田島さん
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アーシャの父親――ボスと別れる前に、大樹は話をしたのだ。
彼は、大樹に残るように誘ってくれた。
能力を買われ、必要とされるのは、とても魅力的に感じた。
その甘美な感覚を、振り切って断る。
「僕は、マフィアにはなれません」
そうしたら、ボスはこう言ったのだ。
「二度と、この国に来るな」
追い出すように、言ったのではない。
大樹は、このマフィアのことを知りすぎているから、関わりたくなければ来るなと言ったのだ。
その言葉を、大樹は守る。
だから、アーシャの悲痛な声を聞いてなお、断る決心がついたのだ。
それどころか。
ボスが危険になったいま、アーシャにも国に戻って欲しくないはず。
だから、大樹は彼女を説得しようとした。
せめて、アーシャには生き延びて欲しいだろう。
なのに。
アーシャは、ボスの娘である誇りを掲げてしまった。
死んでも帰る!
そういうアーシャに、大樹はこう訂正した。
帰ったら死ぬ、だ。
シビアな言葉に、アーシャは黙り込み、電話を切った。
考え直してくれてるといいけど。
貴恵に連絡をつけて、今どうなっているか様子を聞こう。
大樹は、枕元に置いている携帯を掴んだ。
その時。
「なぁ、大樹…ところでさー」
自分のベッドで、職員にもらった雑誌を読んでいるツカサが、何気ない感じで呼び掛けてきた。
「なに?」
携帯を握ったまま、彼の言葉の続きを待つ。
「ところで…寮長、夕食あたりから、いなくなってね?」
えっ、と。
大樹は、部屋を確認してしまった。
そういえば、彼がいない。
ツカサの言う通り、夕食にいたかどうか思い出せない。
一番、良識のある彼だから、心配はないだろうが。
なんだろう。
この――胸騒ぎは。
※
「吉岡さん、田島さん見ませんでした?」
一応、携帯で所在を確認してみる。
しかし、吉岡の答えも、彼らの記憶と大差なかった。
「ツカサくんには気を付けるよう、職員にも言ってるんだけど、田島くんは真面目だから大丈夫だと思うんだが」
他の職員の部屋で、将棋でも差してるかな。
聞いてみようと、吉岡は一度電話を切った。
まあ、この敷地内で何か起きるはずがない。
ツカサのように、抜け出していなければ。
抜け出して?
自分の引っ掛かった言葉を、大樹は否定する。
抜け出す理由なんか、ないではないか。
「そういや、昨日、寮長の姉さんとかが面会にきてたよな…ホームシックになったんじゃねぇか?」
まったく心配していないツカサが、けらけらと笑う。
ああ、そうだ。
彼らは、身内の面会は許可されている。
しかし、本当に面会がきたのは、昨日の田島が初めてだ。
思い出せ。
宿舎のロビーにいたのを、大樹は目撃したはずだ。
思い出せ、思い出せ。
女の人の手が動く。
田島に、差し出されるそれ。
あれは。
あれは――
「いいじゃん、あんま考えこむなよ、ふらっと帰ってくるって」
ツカサの言葉に割り込まれ、映像は崩壊した。
「それより、アーシャちゃんはもう帰ったのか? おっさん助けに行くとか言ってなかったっけ?」
そうだ。
助けに行かれては困るので、大樹は止めようとして――
バチバチッ!
頭の中で、電撃が炸裂した瞬間だった。
つな、がった。
昨日の姉が、渡していたのは、携帯電話。
田島は、姉に連絡して、自分用の携帯を持ってこさせたのだ。
そのために、姉を呼んだのである。
田島は、個人的に誰かと話したかった。
大樹は借り物の携帯で、心当たりに電話をかけた。
「もしもし、大樹です。田島さんっていう、腕を三角巾で吊った男の人、そっち行ってませんか?」
電話の取られた音を確認するや、大樹はまくしたてた。
「あぁ? 姿三四郎なら、ギプス割ってお嬢ちゃんたちとどっか行ったぜ」
声は美津子。
西脇組。
しまった。
携帯を握り締めながら、大樹はもっと寮長の変化を見ておくべきだったと、後悔していた。
彼は――ボスを助けに行くつもりだ。