さようなら
○
昼間。
アーシャが、美容室に来た。
「ちょっ!」
抜け出してきたかと、貴恵は焦ったが――後ろに、西脇組の人間を従えている。
「あいさつに来ただけよ、すぐ帰るわ」
ああ。
貴恵は、その視線に気圧された。
まとうオーラが、覚悟の色に染まっている。
来日したばかりの彼女とは、まるで別人。
「チーフ…ありがとう、おかげで楽しかったわ」
淡々とした英語で、アーシャは別れの言葉を吐く。
「また日本に来たら、是非ここに寄ってよね」
チーフは、微笑んだ。
彼は、いまからアーシャが帰る国の状況を知らない。
だから言える言葉だったが、彼女もそれに笑い返した。
「また、髪を切ってもらいにくるわ」
自分の髪に指を入れ、外に跳ねさせる。
そしてアーシャは、ととっと、爪先でチーフに近づいた。
あ。
黒い腕が、するりとチーフの首に絡み付く。
「……!!」
貴恵は、口をぱくぱくしながら、その光景を見ていた。
アーシャが、チーフに――
言葉で認識するより先に、アーシャは体を離した。
「役得、でいいのかな?」
チーフが、にっと笑う。
「さようなら」
アーシャもにっと笑うと、踵を返した。
もう、振り返らなかった。
貴恵は、まだ驚いていたが、同時に自分の足がわなないているのも知った。
「アーシャの英語は、おかしいな。普通のさよならは、see youの方だろ」
チーフが、仕事に戻りながら、小さく呟いた。