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気のきかない日本人

 ぶるっ。


 大樹は、首筋を震わせた。


 いやな予感というか、悪寒が走ったのだ。


 この暑いのに。


「武者震いかぁ?」


 寿司屋の先輩に、背中をバンと叩かれる。


 いよいよ、本宅へ乗り込むのだ。


 結婚式当日の朝。


 披露宴は、ガーデンパーティになるので、庭に寿司バーを作るのだ。


 暑さと生魚――最悪の組み合わせだった。


「落ち着かないな」


 吉岡が、ふーっと息を吐く。


 職人姿が似合ってはいるが、いつもと明らかに違う部分があった。


 髪だ。


 トレードマークの若白髪を、全部真っ黒に染めたのだ。


 それだけで、10歳は若く見える。


 一度、吉岡は下っぱに顔を見られているので、用心のため染めたのだ。


 その髪を、オールバックみたいに上げると、吉岡はすっかり別人だった。


 大樹も、前髪を思い切り上げているので、鏡でみた時、不思議な気持ちを覚えた。


 まさに、自分じゃないよう。


 髪をいじると、貴恵を思い出す。


 彼女も、髪型で別人のようになっていた。


 帰国したら、また様変わりしているかもしれない。


 貴恵の幸せな記憶も、マフィア宅につくと、ひっこめなければならない。


 厳重な、所持品チェックを受ける。


 包丁はしょうがないとして、アイスボックスの底の底まで調べられた。


 ボディチェックをされ、ようやく通される。


 吉岡は刑事でも軍人でもないので、基本的に武器を持たない。


 ただし、大樹は――武器の場所は知っている。


 この本宅は、目をつぶってでも歩けるほどだ。


 武器を必要とする場面が、ないことを祈りたい。


 中庭に出て、他の業者にまぎれながら、大樹は厚焼き卵の中から、小型無線機を引っ張りだしたのだった。


 ※


「おい、日本人!」


 ずさんな一まとめで呼ばれ、大樹は振り返った。


 黒スーツの男が、いた。


 結婚式のための正装なのだろうが、ここは夏真っ盛りだ。


 クーラーなしの外にいるのは、朝とは言え地獄に違いない。


「設置前に、新婦にスシを用意しろ、ご所望だ」


 なるほど。


 スシ屋を指定したのは、姉か。


 病弱と聞いていて、大樹も実際に会ったことはなかった。


 しかし、さすがはマフィアの娘。


 緊急時の判断は、さすがだ。


「何、握りましょ」


「何でもいい、適当に一人分、用意しろ」


「暑いでしょうから、中で待っててください。できたら行きます」


 暑さに苛立つ相手に、大樹はゆったりとした口調で、自分のペースにはめた。


 スシができるのも、少し時間がかかると思わせたのだ。


「あ、ああ、そこのドアのとこにいるからな」


 男は、慌てて避難していった。


「さて、まずは姉とやらにコンタクトが取れそうだな」


 吉岡が、去っていく黒服を見ながら言った。


「とりあえず、現状だけ伝えておきましょう」


 本職に握りを頼み、大樹は防水紙を取り出した。


 メモを書き留めると、ちいさくちいさく折り畳む。


「タコの上を、すこしだけワサビでよごしときます」


 目印だ。


 噛み切りにくいそれを、大樹はチョイスした。


 噛んで異物に気付いた時、噛み切れないせいで、口元を手で押さえているように見せられるからだ。


「行ってきます」


 仕上げをすませ、大樹はスシの乗る皿を持って、建物へと向かった。


 まだ若い大樹の方が、怪しまれることが少ない気がしたのだ。


「スシ、できました。おまたせしました」


 ドアの陰で、日差しから逃れていた男に呼び掛ける。


「スシのどこがいいんだか」


 彼は、皿の上を顔をしかめながら見た。


 その男は。


「ああ、そうだ、変なものが入ってないか、上の魚はがして見せろ」


