彼女が遠くなる
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「アーシャたちは!?」
おそらく走るのに問題のある姉――エイナを抱えた田島に、大樹は大声で聞いた。
火が母屋に移り、燃料が起こす断続的な爆音に、消防車が近づく音。マフィアたちの怒号も、騒がしいのだ。
「地下だ! ボスがいるか見に行った!」
田島も、怒鳴り返す。
「分かった、地下を見てくる。田島さんは彼女を最優先で!」
地下への階段は、別の場所だ。
ワインセラーと、非合法の監禁施設が融合する、カオスなエリア。
田島と別れ、大樹は地下への階段へ向かった――が、ワンも来ていた。
ワンは田島と一緒に、と思ったが、彼もまた、地下の方が護衛が固く、危険だと分かっているのだろう。
銃を用意したまま、手負いの身体で走ってくる。
地上との境界線である、鉄の扉をこじあけると、そこはもう外界と遮断された閉鎖空間。
入ってすぐに、扉を警護していただろう男が、転がされていた。
アーシャたちの、通った後だ。
「ワンさんは、出口の確保、頼みます」
大樹は、彼を止めた。
この地下は、袋小路だ。
気づかれ、出入口をふさがれたら、すべてが終わる。
彼は、何か言おうとしたが、結局黙って足を止めた。
大樹の言わんとしていることを、理解したのだ。
階段を駆け降りながら、大樹はいやな予感を覚えていた。
下では、何の音もしない。
争う音も、声も、誰かが上がってくる気配も。
護衛が、少なすぎる。
いくら、警護しやすい本家の地下だからと言って、入り口に一人とは。
答えは。
地下にあった。
そこには、アーシャがいた。
無事だ。
西脇の助っ人たちもいる。
みな、無事だ。
マフィアの警護など、そこにはなかった。
ひんやりとした地下で、静かに眠っている男が一人。
ボスだ。
大樹は、すぐに理解した。
死人に――警護などいらない。
※
上からの銃声が、大樹の尻をひっぱたいた。
ワンが、危ないのだ。
ひいては、唯一の脱出経路がふさがれる危険性が高まった。
「アーシャ! 行くよ!」
大樹の声も聞こえていないように、彼女はそこから動かない。
「アーシャを担いででも、上へ!」
周囲の助っ人に日本語で怒鳴ると、彼らはハッと我に返った。
一人がアーシャを担ぎ上げ、他のメンツは銃を構え、階段へと戻る。
「応援を呼びに行かれた!」
ワンが、上がってくる連中を急がせた。
「キッチンへ!」
このまま、まともに外へ向かうと応援と鉢合わせになる。
キッチンの裏口が、いま一番手薄なはずだ。
地下室を飛び出すと、ワンが倒したらしい二人が、うめき声をあげていた。
彼らを飛び越え、キッチンへと向かう。
「しかし、こっちからでは、隠し通路に行けない」
日本での傷が痛むのか、ワンの顔色が青くなっていく。
隠し通路が使えないということは、足で逃げなければならないということだ。
すぐに、追跡されてしまうだろう。
「いたぞ! 裏口へ向かってる!」
しかし、そこから出る以外、もう逃走経路はない。
キッチンを駆け抜け、裏口を飛び出し、通用門へと向かった。
西脇の一人が、先頭を駆け抜けると。
まだ、彼らの侵入を知らない、通用門の門番二人を――問答無用で撃ち抜いた。
銃声に、外の門番が門を開けたところをもう一発。
正確さと迷いのなさが、大樹の背筋を冷やす。
こんなことに、慣れていくのか、と。
貴恵ちゃん。
彼女が――遠くなっていく気がした。