私にティーカップを渡しながら伯父も隣に腰を下ろす。
紅茶に口を付けると、渋すぎない苦味が口の中に広がる。
「おいしい」
「ははっ、そう言ってくれるのは美穂ちゃんだけだよ。」
伯父は嬉しそうに私の頭を撫でる。
この頭を撫でるのは鈴村家の男性陣の癖らしく、祖父にも良く髪をグシャグシャにされていた。
彼らなりの愛情表現ということを祖母から教えてもらって以来、抵抗はしていない。
今日も伯父の気のすむまでジッとしていようと思っていると不意に伯父の手が撫でるのを止めた。
どうしたのだろうかと顔を上げようとすると、伯父の手で頭を抑えられているので動くことができない。
仕方がないので、このままの姿勢で話をする。
「どうしたんですか」
頭の上に置かれた手に少しだけ力が込められた後に、伯父は真剣な口調で話しだした。
「実は、美穂ちゃんに話があってきたんだ。」
黙って、彼の話に耳を傾ける。
そして暫くの間をあけて、彼は言った。
「黒木の家・・・穂登のことなんだが、家を出た。」
懐かしい名前を聞いた瞬間に脈が上がるのがわかる。
ずっと会いたくても会えなかった人。
「兄さんが、家を出た・・・・?」
優しかったという曖昧な記憶だけが残っている、離ればなれの兄。
離れて暮らしている理由は、両親が交通事故で亡くなったからだ。
私は母方の父母の元へと引き取られ、兄は父方の父母、黒木の家へと引き取られた。
黒木の家は和菓子を扱う大きな店で、そこを切り盛りしているのは80才になる黒木の祖母だ。
以前、和服が正装でとても気難しい人だ、というのは祖父母が困った顔をして話してくれたのを思い出す。
思い出すと同時に私の頭を抑える圧力がなくなる。
顔を上げると、伯父は私にしっかりと視線を合わせた。
「まぁ、その事で美穂ちゃんに話しておきたいことがあってね。・・・穂登が一緒に住むことになった。」
急な方向から話が回ってきたので、私は思考が停止する。
「もちろん、黒木の婆様は承諾済みだ。」
伯父は私から視線をそらさずに話し続ける。
「最初は反対していたらしいが穂登の意思が固いとわかってから、条件付で承諾したそうだ。」
話を聞きながらゆっくりと止まった思考が動き出した私は、確認のために問う。
「良樹さんと兄さんが一緒に住むってこと?」
「いや、穂登が住むのは・・・」
コンコンコン!
伯父の答えを聞く前に玄関から扉をたたく音が響いた。
コンコンコンコン!
急かすように扉を叩く音が聞こえてきたので、私は慌てて立ち上がる。
居間に飾られている時計を視認すると19時を少し過ぎたあたりだ。
「良樹さん、ちょっと待っててね。」
「あぁ、わかった。」
こんな時間に訪ねてくる知人は居ないので、宅配便だろうかと思いながら玄関にむかう。
「どちらさまでしょうか。」
用心のために、扉は開けずに声をかけると一瞬だけ間が空いて外の人物から返答が帰ってくる。
「穂登です。」
ん?
一気に頭の中で反復される音
ヒデト、ひでと、・・・穂登・・・・
「兄さん・・・?」
信じられない思いで玄関の鍵をあける。
ゆっくりと開いた扉の前には、薄水色のYシャツに濃紺のジーンズを穿いた男性が立っていた。
裾は少しだけ雨に濡れている、
視線を上に移せば手触りの良さそうな髪の間から焦げ茶の瞳がじっと私を見つめていた。
私が動けずにいれば、彼は困ったように笑い私に話しかけた。
「美穂、久しぶりだね。」