 誰かに指示されたようなことを――思い出してしまった。


 ※


 ネタをはがして、下のシャリを見せろ、と。


 やる気がないながらに、彼はそう指示した。


 大樹は、怪しまれないように、素直にそれに従う。


 ラップをはがし、一番向こう端のトロをめくってみせた。


「この、緑のはなんだ?」


「WASABI、です」


 スシに興味ないだけあって、ワサビを知らないようだ。


「毒じゃないだろうな…次めくれ」


 言われるまま、隣のミル貝をめくる。


 次、と言われたが。


 次のは――


「あの、ウニとイクラはちょっと」


 軍艦巻は、とてもめくって見せられない。


「怪しいな!」


 いきなり警戒レベルを上げられ、大樹はため息をついた。


 皿から、ウニを取り上げて、男の顔の方に差し出す。


 怪しまれっぱなしでは、どうしようもないからだ。


「しょうがない、これも仕事だ」


 やれやれ、と。


 男は、軍艦巻を口に放り込んだ。


「むむっ」


 一口でおさまったそれを噛み締めながら、男は眉を寄せる。


 そして。


「意外とうまいな、これ」


 噛み締めながら、男の目がイクラを見ている。


 大樹は、それも差し出した。


「むぅ…」


 もぐもぐ噛み締めながらも、男は指でついてこいとゼスチャーした。


 怪しさ警報を切ってくれたようだ。


 空いた隙間を整え、大樹はきれいにラップをかけなおすと、男について歩きだした。


 チェックが、手前のタコまでは行かずにすんだ。


 まあ。


 もし、タコをめくったとしても、そこにはメモはないのだが。


 大樹が仕込んだのは――シャリの中、だった。


 ※


「スシ、お持ちしましたー」


 ノックをしながら、男は呼び掛けた。


「入りなさい」


 女性の許可の声に、ドアが開けられる。


 冷気が、一瞬にして大樹を包んだ。


 クーラーが、しっかり効いている。


 男の背中の端から、ウェディングドレスの裾が見えた。


 地方の島出身の彼らは、精霊信仰で、特定の宗教を持たない。


 これも、姉の希望か分からないが、ウェディングドレスを着ることにしたようだ。


「手元まで、持ってきてちょうだい」


 何人かの女性が傍にいる。


 おそらく、伯父の息がかかっている、侍女兼監視だろう。


 大樹は、一度男を見た。


 確認のためだ。


 顎で、持っていけと促される。


 完全に、警戒が解けているようだ。


 大樹は、ゆっくりとウェディングドレスに近づいた。


 アーシャよりも大人びてはいるが、やせすぎている。


 しかし、目の色はしっかりとしていた。


 彼女の座る椅子の傍の、サイドボードに、スシを置く。


 すると。


「ウニは?」


 スパッ!


 切れ味のいい言葉が、とんできた。


「ウニが食べたくて呼んだのよ! ウニはないの?」


 大樹は、ついつい男を振り返ってしまった。


「バッ…!」


 こっち見んな、と両手であわてふためく姿。


「あたしのウニを食べたのは…おまえ?」


 地響きがするほど、低音の震える声。


「あ、いや、そのっ! 変なものが仕込まれてるといけませんので!」


 男も、伯父の息がかかっているだろうに、たいしたものだ。


 そんな彼は、姉の剣幕に震え上がっていた。


「すぐ、ウニを握ってまたきなさい! ウニだけで最低6KANよ!」


 そのとばっちりは、大樹にも来た。


 間近で吠えられると、迫力がある。


 タコの入った皿を置いて、大樹は退散することにした。


 またこられる口実ができたし、もう男もウニを疑いはしないだろう。


「適当にごまかせっ、気のきかない日本人め!」


 部屋を出て戻る間、チクチク言われ続けたので――大樹は、小さくなっているフリをしなければならなかった。

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