成長してます2
図書室の重たい扉を開けると
雨で湿気った空気を追い出すように乾燥した風が頬を撫でる。
本の保存状態に気を遣って、クーラーが稼働しているようだ。
私は定位置となっている場所へと進む。
遠目から、その場所の近くに見慣れた人物が座っているのを確認できた。
彼の手には本があり、長い指が紙面をなぞるように動いている。
私は読書の邪魔をしないように静かに移動する。
出会ったころ、彼を避けるように席を移った事があるのだが
結局は彼が隣に移動してくるので、定位置に落ち着いて
諦めたのはいつのことだったか。
6月半ばに入って、私はこの隣人に慣れてしまっている。
最初の頃は彼が居るだけで騒がしかったのだが
彼を訪ねてくる人はいなくなっている。
本当にピタリと誰も来なくなったので、どう説得したのか聞いてみた。
彼は、少し考える素振りをみせ”丁重にお断り”をしたと笑って答えてくれた。
その笑顔に黒い何かが見え隠れしていたのは、きっと気のせいではないだろう。
くすんだ金色の髪に青い瞳で、端整な顔立ち。
暗黒面がなければ・・・黙っていれば王子様なのになー・・・
私の溜息が出るのと、目の前の彼が顔を上げるのは同時だった。
「鈴村さん・・・僕を見つめて溜息はあんまりじゃない?」
読書の邪魔にならないように静かに移動したのに、思ったよりも大きい溜息が出てしまったようだ。
しかも、本人に対して失礼な事を考えてたのは間違いない。
まぁ、考えを改めようとは思わないけど。
「ごめんなさい。」
私は素直に謝りながら隣に腰を落ち着けながら、彼の手元にある本をみる。
柔らかい紺色をした布でカバーされた本。
表紙には星を散りばめるように、金色の糸がキラキラと光る。
背表紙には薄く光る月に寄り添うような、狼。
彼の手元に置かれているその本を私は知っている。
冴村という童話作家が、初めて出した本で絶版になっている。
発売当時で購入していなければ、かなり入手困難な本だ。
「君がくれたんだよ。」
彼は私の思考を読んだかのように、笑った。
*******************
”月と狼”
太陽の時間、森の中は今まで以上に騒がしくなりました。
王様の命令で多くの人が”銀色の毛皮”を持つ狼を探しましたが見つかりません。
それは、夜になる前に人々が帰っていたからでした。
人々は陽の無い森の静けさ、深い闇に耐えきれなかったのです。
銀色の狼が見つからないまま時間が経ちます。
時間が経つにつれ召使い達は、王様は幻でも見たのではないかと噂します。
”暗闇が支配する時間に見かけたそうじゃないか。”
”心を闇に持って行かれてしまったに違いない。”
周囲の噂に気がついた王様は、叫びます。
”ちがう!ちがう!私は見たのだ!銀色に輝く美しい狼を!”
召使い達に可哀想な目でみられ、王様は激怒しました。
そんななか、王様に一人の魔女が会いにきました。
魔女はクツクツと不気味な笑い声を出しながら王様に話をしました。
ー森の中には、一匹の白い狼がいる。
その狼こそが銀色の狼だ。
昼は純白、夜は銀色に輝く狼だ。
王様は魔女の話に心を躍らせます。
腰に剣を下げ、手には弓を持ち叫びます。
”そうか、そうか!あの毛皮は私のものだ!”
魔女は荒々しい様子の王様を面白そうに眺めます。
そして、最後に忠告をして消えたのでした。
ーくっくっくっ。
そんなに欲しければ獲ればいい。
ただし、相応の覚悟をしておくのだな。
********************
私は、相模さんから本を受け取りページをめくる。
どこのページを捲っても、
折り目がついているので何回も読み返しているのがわかる。
そして最後のページまで辿り着いて驚いた。
端っこに、小さく名前が書かれている。
”すずむら みほ”
そして、その隣にも名前が書かれている。
”さがみ さとし”
平仮名で書かれた字は、辿々(たどたど)しいがちゃんと読めた。
私は本を確かめるように撫でる。
この本を彼は私から貰ったと言った。
でも、私は覚えていない。
目の前にいる『サガミサトシ』という存在を記憶していない。
出会ったのは小学校1年?
何故覚えていないの?
今まで気にしていなかった?
違う。
気にしないようにしていた。
明らかに不自然に抜け落ちている、その当時の記憶。
思い出そうとするたびに、霧がかかり、何も考えたくない気持ちになる。
それでも頭の奥を探るように、集中すると針で刺すようにツキツキと痛くなる。
何故?
・・・思い出したくない?
「鈴村さん?」
私は聞き慣れた声にはっと意識を戻した。
本に触れる指先が凍ったように冷えているのを自覚する。
相模さんから心配そうな眼差しを向けられたので
苦笑いをしながら大丈夫だと返事をした。
なんだか、盛り上がりも無く・・・
次の話まで、シリアス調です!