鼻づまり
○
「貴恵ちゃん」
夜、西脇組に、大樹がやってきた。
疲れているように見えるのは、アーシャと田島のせいだろうか。
彼も一緒に、行ってしまったのだと、母から聞いたのだ。
「大丈夫?」
言葉に大樹はうなずく。
「貴恵ちゃん…僕は、近い内にI国に行くよ」
だが、貴恵が大丈夫ではなくなる爆弾が、目の前で炸裂した。
え?
「断ったんじゃ、ないの?」
貴恵は、呆然としながらも、すがりつく言葉を見つけた。
「うん、断ったよ…僕はマフィアの抗争の手助けに行くわけじゃないんだ」
そっと。
落ち着かせるように、彼は貴恵の手に触れる。
「僕は…吉岡さんの…部下になるんだ」
まっすぐな、目。
吸い込まれそうになる。
貴恵は、吉岡の本当の肩書きを知らない。
ただ、善と悪かと言われたら、善よりの仕事をしているんだろうと分かる程度。
「これで、僕には再び拉致された日本人を救出にI国へ行く、という口実が出来る」
大樹が、嘘をつく。
あの田島という人は、自分からついていったのだ。
なのに、おおっぴらに助けるために、そんなしらじらしい嘘をつく。
「手続きとかあるから、今すぐは無理だろうけど、一週間後には行けると思う。勿論、一人じゃないよ」
ぎゅっと、握る手に力がこもる。
指先が、貴恵に信じて欲しがっている。
「大樹は…」
その指先から伝わる、ひんやりした温度に、貴恵は目を伏せた。
「大樹は、自分が春まで中学生だったことを忘れてるだろ」
あーあ。
こんな年でまた、危険なところに首をつっこもうというのか。
「十五年…勉強したことは、無駄じゃなかった。十五年、生き延びたことは、僕は無駄じゃなかったんだ、貴恵ちゃん」
なんで。
なんで、このバカ大樹は、こんな場面で――笑うのだ。
「田島さんを…連れ戻してくるよ」
だから。
まだ。
私は、許可出してないっつーの。
「ばーか…」
ぐしゅっと。
鼻が詰まった。